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クロスロード物語  作者: 雪之丞
白の章 : 第五幕 【 空の彼方へ 】
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5-19.負の才能


 風景画の方は平凡極まりない。

 けれども、人物画の方は色々と『見どころ』がある。

 それがフィルク少年の絵描きとして得られた評価の“全て”だった。


「最初、その評価を聞かされた時には、風景画より人物画の方が得意そうに見えるって意味なんだろうなって。……ずっと、そう思ってたんだけどね。でも、本当の意味は違ったみたいなんだ。……それこそ、色んな意味で、ね」


 そこまで口にすると部屋を横切って窓に近づいていって、カタンと小さな音を立てて。綺麗に着色までされた状態の一枚の絵が窓際に置かれた空のイーゼルに乗せられていた。


「それは?」

「見て通り、ただの風景画だよ」


 もっとも、この場所、この窓から外を描いた物という但し書きが付くのだけどね。

 そう、前置きをすると、フィルクは苦笑を浮かべたままに、僅かにためらいのような仕草を見せながらではあったものの、キィとわずかにきしむ音を立てながら、目の前の閉め切られていた窓を開いていた。


「……どうだい?」


 そう水を向けられたクロスだったが、その言葉の意味はすぐには理解出来なかった。

 おそらくは、質問の向けられ方が唐突過ぎたからなのだろう。だが、その問いへの答えは、フィルクが窓の前から動いたことですぐに得られていた。


「あっ、すごい。そっくり……」


 果たして、それはどう表現すれば良いのだろうか。

 イーゼルに乗せられた一枚の絵。その絵は窓枠から見える風景を描いた物だった。

 そして、その絵は、ここで描かれた物なのだろうことがすぐに見て取れてもいた。

 何故なら、その絵に描かれた風景と同一の光景が、そのすぐ右側に見えていたからだ。


「……これを見て、どう思う? ……何を感じた?」


 前の質問と違って、今度の質問の意味は、すぐに理解出来ていた。

 この絵の事を、君はどう思うか。あるいは、コレを見て、どう感じたか……。

 そう問われているのは明らかだったのだ。だが、その問いの意味を理解してなお、クロスは問いへの答えを返す事が出来ていなかった。


「……」


 最初に見た時に感じたのは『衝撃』だった。

 その絵は、余りにも風景と同じ物であって、まるで同一の物に見えてしまったからだ。

 だが、その衝撃の後に襲ってきたのは何故だか『困惑』だった。

 その絵は、余りにも“同じ”過ぎたのかもしれない。


「……これは……。難しい、ですね……」


 自分は余り絵画に詳しくないし、これまで見たことのある名のある作品の多くは、ほとんどが教会が所有している物であったり、建物内に展示していた宗教画ばかりであったし、それ以外の物も、その多くは自分達が信仰している女神をモチーフにした物ばかりだった。

 そのせいか風景画については全く知らない素人以下な状態だといえたのだろう。だが、それでも、目の前の絵から感じられる微妙な違和感のような物は、余りにも大きすぎて、それをとてもではないが無視することは出来なかったのかもしれない。


「とても……。とても、綺麗な絵だと思います。それは間違いないはずなんです。……絵の構図とかもとても良いと思いますし……。それに、窓から見えている風景を、そのまま切り取って貼り付けたかのような、とても精緻な筆使いだと感じられます。……でも……」


 でも、何と言えば言えば良いのか。この胸の奥の方から湧き出してくるような、この不思議な違和感とでもいうべきものは何なのだろうか。


 ──余りにも、不自然な物に見える……?


 自分の感性と感覚、それらを元にした直感を、そのまま言葉にするならば、目の前の絵から感じられる違和感の正体は、まさしくそういった『何処か不自然に感じてしまう、余りにも作り物めいた不気味さ』とでも表現すべき物であったのだろう。


「……良くわからないというのが正直な所なんですが。……もしかして、この絵は綺麗過ぎるのでしょうか。それとも精緻に描かれ過ぎている……? どういえば良いのか……。この絵は、どこか非常に……。いや、絵全体から? ものすごく大きな違和感のような物を感じるというか……。奇妙な不自然さ。作り物めいた冷たさ。悪い言い方をすれば不気味さ、気持ち悪さというか。そういった妙な感覚が、表面的な綺麗さの裏側から滲み出して来ている様に感じてしまっているんだと思います」


 下手に知識がなかったからこそ、そういった表面部分から感じた物だけを表現した評価になったのかもしれない。

 それを聞かされたフィルクは小さくうなづいて答えていた。


「なるほど。君はこれまで良い教育を受けていたようだね」

「……そうなんですか?」

「うん。これまで見てきた絵画や風景などに、見事な物や出来の良い品、それに美しい物も多かったんだと思う。そして、なによりも修士となるべく教会組織内で高度な教育を受けてきた。そのお陰でもあったのかもしれないね」


 他の者達は色々な表現で、駄目だしをしてくれたよ。

 そう前置きすると、苦笑交じりに少年は、自分の風景画への評価を口にしていた。


「僕の絵には『魂がない』と言った人がいたよ。まるで窓の中の深さのある風景を、のっぺりとした深さのない絵として貼り付けたみたいで、ひどく気持ち悪いと酷評した婦人もいた。多分『絵に深みが感じられない』とでも言いたかったのかもしれないね。他にも『何処か違和感がある』とか『作り物を描いた絵みたいだ』とか色々と複雑で湾曲的な表現で僕の絵を評価してくれていたよ。……でも、その人達は、全員が全員……。口を揃えて、こうも言っていたんだ」


 絵という物は、風景を切り取って描写するだけで良いというものではないのだ、と。

 そして、君の風景絵には、君だけの個性というべきものが、全く感じられない、と。


「恐ろしく“上手く”描けているのは確かなのだけど、それ以上の評価は出来そうにない。そう、はっきり言われたんだ。これは恐らくは絵画と呼ぶべき類の絵ではなかったのかもしれない、とね」


 強いて言うならば、これは風景を『模写した物』ではなく、風景をそのままそこに貼り付けただけの『ただの複写物』とでもいうべき代物であって……。本来なら、必ず、そこに描かれているべきもの……。芸術性とでもいうべき中核になる物から始まって、人が描いたなら必ずそこに残されていなければならないはずの描き手の癖や個性といった細かい枝葉に至る物まで、何かもが綺麗に削ぎ落とされてしまっている代物であったのだ。

 そんな人間が描いたように感じられない代物を、多くの評価者は受け入れる事を本能的に拒絶してしまっていたのかも知れない。


「こんな描き手の想いや個性が全く感じられない、心のない絵を“絵画”とは、どうしても認められない。……これを君だけが持つ才能、個性。あるいは、君の絵だけの持つ“味”や“癖”、あるいは“特徴”などと称する者も居るのは確かなんだろうが……。そう、前置きした上で、ひどく申し訳なさそうに、彼は……。その人は、僕の絵を全否定してくれたんだよ」


 結論だけ言うならば、私は、これを絵として認めない、と。

 その一言は、少年にとってひとつの道を自らの意思で閉ざしてしまう事を選ばせるには十分な代物であったのかもしれなかった。


「そんな訳で、僕は致命的な欠点を抱えた才能しか持たない事が判明してしまった風景画の道を諦めて、人物画だけに絞って取り組んでいく事になったのだけど……」


 その道の先で待ち構えていたもう一つの悲劇は、ある意味においては必然の結果でしかなかったのかもしれない。


「……どうやら僕の生まれ持った才能は、尽く『異形の』といったおかしな但し書きが付くような代物しかなかったようでね……。人物画の方でも、僕の中にあった『おかしな才能』が瞬く間に花開いてしまったんだ」


 そのことに気がついたのは、しばらく後のことだったのだけどね、と。

 そう自分の思い出の中にあった、ほんの少しだけの己の『負の才能』とでも呼ぶべき代物に苦しめられる事のなかった幸せな期間に思いをはせながらも。

 それでもフィルクは、その口を閉じようとはしなかった。


「……さて。以上の事を踏まえて貰った上で、この絵を見て……。君は何を感じる?」


 腰を下ろした椅子の前のイーゼルの横、別のイーゼルの足元に立てかけられた人物画を示しながら、少年は微笑みと共に感想を求めていた。


「初めて見た時……。まるで泣いているみたいだって。そう、感じました」


 絵の中の人物の顔は間違いなく笑っているはずなのに。

 それなのに、その絵に描かれた人物の全体像からは酷い孤独感と悲しみが溢れているように感じられて仕方なかったのだ。

 それこそ、ぱっと見た瞬間に感じてしまった印象から、その人物の浮かべている表情が泣き顔だと思い込んでしまった程に……。


 ──でも、なんで……。


 その絵に描かれた人物は知らない相手ではなかった。

 名前もよく知っているし、最近いささか疎遠気味とはいえども、この街で付き合いのある相手としては間違いなく最上位に名前があがる人物であったのだ。

 それこそ親友といっても良い程に……。


 ──それなのに……。なんで、クロウが、こんな悲しそうな顔をしなくちゃいけなかったのか、まるで想像がつかないだなんて……。


 これでよく親友だなんて思っているな、と多少なりとも自己嫌悪を感じかけていたクロスであったのだが、それはいささか自惚れすぎというか、先走り過ぎであったのかもしれない。


「違うんだ」

「違うって……? 何がですか?」

「いや。この子の事は、君も良く知っているんだろう?」


 この子の付き添いをしてもらった人から、そう聞いているよ。

 たぶん、コイツとアイツは親友のはずだって。

 そうフィルクが口にしたことで、クロウの付き添いとして付いて来たとかいう人物が誰だったのか、ある程度は想像がついたのだろう。


「もしかして、アーノルドさんですか」

「そうだね」


 貴族絡みの用件で中央区まで出張らなきゃいけないような類の依頼だからって、向こう側も気を使ってくれたのかもしれない。

 そう、暗に『あんな大物が、この程度の依頼に顔を見せるとはいささか想定外だった』と自嘲してみせたフィルクであったのだが、そんなアーノルドの名声などについて理解しているとは言い難かったクロスにしてみれば、自分が面倒みてるから程度の理由でクロウの付き添い人として、ここまで付いて来てやったのだろう程度にしか考えていなかったりする。


 ──この様子だと、スラム住まいのZランクな子を無理やり中央区に連れ込むのが、どれだけ大変で異例な事なのかってこと、分かって無さそうだね……。


 下手をすれば、自分のような収監者が、こうして施設の外に連れだされて、街の中とはいえども中央区という特別な場所で部外者と部屋で二人きりにしてもらえるという事が、どれだけ異例づくしな状況で、裏でどれほどの力を持った存在が動いているのかといった政治的な部分も恐らくは分かっていないのだろうな、とも。

 ……なんとなくではあったのだろうが、目の前のひどく綺麗に整ってはいるものの、何処かボヘェと気が抜けてしまっている表情を見ていると、単なる予想ではあったのだが、そんな気がしてきて仕方なかったのだ。


 ──下手をすると、自分がどれ程の特別待遇を受けているのかというのも理解していない可能性がある……?


 まさか、そんなはずはないだろうと思いながらも、それでも何時まで経っても疑念は晴れてくれそうになかった。

 そんな良い意味でも悪い意味でも、世間という物に毒されておらず、それ以上に世間知らずというか、そういった世界に疎そうであったし、何よりもスれてなさ気なクロスの箱入り娘っぷり(この表現が正しいかどうかはさておき)に『この子、こんな調子で、生き馬の目を抜くような王都でやっていけるのかなぁ』といった、変な不安みたいな物まで感じてしまうのも、ある意味においては仕方なかったのかもしれない。


「……なるほど、たしかに“お嬢”だ」

「……?」


 ボソッと口にされる、その台詞が、某悪い大人(アーノルド)からギルドでのクロスにつけられているらしいアダ名を聞かされた時の説明された、そのアダ名の理由……。色んな意味で、お嬢様みたいな『箱入り』だから、だろうな。といった台詞を自分でも認めていた物であることなど、クロス本人に分かるはずもなかったのであろうが。


「まあ、良い。この程度の物をあまり引っ張っても意味もないし、仕方もないだろうからね。さっさと白状してしまうのだけど。……この絵はね。僕の悪い“癖”が出てしまったせいで、こんな変な風になってしまっているんだよ」


 そう気を取り直して口にしたのは、相手の思い違いを正す為でもあったのだろうが、それでもいささか意味が分かり難い説明ではあったのだろう。


「僕の絵は良くも悪くも、対象となった人の全てを……。恐らくは、その人が心の奥底の方にまで沈めてしまって、表面にまで出さないようにしてしまっている様な、秘められた負の感情……。怒り、憎しみ、妬み、嫉み……。そういった質の悪い性質のモノまで、余すところなく描き出してしまっていたんだ」


 おそらくは、風景の時と同じであるのだろう、と。

 何故か、本来、そこに描き出す必要のない物まで含めて描いてしまっているらしく、相手が隠しているような後ろ暗い物まで無意識のうちに探りだして、それを絵の中に込めてしまっている様なのだ、と……。

 そう苦笑しているフィルクの浮かべている表情こそ、泣きながら笑っている様な。そんな感情を溢れ出させてしまいながら。


「だからだろうね。……僕に描かれると、何もかもを見透かされた上で、その隠してあったあれやらこれやらを残らず白日の下に暴かれてしまったような……。絶対に踏み込んでこられたくない部分に土足で入ってこられたような、そんな最悪の気分になるんだそうだ」


 だからだよ、と。

 もう、これで分かっただろうとでも言うかのようにして。


「そんな気持ちの悪い絵描きに進んで描かれたがるよう物好きなモデルなんて、そうそう居ないからね……」


 だから、色んな意味で『何でも屋』と称されるような冒険者に依頼として頼まざる得なかったのだと。そう、フィルクは自分の側にあった、比較的切羽詰まった事情とでもいうべき状況を説明していた。


「無論、こういった方面に理解のあるような教養のある人物は冒険者というカテゴリの中には少ないのは承知していたし、ある程度優れた容姿を求めてるとなると尚更だったからね。……その上、素材として秀逸なんて偶然、滅多にあるはずもなかったんだ。……それこそ、条件に該当する人物が居そうですとギルドの人に聞かされた感じた時の僕の胸のトキメキは、君にも少しは分かってもらえるんじゃないかな……?」


 そう淡々と当時の自分の気持ちなどを言葉にしながら、シャッシャカシャッシャカ素早く手を動かしていく。何をしているかなど、わざわざ言わなくても分かるであろうが……。言うまでもなく、絵を描いていたのである。


「……へぇ。これは、驚いた」


 そして、カタンと。クルリとイーゼルごとひっくり返されたキャンバスには、木炭による簡単な人物画……。ラフなスケッチ画程度の似顔絵ではあったものの、このごく短時間で描かれた物だとするとひどく精緻な線で構成された一枚の作品が出来上がっていた。


「……お見事、と言うべきなんでしょうか」


 このごく短時間の間に。しかも、これだけべらべらと喋り続けながらも、これほどまでに見事な似顔絵を……。恐らくは必要最小限の、一切の無駄が省かれた線だけで構成されているのだろうことが素人目にも理解出来るような、そんな見事なスケッチ画を描き切ってみせた。

 それは素直に賞賛すべき技術の冴えであったし、一枚の絵としても非常に高い完成度を感じさせる代物であったのは確かだったのだから。

 ……それとも、相手が若いながらも画家を自称している人物であることを考えれば、この程度は出来て当たり前としてスルーすべきであったのか。

 その辺りに多少迷ったからこその疑問形であったのだろうが、恐らくは、その言葉を向けられた本人は、それどころではなかったのだ。何故なら……。


「そうだね。……とりあえず、ありがとう、と言っておくべきなんだろうね。……多分」


 そこに描かれた絵には、他の絵にあったような余計な『負の要素』とでもいうべき物が一切なかったのだから。そして、そのことがどれほどの“異常さ”であったのかも、恐らくは描かれた少年自身が、まだ理解していなかったのだから。



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