第十一章〈魔王〉
一応、精神的にアレだった奴な訳だし、送ろうかと言ったのだが、ハデスは断り、
「今はひとりにしてくれ」
と、淋しそうな背中を向けて洞窟を出て行った。けれど足取りはしっかりしていた。アジト谷には帰らないそうだ。このまま逐電するつもりらしい。それもいいんじゃねーかな、と思う。なんかどっかのご当地のうまいもんでも食ってさ、好きなだけ休めばいいと思うよ。うん。
まあとりあえずこれで、緊急事態は回避された。癒し系赤ドラゴンも、
「じゃあジブンはこれで。隊長とリータ姫の護衛に戻ります」
ひと足先に帰って行ってしまった。あああ可愛かったのに、残念だよ。もうひと撫でしたかったんだが、仕方が無い。さて、おれらもぼやぼやしてはいられない。もうひとつ、やる事があるのだから。
「板、か。ふうん……なるほど。そういう仕組みでコンタクトできるんだ、へえ〜」
司会者とおれのやりとりを説明すると、ペンネはそう言ってしきりに感心した。グイドは眉間にしわをよせて
「俺には正直、完全に理解はできないが。要するにその、かな字と英字の書いた板を探せばいいわけだよな?」
と、確認。そう、審判人とコンタクトのとれる特別な板は、この、魔王の部屋の何処かにあるはずなのだ。
「見つけてもくれぐれも大声出さないようにして、しずかにな。魔王復活したりしたら、やだし」
「了解」
てなわけで、魔王の入った玉の浮く部屋で板探し。当たり前だが、あんまり気分のいいもんじゃない。おれは極力魔王のほうを見ないようにした。というか、魔王なんていない、みえない、ないない。板を探すんだ、板を。見渡した限りでは、目につくそれらしい物はないが……怪しいのは祭壇の辺りだ。徹底的に探す、探す。
「んん?」
裏側から祭壇の下に潜り込んでいたペンネが妙な声を上げる。
「あった?」
尋ねると、ペンネは細長い身体をにゅるっと覗かせ、
「んにゃ、でもなんか地面が窪んでるから怪しいな、と。これどかさない?邪魔」
そこでグイドとおれは祭壇の両端を持ち、慎重に持ち上げて手前にズラす……つもりだったんだが。あ、無理。重い。やっちまった。降ろすとき、ゴターン!と嫌な音がして、おれは祭壇の片側を地面におもっくそ落としてしまった。
「ごめん」
「兄貴、腕力ねぇな……」
ちょ、気の毒そうな顔やめてグイド、普通に傷つく。おれは魔王をチラッと見る。大丈夫だったかな、今の音。
封印された魔王は眠っているようにも見えた。騒いだら今すぐ起きてきそうな、そんな感じだ。おれは魔王の入った玉を注意深く観察した。おい、これ、何だか体の向き変わってねえ?気のせいか?
「クリムト、見て」
ペンネの言葉に慌て振り返る。祭壇下の窪みに妙な文字で装飾された円が描かれていた。何か魔法的な力が働いていたのかね?で、その窪みなんだが、蓋だった。まるでマンホールだ。ここに、何かが……
ごりっ。
何の前置きも無しにペンネが無造作にそれを開けてしまう。
「ちょ、お前せめてちょっと何か一言あってもい、」
出しかけた言葉をおれは飲み込んだ。あったんだ。司会者の使っていたようなあの黒い板が、幾つもしまい込まれていたのである。
「おおお、そうそうこういうのこういうの」
おれ達は板を一枚一枚物色した。板には様々な文句が書かれていたが、その大部分が意味不明。しかも内容の同じ板が何枚もあって、なんか無駄な感じもした。クリムトのレベルが1あがった!だの、×××はまほうをつかった!だの、ひかりのつるぎはすてられません、だの。
レベルって何だよ、てか、×××って何だよ。×××の板は、どうもペンネやグイドの行動を説明しているような気もするが、何で×××なんだよ、ちゃんと書かれてんのおれの名前だけじゃん。
「決まったメッセージしか出ないんでしょこれ。僕ら元々、お前と一緒に行く筋書きじゃなかったから、名前とか出せないんじゃないの」
とは、ペンネの推理。成る程そうかも。蓋し融通のきかないシステムである。まあそんな事はどうでもいいとして、だ、
「……ねえなあ」
デーモンピエロをたおした!
クリムトたちは520のけいけんちをてにいれた!
ひかりのつるぎをかいとることはできません。
などなど、どうでもいい板は大量にあるのに、仮名と英字の書かれた例の板、それがどうしても見つからない。そもそも魔王が必要としている板は、おれが物語をどこまで進めたか推測できるような行動の書かれた板なのだから、仮名五十音英字26字の板なんぞ持っていても仕方ないんじゃないの?え、おい、まさか、捨てたりしてないよね?と、おれが思わず非難の色を含んだ眼差しで魔王の玉を見上げた、その時である。
「なっ……えぇーっ!?」
う、動いた、魔王。
やばい。魔王は玉の中でモソリモソリと胎児のように身体を捻り、そして玉の周辺は、次第に紫の光を帯びてきていた。
最悪の事態である。魔王はおそらく、あの玉の中に居ても魔法的な力で板の情報を得ているはずなのだ。つまり奴もまた、物語がさっぱり進行していない事は分かっている。おれは魔王のおつむを少々侮っていた。魔王は、いつまでも進行しない物語を待ち続けて眠ったままでいるような阿呆ではなかったんだ。
地面が、振動し始める。おれもペンネもグイドも、顔を見合わせただけでお互い何を考えているかは判った。
「撤退!」
そう、逃げるしかねえよ。おれ達は一目散に魔王の部屋の出口へと走った。ちょ、ほんとに、怖ぇって、怖ぇ、怖ぇよ!地鳴りが更に激しくなる。足元に延びる自分の影が、背後から射してくる強烈な紫の光をご丁寧に説明してくれて、おれの膝はガクガクになった。とにかく部屋から出れば、少なくとも5メーターはある巨大な魔王は容易に追ってこれなくなる。ってんで、ギザギザの溶岩の縁取る出口に飛び込んだ……が、
雷のように脳裏にパシンッと現れた「にげられない」という言葉、文字。それと同時におれ達は、出口に、はね返された。
「うっそだろ……」
見えない壁。おれは思った。物語だ、物語がまだ、おれを拘束してやがるんだ、畜生、
あまりの事に呆然と立ち尽くすおれ達の背中に、ドオンと音の波が伝わった。ああ振り返りたくねえ、見たくねえ、そう思いつつもおれはゆっくり、頭を回す。
魔王は、そこに居た。おれの脳は、玉の中では見えなかった細部までを勝手に観察し始めている。ねじくれた角、石みたいな爪、怪しい装飾品のジャラジャラついた首の上に乗っかっておれを睨みつけている頭部は、おれが知っているどの生物とも似ていない。そいつの発する凶暴な気配は部屋中に充満していた。息が詰まりそうだった。言葉なんか、出せやしない。おれは魔王の、黒目の無い金色の視線にただただ硬直した。くっそ、怖すぎるだろ、これ……。
数秒が、永遠に感じられた。高速で乱拍子を刻む自分の脈がうるさかった。やがて魔王が、ビンビンに響く低い声で沈黙を破った。
「光の剣は、どうした」
えっ、えっ、それは、あれの事でいいんだよね?おれは震える手で背中からチェインソウを取り出した。
「こ、ここここれですか?あのあの、あげますよ欲しいなら、どうぞどうぞ」
かすれた喉で間抜けな台詞を吐くおれ。畜生、怖えよ。なんだよもう、帰りたいよ。
「……」
何故だか、魔王は黙った。考え込んでいる。何だ?そして再び口を開いた時、魔王は恐ろしい顔をして、
「それで、我を再び封印しようと言うのだな!そうはさせぬぞ!」
いや、言ってねええええええ!
話が通じてねえ。魔王は物語通り勇者が自分を封印しに来ると、信じている。物語がとうに筋を逸れているのに、強引に、無理くりもとの展開に戻す気だ……。
「いやいやいや!しませんてそんな事!本当に!」
焦ってうまく言葉が紡げない。
「我を油断させようとしているだけだろう。その手には乗らん!封印できるものならやってみるがいい!」
そう吠えた魔王は、いきなり右手を上げ、尖った岩のような爪をおれに向けて振り下ろす。
「ちょ、馬鹿、クリムト」
「兄貴!」
ペンネとグイドがおれの首根っこを掴んで引っ張った。間一髪、難を逃れる。地面にはざっくりと、爪痕。血の気が引いた。えっ、ほんとなに、なんでこうなった、おい、まってよ、どうすりゃいいんだ。おれは半ばパニックになっていた。審判人とコンタクトが取れてない今、殺されれば救済の保障は無い。そのまま世界はすっかり消されてしまうやもしれないのだ。といって、むやみに反撃する訳にもいかない。万一、おれの剣の腕からしてまず無いけれども、魔王を倒してしまったならそれこそ物語は完結してしまう。おれには説得する以外何もできないのだ。しかし、どうしてこんな状況で頭が働かせられよう。攻撃を避けるだけで精一杯なんですけど……。
ペンネとグイドに助けられながらちょこまかと逃げるしかないおれに、魔王は叫ぶ。
「こざかしい奴め!」
こざかしくもなるでしょこれこの状況!ああ、泣きてえ。
ふと、連続して繰り返されていた爪攻撃が一瞬、おさまる。おれはその空白に、凄く嫌なものを感じた。あ、何かする気だコレ、避ける事に集中しないとまずい、おれはそう思って魔王を見たんだ。
すっ、と魔王の指が立てられた。何が起こったか分からない。ただ、電気的なスピードで真っ白なものがおれの視界を覆う。コンマ5秒遅れで形容しがたい衝撃が、カアン!とぶち当たってきた。電柱に刺し貫かれたのかと思うほどの、激痛だった。
「……ちょ……何これ……」
完璧ノックダウン。膝がかくーんとなっちゃって、もうおれの思考は完全に痛みに遮られた。ひひひ、何だっけ、何すればイイんだっけ。数値化されたおれの残り体力は、4。その4がピヨピヨと頭の中の痛覚の隙間を駆け回っているので考えがまとまらないし、おもしろいし、いってえし、いひひ。強烈な黄色、赤、オレンジ。もう目茶苦茶、ひゃっほおおお白目。しかし、何だろ?脳の片隅で誰か呼んでる、
「おい。兄貴おい」
ぱちり。おれを見下ろすグイド。視覚と共に急速に現実が戻ってきた。やっべえ一瞬意識飛んでた。魔王は?
慌てて頭を起こすと、身体の中身がバキバキ悲鳴を上げやがって、あっ、壊れる壊れる。おれは吐きそうになった。無理無理。仕方なく目だけそっちへ動かす。
魔王は、とどめを刺そうともしないで、ただ、おれを見ていた。
不可思議な静止。魔王の様子は明らかに変なのだが、白蟻地獄の木造ぼろ家の如きおれの体は、言葉を吐き出す事ができず、鉄味の血にむせて肩で息をするばかり。魔王は今、おれをワンタッチで殺せる。だのに奴はそうせずに、
「……剣を抜け。我と闘え」
鬼哭を噛むような、声を出した。
「その剣で我の心臓を、貫けばいいだけだ。それで我は死ぬ。永遠に封印される。やらなければ貴様が死ぬんだぞ」
なぜそんな事を、わざわざ言うんだ?それじゃあまるで、死にたがってるみたいじゃないか。妙だぜ。くそ、わかった、必要なのは会話だ。何かが、すれ違っているんだ、おれと魔王の間で。
ともすれば痛みでゴチャゴチャになりそうな脳みそを何とか正常に働かせようと、おれはグイドに支えてもらって身体を起こした。そうして無理矢理に、かすれた声を搾り出す。
「クッ……分かんないな……アンタがなんでそんな事言うのか、おれ、……ていうかちょっと、お互い、噛み合ってないと思うんですよね……話が、ちょっと、ちゃんと話を、しましょう…ね?アンタの言い分を、聞きたいんですよ、おれも」
それだけの台詞にもかなりの労力を要して、息切れがした。しかしおれの唯一の武器は、言葉。それしかねえのだ。根性気合いは最も苦手とする分野だが、ここは正念場なのだった。喋らなきゃ、駄目なんだ。
「言い分、だと?そんなものは無い。余計な詮索をするな。抜け、剣を!でなければ我は貴様を殺すのだぞ!」
魔王は苛立っていた。しかし、今の会話で確信が持てた。奴は、おれに殺されたいのだ。詮索して欲しくない、何らかの理由があって。
「悪いけど……脅かしても、無駄だよ……おれは、アンタの自殺の手伝いは、できない」
おれはわざと、自殺という直接的な表現を使った。
「戯言を吐かすな……我は死にたがってなど…、」
魔王の動揺が、声の調子で判った。
「あのさ……とりあえずお互い、体裁ぶるの、やめようよ……疲れちゃうしさ、」
揺さぶり、次は優しく。おれの必殺のテクニックである。話術のだけど。暫く魔王は黙っていた。おれは息を整えて、待つ。ペンネがつまみの残りの薬草をくれた。効くのかこれ?半信半疑で飲み込んだ直後、魔王は重い口を開いた。
「……勇者は、我を殺す為に現れると聞いていた……何故貴様は、それをしない?まずそれを、聞きたい」
オッケー、素直になってきたじゃねえか。
「それ……けっこうややこしい、話なんだけど。アンタを殺したら全ておしまいなんだ。世界が、なくなっちまうんだよ、つまりさ……」
何から説明したものかな?と、おれは一旦言葉を区切る。ところがそこで魔王が、意外な事を口にした。
「知っている。物語が終わるからだろう?全て。それがどうした」
「えっ」
おれは困惑した。ちょっとまて。全て終焉してしまう事を知りながらあえて、物語を完結させようってのか?そのために死のうっての?頭がおかしいのかよおい、ちょっと、
「それが、どうした、って……アンタ知ってるのかよ?知ってて、なんで、」
「物語は、運命だ。それが完結して世界が終焉を迎えるのも、運命ではないか。なぜそれを、恐れる必要がある?我らはそのために作られたのではないか」
魔王の考え方は、玩具としてはいたって正論だ。だけど、生き物としての執念はどこにある?
「いや運命だからってそんな、そんな理由で死ねるの?ウソでしょ?」
信じらんねえ。魔王は、全て知った上で、物語を完結させようとしている。全く理解できなかった。表情や声から何かを読み取ろうと、おれは必死に感覚を研ぎ澄ます。
「そうなるべきものが、そうなるだけの話だ」
頑なだ。おれは高い壁に言葉という鉤爪付きロープを投げ付ける気持ちで。
「アンタ死ぬことに、自分が、消えちまうってことに恐怖は無いのか?怖くねえの?お、おれは、すげえ、怖いんだけど、ていうか普通怖くね?なんで?」
魔王の眼球の金色が、青に変わった。ディープブルー。
「死に対し感情は無い。もとより我らは生きてなどいないからだ」
その言葉を、頭ん中でもう1度、反復してみる。噛み合わないのはそこだ。こいつは、「玩具でありたい」んだ。つまり魔王は、自分自身が生きている事を認めていない。玩具のままでいたいのだ。でも一体なぜ?司教のように、他の道を考える事ができずに物語にしがみついているだけなのか?
いいや、違うな。さっきから魔王の眼球の色は、青、紫、濃紺、と、うねるように変化しているんだけれども。それは何つうか、意地や狂気と言うよりも、おれには……ああもう言ってしまえ。微妙な賭けではあったが、直感を信じるぜおれは。
「いや待ってよ、矛盾してるよアンタ。生きてないんなら、感情なんかないんならさ、なんでそんな、悲しそうにすんの?」
告げた瞬間、魔王が喉をコクリと震わせた気がした。
……ビンゴだなこれ。