5-21.嵐の目
総じて嵐の中心では、風が穏やかであることが多いとされている。
周囲で渦巻いている風が強ければ強い程に、その中心となる目を形成している部分の壁にあたる境界線はくっきりと表れ、その中と外の明暗をハッキリとさせる物なのかもしれない。
──今回の事件においては、あの少年の存在という物は、そんな嵐の目ってヤツに当たるのかもしれない……。
そうぼんやりと、何処か他人ごとのように暢気に考えてしまったのは、いつのものように鎧姿で無言のままに椅子に腰掛けて、腕を組んでいる姿勢で周囲の喧騒を、右から左へと聞き流している最中でのことだった。
「収監中の奴を外に連れ出しているだけでも我慢がならんのに、今度は手足の枷を外してやれだと!? 上の連中は、何を考えている! あいつは、取調べ中の犯罪者なんだぞ!」
ドンと机を激しく叩く音と共に、その音を掻き消すような怒声が部屋に響いていた。
そんな八つ当たりを向けられた哀れな机は、余りの衝撃からか、僅かに足の位置がずれてしまっていたし、その上に置かれていた一枚の命令書も宙に漂いそうになってしまっていた。
『服を着替えたりする際に手足の枷が邪魔になっているので、次回からは現地にて手足ともに枷を外してしてやるか、あらかじめ外した状態で連れてくるように』
趣旨としては、その程度の内容の命令書だったのだが、そこに書かれていた命令は、自分達をコケにしているとしか思えない程に馬鹿馬鹿しく、ひどく能天気で。それだけに悪意に満ちた代物であったのかもしれない。
しかも、それが依頼書ではなく命令書であるということは、既に、それを行う事が上層部の方で既に決定してしまっているということであり、現場サイドの自分達には、ただ従う事だけが求められているという意味であって……。
──そのうち、次からは一人で来させろとか、そういったアホらしい内容にエスカレートするんじゃないのかとか、そんな馬鹿げた心配をしなくちゃならんとは……。
ただでさえ、アレをやるなコレをやるなソレを禁止するといった具合に、自分達ががんじがらめになって身動きが取れなくなりそうな程に次から次へと取り調べを行う上での制約事項やら禁止事項、禁則事項などを被せられるといった特別扱いっぷりが目に余っている上に、それらが原因なのであろう、いろいろと鼻につくヌルい発言やら、ゆるい態度がますます自分達をイラつかせる。そんな小僧であったのだ。
それこそ、これほど頻繁に横槍を入れてくるのなら、いっそヤツを無罪放免として解き放てとでも命令してくれよといった苦々しさ具合なのであって……。
──そんな権力の殻で守られた小僧を前にして、ウチの血の気の多い若い連中が、このまま大人しくしていられるとでも思っているのかね……。
そう思わずため息が漏れてきてしまうのも無理もなかったのだろう。
今後も次々とエスカレーションしていきそうな雲の上からの要求具合に思わず頭痛がしてきてしまうのも無理もなかったのだから……。
──なんでこんな事になったんだろう……。
そうボヤキたくなるのも仕方なかったのかもしれない。
◆◇◆◇◆
全ての厄介事の発端は、しばらく前にまで遡る。
その日、一人の少年が、中央区への通門審査に引っかかった。
その結果、犯罪に関わりがありそうだと、ひどく曖昧な容疑がかけられた。
なぜ曖昧な容疑なのか。
それは、その少年には、記録上では何もおかしい所がなかったからだった。
少年の犯罪歴には、何の記録も残されていなかったのだ。
それこそ、不自然な程に真っ白なままだった。
それなのに、通門審査で不許可の判定が出たのだ。
……過去に何の犯罪も登録されていないのに、だ。
そんな何ら問題ない筈の人物であるはずなのに、中央区への通門審査で赤のサインが出て、通門許可が下りないという、何ともおかしな結果になってしまっていたのだ。
そういった事情もあって、逆説的な意味で記録の改ざん等が疑われる結果となってしまっていたのだろう。
中央区……。特に身分の高い貴族達や高官達、あるいはごく一部の豪商等といった、ある種の上層階級や特権階級にあるような人々が闊歩する壁に守られた地域への立入りが禁じられている様な人物とは、すなわち立ち入らせるだけでも危険と判断されるような危険性のある人物の証という事でもあり、何らかの犯罪歴などが、その判定の根拠になっていなければおかしかったのだ。
それなのに、過去が真っ白……。過去に何ら記録も残されていないとなると、疑うべきは判定のシステムであったのか、あるいは記録そのものであったのか……。しかし、現時点において、他の人の判定で特に問題が起きていない以上は、真っ先に疑うべきは『まっさらなままな記録』の方であって。
それが、今回の容疑あるいは嫌疑の全ての根拠となってしまっていたのだろう。つまり、過去の記録の改ざんが行われている疑いが極めて濃厚という状況証拠だったのだ。
そんなおかしな過去の履歴を抱えた人物が、騎士団の本部に収監され、取り調べる事となった。そして、公にはされていないが、取り調べを担当している騎士の元に何かしら身辺を調べた情報らしきものまで届いたとか……。それらを抜きにしても、記録と実態の辻褄が合っていないという、実に妖しい経歴の内容から、何らかの過去の改ざんなどが行われているのは確実視されていたのだ。だが、騎士団が、その時点で掴んでいた証拠らしき物は、それだけしなかった事も事実だった。
容疑は濃厚であったが、所詮は現時点では改ざんの容疑だけであって、その書き換えられる前の内容に何が書かれていたのかまでは、まだ掴めていなかったのだ。
それなのに、その中身の分かっていない過去の罪によって裁こうとしていたのだから、無茶な言いがかりと言われても仕方ない状態ではあったのかもしれない。
……もっとも、そんなことは自分達も分かっていて。だからこそ、その辺りの詳しい事情なりを取り調べの席で尋問することで、自らの口で罪の告白をさせるつもりだったのだ。
そんな、自分達騎士団の本部にまで連行された上で、そこで取調べを受けている立場にあったはずの犯罪者(今現在の立場は、厳密にいえば、まだ容疑者程度なのだが、状況証拠的にも、あとは本人の自供などが取れれば十分に裏づけが可能なレベルであろう容疑者なので、内部的には既に記録を改ざんしている犯罪者として扱われていた)であったはずなのだが……。
「そもそも、なんで、あんな亜人のガキの事で、上はここまで横槍を入れてくるんだ!」
そう。問題の本質とは、おそらくは別の部分にあったのだ。
騎士団の本部に収監した当日……。ほんの数時間後の事だ。
まだ少年を房に入れる前の段階、最初の簡単な取り調べを行っている最中にも関わらず、その最初の干渉が行われたのだから。
しかも、その内容は『その少年の取り調べを行う際には、あらゆる意味での“暴力”を禁じる』といった内容であって。それに加えて、絶対遵守として下された命令でもあった。
このレベルの横槍には、ただ黙って大人しく従う事だけが求められる立場なのが、自分達、王宮騎士団という組織上の立場であり、権力に支えられている反面、上からの指示には逆らえないという性質を併せ持った組織であるがゆえの弱点でもあったのかもしれない。
──まあ、何かといえば暴力を振るって高圧的に取り調べるので有名だというのは、我らが団の悪しき習慣、あるいは負の伝統とも言えるのかもしれないが……。
しかし、そういったありきたりで真っ当な、常識的ともいえそうな悪評や批判、苦情などといった物は、基本的には建前とか一般論といった物でしかなく、本質的な意味で自分達に求められている物とは相反している苦情でしかなかったのかもしれない。
だからこそ、そういった『下らない悪評といったもの』は自分達が甘んじて受けていれば良いだけの事でしかなく、万が一、暴力を散々に用いた取り調べの果てに、その容疑自体が冤罪であった等と判明したならば、それなりの『やり方』で償う必要があったし、その行為の責任を取らされるといった裏事情もあったりするので、そういった失敗したときや、やらかしてしまった時に責任を取る覚悟がある上で、そういった“悪しき手段”を、あえて用いているというのは、方法論としては、むしろ有りだろうと団の内部では考えられていた。
失敗した時に責任をとる覚悟なしに暴力に頼るというのは流石に論外だが、自分が調べたりした結果から『こいつが犯人だ』と確信をもった上で犯人を挙げて取り調べるのだ。
そんな間違いないといったレベルの確信を抱いた状態で行われる取り調べや尋問が、どんな手段を用いてでも犯人に罪の告白を行わせて、法に従った適切な裁きを下すといった内容になりがちなのは、むしろ当たり前の話しでしかなかったのかもしれない。
法の名の下に与えられた特権という名の権力と豊富な資金力を背景とした組織力を用いて、己のただ正義を成す為だけを目的として鍛えあげられた武力と、何よりも悪に屈せず正義を貫くという鋼の信念を武器として。王にのみ頭を垂れる国に仕える騎士として、国を守り、街を守り、そこに暮らす民を守り、平和を守る……。
それが、自分達『騎士団』の存在理由であり、この街において唯一、悪者に法の名の下に裁きを下す事を許された、そのためだけに存在している絶対権力の在り方とでもいうべき物だったのだから。
──そんな自分達の信念に基づいたやり方を、上の連中は真っ先に禁じてきた……。
最初に下された命令は、暴力の禁止。次に下された命令は、取り調べ“そのもの”の正当性の提示だった。
……要は、何を根拠にして、その容疑者を犯罪者と見なしているのか。そして、何の罪を犯している容疑で取り調べているのか。その取り調べ目的とでもいうべき根本的かつ最終的に自白させようとしている容疑についての詳細を、早急に提示せよ、と。
そう上の方の方々から突っ込まれたのである。
無論、そのツッコミの裏には、それが出来ないのであれば早急に嫌疑不十分として容疑者である少年を解き放てという指示が含まれているのは言うまでもなかった。しかも、自分達が、容疑者である少年が過去に何かしらやらかしているのだが、その記録そのものが抹消されてしまっているため、その詳細にまで辿り着けていないといった所までの事を……。根本的な逮捕理由となるべき『そもそも何をしでかしたというのか?』という部分にまでは辿りつけておらず、それを本人に力づくでも吐かせるために身柄を確保したという『弱点』まで読まれた上で、そういった横槍を入れてきているのは明白であったのだ。つまり……。
──こっちが止めの一手に至るまでの流れを用意して、そこにさあこれから打ち込んで追い込んでいくぞっといった段階に入る前に、逆に痛い所に打ち込まれてしまって、逆に追い込まれたって感じかね……。
恐らくは、あと一手程度の差だったはずなのだ。
本人の口から過去に……。イーストレイクに居た頃に。十年近く前に、その地において何があったのかを語らせるには……。それくらい精神的に追い詰める段階にきていたのだから。
そのためのキーワードはある程度は揃っていた。
魔人と魔族。亜人と人族。そして、酷かったらしき亜人種族への迫害と……。教会関係者が囲っていたとされている一人の女の噂もあった。そして、そんな組織の醜聞に……。それに加えて、容疑者個人の背景に見え隠れてしている様々な不自然さなどいった具合に。
何よりも、その身に刻まれている見た事もないほどの高度な封印術の痕跡が。文献では存在は確認されていたが、実物には初めてお目にかかった最高レベルの封印術であるヘレナの四重封印まで用いて、その身に何を封じているというのか……。
それらバラバラのキーワードが、色々なベクトルをもってして、普通なら複数の事件なり事案と関連を持っているのが普通であるはずなのに……。それなのに、何故だか、この件に関してだけは、どれもこれもが何らかの形で関わっているような気がして仕方ないのだ、と。
そう、今回の一件をしつこいくらい嗅ぎまわっているの男が口にしていたのだ。
これら、一見した所では何も関連がなさそうな情報の数々が。これら全てが、多かれ少なかれ、たった一つの事柄に繋がっているのではないのか、と。
「失踪事件」
思わず、口にされるのは、全ての中核に存在している最大のキーワードだった。
──あの小僧がイーストレイクに居た頃に。十年前に起きた大きな事件であるはずなのに。その当時、ヤツはそこで暮らしていたはずなのに、だ。……それなのに、あの事件について、奴は、何一つ触れようとしない。それは何故だ……?
マークスは、容疑者と話せば話す程に、過去の事件と繋がりがある人物なのではないかという想いを深めているようだった。……そして、それは、その話を聞かされて、意見を求められた者達にしてみても同様だったのだろう。
容疑者H38号ことクロスの供述は、一見した所、ひどく素直な物に見えてしまうのだが、様々な当時の社会的な背景や地域の状況などを踏まえた上で見なおしてみると、その内容は、よくよく考えてみれば何処かおかしいと感じられて仕方なかったし、そういう目で見てみると、なるほど色々とおかしいと感じられる部分が見え隠れしてしまっていたのだ。
──恐らくは、話さないんじゃない。話せない。あるいは、話したくないんだろう。
恐らくは、それが正解だったのだ。だが、しつこいくらいに繰り返される過去に関する質問や雑談に見せかけたツッコミといったやりとり。それらによって、薄皮をゆっくり、ゆっくりと剥ぎ取るようにして。頑なだった態度の向こう側から、不意に浴びせかけられる無神経な一言(無論、故意によるものだ)によって沸騰させられた激情などの感情による爆発が原因となって、色々な情報が吹き出してこようとしていた。
そんなマークスとの緩急自在なやりとりによって、それまで必死に隠し続けてきていた事柄が、いよいよ表側に漏れだしそうな気配が見え隠れしていたのに。……そんな矢先の出来事だったのだ。
──あのマークスが……。無駄飯食いが服を着てるとまで言われた不良騎士が、珍しく本気になって仕留めにかかってるんだ。出来れば、このまま、アイツが東から真実を暴くための手がかりを見つけて戻ってくるまで粘ってやりたかったんだがな……。
この調子だと、それまで保たずに解き放ちとなるかもしれない、と。そう何処か忌々しく、それ以上にやるせない気持ちを感じていたのだが……。
「ジャンヌ」
不意に呼びかけられた聞き覚えのある声によって、そのいつもの様に腕を組んで椅子に腰掛けて目をつむっていた全身を鎧に包まれた偉丈夫(ただし、中身は女だ。……もっとも、見た目からは絶対に性別までは分からないだろうが)は、閉じていた目をゆっくりと開いて。「はい」と短く答えていた。
「とりあえず、今後の事は、お前に任せたい」
それは、これまでと同様に、今後も特別扱いしなくてはならないだろうやんごとない事情を抱えた依頼主の下に、依頼のあった収監者を連れて行かなければならないのだが、次回からは、これまで通りの命令に加えて、その人物の目の前で、収監者の手足の枷を外してやらなければならない事になる。
そんな一連の命令書にある行為を、自らの責任において……。無論、逃亡など許してはならないし、こんな馬鹿げた自殺行為同然の無茶な要求をしてきている依頼主にも危険が及ばないようにしなくてはならないのだが、そんな無茶な要求をされているのを大前提とした命令に従う事を求められている事を意味していた。
簡単にいえば『無茶を言ってるのは百も承知だが、断る事の出来ない事情もある。最終的な責任はこちらで取るし、やり方とか、細かい部分はお前の裁量に全て任せるから、なんとか上手いことやってくれ。……お前なら出来るだろ?』といった具合なのである。
そんな無茶ぶりの極みな丸投げ同然の命令に深々とため息を一回ついて、ゆっくりと首を縦に動かしていた。
「……ハァ。……分かりました」
「我ながら随分と無茶な命令を出してると思うが……。スマン。頼んだぞ」
あの昼行灯が王都を空けてしまっている以上、こんな面倒な仕事は、恐らくは、お前くらいにしか出来ないだろうからな……。
そんな言外のため息混じりの愚痴に思わず苦笑を浮かべながら、小さく頷いてみせる。
「頑張ってみます」
命令の内容的に「自分に任せろ」等とはとてもではないが言えない。だが、そんな無茶を承知の上で、なおかつ全力を尽くしてみるつもりではあった。だからこその台詞だった。
上司と部下のやりとりとしてはいささか妙なやりとりではあったのだろうが、それでも二人の間では意味などは通じていたし、特に違和感などもなかったらしかった。
そんな微妙なニュアンスの言葉が通じる程度には、二人の付き合いは長かったし、気心も知れていたのかもしれなかった。
「それでだな……」
そう無事に頼み事を終えた上司ことアレスが表情を歪めたのは、そんな時の事だった。
「……まだ何か?」
今回下された命令を極限にまで単純化すると『何が何でも依頼主を守りぬけ』と『絶対に収監者に逃げられるな』の二つに収束するのだろう。
それを両立する形で遵守する為には、これまでのように部屋の外で単なる部外者として、入らぬ聞かぬ知らぬ存ぜぬで、扉の前で待機しておくだけでは恐らくは足らなくなるだろう事が予想されていた。
恐らくは両者に密着するレベルで側に張り付いておいて、万が一の時に我が身を盾にしてでも二人の間に立ち塞がらなければならなくなるのだろう。
それが分かるだけに、否が応でも憂鬱な気分が湧き出してきてしまっていたのだが、そんなジャンヌを前に、なぜアレスが顔を歪めているのか、不思議に思っても無理もなかったのだ。
「申し訳ないんだが、依頼主の安全を確保するためにも、これまでのように連中のやってる事に最低限の関わりとなるように部屋の外で終わるまで待つというのは流石に出来なくなる」
「分かってます」
これまでのように収監者の行動を著しく制限してきた手枷足枷がなくなるのだ。そして、いくら建物の二階にある部屋とはいえ、窓から逃げようと思えば逃げられない場所でもない。
そんな前提がある以上、収監者の逃亡を防ぐには目の届く場所に置いておくしかなかったし、そんな行動を制限してきた器具を取り払われてしまった収監者からの暴行を防ぐためにも依頼主の側にも居る必要があったのだ。
それらを前提とした以上は、最低でも同席が必須条件となるのだろう。出来れば、すぐ側で控えておき、万が一に備える必要があるのは間違いなかったのだから。これまでのような部外者のポーズなど許されるはずもなかったのだ。
そう小さくため息をついて明日以降に思いを馳せていたのだが、そんなジャンヌのため息に混じる少なからぬ憂鬱さを更に掻き立てるだろう原因となる台詞は、まだこれから口にされる所だった。
「……それでだな……。大変、お前には言いにくいんだが……。室内に、そんな威圧感しか感じない全身鎧姿をされて入って来られても依頼人が困ってしまうだろうから、出来れば『普通の格好』で頼みたいんだそうだ」
依頼主は非武装の絵描き。収監者も同じく非武装で、魔人種ではあるが未だ幼く、修士という事もあって戦闘力では一般人以下。そんな二人が相手なのだから、そんな厳つい格好をしていなくても、王宮騎士団でも随一の戦闘力を誇る人物なのなら、素手でも余裕で制圧出来るだろう、といった風に横槍を入れてきた人物に突っ込まれては、流石に万全を期すための完全武装が必須とも言いづらかったのだ。
「……というわけで、非武装で頼む。なお、服は向こうが用意してくれるそうだ」
「服、ですか……」
「ちゃんと、女らしい服を用意してくれるそうだぞ。……恐らくはドレスとかだ」
そんな台詞が原因だろう。本人はギシッと音が聞こえてきそうなレベルで固まって、ギギギギと首を横に動かしていたし、それまで非難と不満の声が渦巻いていた室内も、一気に静まってしまっていた……。
──あの歩く脳筋、平服『全身鎧』な女ゴリラにドレス……? だと……?
そんな微妙な空気が室内に流れている事など言うまでもなく……。
「……ご冗談を」
「正直、最初に聞いた時には冗談だと思ったんだがな……。どうやら、奴さん。真面目に、お前用のドレスを仕立ててくるつもりらしいぞ」
ちゃんと団の専属鍛冶師に、お前の鎧の各部の詳細なサイズまで聞いて帰っていったそうだからな。間違いなく、連中は本気だ。……ちなみに仮縫いの衣装合わせは来週末の夕方頃が予定されているそうだから、ちゃんと出席するように。
そんなアレスからの無常な宣告に、全身鎧姿のジャンヌは固まったままうめき声を上げる事しか出来なかった。
「……冗談でしょう……」
どうやらあの小僧を取り巻く嵐は、自分をも巻き込み始めたらしい、と。そう自覚するには、恐らくは十分な出来事であったのは、間違いなかったのだった。