2-10.待ち人は来ず
来るものは拒まず。犯罪者以外は誰でもウェルカム。特に依頼者は大歓迎。そして、去りゆく者は追わず、引き止めず、陰口も叩かず……。それがモットーな冒険者ギルドにて、今日も今日とて入り口付近のテーブルの椅子に腰掛けて、足をぶらぶらさせながらグチグチと文句を口にしている少年がいた。
「……クロちゃん、こないねぇ」
「まあ、あいつにも色々あるからなぁ」
言うまでもないかもしれないが黒一色で愉快な方の亜人クロウと、そんなクロウの正面に腰掛けて二日酔い気味の頭に濡れタオルを載せている駄目な大人ことアーノルドである。
「アーちゃんが悪いんだよ。いきなり、あんなこと言うから……」
「まーなぁー。親友にも昨日、散々文句を言われたよ。何ってことをしてくれたんだ~って。……おかげで酷い事になってるじゃないかってな……」
あー、痛ぇ。とタオルを載せている顔には、何やら目の周りに青くなっている痣が出来ていて。……もしかすると殴られたのかもしれない。その道五十年な聖職者に殴られるなど、どれほどの不手際をやらかしたというのだろうか……。
「ほら! やっぱり!」
「あーあー、俺が全部悪いんだよーっと。……つーか、頼むから大声出さないでくれ。頭と傷にガンガン響くから……」
そう、ハァと酒臭い息をため息といっしょに吐き出しながら。
「……でもなぁ。お前も悪いんだぞ?」
「僕も?」
「なんでいきなりお嬢とチームなんて組もうなんて思ったんだ? 今まで誰が相手でも、そんなこと考えた事もなかったくせに」
そう思わぬ反撃を受けた形になったクロウは「うっ」と言葉に詰まって、しばらくウンウン必死に悩んだ末に、僅かに顔を赤くしてモジモジと指を絡ませ合いながら答えていた。
「あんなに人のために必死になって頑張ってるのに、それなのに教会の仕事のせいで、こっちの仕事の方ではご飯食べられないくらい困ってて……。クロちゃんの困ってる顔を見てたら、なにか少しでも力になってあげたかったんだよ」
「クエストの確保を手伝ってやりたかったのか」
「うん」
しかし往々にして想いと現実の間には色々と障害や乖離もあったりしたのだろう。
「俺たちにも自分の生活があるから、それほっぽり出してまで他人の世話を焼くのは、馬鹿のやることだぞって話、前にしたよな?」
「うん。でも、ホントに他に方法がないのかなって、ずっと、あれから考えてたんだ。もしクロちゃんを手伝える良い方法があるのならって……。もしないなら、そういう時にはどうしたらいいかなって、ギルドの“よろず相談”って書いてた窓口のお姉さんに相談してみたんだよ。そうしたら、こんな方法があるよって教えてもらったのがチームだったんだ」
それを聞いて、思わずタオルをずらして窓口の方を睨んでしまうアーノルドだったが、その視線の先には誰もおらず……。事情をよく知らないヤツのアドバイスなら、そんなものかと即座に思い直していた。確かにそういった相談の仕方なら、チームを組む事を勧められるのは悪くない選択だったのだから。まあ、特殊な事情のある二人の背景さえ気にしなければ、それは妥当なアドバイスになっていたのだから恨む筋合いのものではなかったのだろう。
「ちゃんと、チーム名まで考えてたんだよ?」
気が早いといえば、そうなのかもしれないが、アーノルドの横槍がなければ、その日のうちにチーム登録を済ませてしまっていたのだろうから、あるいはそれも適切なタイミングといえなくもなかったのかも知れない。
「チーム名、ねぇ」
クロウとクロス。……クロクロコンビ。黒と白の組み合わせか。……合わせたら灰色? グレイカラー。グレイ。あ、銀色って線もあるか。そうつらつらと考えてみたアーノルドはのんびりと尋ねていた。
「チーム『シルバー』とかか?」
「チーム・シルバー……。うん、カッコイイし、良いんじゃないかな!?」
「……でも、なんだかお年寄りみたいだな、それ」
「そうなの?」
「ああ」
劇場で『ロマンスグレーは銀の色』という題名の芝居を見たことがあったせいか、灰色や銀色はどうしても老人の髪の色を連想してしまうのかもしれない。
「そうかなー」
「そうだよ。自分で言い出しておいてなんだがシルバーはねぇな」
「う~ん」
そうかといって、グレイカラーも気に入らないアーノルドである。
「どうせならクローム、モノクローム、モノクロとかの方が良いかも知れん」
「クロームいいね! クリームみたいでなんだか甘そうだし!」
「なんだそりゃ」
思わず苦笑を浮かべたアーノルドであったが、そのとき何か思い浮かぶものがあったのかもしれない。
「……いや、やっぱりシルバーで良いかもしれんな」
「なんで?」
「……お嬢な、なんだかおじいちゃんみたいに見える時があるんだ」
それはどう言えば良いのだろうか。疲れ果てているというか、くたびれているというべきか……。
「俺たちが見る時にはいつも疲れた顔してるってのもあるが、なんっていうかな」
ハァとため息を付いて、ガリガリと頭を掻きながら。
「……心がな。うちし枯れてるっていうかな。クタクタにくたびれ果てて皺クチャになってるみたいな、な? そんなイメージがなんか湧いてきなぁ」
「クロちゃん、そんなに疲れてるのかなぁ」
「そうかもしれん」
「……どうにか、出来ないのかな……?」
「それを出来るのは、恐らくは本人だけだろう」
「……」
結局のところ、自分を救えるのはいつだって自分だけなのだから。
「良い機会だ。お前にもついでに教えといてやる」
視線を天井に向けながら、それでも声は硬く。
「……いいか? 自分を許せるのは自分だけだ。まずこれを心の一番地に刻み込んどけ。どんな大きな罪だろうと、どんな酷い負い目であってもだ。それを他人が何を言っても、な? 肝心の自分が許してやらないといつまでたっても、その罪の意識ってやつに……。負い目に足を引きずられることになるんだ。……そして、いつか、その罪悪感がそいつ自身を飲み込むんだろうな」
そのどこか凄みのある台詞にわずかに表情を硬くしながら、クロウはゴクリと唾を飲み込んで尋ねていた。
「飲み込まれちゃったら、その人は、どうなるの?」
「さーな。耐え切れなくなって自殺するか、それとも無意識のうちに自分で自分を死地においやっちまうか。……どっちみち、そうなったら生きちゃいられないだろうよ」
それを聞いたクロウは思わず腰を浮かしかけていたのだが、その動き遮ったのは「待て!」とばかりに声を強めたアーノルドだった。
「だから! ……いいか? だから、そうなる前に、自分で、だ。いいか? 自分で、だぞ? 自分で、自分を救わにゃならん。なんとかして、自分を許してやんなきゃならないんだ」
その意味は、だから今のクロスを邪魔するなということなのであろう。それを察したのかクロウは僅かに「ううう」とうなり声を上げた末に、ストンと腰を落としていた。
「自分で自分を許せる狡さを。あれは仕方なかった。あれはしょうがなかったんだ。そんな風に言い訳をすることを自分に許す卑怯さを。……狡さと、醜さを……。しなやかさを身に付けなきゃいけないんだ。……普通なら、多かれ少なかれ誰しもが子供の頃に身に付けているはずの素養なんだけどな。……でも、あいつにはそれがない。まったく、ないんだ……」
おそらくは幼少期の異常な経験が。未だ魔族系の亜人への偏見と差別、弾圧にちかい感情が色濃く残っていた保守色の強い東方の孤児院で……。よりによもって魔族の恐ろしさと嫌悪感、忌避感をも人々の心に説法で植え付けることを生業にしているような教会の経営している孤児院で育った事が、クロスの不幸であったのだろう。
魔人として生まれてきて、そこに捨てられてしまった事で、そういった幼い頃に当然のように身に付けているはずの狡さや狡猾さといった、ある種のしなやかな強さを身に付けることが出来なかったのだ。
「あいつは綺麗過ぎるんだ……」
それは単純な容姿のことではなかった。
エルクから聞かされた話を聞いて納得もしてしまったのだろうが、クロスは幼少期を酷い精神的な抑圧と苦痛、押しつぶされそうな圧迫感と虐待に近い抑制と強制……。それこそ、ただその場で大人しくしていることを。誰に何をされても黙ったまま、ただそこで静かに座って、大人しく息をすることだけしか許されないといった、そんな酷いを通り越してむごいの一言な環境の中で育たざるを得なかったのだ。
そんな子供がどんな歪んだ精神に育つかなど……。ましてや、その孤児院において、とある事情からクロスのことを司祭が異常に可愛がって特別扱いし、やたらと修士にしたがっていたとあっては……。
──類まれな才能があった。そんな単純な理由なら周囲も納得していたのかもしれません。ですが、彼の能力は……。あの際立った治療師としての腕と能力の全ては、全て単なる努力の成果。幼い頃からの必死の努力と訓練で身に付けた後天的な能力でしかなかったのです。
そう。当時のクロスには“えこひいき”される“特別な理由”というものが最初から存在していて。そして、その理由というものが、どうやらうまれつきの肉体的な要素にあったらしいのだが……。
──詳しくは誰も知りません。誰もその理由を知らされていないのです。……いえ、違いますね。知っている人が誰も生き残っていないというべきでしょうか。
脳裏にエルクのどこか悲しみとやるせなさを感じさせる声が蘇る。
──彼は、自分の能力や努力などではない、ただ生まれ持ったモノだけでずっと評価されていたんです。そして、それが原因で虐待されてもいたんですよ。……でも、それって、どんな気分だったのでしょうか。どれだけ努力しても、それを認めてさえもらえず、ただ生まれ持ったモノだけしか大事にされない。それ以外、なにも見てもらえないというのは。……そして、それが原因で何をしても認めてもらえない、仲間として受け入れてさえもらえないというのは。……全てお前が悪い、亜人なのが悪い、なぜお前みたいな気持ち悪い亜人が司祭様にえこひいきされているんだ等と言われ、責められ、妬まれ、僻まれ、苛められ続けるというのは……。
『望んでこんな風に生まれたわけじゃない!』
耳の奥に、そんな慟哭にも似た叫び声が聞こえたような気がした。……結局は、それが原因で後に大きな悲劇を。未だに外部に詳細が隠されているという、一夜にして数百人が死んだ血塗られた惨劇の夜を引き起こした原因となってしまったらしいのだが……。
……そりゃあ品性公正、杓子定規な堅物にならざる得ないわなぁ……。それに、こんなこと、おいそれと他人に話せる訳もねぇか……。
自分のやってしまったことの大きさ、その重さに思わずため息しか出ないアーノルドである。そして、そんな男の前では、先程から何を勘違いしたのかやたらとしたり顔でウンウン頷いている馬鹿が一匹。
「確かに綺麗っていうか……。うんうん。すんごぃ美人だよねぇ。クロちゃん」
「そうじゃねぇよ! この色ボケ馬鹿!」
「ひどい!」
突っ込みに思わず手が出て、ゴス!「いた!」とお約束なふたりである。
「真面目に話してるんだからちゃんと聞け! いいか? ……あいつは今、すごい苦しんでる。多分自分を殺しそうになるほど追い詰められてるはずだ。……でもな。これは必要なことなんだ。アイツの抱えた事情はアイツにしかどうにかできない。自分で自分を許さないと、そこから一歩も前に進めなくなる。あいつは前に進まなきゃいけないんだ」
その言葉にクロウは不満顔を浮かべていたが、そんなクロウにアーノルドはため息をついて見せていた。
「それって、どうしても必要なの?」
「自分を救えないような奴が、他人を救えるはずがないだろうが」
「……でも、それ、ホントに一人じゃなきゃいけないの?」
そう、誰かが側にいても良いんじゃないかと口にしたクロウに正しい答えなど与えられるはずもなく。
「どうだろうな。……お嬢の性格からして、誰かに弱音を聞いてもらったり愚痴ったり出来るような柔軟性があるとはおもえんが……」
「……かわいそうだよ、そんなの。辛すぎるよ、そんなの」
「……そうだな」
「どうして、そんなに苦しまないといけないの?」
本当のことを教えてやれるなら、あるいはそれが一番簡単ではあったのだろうが。だが、教会の秘事(機密、暗部ともいう)を外部に漏らす事は親友を裏切る事になる。そんな事情からアーノルドは黙りこむしかなかった。
「……分からない。僕には分からないよ。なんで、そんなに苦しいのに、誰にも頼ろうとしないんだよ……」
「それが出来ないんだろう」
「なんで!」
本当は知ってるんじゃないのか! そう激しい、初めて見るような怒りのこもった視線を受けて、アーノルドは思わず視線を逸らしてしまっていた。
「……すまん。俺からは何も言えない」
「やっぱり、知ってたんだね?」
「……ああ、知ってる」
だからあいつを炊きつけた。その台詞に思わずクロウは握りこぶしを作っていた。
「このままだとお嬢が保たないって感じたんだ。……もうアイツの心はズタボロだ。背負わされた罪悪感に耐え切れなくなってるって感じたんだ」
あれは張り詰めた鋼線のような物だ。……強くて、脆い。そして、もう強度は限界に近づいている。いつガラスのように砕け散っても不思議でも何でもない。それがアーノルドの下した評価だった。
「……さっきはああ言ったがな。お嬢の奴な。ああみえてけっこう“狡い”んだ」
それは健全な強さではなく。悪い方に……。逃げの方に、弱い方に狡いのだと。
「必死に誤魔化そう、なかったコトにして欲しい、そんなこと忘れてほしい。……そう必死に祈ってるんだ。……でも、駄目なんだ。それを周囲はいつか許すかもな。でも、最後に一人だけ……。絶対に、それを許してくれない奴が、一人だけ居るんだ」
それは誰かなど言うまでもなかった。
「自分だよ」
だからこそ、その瞬間に自分で自分にとどめを刺すことになるのだと。そう、アーノルドはため息混じりの声で告げたのだった。