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クロスロード物語  作者: 雪之丞
白の章 : 第二幕 【 王都での生活 】
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2-8.医師の不養生


 エルクからの業務命令(おしかり)を受けたクロスは、渋々といった風ではあったが言われた通りの場所にある医院に向かっていた。そこはいわゆる『薬師(やくし)』と呼ばれる薬草学の専門家がやっている医院、いわゆる薬屋であり、多くの場合には体調不良などを訴えた場合などに行く場所だった。


 一般的に怪我などは治療魔法でどうにかすればいいと認識されているのだが、それはあくまでも大ケガなどの場合などであり、小さな切り傷などは傷薬などを自分で塗って直すのが常であったし、大きなケガなどをした時には魔法で対処できるのだがじわじわと襲い掛かってくる病気は不思議と魔法などでは治せなかったので、こういった薬学に詳しい薬師の診断を受けた上で病の症状に合わせた薬を出してもらうといった風にしか対処できなかった。

 分かりやすい例をあげるとしたら風邪などがあげられるだろう。風邪をひいたからといって賦活をかけてもいつもほど体力は回復しないし、風邪そのものも良くはならない。活力を引き出す肉体そのものが風邪の症状によって弱ってしまっているのに加えて、その弱体化の原因になっている風邪という病をどうにか出来ていないのだから、その状態からの十全な回復効果は期待できないという意味なのだろう。そういった意味でも賦活で病状の悪化はある程度は防げたとしても回復までは望めないので、その状態で騙し騙し悪化を防ぎながら薬師のところに駆け込んで風邪に効く薬を出してもらうといった対処方法が一般的だったのだ。


「……クロスです」

「ああ。エルクさんから話は聞いとるよ。薬師のエドワーズだ。エドとでも呼んでくれ」


 エドは亜人の血でも混じっているかのような見事な太鼓腹をした中年男で、その丸い鼻から下を覆っている豊かな髭のお陰もあって、一見しただけではドワーフに見えてしまうだろう。そんな丸っこい樽型の体にムスッとした顔を乗せた無愛想な男だった。


「まあ、座りなさい」


 おそらくはカルテか何かなのだろう。薄い木の板に紙を載せた物を片手に、羽根ペンにインクをつけると太い指でカリカリと何かを書いていた。そんなエドにすすめられるままに椅子を若干手前……。クロスから見て背後の方、入口付近に引き寄せるように位置を若干移動させて座ると、そこで初めて頭を覆っていたローブを脱いで顔をあらわにしていた。


「……エルクさんの所の治療師でクロス君だったかな」

「はい」

「エルクさんからの手紙を預っとると思うんだが」

「これです」


 予め準備はしていたのだろう。探す素振りすら見せずにローブの中から取り出すと差し出していた。それを受け取るとエドはエルクからの手紙を読みながら、なんでもない事のように話しかけていた。


「……お前さんの名前は知っとるよ」


 初めて訪れるはずの場所で自分の名前を知ってると言われる。それは奇妙な感覚ではあったのだろう。もしかしてエルクの知り合いだからだろうか。そう考えていたのが、あのエルクが自分のことを他人に話すだろうかという疑問も同時に湧いて来ていた。


「なぜ、私などの名前をご存知だったのでしょう?」


 そう何処か刺々しい警戒心をむき出しにした質問に、エドは苦笑を浮かべて答えていた。


「いつもワシのために黒尽くめの子と一緒に頑張ってくれているんだろう?」


 それを聞いたら意味が分ったのだろう。クロスは黒ずくめのクロウといつも一緒に薬草収集の仕事をやっていたし、ここは薬師の経営する医院であり、薬を外部に販売している都合上、日常的に薬草を大量に必要としている場所だった。つまり……。


「……あなたが、あのクエストの依頼主だったんですか」

「そういうことだ。……ここは王都といっても、中身はいわゆる迷宮都市。命知らず共が日々無茶をして命を粗末にしている街だからな。傷薬と毒消しはいつも需要過多、品切れ状態さ」


 そう苦笑交じりに告げたが、次の瞬間には前以上にムスッとした顔に戻っていた。


「そんな事情から薬草の類は年から年中、大量に必要とされとるのに、ギルドの連中はすぅぐに薬草収集の仕事を『つまらん』とか抜かして足を洗いよる」


 確かにFランクの仕事の中でも地味で報酬も安めな仕事だけあって、薬草収集の仕事は決して人気のある仕事ではなかった。ただし、治療師や駆け出しの魔法使いといった荒事に慣れていない者達にとっては有り難い仕事だったし、さっさとランクを上げたい時などにも便利なクエストであり、毎日せっせとやっていれば数ヶ月もあればDランクになれて迷宮に潜れるようになるという安全で初心者向けな内容であったのだが……。


「そういうわけでな。なかなか薬の原料になる薬草類が日々、安定供給されんから困っとったんだが、そんなところにあの黒尽くめの子が現れてくれてな。毎日毎日、せっせとワシらのために薬草を集めてくれたものだから、ようやく傷薬と解毒剤を安定して供給できるようになったんだ。おかげで値段も随分と下げられてなぁ……。みんな喜んどるよ」


 供給の安定化によってもたらされた薬の値段の下落と共に、クエストの報酬額の方もどんどん下がり続けておるので、あの子には申し訳ないのだがな……。そう苦笑を浮かべて謝る仕草を見せたエドにクロスも納得した風な表情を見せていた。なるほど、そういった事情があったなら、クロウと最近一緒に組んで薬草収集を行なっている事の多い自分のことを知っていてもさほど不自然ではなかったのだろう。そうつらつらと考えていた所に、エドが声の調子を僅かに変えて話しかけてきていた。


「ところで今日はどうしたね」


 手紙に症状については細かく書いてあったのではないだろうかと思わないでもなかったが、こういった患者の状態に関する話は、自分で問診して確認するまでは又聞き程度の話は信用しないといった用心深い医師は何処にでも居たので、クロスも特に気分を害することなく自分の今の状態と、治療師の視点から見た所見などもあわせて説明していた。


「胃が荒れて弱い痛みを感じるのと、最近、夜に悪夢を見て眠れない日がある、か……」


 話を聞いたエドはカリカリとカルテに症状を書き込みながら視線をわずかにクロスの方に向けてきていた。


「なるほどな。恐らくはお前さんやエルクさんの考えている通り、心因性の胃炎か何かだろうが、万が一ということもあるのでな。……どれ、ちょっと触診してみるか」


 そう口にすると、エドはカルテをテーブルの上に置いて立ち上がる。それを見たクロスも僅かに顔を引きつらせて立ち上がる。エドが一歩進むとクロスは二歩下がる。エドが更に一歩進んで腕を伸ばそうとすると、クロスはいよいよ逃げようとしたのだが、それ以上は下がることが出来なくなって背を派手に扉にぶつけてしまっていた。

 それを見たエドは僅かに目を細めて一つため息をつくと、背を向けてスタスタと自分の席に戻って座り込むと、カルテを再び手に持ってカキカキと何かを書き始めていた。


「心因性の胃炎の疑いが“極めて”強いな」


 問題はどうやって診察するかだが。そうボソとため息混じりに口にして。


「……そういえば、お前さんは治療師だったな」

「え、ええ」


 まだ背中を扉に貼り付けたままクロスは僅かに震える声で答えていた。


「お前のさんの自分に対する所見ってヤツを詳しく聞かせてくれんか」

「こ、ここ最近……。その……。強い、ストレスを感じていたので……。それが原因で、胃が不調を起こしたのではないかと思っているのですが……」

「なるほど、なるほど。なかなか良い目の付け所だ。流石は治療師だな」

「ありがとうございます」


 そう気持ちのこもっていない礼を聞き流しながらパイプに葉っぱを詰めて。


「良いかね?」


 そう口にだして聞いてくるエドに、クロスはわずかに頷いて答えていた。


「……ぷう~」


 部屋の中を漂う紫煙は僅かな煙たさを感じさせたが、銘柄が良かったのか酒場などでむせる原因になる刺激の強い臭いなどはしなかった。


「とりあえず、座ったらどうだね」

「……はい」


 ガタガタと椅子を震わせながら、入り口の戸に背を預けて、丸椅子に腰掛けて。そんなクロスにエドはのんびりと尋ねていた。


「一つ聞いて良いかね?」

「……はい」

「お前さん、治療魔法を使えるのに、なぜ自分で処置せんかったのだ?」

「処置?」


 その不思議そうな問いにエドは苦笑で答えていた。


「強いストレスが原因なら胃が荒れてる可能性が高い。つまり胃が何らかの理由で“怪我”をしてる状態ってことだろう?」


 そういう考え方もあるのか。そう何処か納得出来るような出来ないような不思議な感覚を味わいながら「はぁ」と変な返事をしてしまうクロスである。


「それなら胃を元通りにしてやれば良いんじゃないのか、とな。治療師なら、最初に思いついて実践くらいしてみたんではないかと思ったんじゃがな」


 パイプをくわえたまま見つめてきて。「どうなんだ?」と。そう聞かれているらしいことを察したのだろう。だが、クロスが自分で自分に治療をかけてみても大した効果は得られなかった。それを口にしたクロスにエドは不思議そうな顔をしていたのだが。


「ふむ。……まあ、良いか。ちょっと、やってみせたまえ」

「はい」


 そうアゴでシャクられながら言われたがままに治療魔法をかけてみる。それをみたエドは何かに納得した風にうなづいていた。


「……なるほどな」

「なにか?」

「いやな。ちょっと位置が悪いと思ってな」

「はぁ」

「ほれ、もう一回だ。……ああ、ダメダメ。そこじゃ腸だ。もうちょっと上。そう、そこだ」


 まず、位置の悪さを調整して。次に具体的な改善に入る。


「あとは……。お前さん、再生魔法はつかえるかね?」

「一応は……」

「ほほう、そりゃ優秀だな」


 二級治療師になる条件が再生魔法の習得なのだから、クロスは当然のように使えた。


「手はその位置で良いから、ちょっと自分に治療と再生を交互にかけてみるといい」

「治療と再生、交互……」


 手が燐光に包まれるのを見てウンウンと頷いて。


「表層じゃないぞ? もっと深い部分だ。体の奥の方まで力を沈めて届けるイメージでやってみるんだ。ああ、そうだ。……どうだ?」


 表情がわずかに緩んでいるのを見るまでもなく、何かしらの手応えはあったのだろう。


鳩尾(みぞおち)の少し上、体の奥の方が何か暖かいです……」

「ふむ。……痛みのほうは?」

「もう感じていません」

「よしよし。お前さんらの所見どおりだったな」


 フム。いい腕だ、などと頷きながら。カキカキとカルテに文字を足していく。


「やはり胃がストレスでやられていたようだ」


 問題は、そのストレスの原因だがな……。そう心のなかで呟きながら。


「今のでだいたい直ってるはずだが、これ以上胃にダメージがいかないように症状を抑える薬を出しておこう。あと、夜しっかり眠れるように眠りを助ける薬も出しておこうか」

「……すみません」

「なぁに、医師の不養生、治療師のヤセ我慢っていってな」


 ニヤリと笑いながら「お互い、身に覚えがあるだろう?」とでも言いたげに。


「治す側は、ついつい自分のことはいつも二番目三番目と後回しにしがちだ。そんなことをしてると悪化するばかりだから気をつけろってことだ。……なあ?」

「面目次第もありません」

「なに、礼はいらんよ。お前さんは半分は自力で治したんだからな。……まあ、せっかく治したのを再発させないようにするのはワシらの仕事なんだが……」


 カリカリカリ。と書き終わったら。


「さてっと。……では、そろそろ本格的な“診察”に入るとするか」


 そうエドはぷ~と煙を吐き出しながら口にしていた。


「診察、ですか」

「ああ。診察だ」

「胃は治りましたが?」

「治ったようだな」


 正確にはクロスが自分で治したということになる。


「……まだ何かあるんでしょうか?」

「あるだろう。……特に胃の問題は、まだ何も解決しちゃおらん」


 身に覚えがあるんじゃないのか? そう尋ねられているのは何となく察していても。


「……もう解決してると思うのですがね」

「じゃあ、この質問にだけは答えて行け」


 ヤセ我慢が大好きな治療師(ばか)の主治医としてのたった一つの問診だ。

 そう口にして。視線を向けて。パイプを手に持って。フゥと紫煙とため息を吐いて。


「お前さん、誰かに犯されたのか?」


 その余りにストレートな質問は、愚直なまでに直球で。だからこそ避けることも無視することも出来なかった。真正面からのど真ん中の豪速球。それを受け止めろとばかりに投げつけてきた太めの医師は、ニコリともせずに追加珠を投げ込んでくる。


「答えられないか。……だが、お前さんのさっきからの反応を見る限りにおいて、そう外れちゃいないようにも思ったんだがな」


 ボリボリとアゴのあたりをかきながら。


「安心しろ。カルテには残さん。……それでも、言いたくないか?」


 手にカルテを持っていないのは記録には残さんから主治医の質問には答えろという意味だったのだろう。だが、それでも真っ青な顔をして固まったままのクロスは何も答えなかった。


「……まあ、いい。答えたくないのなら、それでも良いだろう。……だがな。お前さんの、その男が怖い、いや大人が怖いなのか? それをどうにかせんかぎり、そのストレスはいつまで経っても解消出来んのじゃないかな」


 そうしたり顔でクロスにとっては何処か見当はずれなアドバイスをする。そんなエドに、あるいはクロスもムカついていたのだろうか。


「……余計なお世話です」

「そうかね」


 ギシリと空気が鳴った気がしたのはクロスの体から吹き出した怒気によるものだったのだろうか。だが、それを受けてもエドは平然とした顔でパイプをくゆらせていた。


「人の事情も良く知りもしないで、無闇に心に踏み込まないほうが良いと思いますよ」


 考えなしに下手に手を突っ込むような不埒な真似をしたら食い千切りますよ? そう威嚇しているようなクロスにエドは苦笑を返していた。


「ワシもそうしたいのはやまやまなんだがな。だが、そうもいかんらしいのだ。面倒なことに、ワシはお前さんの主治医ってやつになっちまったらしいからなぁ……」


 だからこそ、楽な方に逃げたり、安易には日和れんのだ。そう口にするエドの目が笑っていない事に、クロスはようやく気がついていた。



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