最終章 〈封印〉
司会者の居る穴の向こう側の窓から、審判人はおれの事を見ている。それは確かなんだ。今は南の方、斜め上。視線は感じる。洞窟の中に居ても、視線が、空から洞窟を透かして見ている感覚がおれにはあった。
コンタクトの開始。おれは黒い板を視線の方向へ、くるりと向けて、文字を指し示す。
あ、ん、た、は、せ、か、い、を、ど、う、す、る、つ、も、り、な、ん、だ。
板の反応を待つ。チカチカと文字列の上を光が走る。
ポチリ、『け』ポチリ、『す』
おれは生唾を飲み込んだ。やっぱ、消すのか、畜生マジかよ、
『けすつもりない』
フェイントかよ、ふざけやがって!
な、め、て、ん、の、か
おれは板のひらがなを指し示してそのように返す。隣ではグイドが上空に向けて中指を立てていた。板上の光はしばらくぐるぐると走り回っていたが、ポチポチポチ、と矢継ぎ早に文字を選び、
『うるせえじかんないからはやくせーぶしろきえたいのか』
だと。うーわー何だコイツ腹立つう……審判人ってもっとこう、神様的な存在なんじゃねえの?こんな奴だなんて、思ってもみなかったぜ。おれらは頭を突き合わせて相談した。
「お、おいどうする?」
「信じるしかなくない?」
「俺達もうアイツにすがるしかねえみたいだし……」
そうなのだ。今、他に選択肢は残されていなかった。ああ畜生、ムカつく。おれは、わ、か、っ、た、と板を指さした。エンディングが完全に外に出てしまうまで魔王はまだ死なずにいられるが、時間はほとんどなさそうだ。おれはチェインソウにはみ出たエンディングの、映像の身体に触れながら、
「もうちょっとだけ我慢できるか?」
「うん……がんばる…」
「えらい、かっこいい!頼んだぜ」
そう言って、魔王の看護を続けるペンネを残し、グイドと共に魔王の洞窟を駆け抜けて教会へ。うっわあ焦るわ、焦るわ。一番近い村はどこだ?洞窟を抜けた所で、抱えて持ってきた黒い板がいつの間にか文字を表示しているのに気付く。
『にしにいけ』
それを見たグイドは無言でおれを抱え、速やかに離陸。マッハの速さで、空を、ゆく。
西。山脈を越えてまっすぐに飛ぶ。相変わらずの絨毯的風景に目をこらしていると、程なくして唐突に陸地が途切れ、海。そしてその上にぽつねんと浮かぶ小さな島が見えた。村も教会もちゃんとある。審判人は、少なくともそれに関しちゃ嘘はつかなかったようだ。
急降下でシイン、となった耳を押さえつつ、おれたちは教会の扉を蹴り開けた。
「神父いるかよ!」
「わっ」
まあ当然、だけど、いる。ビクッとして振り返った神父は、ずいぶん呑気な様子で。
「ど、どうしたんです?あっ、セーブしますか?……あれ?えっ、えっ、後ろの方、魔物です?な、何で」
うわっ、面倒臭ぇ。いちいち説明したくねえ。
「いーからセーブしてセーブ!」
おれは声を張り上げた。
「あ、は、はい」
例のごとく、セーブは数秒で完了。つっても現時点で何か変化がある訳じゃねえ。セーブはおれの身に何か起こった時、救済を受けるチャンスを約束するだけのモンだからだ。わかんねえな。審判人はなぜ今、セーブをしろなどと言ったんだ?仮にこのまま世界が終焉を迎えたとしてだよ。その後、再び審判を受けて救済されたってさ、時間は〈今〉に戻されるだけだろ。終わりかけた世界のラスト何分かに戻ったってさ、何ができるっつうんだ。どうせ戻るんなら魔王が自殺未遂する前に戻らなきゃあ、無意味だ。おれは黒い板を掲げ、審判人に尋ねた。
い、み、あ、ん、の、か
すると審判人は。
『ある せーぶはせかいをほぞんしてんだ』
んん?ほぞん?って、保存、か?くそ、平仮名だけって不便だぜ。言ってる意味がよく解らない。騙してんじゃねえだろうな、おれたちを。おれはそういった感じの内容を黒い板で突き付けた。で、審判人の答え
『まおう が しぬまえ に せかい を ほぞんする そして おれはこのげーむを やめる にどと おまえにはあわない そうすれば このせかいはおわんねー と おもう』
おい、おもう、って何だよまた適当な野郎だな畜生。
よくわかんねえけどつまり、ゲームをやめるってのは、審判人をおりるって意味か。この玩具は審判人のためのモノだから、審判人がいなくなったら物語はエンディングを迎える必要が無くなる。ゆえに、終焉は止まる、そういう事なのか?
『YES』
何で英語なんだよ、やっぱコイツふざけてんじゃねーのか。
まあおれも完全に理解できたわけじゃないんだけども、色んな事を総合的に考えると、大体の理屈は、わかるような気がする。何らかの理由でこの世界は単なる玩具ではなく、生きて存在する世界として生まれてしまった訳だが、そういう世界を最後まで玩具たらしめていたのは、審判人だったという事だ。要するに、審判人から解放されれば、玩具としての全てのしがらみから解放される。この世界は、生きた1つの世界として独立できる。っつーこと、なんじぇねえの?
しかしまだ若干不安だ。審判人が審判人を降りたらその途端、ぱっ、と世界は消えてしまいやしないか?大丈夫なのか本当に。
し、ん、じ、て、い、い、の、か?
おれの確認に、ポチリ、ポチリと平仮名で、審判人は返答した。
『へいきだろ おまえもせかいも まちがいなく ちゃんといきてる おわるんじゃなくて おれがこのせかいと かんけいなくなるだけだ にどとやらねえから あんしんしろ じゃあな』
そして板上の光は「な」の上で止まる。止まったきり。
「えっ」
ちょっとちょっと、マジにじゃあ、もうコイツとはおしまい?いや、まあその何だ、魔王とエンディングのような仲じゃねえけど、コイツずっとおれと一緒に居たわけじゃん。まあ最初から、おれは反感持ってたけどさ。あんまりあっさりしすぎじゃねえの。おれ聞きたい事があんのに。おれは急いで板を指し示した。
ち、ょ、い、ま、ち
『なに』
あ、ん、た、い、っ、た、い、な、に、も、の、な、ん、だ?
おれは最後の疑問を投げかけた。審判人は、何なのか?神なのか、外の世界の生き物なのか、あるいは単に審判人として生まれて来たものなのか?それとも……
ポチリ
『おれは』
ポチリポチリ
『おれはおまえだよ』
黒い板にはそう現れた。グイドや、まったく、ほんの少しも状況を理解してない神父は、すごく奇妙な表情でゴクッと喉を鳴らしたが、おれは、
「あ……そうか……」
ただ、そう思った。不思議と驚きは無かった。本当は知っていたのかもしれない。いや、つうか、知ってたんだきっと。忘れてたんだ。思い出したよ、生まれた時の事をさ。
フラッシュバック。記憶の帰還。セプテンバー村のあの家に、唐突に存在する以前の記憶。
そうだあの時、ゲームのスイッチを入れ、入力した名前と共におれは、一体どんな偶然なのか、おれ自身から分裂した心のかけらとなって、この玩具の中に流れ込んだんだ。
なんでそんな事が起きたのかは、わからない。でもおれ自身の理由はまあ、つまんねえ逃避。おれは外の世界にほとほと嫌気がさしていたのだ。玩具の世界に逃げちまいたかった。或いはおれのそういう願望が、玩具の中へ心のかけらを持ち込んじまったのかもしれない。それがすべての始まりだった訳なんだ。
けれど玩具のゲーム世界は、外域から「心」を投入された途端に、生きた世界として存在し始めた。玩具の姿をした、でも玩具ではない何か新しい世界として。
審判人、つまりおれ自身のの分身たるおれは、主人公としてこの世界に入り、玩具の形式にのっとった設定にぶち込まれ、そうして記憶を失った。だけど視線には気付いた。ああそれは、おれが視線の分身だったからに他ならなかったんだ。
『おもいだしたか』
黒い板の上の文字のおれが言う。
思い出したよ。アンタとおれはもともとひとり。つまりアンタは、この新しい世界の中で、自分自身が動く姿を見ていたんだな。
そ、れ、で、
おれは板を再び視線にむけて傾け、少し笑いながらこう指し示した。
ど、う、だ、っ、た?
外の世界のおれの回答。
『きかなくてもしってんだろうが』
それが、最後の会話になった。
「が」の字の上で光は止まりそして、ゆっくりと、暗くなった。
「消えたのか審判人は」
グイドが不安げにそう呟いた。
「うん、多分、この世界からは」
おれはそう言った。でも本当には消えちゃいない。おれにはわかる。外域の小さな島国の安アパートで、アイツは確かに今も生きているんだ。だっておれはアイツの一部、わかるさ。
「わかりません、状況が」
神父は混乱してプルプルしていた。
「なんなんですか、どういう事なんですか、説明してくださいよ、ねえ、」
うわ……ほんとめんどくせえな。もう今日は疲れたんだよなおれ……。
「ちょ、あとにしてくんねえ?」
神父にゃ悪いがおれたちは駆け足で扉を出た。そうだよ、魔王の様子を確かめなきゃなんねえし。
だけどグイドに掴まり、飛び立つ瞬間、ちょっと振り返ったらさ、見えたんだ。
おれたちを追って教会の扉から「出てきた」神父の姿を。
それから。
医者を呼んだり、やっぱり獣医を呼び直したりして手を尽くした結果、魔王は一命をとりとめた。エンディングは魔王の中にしっかりとしがみついていた、だから間に合ったのだ。ふたりは小さな島に家を立てて住むつもりだ、と、病院の床(ベッドに魔王は収まりきらなかった)の上で語っていた。
で、おれとペンネとグイドは、というと。うん、旅に出ました。酒瓶持って、たらたらとね。バグ長とか司会者とかバラキアさんに会いに行くのもいいしペンネやグイドの故郷、それから老人村なんかを覗いてみるのもいい。つうか、決めてねえの。でもまあ、そういうのもアリじゃね?と、思うのね。
「地図とか、そういう大事なもんなくすかな普通」
ペンネが呆れた声を出す。グイドの気の毒そうな顔も逆にグサリときて、おれはスネた気分になった。
「じゃあ持たすなよ、おれによォ」
と、座り込む。座ると酒を呑みたくなる。仕方ねえなと杯を出すグイド。そこに魔法で酒を注ぐペンネ。森の中は、陽射し木漏れ日。いーい感じである。
なあ審判人、おれは思うんだ。どんな世界に居ても、やっぱりおれはおれ。性根は変わらねえから、どこに逃げても同じ。腕力も、特技もねえし、ややばかだ。それでも生きてる事はできる。考えたり喋ったり、呑んだりさ。
おれ今は、そういう単純な事に乾杯したい気分なんだ。
◆ ◆ ◆ ◆
有名なRPGをパクった、ありがちな古いゲーム。いくら復刻ブームったってこんなモンまでパソコン移植版にするこたねえだろ、と、誰もが言うだろう。
けれど、このクソゲーは、おれにとって特別。信じられない事だがこん中に、世界が1個、詰まってる。おれはショボいロゴの入ったCDを取り出して眺めた。はは、おれが映ってる。今も、この中でおれの分身がヘラヘラ過ごしてんだろうな。
こいつは封印。おれは空き箱に「ファンタジークエスト2」を押し込め、そっと本棚にしまうと、ジャケットを羽織ってアパートを駆け出た。
外は快晴。
何処へ行く?例によって、決めてねえ。
ま、何とかなるさ。
(了)