2-2.無理は良くない
急場を凌ぐためには手段を選んで居られないぞ。
そう某先輩冒険者から有り難いアドバイスという名の忠告はされていたのだが、一緒にお昼をご馳走になった友人から「良かったら今日も一緒しない?」と、いつもの様に誘われたこともあって、今日も今日とてクロスはクロウと一緒に街の中の森……。国立公園で薬草集めに励んでいた。
「こうして見てみると、意外に沢山生えているものなんですね……」
最初の頃こそ雑草と薬草の見分けがつかなかったクロスであるが、何度も図鑑と見比べたり実際に自分の手で採集したりしていれば、自然と薬草と雑草の違いくらいは把握できるようになっていたのだろう。
「最初はこんなに色々生えてなかったらしいんだけどね。町の外から持ち込んできたりして、この森に植えていったんだって」
地下の大迷宮から強い魔力が立ち昇ってくる一種のパワースポットであったのか、ここに生えている草木は滅多に枯れるということもなく、何時来ても青々としたやけに瑞々しい状態を保っていた。それだけでなく、これだけ頻繁に薬草を採集に来ているのに、やけに葉っぱの成長が早い気がしていたのだ。それはきっと錯覚などではなかったのだ。
「ここは、良い森ですね……」
ある程度薬草が集まった所で一休みしようと考えたのか、大木の根に腰掛けたクロスにクロウはウンウンと頷いて答えていた。
「外の森だと、なかなかここまで上手くは収集できないと思うよ」
実際に試したことがあるけど、と付け加えたクロウの顔には苦笑が浮かんでいた。
「凶暴な犬の群れとか、角の生えた兎とか、小型の魔物とかも居たし。あんまり落ち着いて薬草集めできなかったなぁ……。うん。ここのがずっと良いと思う」
確かに外の森と比べると色々と効率は違うのだろう。この森なら余計なちょっかいをかけてくる野生の獣も居ないし、居たとしてもせいぜい鳥くらいだろうし、何よりも魔物の類の影がなかったのだ。その点だけでも戦う力を持たないクロスにとっては天国と言っても良い環境だったのだろう。
「……ふぅ」
二人で並んで腰掛けて、そんな話をしている最中の事だった。いつもなら、適当に無駄話が一段落ついたあたりで休憩を終わらせて収集作業を再開していたのだが、今日は様子が違ったらしく、クロスはなかなか自分から立ち上がろうとはしなかった。
「……疲れてるんだね」
「まあ……。疲れてないと強がりでも言い張れないのが辛い所ですね」
苦笑を浮かべて、自分の胸に手を当てて。その手を僅かに燐光で包ませて、自分に魔法をかけながら、そう答えるクロスである。
「……それ、前にもやってた気がするけど、何してるの?」
仕事がきつかった翌日に限って、魔力が枯れ果てているはずのクロスがちょくちょく自分に魔法をかけている姿があったのだ。ロクに魔力が回復してないはずなのに。そのはずなのに何故魔法を使っているのか。実のところ、前からちょっと気にはなっていたのだろう。
「賦活という魔法を自分にかけているんです」
それは治療魔法の中でも最も簡単な魔法にして、ある意味もっとも重要で使用頻度も高いだろう魔法だった。特に日々の激務で自分を痛めつけている治療師にとっては、無くてはならない相棒とも言える欠かせない魔法の一つとなっていた。
「フカツ?」
そんな何となく聞き覚えのあるようなないような謎な言葉に僅かに首を傾げて。
「かけてあげましょうか?」
「いいの?」
「構いませんよ。もともと魔力も殆ど消費しませんし……。それに、そんなに強くかける必要もないでしょうから」
そう答えるとクロスはクロウの腕を掴んで、僅かに燐光を手にまとわせる。その効果はある意味で絶大だった。
「おっ、おおおっ、何これ。腕の疲れが消えたー」
「それが賦活です」
どうやらクロウは、これまで治療師に賦活をかけてもらったことがなかったらしい。それは教会の治療院などで緊急対応が必要になる大きなケガをしたことがないという証でもあったのだろう。そうでなければ、教会での治療行為にはほぼ必須ともされている賦活を、これまで使われてない筈がなかったからだ。
「賦活を使えば多少の無理はできますよ」
「へー。元気になる魔法かー。すごいねぇ」
そうジミジミ答えた所で何かを思い出したのか、焦ったような声で聞いてきた。
「あっ、そういえば治療行為ってお金とられるんだっけ?」
それを聞いたクロス少しだけ苦笑を浮かべて答えていた。
「賦活くらいなら何も言われませんよ」
「……そうなの?」
「ええ。治療師なら初級の人でも使える基礎中の基礎な魔法ですから……」
活力を呼び覚ますのは厳密にいえば治療ではないのかもしれない。僅かに系統が違うというか……。他の回復系の治療魔法が異常な状態を元に戻すといった性質の魔法であるのに対して、賦活は単に状態を良くするといった性質の物であり、治療中にマイナスになった状態からプラス方向に戻すための補助に使ったり、マイナスの状態にこれ以上悪化させないための足止め的な使い方をしたりと、治療行為の補助的な位置づけにある魔法であったからなのだろう。
「まあ、お金を取るレベルの賦活は、例えば……」
一応周囲に視線を走らせた後、口に指を当てながら「教会の仲間には秘密ですよ」と笑いかけて。クロウの胸に手を当てて、強めに賦活をかけてみる。
「お……。おおお! な、何これ! すごーい! 疲れがなくなったよ!」
そう僅かに蓄積していたらしい肉体疲労を消し去ってしまったクロスの魔法に素直に感嘆の声を上げるクロウである。
「これがいわゆる治療行為に近いレベル賦活というヤツです」
治療の現場では死にかけた肉体や臓器に渇を入れたりするのに使うのだから、実際にはもっと強く魔力を込めて使うのだろうが。
「すごいねー、これ! びっくりしたよ!」
「喜んでもらえて幸いです。ただ……」
「ただ?」
「後で今の疲労がぶりかえしますから、気をつけてくださいね」
本来そこにあったものを完全に消し去ったという訳ではなかったのだろう。そういう意味でも通常の治療行為につかう魔法とは色々と性質が異なっていたのかも知れない。
「えーと、どういうこと?」
「分かりやすく言いますと、疲れるのを単純に先送りするだけの魔法なんです」
そんなかなり噛み砕いたレベルの説明でも今ひとつピンと来ない風のクロウに、クロスは更に細かく噛み砕いて説明する気になったらしい。
「つまり?」
「今、疲れが消えましたね?」
「うん」
「その疲れは単に“感じなくなった”だけで、実際には体は“疲れている”んですよ。賦活のせいでそれを感じられなくなっただけで……。貴方の体は“本当は疲れて居る”んです」
しかし、体感的には疲れを感じなくなっているために、まるで疲れていないように動くことが出来るというトリックだったのだろう。
「その状態で動きまわって、また“疲れた”としましょうか」
その肉体的な疲労は実際の疲労度合いとは大きく異なっている訳で……。
「賦活の効果が切れた時、元気になったと錯覚して動き回っていた分の“疲れ”と、感じられなくなっていた分の“疲れ”が両方同時に……。一気に体に襲いかかって来るんですよ」
それがいわゆる『賦活の後遺症』と呼ばれているものであり、その気になれば延々と疲労感を先送り出来てしまう賦活の重ねがけが危険視される一番の原因でもあったのだろう。
ちなみに賦活を何度も重ねがけした場合には治療院で働いている時のクロスのように延々と疲労を先送る事も出来たりするのだが、それにもちゃんと限界は存在しているし、その場合には極端な疲労に襲われる他にも、酷い頭痛や強い吐き気、強度の虚脱感や倦怠感などにも同時に襲われる事になる……。
それを誰よりも良く知っているだけに、自分のように『仕方ない』を理由に安易に賦活に頼るなと最初に教えておきたかったのかもしれない。
「……それってすごくつらいんじゃ……?」
「普通でない疲れ方をするので、慣れてないと辛いみたいですね……」
私は慣れているから平気だとでも言いたげな顔をしながら、そう平然と答えるクロスだったが、単に疲れを先送りするだけの魔法を日常的に使っているという事の異常性……。体が疲れていても無理をしなくてはならない状態が常態化しているという告白、あるいは示唆でもあったのかもしれない。
「そんなの休日に自分にかけてたら後で大変なんじゃ……」
そんな時のことだった。今日のクロスは朝から顔色が悪かったせいか、いつも以上に疲れているように見えたし、何度も自分に魔法を使っていなかっただろうか……? そう今更ながらに思い至ったクロウである。そして、なぜクロスがいつも疲れた顔をしているのかも何となく察する事も出来てしまっていたのだろう。
休みの日の朝から疲れきった顔をしているのは、これまで溜め込んだ疲れに加えて、前の日の疲れを無理やり翌日の休みに先送りしているせいだったのだ。だから、休みの日なのに朝から疲れきって目の下にクマが出来ているような酷い顔をしていたのだろう……。
「ちょっと、まって。それなのに、今日の疲れを明日に送ったら……」
明日はまた治療師として朝から晩まで怪我人の治療に追いまくられる事になる。本職の仕事の日には魔力も体力も限界をはるかに超えて、それこそ魂を削り取られるレベルで体を酷使しながら何度も何度も賦活を自分にかける事になるのだが……。そんな日に疲れを先送りしたらどうなるかなど……。考えるまでもなかった。
「駄目だよ! 寝てないと!」
今、前日の無理に祟られたせいか、休みの日にまで賦活に頼らざる得ない程に追い詰められている体調の中で、無理やり動いて冒険者として仕事をしているのだ。それがどれだけ異常なことなのか、それをようやく理解できたのだろう。クロスのやっている自傷行為同然の無茶を察したクロウは、思わず叫んでしまっていた。
「ちゃんと休まないと死んじゃうよ!」
「……大丈夫ですよ」
私は魔人。……亜人の中でも特に“しぶとい”魔族の血が多く混じった生き物ですから。そう薄く笑って見せる顔にはやはり生気が薄く。そして表情には疲労が色濃く漂っていた。
「いくら魔人でも、疲れる時には疲れるよ」
「……そうかも知れませんね」
普通であれば、こういう言い方をすれば大抵の人間は引き下がった。人間よりもタフで魔力に秀でている事の多い亜人だから。そんな亜人の中でも特に生命力と魔力の強いことで知られている上に忌み嫌われている魔族の血が入った魔人だから……。そんな特別に忌避される魔族の血が色濃く混じった特別な人間だから。だから、相手は大抵、深く踏み込んではこなかった。関わりあいになることを避けるようにして、殆どの場合には遠くの方から申し訳程度に探りを入れてくる程度にしか関心を向けようとはしなかったのだ。
何よりも、魔族の血の濃さを証明するかのような冷たく妖しく艶やかなその容姿が。そして、冷たく冷え切って何処か斜に構えているような素直でない意地っ張りな言葉が。それらが多くの場合には他人からの干渉を防ぐ壁となって跳ね除けてしまっていた。しかし……。
「魔人だって無理したら潰れるよ」
クロウは真正面から、鼻と鼻が触れ合うほどに近い位置にまで踏み込んできていた。それこそ、睫毛が触れるほどの近くに。それくらいすぐ目の前にまで迫ってきていた。……無論、比喩だ。だが、これまでにないほどに近くまでに迫られたのは、やはり同族だからという理由が大きかったのだろう。似たような容姿を持ち、同じような特徴を持ち、何よりも……。
──自らを魔人と呼ぶ。……私と同じ。私達は似たもの同士。同じ生き物か。
他人だから。異種族に対する態度だったから。だからこそ変に強がったり、変に意固地になったりも出来ていた。どうせ、他人。どうせ、異種族。彼らは自分のことなど、何も知りもしない連中なのだから……。そんな、諦念すら抱き、ある意味においては見下す事すらも出来ていたからなのかもしれない。だからこそ変に斜に構えることも出来ていたし、突っ張る事も出来ていた。……しかし。
──クロウは違った。彼だけは“同じ”だった。
実際には違うのかもしれない。だが、本当のことなど誰にも分からないのだ。もしかすると本人すらも知らないかもしれないのだから……。だが、少なくとも、容姿だけは。それだけは同じであり、何よりも確実で確かな証、証明でもあった。
これほど強く魔族の血が出ている亜人など、クロスは他に知らなかった。漆黒の髪、金色の瞳、縦に割れている魔族の瞳。そして血に濡れたかのような妖しい唇。尖った耳も同じなら、肌の色まで同じだった。どれか一つ、あるいは二つ、それくらいなら珍しくはなかったが、これらを全部併せ持つとなると魔人の中でも殆ど居ないのだ。それこそ、兄弟と言われても納得できるほどに二人の容姿は似通っていたのだろう。だからこそ……。
──強がりは、通じませんか。
口元に苦笑を浮かべて。そう、納得することが出来ていた。クロウにだけは自分の強がり、虚勢が通じない。それを分かってしまったからなのかもしれない。
「……無理をするなということですか」
「そうだよ。頑張りすぎは良くないよ」
ただでさえクソ真面目で手を抜くことが出来ない面倒くさい性格してるんだから。そう身も蓋もない評価を下されたことも、いっそ小気味良かったのかもしれない。
「私は面倒くさいのですか」
「そーだよ」
「……分かりました」
「本当に?」
「本当に分かりました。辛い時にはちゃんと辛いって言います。休みたくなった時にも、ちゃんと休みましょうって言います。……コレでいいですか?」
そう尋ねられたクロウは嬉しそうにうなずいていた。それこそ自分の事のように。
「でも、出来るだけ仕事の合間に冒険者の仕事は入れますからね。働かないと食費にも困ってしまいますし……」
「まあ、それは仕方ない、よね……」
いくら皆んなから頼られる凄腕の治療師とはいえ、無理しすぎは良くない。何よりも、そんなに無理をされては治療される方も申し訳なくなるに違いないのだから。そう叱るように文句をつけてくるクロウに、クロスは虚を突かれたようにキョトンとした表情を浮かべていたのだが……。
「辛い時にはちゃんと休む、ちゃんと寝て、ちゃんと食べて。……えーと。そのせいで、ご飯のお金が足らなくなったら、どうしよーか。……あ、そうだ! 今日みたいにアーちゃんにタカればいいんだよ!」
そう自信満々に言い放つクロウに、クロスも思わず苦笑を浮かべていた。
「自分が奢るとは言わないんですね」
「それは無理だよー、そんなお金ないもん。だからアーちゃんに頼んでね」
そんなクロウの台詞にクロスは心底楽しそうに笑ったのだった。