3-3.お金がない!
しばらく副業をサボっていたツケというものは、すぐに数字として表れていた。
──お金が……。
ギルドカードの残高表示など見たくもなかったのだが、それでも見なければならない時というものはあったのだろう。それは多少なりともトラウマを改善できた数日後の事だった。
「今月の請求書を持ってきましたよ」
「ご苦労様です」
教会の宿舎で寝泊まりしている者たちは、基本的に食事も宿舎の食堂でとっているのだが、そこは当然のように有料であり、月末が近づいてくると今月の食堂の利用料の回収係となった者が各部屋を回って、それぞれの食堂の利用回数に応じた今月分の請求書を渡していき、それを受け取った者は月末までにお金を払うといったシステムになっていた。そのため、今月の食費の精算のためにギルドで預かってもらっているお金の残高を見ていたのだが……。
──いつのまに、こんなに減っていたのでしょう。
そこには今月分の食費を払うにも心許ない程にしかお金が入っておらず、早急に副業からの収入を復活させなければ、下手をすると今月末の支払いにすら足りなくなるかもしれないという、あまりに楽しくない緊急事態が待ち構えていた。
「……ふぅ」
何はともあれ働かなくては飢えてしまう。そう判断したらしいクロスは、思い立ったが吉日ということなのか、せっかくトラウマのダメージをある程度克服出来たのだから、そろそろ働きに行きましょうとばかりに、若干痛みが見えるようになってきている着古された修道服の上に粗末な薄茶色の外套を羽織ると、スタスタと足早に部屋を後にして久しぶりに冒険者ギルドに訪れていた。
──ここに来るのを久しぶりと感じるようでは……。なるほど。預金残高がなくなっているのも当たり前の話だったのですね。
そう自分の間抜けさ加減にタメ息をつきながら、入り口の両開きなスイングドアを押し開いて中に入って行くと、そこには夕方も程近い時間帯ということもあってか、大勢の仕事を終えて帰ってきたらしき冒険者達の姿が見て取れていたのだが……。
──なぜ彼らは皆、こちらを胡散臭そうに見ているのでしょうか。
不審者を見るような視線や、胡散臭い者を見るような目、あるいは「なんだこいつ」といった部外者を見るような表情というべきか。そんなに綺麗さっぱり忘れられるほどに久しぶりだろうかと思いながらも、どこか刺々しい視線を向けられるのは……。
──ああ、そうか。この格好……。
いくら接触恐怖症(クロス命名な自分の状態名で、いわゆる「触られるの怖い」な状態のこと)で真っ直ぐに視線を向けられるのも苦手とはいっても、今の初めて冒険者の宿に訪れた時のようなフードまでかぶって全身を覆い隠した格好な上に、鼻の上あたりまで布で覆っている状態では、自分のことを知っていても分かるはずがないのだ。ましてや、ここにくるのは久しぶりと感じるほどにブランクがあいていたのだから。
そんなクロスが「やれやれ」とばかりに向けられる不躾な視線を無視しながら依頼用紙の掲載されている掲示板の前まで進むと、そこには以前と大差ないランクが低くなるほどに数がへっていく依頼用紙の数々が貼りだされていて……。
──やはり、殆ど残っていませんか。
懐の中の“例のアレ”は特殊すぎる内容だから特別扱いな依頼だとしても、残り数枚しか残っていないFランクの依頼は、教会が発行しているらしい魔力の切れた修士向けな「子供に文字の読み書きを教える講師役」と「自分の娘が買い物に行くのに付き添い兼護衛を募集」といった二つだけであり、読み書きの講師役がエレナ教会が発行したものしか残っていないのを見たクロスは何か嫌な記憶でも呼び覚まされたのか僅かに表情を歪めて……。
「そうなると、これになりますか」
その手にとったのは「娘の買い物の付き添い兼護衛の募集、ただし旅の経験のある者に限る」といった内容の物だった。
「お願いします」
他に選択肢がない状態なのに加えて、懐のアレを避けたいというのなら、消去法で一つしか残らないのだ。迷う必要すらなく、クロスは依頼用紙を掲示板から取ると、受付に自分のカードと一緒に出して受理のスタンプをドンと押してもらったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇
依頼主であるクランク商会という雑貨商は王都の西区に店を構えているらしいと聞いたクロスは西区に続く大通りをテクテクと歩きながら受けた依頼の内容をざっと読み直していた。
──依頼の内容は簡単にいえば「買い物の付き添い」と「お嬢さんの荷物持ち」の二つが主であって、おまけ程度の扱いにしか見えない「護衛」の方は最初から期待はされていないのかもしれない。
そうクロスが判断した理由は買い物の付き添いの条件に西区周辺での買い物と書いてあったからだ。クロスロードの西区といえば商人街とも呼ばれる程に様々なお店が立ち並ぶ商売のためのエリアであって、他のエリアと比べても治安は良い方だったし、依頼人の商会の店舗も西区にあったので勝手を知っている周囲での買い物の付き添いが欲しいという依頼なのかと単純に判断していたのだが……。
「……しかし、何故、冒険者などに依頼を……?」
その時、ふと思いついていた。よくよく考えてみれば、この依頼は少し変だった。
西区に店を構えるクランク商会といえば一代で名を知られる程の大店に急成長してみせた辣腕の雑貨商であり、生き馬の目を抜くかの如き王都において一代の成り上がり者風情が多少なりとも他業種の者たち(クロスや冒険者ギルドの者たち)に名を知られている程の知名度を得るというのは普通は考えられない事であり、それだけに悪目立ちする存在でもあったはずなのだ。
『今ではすっかり角が削り落ちてしまって大人しくなったと評判な御仁ですが、一昔前には同業者限定だったそうですけど、悪名高きと枕詞がついていたほどに悪辣っぷりが有名な豪腕商人さんだったそうですよ。……口が悪い人は“強欲”なんて二つ名で呼んでたそうですけどね』
そんなギルドで聞いてきた依頼主の話は参考にはなっていたが、それでも今感じている疑問に対する答えにはなっていなかったのだろう。豪腕だの強欲だのケチだの……。
──いや、ケチなら尚更冒険者などを雇うはずがない。
なぜ低ランク指定なのかという部分ならまだ分かった。ランクが低ければ、それだけ依頼料を安く抑えられるからだ。ただし、低ランクといえども冒険者なのだ。そうやって外部から人を雇い入れるとなると、それなりには経費がかかるものなのだが……。それに、クランク商会ほどの大店なら、使用人くらい沢山いるのではないのだろうか。何故、店の使用人ではなく冒険者……。しかも低ランクの者の中から旅の経験のある者という妙な条件を付けてまで狙い撃ちにするような変な依頼の出し方をしていたのか。
そんな疑問はどれだけ考えてみても答えなど分かるはずもなく、いっそ直接依頼主に聞いてみるのが手っ取り早いだろうと割りきって西区へと足を進めていたのだが……。
「なんだ、お前」
依頼主である商会の会頭クランクは、クロスと会うなりいきなり口をへの字に曲げてしまっていた。その表情は明らかに怒っている風であり……。
──私は、なにかいきなり粗相か何かをしてしまったのでしょうか……。
そう思ったのか、思わず自分の格好をまじまじと見なおしてみるクロスであったが、その格好はいつもと大差ない修道服の上にくたびれたローブを羽織っただけの格好であり、別に失礼にはならないと思われるのだが。……それに、失礼にならないようにと顔をおおっていた布は店に入る前にはちゃんと外していたし、フードだって脱いでしっかりと顔が分かるようにしてあった。これで胡散臭いと思われるのはクロスにしても少々心外な部分はあったのだろう。
「……そ、その……。冒険者ギルドから来ました。クロスといいます。ライセンスはEです。……こ、こちらがギルドカードと、依頼の用紙、に、な、なりま、す。お確かめ……」
呂律のまわっていない舌を必死に動かしながら、そ~っと差し出したカードと受理のスタンプの押された依頼用紙を引ったくるようにして乱暴に奪い取ると、ひどく胡散臭い相手を見るような表情と視線で、頭の先からつま先まで、何の遠慮も容赦もなくジロジロと不躾に睨みつけられながら。それでも、その目は椅子の上で固まってしまっているクロスと手元のカード、そして机の上の見覚えがあるはずの依頼用紙へと交互に向けられていたのだが……。
「確かに、冒険者、らしいな」
「……はい」
ようやく信じてもらえたか。そう安堵してホッとしたのも束の間。
「そういえば挨拶がまだだったな。俺がこの商会の会頭のクランクだ」
「あっ、初めまして。冒険者ギルドの……」
「クロスさんだったか」
「あっ、はいっ」
「ライセンスはE。旅の経験だってある。……これで間違いないか?」
「その通りです。イーストレイクからクロスロードまで一人で旅を……」
クランクの威圧感のある視線でジロッと睨めつけられると僅かに悪寒が走って腕などに鳥肌が立っていたが、それでもクロスは視線から目をそらすことなく受け止めて見せていた。それを見たクランクは僅かに苦笑を浮かべると何かに納得した風な表情を浮かべて。
「……なるほどな。こんな亜人の子供を寄越して茶を濁すような真似をされて、俺を馬鹿にしているのかと思ったが……。ちゃんとこちらが指定した条件は満たしていたんだな」
そう不機嫌さの理由らしきものがわかった上に勘違いだったことも分かって貰えたらしいと、気持ちホッとしていたクロスであったのだが。
「だが、お前は駄目だ。帰れ」
そう問答無用で掌をヒラヒラされて。とっとと出て行けとアピールされてしまう。そんな会ったばかりで早々にクロスを見限ったクランクに納得など出来るはずもなかったのだろう。少しだけ呆然となった後に、思わず椅子から立ち上がって抗議してしまっていた。
「そっ、それは困ります!」
「駄目な物は駄目だ」
……まあ、こっちも前提条件に「修士以外って」書き忘れてたのも悪かったんだがな。そうボリボリと頭を書きながら口にされた理由らしきものも教えてもらったのだが、その内容は意味が分からないものでしかなく。それだけに納得の出来る説明が欲しかったのだろう。
「理由を……。理由を教えて頂けませんか?」
「クロスさん、アンタ、治療師……。しかも修士なんじゃないのか?」
「え? ええ。まあ……」
そう問われて、そういえばコッチの方はまだ見せてなかったと思い至って、ゴソゴソとパスケースからもう一枚の証明証を取り出して差し出していた。
「仰るとおりです。ヘレネ教会の修道士クロスです。二級治療師の資格を持っています」
「ほう。こりゃ若いのに大したもんだ」
そうニヤリと笑って。受け取っていた証明書を返しながら。
「すまんが、それが理由で駄目なんだ」
まさか、こんな妙な依頼を引く手あまたなはずの修士がわざわざ単独で受けるとは想定していなかったのだろう。
「この仕事はな。ただ旅の経験がある冒険者ってだけじゃない。修士でない、治療師でないって条件を、その三つの条件を完全に満たしてる奴でないと駄目って依頼だったんだ」
こっちにも色々と面倒くさい事情ってモンがあってな。そう「すまねぇな」と最後に謝罪の言葉を付け加えて謝ってきて、ガタリと音を立てて椅子から立ち上がる。それは話はここまでという意思表示そのものだった。
「まあ、そういう訳だから、帰ってくれ」
しかし、そう言われてしまうと困ってしまうのがクロスだった。早急に今月の食費を稼いで宿舎の食堂利用料を支払わないといけないのに、このクエストを逃してしまっては他にできそうな物が“モデルの仕事”しかなくなってしまうのだ。それだけは何としても避けたい以上、何が何でもこの仕事をゲットしなくてはならないのだ。
「そ、それは……。あっ! 違約金が発生してしまうのは困ります!」
そう、どうにかして「まあ、お前でも良いか」とばかりに妥協してもらわないといけない立場であるせいか、必死に断られる訳にはいかない理由を探して訴えるクロスであったが。
「こっちからなかったことにしてくれって形でキャンセルをいれておけば、客先の都合での依頼の取消ってことで、こっちにしか違約金が発生しないはずだろう? 手続きはこっちでやっておくから、今日のところは大人しく帰ってくれ」
そう「帰った帰った」とばかりに追い出しにかかるクランクに、それでもクロスは必死に食い下がっていた。
「そっ、それじゃあ困るんですっ!」
「……なんでだ? 違約金は発生しないんだぞ?」
「い、いえ、こっちにもちょっと特殊な事情というものがありまして……」
「特殊な事情?」
「え。ええ。……その。……実は、今月の食費の支払いが数日後に迫っていまして……」
情けないにも程がある我が身の恥をわざわざ依頼人に説明しなくてならないというのは、なかなか精神的にクル感じのする苦行ではあったのだが、それでもクロスは頬を羞恥で赤く染めながらも自分の側にある特殊な事情について説明をすることが出来ていた。
「そちらにも何やら特殊な事情があるらしい事は重々承知していますが、こちらにもどうしても数日中に仕事を片付けて収入を得ないといけない事情があります。……修士であることが障害になっているというのなら、この仕事の間は本来の身分を封印して、ただの一介の冒険者、冒険者クロスとして振る舞いますので、どうか私に、この仕事をやらせて頂けないでしょうか。……お願いします」
頭も下げて、拝み倒すようにして。「ヌードだけは嫌ぁ!」と内心で悲鳴を上げながら。
「……はぁ。いつもうちの若い連中がお世話になってる教会の治療師さんに、こうして頭まで下げられたとあっちゃ、あんまり無下にはできねぇか」
そうどうにかこうにか交渉のテーブルに付くところまでは許されたのだが。
「ただし、一つ条件がある」
「はい。何でしょうか」
「その格好は駄目だ。普通の格好で頼む」
それに加えて、この依頼の間は極力修道服を着ないようにして、自宅からの行き来の間も仕事用の私服のほうで行うように、という身分を隠さなければならない以上は必然だと思える条件が提示されていたのだが……。
「……なに? 私服をもって、ない?」
「申し訳ありません。修道院暮らしが長かったもので、普通の服というものを何一つ持っていないもので……」
唯一の持っている普通の服らしきものが、今着ているローブであるらしいのだが、この年季の入りっぷりを見るまでもなく困窮しているのは見て取れる訳で……。
「……おい! 誰かいるか!」
「へい、親方」
扉の外で待機していたらしい部下を呼ぶとすぐに入室してきて。
「うちの下働きのガキ共に、この人と同じくらいの背格好のやつが何人か居たな」
「ちゃんと寸法を測ってみない事には何とも言えませんが……居たと思います」
「じゃあ、サイズを調べたら、そいつらの服から適当にボロを見繕ってやってくれ」
その言葉で意味が分ったのだろう。
「まあ、いろいろ日毎世話になっている人をあんまり無下にもできねぇからな……。さっきの条件さえきっちり守ってくれれば、お前さんにまかせるよ」
それを聞いてクロスはパァと笑みを浮かべていたのだが……。まさかその笑みがすぐに凍りつくことになるとは、この時点では、まだ誰も予想していないのだった。