第十章 〈錯乱〉
地上に戻り、ペンネ達から詳しい状況を聞いたおれは驚愕した。
事の次第は、こう。
おれ達が塔にいたあの日、通信の小箱はバラキアさんによってほんのひとときの間だけスイッチを切られていた。会話が盗聴されるのを恐れたからだった。だがハデス大司教はそのたった1、2分程度の間、小箱が不通状態になったのを疑問に思い、ひそかに西の塔に密偵を飛ばしていた。密偵が塔に着いた時には、既にバラキアさんとリータ姫は逃避行に出発していて、塔の魔物達もみんな何処かへ散ってしまっていた。ただ1人、門番を除いては。門番は変装をしてないおれ、つまり勇者が窓から逃げるのを見ていた。悪い事に奴は、ガチガチの魔王崇拝主義者だったのだ。
密偵は、塔がもぬけの殻になっていた事実と、門番のチクり情報を持ち帰った。
ハデスはバカではない。それだけ聞いて、勇者が魔物のふりをして暗躍し塔を解散させたのだと見抜いたようだ。怒り狂ったハデス大司教は小箱を通して、
「よくも私を謀ったな勇者!塔の罠を崩壊させおって。私の人生をかけた綿密な計画を全て台なしにしてくれた!あはは、おしまいだよ。もういいよ馬鹿馬鹿しい。今すぐ魔王を復活させる。私は魔王に罰せられるだろう。だがお前らだって無事では済まないぞ!私には分かっている。姑息なお前らに、正面から魔王と戦える力は無いとな!ヒャハハハハァア!」
もう発狂、していた。そもそも気の毒な男だった。筋書きが変わってきているのに、必死に当初の物語にしがみついてしか生きられないのだ。そういう奴だから、塔から順番に張り巡らした壮大な罠の遂行に固執し続けた。そしてそれが失敗した今、全てを失い、自棄になってしまったのだろう。
「で、お前らは何でそんな詳細まで知ってるの?」
というおれの疑問に、ペンネは。
「バラキアさんがね。お礼だってさ」
駆け落ちに発つ前、バラキアさんは部下をアジト谷に送っていた。勇者関連で動きがあったら、おれ達にすぐ知らせるようにと言い含めて。
ああ、バラキアさん……素直に嬉しいよ。
しかし、本当に困った事になった。魔王が復活すれば必ずやおれを殺そうとしてくるだろう。そうなれば、物語通りおれと魔王は対決せざるを得ない。中途をすっ飛ばしたとは言え、おれ対魔王という状況は、これは、この物語の最終局面なのではないか?
いや、そうだよ絶対。どうする、どうする?待て待て、慌てるな考えろ、おれ。
「方法1。何とかしてハデスを止めて魔王を復活させない事。まだ間に合うかもよ」
ペンネが言った。そうなんだ、若ハゲはいつも、冷静にものを考える事が出来る奴なんだった。
「方法2。全てを話して魔王を説得する。クリムト、お前の得意技だろ?」
既に、行動を起こすしかない局面を迎えているのは確かだった。ハデスを止める、それが駄目なら魔王を直接、舌先三寸で丸め込む。
あ、でも。
「魔王の封印されてる場所って、何処よ」
「任せて下さい」
と、グイドが……言った訳じゃなかった。グイドの懐から甲高い声がしたのだ。爬虫類男の胸元から顔を出したその声の主は、ウーパールーパーみたいに小さな、赤いドラゴンだった。
「ジブンが案内します!」
う、おおお、可愛い……どうしたのこの愛らしい生物。
「その子だよ、バラキアさんの部下って」
この男にしては珍しく、僅かに目尻を下げながらペンネが言った。そうか、バラキアさんドラゴン使いだもんな。
高くハスキーな声で、ドラゴンはよく喋った。
「バラキア隊長はジブンにとてもよくしてくれました。その隊長の恩人である貴方のお役に立てれば幸いであります!」
おほほ、ありがとねえ、可愛いねえ。切迫した事態であるにも関わらず、ついつい和んでしまうおれ。しかし、時間は無い。急がなければハデス大司教は魔王を復活させてしまう。いや、もうさせているかもしれないのだ。ああ、やだなあ、もう。
「畜生、じゃあぼちぼち行きますかぁ」
気乗りしないクライマックス。玩具のままのおれだったら、よし行くぞみんなー!なんつってたんだろうよ。でも嫌なモンは嫌だ。おれは駒じゃねえもの。
再び、空。
先導する赤ドラゴン(カワイイ)の後を追いかけるグイド。そのグイドにひっかかるようにぶら下がるおれとペンネ。そんな、少しばかり情けない状態でおれ達は魔王の封印されている場所へと向かった。北の、山岳地帯のど真ん中。火山直下の洞窟だ。ただでさえ危険な場所に魔王まで封印してどうする、とも思うが。
シュールな形で固まった溶岩が入口を装飾している。地面には、塔のエレベーターと同じような図形が描かれていて、そこから乱れた足跡が。この尖った靴……。
「いるよハデス、中に」
イヤそうにペンネが言う。蛇行した足跡はハデスの狂乱具合をよく表していた。
洞窟の中は、がらんとして、見たところは誰もいない。
もし当初の物語が進行していれば、ここは魔物で一杯で、そいつらと戦いながらクライマックス、って事になったのかも知れない。うっわあ、考えただけでも失禁しそうだけど、有り得る話。しかし幸いな事に物語は進行しなかった。だから、魔物は一匹もいない、普通の洞窟である。このままいけば魔王も復活しないで済むはずだったのに。司教め。
そもそも、こんな何の準備も出来てない状態のここで、魔王を復活させようなど、それはもうハデス自身が物語を逸脱している。つまりは、これは奴の暴走、狂気。それって、心があるって証拠じゃねえか。馬鹿だよ奴は。物語などに執着しねえで遊んでりゃよかったのに。
細い、暗い穴の道。ハデス大司教の足跡を頼りに、おれたちはどんどん地下へと潜っていく。遠いし、歩きづらい。面倒臭い通路である。なんだってこんな、狭っ苦しい穴の奥で復活なんかするんだよ魔王。もっとアクセスのいいとこでしてほしいよ、もう。
「でも僕は地下は落ち着くから好きだぜ。胎内みたいな感じで、なんか、いいよ」
ペンネがそう呟いた。あ〜、その気持ちは、少し解るかも。おれがそう言おうとした瞬間、奥の方から何か、音が。
「……しますよ…ねが……」
んんっ?これ司教の声なんじゃねえの?
「もう復活させちまったんだろうか」
ちょ、やだネガティヴ思考やめようぜグイド。まだわかんねえじゃん。おれ達は焦って駆け出した。
「お願いします……どうか……魔王様…」
時折裏返るハデスの声が、近づいてくる。
突然、視界がひらけた。部屋だ、溶岩を削った大きな部屋。一番奥に祭壇が設えてあって、
「魔王様、どうか目覚めて下さい!お願いします!お願いします!」
髪を振り乱したハデスが、早口に叫んでいる。それも尋常でないが、もっと異様だったのはその、ハデスの頭上に浮かんだ、巨大な赤い玉。
絶句……。
言葉が出ねえ。玉の中には巨大な、何だろう?あれ生き物なの?形容できない。魔王としか言いようの無い、肉の塊が入っていて。……おれも叫びたかった。
ふざけんな創造主!玩具のつもりだったとは言え、お、おれをあんなモンと戦わせようとしてたのか!?鬼かお前ら!……と。
「魔王様魔王様魔王様!アーメドクラシボ、ロスポンペ!アーメドクラシボ、ロスポン、もういいや!魔王様あああ!」
しまった。おれたちが茫然としていた間に、叫びの絶頂に到ったらしきハデスは、あろう事か、魔王の玉に飛び付こうとし始めた。一瞬、玉が妖しく煌めいたような気がして、やべえ、おれは急いで駆け寄った。
「スト〜ップ!待った!待ってください!ちょ、ちょちょちょまあまあまあ……」
ハデス大司教が、きっ、と振り返り、イカレたまなざしをおれに突き刺す。
「貴様、勇者!来おったな……よ、よくも、よくも、畜生、お前絶対に……」
すげえ怒ってる。だがこっちも必死、先手必勝だ。おれは、凄まじい勢いでがばっ、と振りかぶり、
「ごめんなさい」
土下座した。
その場の空気が、しん。と静まり返った。おれは顔を上げない。ハデスの震える声が頭上から降り注ぐ。
「そ……貴様、そんな事で許されると思うのか?ひ、人を馬鹿にしおって……貴様はこの私の人生を、台なしにしたんだぞ」
「その通りです。おれはアンタが必死こいて仕掛けた罠を1つもまともに勝負しねえで台なしにしました。本当スイマセンでしたっ!」
正直、そうだった。物語に操られた行為ではあるが、ハデスが勇者のために真剣に罠を管理していたのは確かなのだ。それをこんな形で台なしにされりゃ、腹が立つのも無理ねえよ。ハデスだって、ただの玩具じゃねえんだからさ。でも、そんなんで、頭おかしくなっちまって、挙げ句の果てに世界ごと消されちまうとか、そんなつまんねーことないだろ?何と言うか、おれはさ、せっかく生まれて来たんだから楽しくやりゃあイイと思うのだ。それだけだよ。
「アンタの今までやってきた事を無駄にしたのは本当に、悪かったよ。だけど司教、アンタ魔王を復活させたら、おれの抹殺に失敗した事を咎められて罰せられるんだろう?馬鹿馬鹿しいよ、そんなの。そんなんで死んだらどうすんの?酒も呑めなくなるんだぜ?やめなよ、勿体ねえよ、そんなのつまんねえよ、」
「……黙れ、畜生……お前に何が解るんだ……私は…わ、私は……」
そこでグイドとペンネが司教の両腕をしっかりと押さえ込んだ。でも、その必要があったのかどうか。司教はガクリと崩折れ、肩を震わせた。
「何にも、無くなってしまったんだ、私には。組織を統制して罠を管理できない私なんか、無意味でしかない。だ、だって、それを遂行する事だけが私の存在意義だと、……私は、抜け殻だ……」
それをじっ、と見ていたグイドがおもむろに、おれの背負った袋に手を突っ込み、杯を取り出した。ペンネが頷いて、そこに焼酎を注ぐ。梅干しをひとつ、ぽとり。
「もとボス、司教。どうぞ」
そう言ってグイドが恭しく差し出した杯を、ハデスは受け取り、ひとくち。
「あ、美味い……」
「でしょ?飲みやすいでしょペンネの焼酎」
言いながらおれは漸く、土下座の姿勢を崩した。ハデスが弱々しい手つきで焼酎を飲み干すのを凝視してんのも気まずいので、おれは喋る。
「あのさ、司教。そんな深刻になる事ないよ。おれ腕力ねえし阿呆だけど、酒が美味いから毎日楽しいよ。アンタわりと恰好いいんだから、女の子にもモテるだろうし、これから何でもできると思うよ。才能あるんだから会社起こすとかも、ぜんぜんいけると思うしさ、」
「うん。長所という長所があんまり無いクリムトですら、こんなにヘラヘラ生きてられるんだしね」
ペンネが口を挟んだ。いや、それはお前……酷いよ。笑い事じゃないよ。
「やれるだろうか。私は」
不安げではあったが、ハデスの目はもう、狂気的ではなかった。
何とかなるものだよ、何とかなるさ、彼も。