2-11.待つのは辛いよ
おそらくは、自分の過去を“なかったこと”にしたがっている。自分でそれを認めるための免罪符として人助けをしたがってた。単なる修士に留まらず、高いレベルの資格を保つ一流の治療師を目指すようになったのも過去の出来事があってからと聞いていた。だからこそ、わかることもあったのだろう。
「でも、それじゃ駄目なんだ。それは誤魔化しだからだ。何の言い訳にもなってない。そのことに自分が気がついてしまったらどうするつもりなんだ。その時、自分のやってることに何の価値もなく、何の償いにもなってないってことに気がついたら?」
首を横に振りながら。ため息をついて。
「そうなったら、もう駄目だろう。何を足がかりにしていいのかすら分からなくなる。そこから……。絶望から立ち上がれなくなる。もう死ぬしかない、それしか出来ない、それしか許されていないって悟っちまう」
そんな人間は大勢見てきた。そう内心で呟きながら。
「そういった奴は、往々にして自分をどうやって罰したら良いのかって事ばっかり考えるようになる。どうやって自分を痛めつければいいか、どうやれば苦しめる事が出来るか。どうやって苦しんだら良いか。そんなことばかり考えやがる。……そんな風に、お嬢に捨て鉢になられたら、もう誰も救えない。……だから、今しかないと思ったんだ。今ならまだどうにかできるって。……お前たち二人ならもしかしたらって思ったんだよ」
でもなぁ、と。盛大にハァとため息をついて。
「お嬢は予想以上のヘタレだったのさ」
そこを読み違えたのだと。そうアーノルドは口にしていた。
「え?」
「お前になら、な。お前になら、お嬢は自分の背負ったモノを。……誰にも言いたくない類の過去って奴を告白できるんじゃないかってな。そう思ってたんだ。……でも、駄目だった。お前に知られたくない、お前に嫌われたくない。お前に軽蔑されたくない。……そんな気持ちに負けて逃げ出しちまった。こうなったら後は自分で自分を助けてもらうしか方法がない」
そうだったのか……。ようやくあの時のクロスの行動の意味が分かったクロウは、今の状態の危うさ、状況の悪さも理解出来たのだろう。真っ青な顔で固まってしまっていた。
「……良いか? 今のお嬢にお前が近づくことは逆効果だ。反対に追い詰めることになる。おそらくは今よりももっと頑なに……。もっと態度を硬化させる事になる。だから、絶対に自分からは近づくな。どれだけ辛そうでも、一人にしておけ」
「でも……」
「デモもヘチマもねぇ」
「……」
「いいな? あいつを死なせたい、殺したいっていうのなら構っても良いが、本気で助けたいなら……。どれだけ辛くても、今は下手に構わないで一人にしてやれ。黙ったまま、見守ってやれ。信じて、待っていてやれ」
救いたければ一人にしろ。それはクロスのことを親友だと感じているのだろうクロウにとっては何よりも辛い命令だった。
「……救われたかどうかって、どう判断したらいいの?」
ポロポロと涙をこぼしながら。それでも辛い命令に耐えることを選んだのだろう。クロウが口にしたのは何時まで頑張れば良いのかという前向きな言葉だった。
「いつまで一人にしておけばいいのさ」
「そうだな……。お前に自分で会いに来て、色々話しを出来たら、だな。そのときは泣き出すかもしれないが、それくらいは許してやれ。……本当に苦しい時には、泣いてごめんなさいって謝ることしかできないんだからよ」
その言葉を口に出来た時、ほんとうの意味でクロスは前に進めるようになるのだろう。そして、それが出来なければ立ち止まることを余儀なくされ……。いつか背後から追いついてくるのだろう罪悪感という名の悪魔に食い殺される事になるのだ。
「ま、そのときには胸でも貸してやるんだな。洗濯板よりうすっぺらいベニヤ板でもハンカチの代わりくらいにはなるだろうさ」
「アーちゃん、ひどい」
「はははは」
そんな最後は冗談まじりの言葉でしめようとした二人であったが。
「……もし、それが出来なかったらどれくらい保つの?」
「さーな。でも、追い込んじまったからなぁ……」
「……」
「恐らく、そんなに長くはかからんとおもうがな」
どっちに転ぶにせよ。そんな言葉を口にした時、ギルドの入り口から小柄な子供が入ってくるのが見えていた。そんな子供はキョロキョロと周囲を見渡して、何かに気がついたらしく二人に向かって一直線に向かってきていた。
「……アーノルド?」
「ん? ああ、そうだが?」
「……手紙」
おそらくはスラム住まいなのだろう、自分のZランクのカードと一緒に一通の手紙を差し出してきたちょっと臭う子供(おそらくは冒険者ギルドの一員なのだろうが)はアーノルドに手紙を押し付けると、ごそごそとポケットからFランクの依頼用紙を出してきて「サイン」とだけ口にしていた。それを反対の手で受け取ると、机の上においてあった羽根ペンでサラサラっと署名を入れてカードと一緒に返してやると……。
「おつかれさん」
そんな言葉でトットットッと駆け足で依頼完了の手続きに向かう子供を見送っていた。
「手紙?」
「みたいだな」
「誰から?」
「……友達からだな」
ちらっと見た依頼用紙には『今日の昼までに届けてください』と書いてあった気がしたが、今の時間は余裕でお昼を過ぎてしまっており、ごめんなさいの一言もないのかよと苦笑すら浮かんでしまうのだが、おそらくは自分の見間違いだろうとスルー出来るほどにはアーノルドも人間が出来ていたのかもしれない。
所詮は子供、所詮はZランク。中身を抜かれてなければ問題ない。そう割り切るとロウによる封印の施された手紙をあけて……。
「……お嬢がな。今日の昼前に薬師の所に薬を貰いに行ったんだとさ」
「薬を? ……なんで? 仕事に使うの?」
「うんにゃ。多分、強いストレスで胃がやられてて食事がまともにとれてないのと、最近、夜になるとちょくちょく悪夢をみてるらしくてな。まともに寝てないんでげっそり痩せて、ふらふらしてるんだとよ」
あーぁ、と思わず頭を抱えたくなるような内容だった。
「こりゃ長くねぇかもな」
「どうするんだよ……」
「どうもしねぇさ。さっきもいったとおりだ。自分で自分を追い込んでる馬鹿につける薬はない。自分を救えるのは自分だけなのにな」
「……でも」
「会いには行くなよ。今行ったら喧嘩になるぞ」
「……でも」
「喧嘩になったら最後……」
そこで言葉を濁した雰囲気を察したのだろう。
「……どうなるの?」
そう、先を促す声にも力がなかった。
「多分だが、もうあいつはお前という最後の逃げ場をなくしちまう。そうなったら、あの世に一直線だろう。……最後は首を吊るか、掻っ切るか。あるいは飛び降りるって所か? 大穴で大迷宮に飛び込んでいくってのもあるかもしれんが」
そうまだ冗談めかして言えるというのは、まだそこまで心配はしていないということでもあったのだろうが。
「まあ、そうはならんさ。あいつには心配してくれてる周囲の大人がいるからな」
「アーちゃんみたいな?」
「そう、俺みたいな」
にっこり笑って答えて。それにエルクも心配しているし、おそらくは今回診察を行った薬師も何らかの手段を講じて状況をマシな方向に向けてくれるだろう。……大丈夫だ。まだ事態は致命的な状況にまでは陥っていない。それを確信しているからこその笑みだった。
「正直な、見込み外れだったんだよ。……つーか、全部、俺の失敗だな。悪かった。もっと……。それこそあと数年くらい、お前ら二人を組ませて様子を見ておくべきだったんだな」
後悔は後で悔やむと書くけれど。今回のミスはかろうじで周囲が助けてくれたお陰で致命傷にならずに済んで良かった。そう内心で胸を撫で下ろすアーノルドである。
「……僕がチームを組もうなんて言い出したから?」
「どうだろうな。まあ、それも切っ掛けだったかもしれん。あとは、まあ、言葉の勢いってやつかな。……反省してるよ」
この失敗はデカかった。でもどうにかなってくれている気もする。あとは、なんとか今以上に悪化しなければ良いのだが……。そう祈るような気持ちだったのかもしれない。
「お前ら二人の様子を見てて、思わずな。……お前ならお嬢を救えるかもって思っちまったんだ。お嬢はお前にだけは甘えを見せていた。心を開いてたし、信じてる風だったからな。……でも、駄目だった。お嬢には自分の弱い部分をお前に見せる勇気がなかった。それを自分に許す狡さと強さがなかったんだ」
その言葉の意味はきっと通じたはずだった。
「……僕だけしか救えないってこと?」
「お嬢がお前に救って欲しいって頼れるようになるまでは、それも無理なんだがな」
「……むつかしいね」
「そうだな」
俯いて。
「つらいなぁ」
ぽたり、ぽたりとテーブルの上に染みが出来て。スンスンと鼻をすする音もして。
「……泣くなよ」
「つらいんだよ。……クロちゃんが苦しんでるのが分かってるのに会いにも行けないなんて」
「……そうだなぁ」
「いじっぱり」
「そうだな」
「ばかだよ。おおばかだよ」
「そうかもな」
頭を優しく撫でられながら。それでも自責の涙は止まらなかった。
「……でも……。でも、一番のばかは僕だ」
「……」
「クロちゃんがそんなに苦しんでたなんて、気付きもしなかった。もっとクロちゃんと仲良くなりたい、ずっと友達でいたい、もっと一緒に居たいって……。チームを組もうなんて言いだして、迷惑かけた僕が一番悪いんだ」
その言葉を聞いたアーノルドは少しだけ考えると僅かに顔を横に振って。
「……そう思うなら、お前だけはアイツを最後まで……。何が何でも信じてやれ」
その言葉の意味を。真意を測りかねて、自己嫌悪の沼に沈みかけていたクロウが顔を起こして向き直っていた。そして、そこには真っ直ぐに自分を見つめてくる一人の男がいて。
「いつか心の激痛に我慢できなくなる。背中の荷物の重さに耐え切れなくなる。その時には、きっとお前を頼ってくるだろう。……あいつには、お前しか居ないんだ。そうやって泣きついてきた時に、逃げずに、しっかり受け止めてやってくれ。抱きしめてやってくれ。その胸で心ゆくまで泣かせてやってくれ」
聞き逃すなよ、と言うかのようにして。
「その時には、多分、いろいろと聞かされる事になるだろう。いろんな嫌な話も聞かされる事になるだろうな。……色々聞かされて、アイツのことを怖くなるかもな」
その挑発的な言葉に思わずムッとなって答える。
「……そんなこと、ぜったいない」
それでいい。そんな笑みを浮かべて。
「それなら、その話を最後まで聞いてやってくれ。助けてって言われたら……。もう耐えられないって泣き言を言うことが出来たなら。その時には、お前も手伝ってやってくれ。一緒に、アイツの重荷を……。つらい過去を受け止める手伝いをしてやってくれ。一人じゃとてもじゃないが支えきれない大きさの荷物を。……アイツをこれまで苦しめてきた心の重荷を少しでも受け持ってやってくれ」
そして、いつか言ってやってくれないか。お前は悪くない。たとえお前が悪かったのだとしても。世界中の人がお前を責めたとしても、それでも自分だけはお前を赦す、と。
「……アーちゃん」
「俺に言えるのはここまでだ。……でも、忘れないでくれ。アイツが……。お嬢が本当に欲しがってるのは、お前からの“赦し”なんだ」
ポン、と。頭を叩かれて。
「……俺たちには出来ない。たぶん、お前にしか出来ないことだ」
だから、そのときまでは耐えてくれ。そんな言葉に、クロウはまだ泣いていたが、それでも小さく笑いながら「うん」と頷いたのだった。