5-12.見え始えた輪郭
そもそも、今回の取り調べを担当しているマークスが、何故『十年前』というキーワードに辿り着き、そこに妙な拘りを見せているのか。
それはイーストレイク近郊の古い時代の情報収集を手伝ってやっていた上司であるアレスも少なからず気にはなって居たのだろう。過去の記録の調査結果がまとまったと聞いて、さっそく上司の元に報告書を受け取りに現れた所を捕まえると、直接、尋ねてみていた。
「何故、十年前なんだ? それに、あの坊主に何の関係がある?」
そう「お前が何を考えて、この結論に至ったのか。それを答えてみろ」と半ば尋問にも近い形で尋ねられると、少しばかりギョッとした表情を浮かべていたが、それも一瞬だけで。後は、上司からの問いに答えるべく、少しだけ考える素振りを見せながらも、ゆっくりと。間を空けながらも答えていた。
「……多分、ですけど。最初は、小さな……。ものすごくちっちゃな違和感だったんです」
「違和感?」
「名前を聞いた時に『アレ?』ってね……」
クロスは幼いころに教会の司祭に拾われて、クロス……。十字印という教会にとっては特別な、聖なる印を示す記号名を修道名として与えられたと言っていた。
「……あれだけ亜人差別がキツイので有名な東方で、ですよ? しかも、亜人活用論なんて馬鹿な考えが幅をきかせるようになった今でさえアレ程なのに、それよりも前に、です。今より、もっと排他的で、保守的で、差別的だった頃の。十年近くも前のイーストレイクの教会でって条件で。……しっかも、極め付きは悪魔の黒い血を最も色濃く受け継いでる、亜人の中でも最も忌み嫌われてた魔人様がって条件で、ですよ?」
もしかしなくても、クロスにとっては、極め付きに都合が悪いだろう悪条件及び劣悪な社会環境下。しかもそんな意識が最強に強いはずの教会組織の運営している孤児院などという情け容赦ない環境に投げ落とされる羽目になったのだ。
「そんな場所で、ですよ? 面倒を見なけきゃいけない義理なんてない、拾ったばっかりの捨て子。しかも、忌まわしい悪魔の子なんかに、クロスなんてご大層で聖職者向きな名前をわざわざつけたりして育てますか?」
普通に考えて、即“殺処分”されていてもおかしくなかった。そんな劣悪な環境下において、いかなる奇跡によるものなのか。忌み嫌われたはずの悪魔の子は聖なる名を与えられただけでなく、普通以上の水準で教育を受けた上で、司祭によって立派な修士に。そして、治療師として育て上げられた挙句に、最後には王都に向けて修練と研鑽の旅へと送り出されるに至っていたのだ。
「……ね? なんか変でしょ?」
これが普通に人間族の話だったなら、ここまで違和感は感じなかったのだろうか。そう考えてみたアレスだったが、彼にしてみたところで、これほどの順風満帆っぶりな成長具合と出世の早さは、やはり「珍しい」と感じてしまっても仕方なかったのかもしれない。
──この経歴だけを見れば、紛うことなき天才だな。
もっとも、それはクロスが「亜人でさえなければ。そして、魔人でなければ」という残念なポイントのせいですべてが台無しになってしまっていたのだが。
──いや、その悪条件下でさえコレなんだと、と見るべきか。
そう考え直すと改めて、悪条件と断じたクロスの拾われた頃のあらましが簡単にかかれた書類を取り出してみていた。
「まず、大前提として……。奴は魔人。悪魔の血を色濃くひいた亜人の中でも、もっとも忌み嫌われている魔族そのものとみなされる傾向のある存在であるということ。これはもう間違いありません。そして、これが母親が、奴を捨てた理由そのものだと考えられます」
その断定するような口調に「裏は?」とだけ視線も向けずに確認する。そんな裏付けの確認済みかどうかの質問にマークスも苦笑いしながら……。
「本人も認めていましたよ。ほぼ間違いなく、それが理由で自分は、あそこに捨てられたのだろう、とね」
流石にそれは少しばかり想定外な答えが含まれていたせいか、ぴくりと眉を跳ね上げながら視線を向けた先では苦笑によって出迎えられていた。
本人にとっては赤子の頃に捨てられたことはトラウマでも何でもなかったらしい。むしろ、そこに捨ててくれた事で、こうして人並み以上のしっかりした教育を受けられただけでなく、修士になれた事だし、治療師にもなれたのだから……。
「感謝している、そーです」
「感謝、か」
「下手に無理して女手一つで中途半端に育てられていたなら、今頃、自分は何の力も持たないままだっただろうし、多分、親子二人して飢え死にしていたか、あるいはこの歳になる前に虐め殺されていたかもしれないとか抜かしていましたよ」
そうぬけぬけと抜かしやがったとばかりに肩をすくめてみせるマークスに、アレスもわずかに眉をしかめて見せていた。
「自分を捨てた事を賞賛していたというのか……?」
「むしろ、あの女に育てられた方が自分は不幸になっていただろう、みたいな舐めた口調でしたけどね。……つーか、あのクソ坊主。自分を必死に腹の中で何ヶ月も育ててくれた大恩ある女のこと、どう思ってんスかねぇ~」
普通に考えるなら、母親の事を憎んでるとしか思えない。そうとれる過剰反応っぷりではあったのだろう。だが、アレスには、どうしても違和感らしきものが拭えなかったらしい。
「……本当に感謝していると言っていたのか?」
「本人は、そう言ってましたけどね。……まあ、何処まで本気かは知りませんケド?」
「じゃあ、お前の受けた印象は? 後のやりとりは抜きで、その時のやりとりだけの感覚では、どうだった? 本当に感謝している風だったか?」
そう改めて問われた事で改めて考えなおしてみる気になったのかもしれない。少しだけ考え直すような素振りを見せると「うん。やっぱり、そうだ」と頷いて見せていた。
「そう言われてみれば、確かに、その時のアイツの浮かべていた笑みは、妙に普通っていうか……。変に嬉しそうって感じだったし、何の皮肉もこめられてなかったと思います」
「素直に良いことをしてくれたって、素直に感謝してるって感じだったって事か」
「はい。まあ、そのせいで、かえって違和感あったんですけど……」
もっとも、その直後には母親に向かって平然と憎まれ口を叩いているのだから、それもまた額面通りには受け取ってはいけない言葉ではあったのかもしれないのだが。
「……まあ、何にせよ、色々と素直じゃない、糞面倒くさいガキンチョですよ。色々と」
そう「何を信じていいのやらさっぱりだ」とボヤく部下を前に、アレスは腕を組んだまま黙りこくっていた。
「……どうしたんです?」
「いや、今の話の中の矛盾について考えていた」
「むじゅん?」
「最初の言葉のやりとりで、奴は、自分を捨てたことについては恨みは抱いていないと言っていたんだろう? だが、その後のやりとりから透けて見えてくるのは、隠し切れない自分を捨てた母への憎しみだ。……だったら、なぜ、捨てた事だけは恨んでいないんだ?」
普通に考えれば、未だ母への自分を捨てた事も含めて母を恨んでいるというのが普通なのではないのか。
「まあ、素直じゃない奴の言うことですし」
「だからといって、すべての言葉、すべてのやりとりがウソまみれという訳でもあるまい」
むしろ、気を張っていない一瞬。ほんのすこしの気の緩みの隙間から、本音というものは漏れ出すのではないか。……そして、それを自覚した者は往々にして、そのことを取り繕おうとして、その後の反応が過剰気味になったりするものだ。
そんなアレスの淡々とした言葉を黙って聞いていたマークスだったが……。
「本音、ですか」
「ああ。気が緩んだ瞬間に、思わずポロッと、な? 取り繕う間もなく、本当の気持ちって奴がこぼれ落ちたりなんかして、妙に気まずくなったりするものなんだ。……たとえば、さっきの奴とのやりとりの中でもな」
果たして、本人が意識しないままに溢れださせてしまっていたという本音部分とは、何処だったのか。
「今回みたいに、やりとりの中に妙な矛盾とかがあった時には、その直前にどんなやりとりをしたかとかとか、よく覚えておいて、記録しておくと良い。あとで記録をあたったりする時に、おもわぬ手がかりが掴めたりするからな」
そう前置きして。
「自分を捨てたことを恨んでいない。おそらくは、これは本音だろう」
「その根拠は?」
「ない。ただの勘だ」
「……」
「だが、お前も、そう感じだんだろう?」
「ま、まあ、それは、そうですが……」
「だったら、それほど的外れでもないはずだ。少なくとも、奴にとって、孤児院暮らしは、さほど悪いものではなかったのかもしれん」
そうなのか? といった視線を向けてくる部下に苦笑交じりに頷いてみせる。
「そうでなかったら、自分をあんなフザケタ所によくも捨てたなって、そのことを今でも恨んでいるだろうさ」
「それも、そうか」
「そして、おそらくだが……。奴にとっての“母”となった存在が、多分、そこに居たんだ」
だからこそ、そのことを許せたのではないか。
捨てられた結果として、その存在と巡り会えたからこそ。
だからこそ、自分を捨てたという行為そのものを許したのではないか。
そして、そこでの暮らしがさほど悪くなかったと思えるから。
だからこそ、未だ自分をあっさりと捨てて逃げ出してしまった母を恨んでいながらも、捨てたという行為そのものに対しては、それほどの恨みは抱いていないし、少なからず感謝も感じていると、と。そう、口にできたのではないだろうか。
そう、アレスは自分の考えを淡々と口にしていた。
「無論、その母親の代わりとなった存在が、文字通りの義理の母親だったのか、それとも育ての親となっていたのかもしれない施設関係者や司祭のことだったのか、あるいは、それ以外の何か……。仲間だったり、親友であったり、恋人などであったりしたのか。そこまでは分からないが、少なくとも奴にとっての“母”となっていた存在が、そこには確かに居たのは間違いないはずだ」
それだけは間違いないだろうと思う、と。そう口にしていた。
「ほんとに、そんなの居たんですかねぇ……」
「多分な。……そうじゃなかったら、感謝したいなんて言えないだろう」
そんな言葉にいまいち納得いっていないらしい様子を見せる青年に、アレスは苦笑混じりに言葉を続けていた。
「人って奴はな。欠片も思ってもいないような『感謝の気持ち』とやらを、平然と己を騙しながら、笑って口にしたりとかは、なかなかやろうと思っても出来ないそうだぞ。……ましてや、本音の部分では、未だに自分を捨てた生みの母を許していないのであれば、尚更な?」
おそらくは、そういった「悪いことばかりではなかった」と振り返られる心の余裕ができているからこそ、こうして自分の中で折り合いがついているのだろうから、と。そう考えられたからこそ、アレスは自分の考えに確信らしきものを得たのかもしれなかった。
「……母、か」
そんなアレスの言葉に何か思い当たる事でもあったのだろうか。おもむろに手に抱えたままになっていた資料の束を机の上に広げると、ペラペラとめくりながら、何かの記事を探しだそうとしていた。
「どうした?」
「いえねぇ……。この件に関係あるかどうかは、まだわからないんですけど……。なんか、同僚から調査中に面白い噂があったぞって聞いた事があったなって。……女絡みの醜聞っていうか。与太話というか。信ぴょう性は怪しいの一言なんですけど。って、あった。これだ」
バサっと広げた一枚の紙。それは噂話や下らない与太話などをまとめた資料の一部であり、そのページに記載されているのは、郊外にある小さな農村の酒場でイーストレイク方面から来たとされる旅人などを相手に商売している者達から聞き集めた内容となっていた。
夜の酒場に客として入り込み、そこでいい感じに出来上がっている酔客などに酒をおごる事で、何か面白い話はないかとばかりに上手いこと語らせるなどして聞き取ったとされる、猥談混じりの夜の武勇伝が大半を占めるという、ある意味においては、どうしようもない内容ばかりが羅列されていた代物であったのだが……。
「ここです、ここ。ここ、見てみてください」
「……教会の司祭が“愛人”を囲ってる噂あり、か」
これがどうかしたのか、と。そう視線で聞いてくる上司に、マークスは少しだけ言い淀む素振りを見せていた。
「そこに出てきてる教会って、十分な裏づけが取れなかったんで、はっきりとは書いてないんですけど……。どうやらヘレネ教会なんじゃないかって噂が一部でありましてね」
その言葉にアレスの眉が小さく動く。
「……誰に聞いた?」
「誰というか、これの編集に携わってた奴ら数人から、かな?」
「どういうことだ?」
マークス曰く。どうやら、その噂話はそこそこの範囲に広がっていたらしく、記された酒場の他にも幾つもの場所で、内容や程度などに多少の差はあれど似たり寄ったりな噂話として、夜の酒場で囁かれていたのだという。
「しかも、その内容が傑作でしてね」
「……聞かせろ」
「あいつ“ら”、上手いことやりやがって、みたいな? いわゆるモテナイ君達の嫉妬丸出しのセリフっていうか、負け犬の遠吠えって奴が一番近いのかな……?」
冗談めかして言いながらも、その目は何処か笑っていなくて。
「もっと端的に言っちゃえば、お前らだけで独占してないで、俺達にもちったぁ“分けて”くれよって感じですかね~? 何だったら銭も出すぞって言って頼んだのに、まるで取り合ってくれねぇんだ。あいつら、ズルいよな~ってね。……そういうモテナイ負け組の愚痴が聞けたって話なんですけど」
これが教会関係者に関する醜聞だっていうのなら、まったくもって世も末というか、笑うに笑えない代物だった。まさに聞くに堪えない醜聞だろう、と。そう嘲笑いながらも。
「つまり、お前は、教会関係者数名が一人の女を共有物として囲っていて、それが噂話になって漏れていたんじゃないかと言いたいのか?」
「まあ、その可能性もあるかな~っと……」
口調こそ軽いものであったが、その目を見る限りにおいて、かなりの信憑性をそこに見出しているようにも見えながら。
「……色々とね。今回の件って、調べれば調べるほどに辻褄が合わない部分が多くなってくるですよね。……妙に教会から特別扱いされてる風に見える、変に優遇されている魔人がいたり、その魔人が関わっているはずの事件が、妙な隠蔽のされかたをしていたりとか、ね。……本当に、色々と矛盾が目について仕方ねぇんですよ」
でも、これだけは間違いない。そんな確信を持ちながら。
「こんな風にね。どっかで変に『幸せ』が積み上げられているのだとすると、同じだけか、それ以上の『不幸』が、どこかで積み上げられてなきゃおかしいでしょって話なんですよ。だって、そうでしょ? 正と負が同じ数だけ存在してなきゃいけないのが世の常って奴なんでしょう? ……だったら、これほどの幸運が意味もなく転がっている訳がない。きっと何か理由があったはずなんだ。……不自然なほどに優遇されてるヤツが居るのなら、そいつの足元には凄まじい不幸が転がってないと話がおかしいんですよ。勝者がこれくらい盛大に勝ってたなら、その裏側では敗者が血の涙を流してなきゃ話に辻褄が合わなくなるんだから……」
だからこそ、きっと何処かに“居た”はずなのだ。奴がこれほどの厚遇を受けるために割を食わされて犠牲となっていた“存在”がすぐ近くに居たはずなのだ……。その“生贄”の犠牲と献身によって、奴はきっと今の力と地位を手に入れたはずなのだから、と。
そう無意識のうちに確信していたからこそ、その嗅覚は深い闇の底に沈められていたはずの『真実』の欠片を掘り当てようとしていたのかもしれない。
「絶対に、見つけてやるからな」
それは未だ名前どころか存在すらも明らかになっていない“犠牲者”へ向けての宣誓そのものだったのかもしれなかった。