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クロスロード物語  作者: 雪之丞
白の章 : 第三幕 【 彼と彼女の事情 】
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3-9.嫌な思い出


 お昼を食べ過ぎたからしばらく散歩しよう。そう誘われたクロスは、先導されるがままに適当に市場や行商人達の露店の立ち並ぶバサーの開かれている通りを散見していたのだが、適当に見て回るだけでも物珍しいアイテム類や見たことがないような民族衣装系の服や装飾品など、実に様々な雑貨が売られている事に今更ながらに驚きを隠せない気分でもあったのだろう。


「前に来た時にも同じように感じていて、今日、改めて思いましたが、こんなに沢山の品々が世の中には存在していて、それがこの街に、こんな風に集まってきて、こうして並べられて売られている。その縁というか偶然に不思議なものを感じてしまいますね……」


 街の中で生活空間や活動範囲が収まってしまっている自分達と、街から街へ商売がてら旅をしながら大陸中を西へ東へと旅していく行商人達……。その余りに対照的な生き方は、別に街の中に閉じ込められている訳ではないのだということを。そして、いつでも街を出て、自由気ままに旅をしても構わないのだということを思い出させてくれていたのかもしれない。改めて、フゥとため息をついたクロスに、ジェシカは露店の綺麗に磨かれた色とりどりな石をつないで作られた首飾りを手に取って、微笑みながら尋ねていた。


「もうおつかれ?」

「正直、ものすごい人の数なので、ちょっと酔った部分はある気がしますが……。でも、疲れの方はまだ大丈夫です」

「そうなんだ。……じゃあ、なんで、さっき、すごっく大きなタメ息なんてついてたの?」


 そうニンマリ笑って尋ねるジェシカにクロスは小さく苦笑を浮かべて答えてた。


「いえ、露店で売られている品々を見ていて、これらはどのような経緯を辿ってここに並べられて売られる事になったのか……。これを売っている彼らは、どのような旅を経て、ここに座ったのか。……そういった品物の背景、ストーリーがちょっと気になってしまって」


 それを考える過程で街の外を自分が旅している姿を思い描いてしまったのだと。そうクロスは苦笑を浮かべて口にしていた。


「町の外かー……。私、生まれた時からずっと、この街の中しか知らないからなぁ……」


 より厳密に言うなら西区のごく狭い、限られた範囲の中だけしか知らなかった。そして、それは王都生まれの者たちに共通している特徴でもあったのだろう。この街は大陸で最も大きく、そして最も沢山の人と物が流れこん来て、同じだけ出ていくという場所だったのだ。だからこそ、ここで生まれたものは多くの場合に、この街で死ぬまで過ごす事になるのだろう。わざわざここよりも劣る、暮らし難い土地に無理をしてまで移り住もうとは思わなかったのだ。……もっとも、近年はウェストエンドの隆盛もあって、あえて西の果てに移住したがる新しいもの好きな若者たちも増えてきてはいたのだが。……まあ、そういった特殊事情を抱えた若者はまだごく僅かではあったのだでレアケースというべきなのだろう。


「そういえば、クロスさんは、東の方から引っ越して来たんだっけ?」

「はい。イーストレイクきっ……。コホン。近辺に住んでいました」


 思わずいつもの癖で教区と言いそうになって咄嗟に口ごもってしまったクロスであったが、その無理矢理なごまかしは露骨ではあったが、かえって想像力を掻き立てる言い方になってしまっていたのかもしれない。


「ふーん。……なんか嫌なことでもあったのかな?」


 おそらくジェシカは故郷のイーストレイクで何か嫌な出来事があって逃げ出して王都にやってきた家出娘か何かだと思っていたのだろう。きっと旅費か何かでお金を使いきってしまって、こんな変な(自分が普通とはちょっとずれてるという自覚程度はあったらしい)依頼にすがらなくてはならないほどに困窮しているのだろうと……。もしかすると、借金を抱えているとか深読みしてたりもするのかもしれなかった。だが、そんな的外れにも程がある邪推は、ある意味で的の中心に近い、最もデリケートで無防備だった部分を、完全に予想外なタイミングで。それこそ不意打ちの極みのようなタイミングで撃ち抜いてしまっていた。


 ──ナンカイヤナコトデモアッタノカナ?


 その無邪気で無遠慮で情け容赦のない質問は、クロスから言葉を奪ってしまっていた。


「……ええ」


 だからこそ、思わず答えてしまっていたのかもしれない。


 ズキッ。


 胸の奥をえぐられるような痛みを感じるのは何故なのか。そして、その痛みにあえぐようにしてクロスは自分の胸を。その部分の布を握りしめ。何かに耐えるようにして答えていた。


「……とても。……とても、嫌な事があったんです」


 それを隠すことすら出来ずに。これまで、この街にくる前から。あの日の夜から、誰にも言ったことがなかった事を。誰にも告白することが出来なかったことを。それを思わず口にしてしまっていた。そして、その言葉を思わず口にしてしまったことが原因だったのだろう。


 ズクン!


 胸の奥のあたりに耐え切れない激痛が走ってしまっていた。


「……くっ」


 その目眩すら感じた痛みに。激痛に屈して思わず膝をついて。


「ちょ、ちょっと! 大丈夫!?」

「大丈夫です。……ちょっとだけ、目眩が……」


 喉の奥が痛かった。ズキズキと痛みがして。急速に体の芯のあたりが冷えていく感覚が広がってきていた。……胸がムカムカしていて、こみ上げてくる苦味は胃液の味だったのだろうか。喉の奥に酷い熱さを感じて。その直後に、鼻の奥に鉄の臭いとすっぱい鉄錆の味としか言い様のない苦味が広がっていって……。


 ゴポッ。


 少量とはいえ、自分が血を吐いた事に呆然となりながら。その青白い血の気の失せた顔を歪めながら。うまく回らない頭でボンヤリと考えていた。


 ──これが、僕に下された罪?


 僕は死ぬのだろうか。もう駄目なのかな……。……わからない。でも、たった一つだけ。……それだけを自覚出来ている事があるとするならば、今の自分は……。“僕”は心の鎧が壊れてしまった状態だということ。自分のことを、いつものように強がって“私”などと格好をつけて称さずに。僕だなどと……。幼い、無防備で、無力な。無知で非力で泣くことしか出来なかった……。そんな大嫌いな昔の自分が表に出てきてしまっていることを。


「ちょっと! 大丈夫!? しっかりして!」


 耳の奥に響く誰かのくぐもった声が。……ああ、この声は誰だったのだろう。そういえば僕は今何かをしていたような気がする。でも……。ああ、頭が痛い。


「……クロちゃん! クロちゃん!」

「おい、しっかりしろ! お嬢!!」


 誰かにしがみつかれて、誰かが泣いているのが分った。そして、自分は必死に誰かに……。自分にむかって泣きながら声をかけてくる相手に手を伸ばして。必死に助けを求めていたような気がした。……覚えているのは、それだけだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 目が覚めた時には、すでに外は暗く、日も沈んでしまっていた。


「……大丈夫ですか?」


 薄暗い部屋だった。何処かで見覚えのある内装の部屋で。部屋の隅に置かれたランプがぼんやりと部屋を照らしていた。その柔らかい光が逆光になる形で誰かが自分の事を覗きこんできていた。それを、ぼんやりとした頭のまま見つめながら。


「……司祭様」


 そこに居たのはエルクだった。ベッドに寝かされているクロスの事を心配そうな目で見つめていた。……ここは何処なのだろう。まだはっきりとしない頭で、クロスはそんなことを考えながら周囲を見渡していた。


「状況は理解できていますか? ……貴方は、急に血を吐いて倒れたのですよ?」


 体調が悪いのに無理をし過ぎるからです。そう咎めるように叱る口調や表情にいつもの鋭さがないのは、おそらくは自分のことを心配してくれているからなのだろう。そのことだけは嫌というほどに伝わってきていた。


「ご心配をお掛けして申し訳ありません」


 フゥとため息をついて、ボンヤリと己の手を見つめる。そこには己の吐いた血の痕跡なのだろうか。僅かに汚れが付いていた。


「ここは……?」

「エドの医院です。本来は西区にある近くの医院に運ぶべきだったんでしょうが……」


 貴方の場合には、何処でも良かったという訳ではないのでしょう?

 そう暗に告げられているのは感じていたのだろう。クロスは目礼だけで、そういった特別な配慮に礼を返していた。


「貴方にも色々と事情はあるのでしょうから詳しくは聞きません。ですが……」


 チラリと視線を向けられた先には、壁にかけられた明らかに女物の服。その首のあたりが僅かに血で汚れてしまっているが、幸い吐いた血の量が少なかったからか、この程度なら水洗いしておけばまた着る事が出来そうだったので、これならさほど問題はなさそうだな等と、ごく普通に考えているあたり、クロスはきっと現実逃避していたのだろう。


「……貴方にはあまり妙な仕事を受けたりせずに、出来れば子供に文字の読み書きを教える程度のアルバイトに抑えておいて欲しかったのですが」


 そんな言葉に僅かに苦笑を返しながら。クロスはベッドから体を起こしながら答える。


「……子供は苦手です」

「その言葉は前にも聞いた気がしますね」


 チラリと視線を向けて、うつむいて答える。


「……彼らには分別や遠慮というものがまだありませんから。……きっと私は、彼らの無邪気で無遠慮な視線や質問に耐えられなくなると思います。……そう感じていたから避けているのかもしれません」


 幼い頃に、同じくらいの年齢の子供たちに、よってたかって虐められたり罵られたり暴力を振るわれたりした辛い記憶があるせいか、子供から奇異の視線を向けられることや無遠慮な質問を投げかけられたり単純に恐れられたりするようなことに対して強い忌避感を抱いているのだろうことは見て取れていた。だからこそエルクも強くは勧めていなかったのだろう。


「無理に働かなくても良いんですよ? ……それこそどうしても副業をやるのが辛いようなら何時でも相談してください。教会は修道士に多少なりとも生活資金の貸し出しも行なっていますから……」


 血を吐くような状態で無理して働くような馬鹿な真似をされては、もう冒険者として仕事をさせたくないと考えても仕方なかったのだろう。しかし、そんなエルクの言葉に……。


「申し訳ありません」


 その申し出を、クロスは丁寧に頭を下げて断っていた。


「どうしてそんなに意地を張るのですか」

「……意地ではないのだと思います。無理もするつもりはなかったんです。ただ……」


 そう言葉を続けながら、小さくため息を付いて。その顔に苦笑を浮かべて言葉を続ける。


「こんなことになってしまったのに図々しいと叱られてしまうかもしれません。でも、個人的に今の仕事だけは、途中で放り出したくない。そう思ってしまったもので……。もし、まだ依頼主さんに、こんな私でも、この仕事を続けることを許してもらえるならという条件付きになってしまいますが……」


 私がここで勝手にリタイアしては怒り出しそうな人が居るんです。そう色々な言い訳の果てに口にした理由はひどく楽しそうなもので。その言葉を口にした時の脳裏には泣きながら怒っているジェシカの顔が浮かんでいたのかもしれない。そんなクロスの困った風な顔を見てしまったせいか、エルクも小さくため息をついてしまっていた。


「どうしてもですか」

「多分、私は助けを求められていたのだと思います。こんな私でも誰かを助けられるのなら、できる限り……。無理しない程度には手を差し伸べてあげたいと思っています」


 あの子をまた一人にはしたくない。そんな理由がごく自然に口から出てくる程には思い入れが強くなってきていたのかもしれない。


「強すぎる人を助けたいという気持ち。助けを求められると見捨てられない弱さ……。因果な性癖ですが、治療師は誰しもが多かれ少なかれ似たようなものを抱えてしまっている人達ばかりです。……貴方も治療師ということなのでしょうね」


 その意見するところは「止めても無駄だと分った」といった所であろうか。


「ご心配ばかりおかけして申し訳ありません」

「本当に……。あまり心配をさせないでください。こっちが胃を悪くしてしまいますよ」


 そう苦笑しながら苦言を口にして。今日は眠りなさい。あと、明日も休んでください。そう「これは司祭としての命令です」とばかりに言い含めるとクロスをベッドに寝かせて、自分は部屋を出て行こうとしたのだが……。


「あ、あの……」

「……なんです?」


 その背中に遠慮しがちに声がかけられていた。そして振り向いた先には、掛け布団で赤くなっている顔を半ばまで隠したクロスがいて。


「……あの時……。私が倒れた時、側に誰かが居てくれた気がするんですが」


 あんな訳の分からない状態に陥って、ただ混乱と焦燥と恐怖の中で震えていた。そんな自分の側に……。あの時、あのタイミングで。本来なら絶対にそこにいるはずのない人物が居た気がしていたのだ。それこそ、一番側にいて欲しい、一番心細くて泣きたい気分になっていたタイミングで……。確かに、あの時、誰かか側に居てくれた様な……。それこそ、しがみついて震えている時に、抱きしめられていたような……。


「……さあ。私には何とも……」


 自分はエドから連絡を受けて急いで駆けつけてきただけだし、その時にはエドしか居なかったので、貴方が倒れた時に側に誰が居たのかは分からないし、どういった経緯があってここに運び込まれたのかも正直、よく分かっていない。そんな説明を受けたクロスは「そうですか」とだけ答えていたのだが。


「たまたま通りかかった“ある程度事情を知っていたらしい”知り合いを名乗る人物が、わざわざここまで連れてきた。エドは、そう言っていましたよ」


 そう後は自分で考えなさいとばかりに言い残してクロスの部屋を後にしたエルクであったが、その顔は何処か青ざめたままだった。


 ──噂には聞いていましたが……。あれが茨の王(エレナ)の“茨の輪冠”ですか。


 いつものような四肢を覆い隠すような服でなく、薄い布地の貫頭衣一枚という格好だったせいもあったのだろう。薄ぼんやりとした照明の中に浮かび上がるクロスの体には……。その白すぎるほどに白い肌をもつ両腕の上腕部、肘の上あたりに刻まれた茨の輪状の紋様(タトゥー)が布を通して薄く透けて見えてしまっていた。そして、その黒い紋様は協会関係者なら誰しもが知っていて当たり前なほどに有名なものであり……。


 ──しかも、あれはエレナの四重封印シール・オブ・テトラゴン……。万が一にでも封印の“戒め”が発動したらものの数秒で正気をもっていかれかねません。……正気の沙汰ではありませんが。……そこまでして“何”を封じたと言うのですか……。


 エドからこっそりと教えられた事が本当ならば、クロスの四肢……。両手と両足、上腕部と太ももの計四箇所に茨の神(エレナ)による封印が施されているというのだ。茨の封印は、無理をして封じされた行為を行おうとした場合に激痛を……。それこそ一つだけでも体の中を金属製の棘の生えた茨が暴れまわるほどの激痛を感じさせて、大人が泡を吹きながら悶絶して気絶するほどの激痛を感じさせるというのに……。それを四つ重ねてかけるだなど正気とは思えないほどに厳重な処置だった。だが、そこまでして封じなければならないモノとは何だったのだろうか。おそらくはソレこそが、クロスが過去に引き起こしたとされる大惨事の原因となったモノなのだろうが……。


 ──哀れな。


 エドの言葉が脳裏に蘇る。そこまでして残しておかなければならない力とは何だったのか……。その短く口にされた言葉は、そんな恐ろしい“何か”に魅せられた狂人達に向けられた嫌悪感であり、そんな狂気の犠牲にされたクロスへの同情でもあったのかもしれない。



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