第二話 過去の事件
第二話 過去の事件
宗司が通う学園は中等部と高等部が同じ校舎で、渡り廊下を通じて行き来することができる。その学園は創立以来、学年が違えど部活動や授業などを共にすることで社会での交流に生かすことを目的としていた。
その分だけ年齢別の交流を深め先輩後輩、友人などを作りやすい環境だと言って良い。しかし、一年遅れで小等部へ入学した経験が宗司から友達というものから遠ざけていた。
原因は義務教育という枷、一年もの勉学の遅れを取り戻すため学園の計らいで宗司は一人で勉強する環境が整えられた。もちろん、それだけだと友人はおろか同年代との交流が疎かになると転校生のような扱いでクラスにも入れられた。
ところが、いざクラスに入ってみるとすでに一年の間に友人関係を築いていた同年代のクラスメイトは、グループを成型していた。
それでも子供が作るグループは宗司を受け入れてくれる柔軟さがある。教師も、親も、クラスメイトも、宗司でさえそれは疑わなかった。
問題だったのは授業に付いていけないことで、グループ関係に入り込む隙がなかった事だ。授業が終われば別室に連れて行かれ少ない時間で一年生の授業を一人遅れて始める。それが毎日続けばクラスメイトの目は次第に宗司の存在を倦厭し始めた。
ちゃんと授業にはいる。
でも、声を掛ける隙がない、声を掛けられる隙がない。
そんな宗司に話しかけてはいけない、もしくは話をするのが嫌なのだとクラスメイト達は勘違いしていった。
すると、そんな空気に幼かった宗司は壁を作らざるを得なかった。
教師はそんな宗司を無口な子なんだと納得し、親はその姿を授業という囲いの中では見つけることができない。
そして、幸か不幸か年子の緒季が一つ下の学年にいた。まだ仲が良かった頃の緒季は一人授業をする宗司の様子を見に何度も空き教室へと通う。すると、宗司は学園で緒季と話すことで学園そのものが嫌いになることはなかった。
それが本来SOSを出す子供の異変にストップをかけた。
小等部の授業にも付いていけるようになった頃には、休み時間になれば緒季と会うことが当たり前になった。だが、それも年を重ねるごとに少なくなり、一つとは言え宗司のクラスの事まで把握できるわけがない緒季も、その異変に気付くことはない。すると、最終的に休み時間は一人でいることが当然だと宗司は認識し始める。
そんな友達ゼロのまま過ごし続けた小等部が終わり、宗司にも転機が訪れる。
小等部から中等部へ上がったことで、初対面の顔が増えた。それは宗司の事を知らないからこそ受け入れられる存在達だった。
何気なく話をされれば、元々コミュニケーション能力が低かったわけでもない宗司は自然と輪の中へと入っていけた。それと同時、小等部の面々も話すことで誤解が解け始める。
それから一年、当たり前だと思っていた一人の時間が無くなり緒季も中等部へと上がると、さらに輪は広がった。
「あ、宗にぃじゃーん!」
「こら、学園では先輩だろ、雛」
初めての後輩であり緒季の親友の命と雛乃だ。二人は緒季を通じて家に遊びに来たりと面識がある。だから、部活に所属していなかった宗司の数少ない後輩と言って良い。
「おう、って雛乃風紀委員に入ったのか?」
「違うよお兄ちゃん、入ったのは命」
「ってこら、なに勝手に人の腕章をつけてるんだ! ほんといつの間に……」
「だって一度は付けたいじゃーん!」
家でもよく見る光景に宗司も気を許した様子で冗談を言う。
「確かに雛乃より命の方が合ってるだろうな。雛乃じゃ風紀が乱れる」
「なんだとっー!」
そんな何のわだかまりのない四人……正確には宗司一人の学園での立場が――ある事件で崩壊する。
平凡な日常をその日も過ごしていた授業中、教室の扉がノックもなく勢いよく開かれた。
そこには何か焦った様子で学年主任を呼びに来る教師の姿だった。生徒に聞かれまいとひそひそと話される会話の後二人の教師が出ていくと、興味をそそられた男子生徒の一人が茶化しながら自分の席を立つ。そして仲が良いグループに「見に行こう」とそそのかした。
そしてグループの中に宗司もいた。特別真面目でも不真面目でもない宗司は後で怒られる程度の認識で、委員長の女子の制止を振り切り事件が起きている現場へと野次馬をしに行った。
気付かれないように教師の後を付けていくと、渡り廊下を通り抜け高等部の校舎へと侵入する。近づきすぎないように身を隠しながら教師が駆け付けたその場所で争いは起きていた。
宗司の側で先頭を切った男子生徒が「喧嘩だ喧嘩!」と状況を説明し、滅多にない光景に興奮しながらそう言うと、付いてきた他の生徒も覗き見ようと壁越しに集まる。
着いてきた以上宗司もその光景見たさに移動してポジションを確保した。
そこには高等部、中等部でも上の立場にいる教師が集合し、おまけに体育教師までいるようだ。
喧嘩だと分かる光景に、高等部の制服を着用し風紀委員の腕章を付けた男子が一人鼻血を出しながら横たわっている。その周りには高等部の風紀委員が数名看護に回り、さらにそれを見下ろす形で、数名のよその学園の制服を着た、いわゆる不良と称される面々がメンチやら怒号を発しながら集合していた。
「うわー、なんでこんなことになってんだ?」
学園の教育思念を除けば、普通と言えるこの学園にドラマのような不良が乗り込んでくるシーンが想像できなかった宗司は、原因がなんなのか疑問が浮かびそう口にした。
それは他の男子も同じだったようで。思考することに集中したせいで後ろの警戒が疎かになった。
そこに、
「何をしているんですか?」
風紀委員の腕章を付けた命が怖い顔をしながら立っていた。
「あ、いや」
宗司が言い訳をする暇もなく、
「自分たちの教室へ戻ってください」
そう命令された。
だが、命の他にそこにいる風紀委員の生徒達の制服のリボンから後輩だと分かった途端主導者の男子が言い返す。
「お前だってここに来てるだろ!」
宗司はその男子が腕章に気が付いていないことに、制止を掛けようとするが遅かった。
「この腕章が目に入りませんか? 私達は貴方達のような人が来ないよう渡り廊下を見張るよう先生方に頼まれたんです」
そう言われればぐぅの根も出なくなった。
元々興味本意で覗きに来ただけだ。起きている事柄に深入りするつもりもなかった宗司も他の男子も引き上げる事にそれ以上抵抗はしなかった。
とりわけ顔見知りで妹の友達となれば面倒事を増やすのは申し訳ないと思った宗司は、引き上げる途中命に聴こえる様「ちぇっ」と愚痴を零した男子には見えないよう、片手で「(すまん)」と謝っておく。
そんな宗司の姿に呆れた様子で「(見なかったことにします、行ってください)」と命は目で合図を送り、同じ風紀委員の子達に口止めをしてくれていたのを確認した。
後でもう一度友人たちの分までお礼と謝罪をしないといけない、そう後の事を考え中等部の校舎に足を掛けた――時だった。
「おうっ、ここにも風紀委員がいるぞぉお!」
ガラの悪い口調で高等部の中にいた不良と同じ制服を着た男たちが命たち風紀委員を取り囲んで、校舎の中にいる仲間に対して呼びかけをしていた。
「なっ!?」
宗司は外にいる十数名の人数に驚きの声を上げる。危機感が心臓を締め付け自分がやらなければいけないことが脳裏に集約された。
命は剣道をやっているのは知っている。もしかしたら今いる人数にも命なら勝てる可能性はあった――その手に竹刀が持たされていれば。
「っち」
おそらく急な召集で忘れてきた。
その瞬間、宗司は渡り廊下に飛び出た。それと同時、思考が『護る』の一点に集約される。
他の男子は巻き込まないよう、後ろ手で中等部のドアガラスを閉めた。
「なんなんだお前ら!」
そう言葉を発した瞬間、宗司の思惑通り不良の視線が集まる。不良は自分達が嫌いな正当な理由を感じ取ったのか、敵対心剥き出しだった。その中の一人、鼻にピアスをつけた男が代表するかのように言葉無く宗司に近づいてくる。
「宗司さんっ!」
普段学園では呼ばない呼び方で命が余裕もなく叫んだ。緊張感の中では余計なことに気を回せなかったようだ。それでも命は宗司が何をしようとしているのか読み取った。
「ダメです」
弱めに発せられるそれは、宗司を止めることはできないとも感じている。でも命は言わなければいけなかった。
そのおかげで宗司は争いが起こることを覚悟した。生真面目で真っ直ぐな命はどこまでも風紀委員が似合う、そう思うと思わず笑顔になれる感情が妹の大切な友達を護らせようとしたのだ。
逃げる事は出来ない。不良の人数は二〇人余り、囮役に買って出たところで何人の不良が後を着いて来てくれるか分からないからだ。
ピアスの男はニヤニヤとそんな二人のやり取りをバカにしたように一言。
「風紀委員はそりゃ綺麗な声で鳴くんだろうな」
不良の輪の中で笑いが起こる。
それが合図となった。
宗司は拳を握りしめた瞬間に殴りかかる。
だが、素直に目の前のピアスの男には目もくれず、別の近い不良へと腕を伸ばした。ピアスの男の挑発で気を抜いていたところへの一発は、体格が出来上がりつつある宗司の拳に耐えられず卒倒を避けられない。
それだけで不良の一人が減った。
「ッ――てめぇっっっ!」
そこからは乱闘だった。
宗司一人に次から次へと不良の塊が襲い掛かってくる。初めから宗司はこの展開に誘い込むために不良の言葉なんて耳に入れる気はなかった。だから、何を言われようと怒りに支配されるわけがない。
宗司はどこから殴られようと一人ずつ冷静に沈めていく。それこそ冷静に殴られることも考慮にいれて。ただし、いくら体が出来上がりつつある宗司でも高校生の体格に勝てる道理はない。それも相手は一人二人の話じゃないのだ。
ところが、この時宗司の脳裏には、過去の事故で自分の身に起きている他人と違う性質に賭けていた。
あの事故は間違いなく普通の人間なら代償を払う。しかし宗司は脅威の回復力を持って一年という少ない年月で後遺症も残さず生き残った。それ以来宗司の体は小さな怪我なら気付けば勝手に治っており、多少大きな怪我でも一日もあれば治る。
だから何度殴られようと飛びそうになる意識は瞬時に回復した。
だから勝利を確信して、
「うぉおおおおおおおおおおおっっっ!」
無我夢中で叫んだ。
そして――、気付いていた時には全ての不良が渡り廊下に埋め尽くされていた。
不良の数が半分になると、そこから高等部にいた残りの不良が異常事態に争いに加わったのを覚えている。
決着が付くころには教師が地獄絵図に騒然としたのを覚えている。
大きくなった騒ぎに生徒たちが窓中の窓から身を乗り出しながら眺めていたのを覚えている。
自分の無力さに表情を噛みしめている命を覚えている。
窓から事態を見ていた雛乃を覚えている。
その横で、恐怖なのか、絶望なのか、泣きそうな表情で惨劇を眺めていた緒季が駆け出してきた。
渡り廊下までやってきた緒季は、誰の血液が付いているのか分からなくなっている赤く染まった宗司の姿に、この日から始まる現在となっては懐かしい呼びかけをした。
「お兄ちゃん……」
返事はできなかった。
「宗司……俺は神木宗司だ」
意識がある不良に自分だけを狙わせるために名乗ったその名は、学園中の生徒、そしてその後の新入生にまで知れ渡ることになる。
そして――、
この日、宗司は再び一人になることを受け入れた。
△△△△△
あの日、風紀委員は命一人を残して全ての生徒が辞めた。風紀委員の腕章を付けた一人の女子生徒が不良に因縁を付けられてあの事態が起こったのだと後日分かり、学園側が措置を取ったのだ。
しかし、命だけはその職を捨てなかった。そんな意思を尊重し命の身内が学園の説得を振り切る形でたった一つの腕章は今でも使われている。ただし、生徒である命の危険を見逃す出来ない学園側は、風紀委員の仕事を朝の校門立ちと、腕章は学園外に持ち出すことを禁止することを条件づけた。
それは命が高等部へ上がっても破られていなかった。
「もう何もできないなんて嫌だ!」
雛乃が不良たちの集団を見かけるまでは――。
命が学園の外へ駆け出した頃、いち早く宗司は不良の集団と出くわしていた。
「久しぶりだなぁ、宗司ぃいいい」
相変わらずの鼻ピアスをつけた男は、あの時よりも大勢の仲間を引き連れていた。
社会人になってもまだそんなことをやっているのかと、宗司はついさっき自称神と名乗る少女との会話で生まれた怒りも忘れ溜息を吐いた。
そんな態度が気に食わないのか鼻ピアスが連れてきた男の一人が宗司に近づいてくる。
その男を眼中にも入れず、
「お互いに成長が止まったままなんだな」
「がっ――」
そう宗司が言った時には、近づいてきた男は住宅を囲む壁に顔面を押し付けられ戦線を離脱した。
「へっへへへへへ、相変わらず手を出すのが早いなぁ(はひゃいなぁ)」
気味の悪い笑いで舌が回らない鼻ピアスに異変を感じる。普通の生活では関わらない事に手を染めたのなら、宗司は気にしなかった。だが、鼻ピアスの周りの連中も宗司と似たような反応をしているから余計に違和感は色めきだった。
「お、おいお前」
宗司の心が不安でざわめいた。
今まで感じた事のなかった恐怖が全身を襲ってくる。
「へへ、えへへへへへへへ」
「っ!?」
鼻ピアスに近かった男が殴られ、異変が明確に姿を現す。
「なにしてんだっ!」
「へ?」
何が? と言わんばかりの表情に、
「(壊れてる……?)」
そう感じた時には宗司の目前に鼻ピアスがいた。
「なっ!?」
とっさに顔面を守るために上げられた腕に衝撃が来た。
「いづっ――」
腕の痛みで宗司は異変に続きがあり、さらに恐怖を感じた意味を理解した。昨夜の喧嘩で行われた回復が、異常に遅い。今までは殴られた痛みなんて瞬時に消えていた。
おそらく、目の前の鼻ピアスが特別な何かが起きている。
「ちっ、本気でやるしかないか」
上着を脱ぎ捨て戦闘態勢に入った。
その戦闘開始寸前、鼻ピアスの周りはその異常な光景に参戦できないでいた。味方であるはずの鼻ピアスが仲間の一人に手を出した途端、何が起きているのか訳が分からなくなったのだ。
鼻ピアスは宗司には無いものを持っている。だからこそ、住宅町の路地を埋め尽くす数の人間が集まっていた。だが、その仲間意識がたった一発の拳で疑問を植え付けた。
だが、鼻ピアスの明らかな異変に気が付いているその他大勢の男たちは逃げたり見限ったりもしない。鼻ピアスと共に行動してきた男たちは、鼻ピアスが病気や、もちろん手を出してはいけない部分を守っていることも知っている。
ただその事実を知っていても、味方である鼻ピアスと喧嘩をすればいいのか、様子がおかしい鼻ピアスを止めるべきなのか、仲間だからこそ決断ができないでいた。
そして、宗司はそんな歪んだ友人の形に共感を覚えてしまう。一つ違えば宗司はあのグループの中にいてもおかしくはなかった。だからこそ、その他大勢の男たちと同様なにが起きているのか理解できないとしても、道筋を作る。
「おいっ、お前らあいつの狙いは俺だろ! 言動がおかしくなっている今、犠牲を増やさないためにここから消えろ!」
恨みのある敵の言葉に気持ちが揺らいでもやはり決断はできない。
しかし、
「くそっ、この馬鹿に(・・・・・)仲間殴らせたいのかっ!」
男たちの決断をさせる言葉が混ざった。
「だぁっ、わけがわかんね! けど一旦ここから消えるぞ! 篝さんの様子がおかしいっ、そっちの理由を調べるのが先決だ!」
おそらく篝と言う名の鼻ピアスの次にこの大勢の指揮を執る男だったのだろう。方便を混ぜながら事態を飲み込めない連中をいっぺんにこの場から遠ざける為にそう叫んだ。
これ以上篝が仲間を殴ればグループは崩壊へ辿る。そう見込んでこの場は敵を目前に引き返すことを選んだのだ。
宗司はいなくなっていく男たちから意識を外して、目の前の異常な人間に集中していく。今度こそ喧嘩、あるいは何かが始まるはずだからだ。
ところが、
「だがな神木っ、篝さんを救うのは俺だ! 篝さんがおかしくなったとしても、あれは篝さんだ。敵のてめぇに手出しはさせねぇからな!」
「はぁああっ!?」
指揮をとった男が一人残って出した提案に、共感できない発言に宗司は呆れて声が漏れる。
それは当然だった。
おかしな篝は宗司を、宗司は敵として篝を、篝を味方として指揮を執った男が篝を狙う。奇妙過ぎる三角関係にどういう行動を取ればいいのか脳が計算できないでいる。
「頭おかしいのかお前もっ、邪魔なだけだ!」
「うるせぇっ、てめぇに二度もやられるわけにはいかねぇんだよ! それにお前にお前呼ばわりされる筋合いはねぇええええ!」
宗司に唇がつり上がり、ピクピクと痙攣する。思わず昔の自分の方が大人だったと確認して怒りを爆発させた。
「状況を弁えろ! 鼻ピアスからすればお前も敵なんだよ!」
ギリッと歯を食いしばる男の姿を見て余計に火が付いたのを宗司は感じる。
「尚更俺が救うべきだ!」
誇りでも感じる眼差しに怒りが死んだ、というより呆れきった。
「アホだな、お前」
過去、宗司が誰かに選択させなかった道ができていることに、自分が正しかったと思うと同時に憧れからでた静かな言葉だった。
宗司は誰かに重荷を背負わせたことなどない。背負わせてしまえば相手が苦労するのをあの時から知っていたからだ。
「はっ、くだらね」
浮き彫りになった感情に、今度は自分自身に呆れてため息が出た。仮に背負ってくれる誰かが現れたとしても、それをどうするか、間違いなく宗司は潰しにかかる。
その奥に潜む事実を疑いたくない為に。
「おいこらっ、何ぼけっと突っ立ってんだ!」
何もしてこなかった行動に今更になって変える気もない。
そう思えば、今回も変わりはないはずだった。
「うるせぇな、カス」
「誰がカスだ! 俺には粕田ってちゃんとした名前が――」
「紛らわしいんだよッ!」
今まで通り目の前の敵を倒せば――
「あっひゃああああああああ」
「「なっ!?」」
いつも通りの日常に戻るはず――ズシャンッッッ――だった。
篝が家の塀を拳で破壊した瞬間、宗司と粕田はお互いに目を合わせた。
「お前、そこの塀を拳で破壊してみろ」
「でぇきわけねぇだろ」
宗司が、だよな、と呟いた。
「つまり、イカれた鼻ピアスに殴られれば死ぬぞ」
「んぐ」
粕田が息を飲み尻込みしたのが分かる。宗司でさえ自分の持つ回復力でどうにかなるのか甚だ疑問でしょうがない。
宗司が恐怖を感じないのはおそらく……。
「おおおしやるぞー、か神木、俺サポートでいい?」
どんな形であれ一人じゃないからだ。
「ああ、任せる」
初めて背中に誰かがいる状態での喧嘩が始まった。
「あは、あ゛あばばばばばばばばあああああああああああっっっっ!!!」
先制は篝の雄叫びから始まる。
「くっ」
「ひっ」
振動が痺れとなって宗司と粕田を襲い、耐える事ですら大変な中片目を瞑る宗司の視界で篝が四つん這いの姿勢を取った。獣のような姿勢の後に全身の毛が逆立ち血管が浮き彫りになる姿に、次の行動が予想された。
「やばい、俺から離れろ!」
狙いが定まらない相手に、粕田を心配し視線を横に動かした刹那。
粕田の姿が消えた。
「え?」
何が起きたのか恐怖の色を隠せない粕田の顔を見て、初めて宗司は自分が殴られ吹き飛ばされている事を知った。
「がはっ!」
固いブロック塀に背中を強打し肺の酸素が外に吐き出された。
喧嘩と表現するには生ぬるい衝撃が、背中全体に広がっていき次第に熱を帯びる。体など動くわけがなかった。
「(回復は……?)」
体質に頼りながら喧嘩を行ってきた宗司は、すぐに起きるはずの体調の変化に意識が行く。背中の痛みはまだ消えないが、徐々にむず痒い感覚に回復は正常に行われているようだ。
安堵と共に敵の姿を探すと、
「えへ、えはぶべばがばばばば」
見た目も言動も人間を一脱した篝の姿に粕田は何もできないまま尻餅をついていた。
粕田の動きに反応し、蛇のような睨みで化物へと化した篝が得物を捕縛する。もう誰かれ構わず近くで動いた奴を狩る姿は化物そのものだ。目の前の宗司を後回しに昆虫のように両手両足を左右交互に動く姿は不気味でしかない。
「あっ、あいやだいやだくるなぁあああ!」
絞り出した悲鳴は元の篝に届くことはない。カサカサッと地を這う姿を追いながら宗司は目の前で蜘蛛が餌を捕食する姿を思い描いた。
宗司の体はまだ微々たる動きしか見せない。もう少し回復してくれれば足の一歩でも動かせただろうが、どのみち粕田との距離は間に合わない。
「やめろっぉおおおおおおおおおおお!」
宗司の叫びも空しく粕田と化け物と化した篝の距離は詰められた。
「か、篝さん……」
ドクンッ!
心臓が跳ね上がる。
恐怖でも、期待に溢れる感情でもない。
化物が雄叫びを上げた瞬間、
「【うごくなぁあああああああああああああああああああああああっっっ!】」
いつか神が通行人と警官に掛けた力が宗司の言葉に宿った。
ぎゅるん、と粕田の目がひっくり返り白目を剥いたと思うとそのまま気を失う。
「はぁ、はぁ、はぁ」
化物が粕田の存在を忘れたように、その力の発信源を見つけ、ニターと涎を垂らしながら宗司を捉えた。
「そうだ、来いっ! 俺が相手だ!」
言葉の意味を理解したわけでもなく、化け物が最高だと思う獲物目がけて高速で移動し始めた。
宗司に抵抗の色はない。
人ひとりを助けられる可能性を残して諦めた。どうあがいても化物相手に動けない状態で敵うとは思えなかった。
だから、せめて最後まで恐怖を抱かないよう宗司は目を瞑る。
ただ一つの願いを口にして。
「頼む。雛を……、命を……、緒季を……、」
家に居る家族を、過去に友達だった皆を、
「傷つけないでくれ」
自分が代わりになるからと願いを込めた。
だがその願いは叶えられない。
なぜなら、
『そうしたいのなら宗司、あんたがなんとかするしかないのよ』
神がそう言ったからだ。
固いアスファルトの隙間に生えていた雑草が宗司の目の前で肥大化し覆っていく。すると、化け物の体に纏わりつき一時の動きを封じた。
「……エル?」
『まさか悪魔に操られた奴が現れるなんて想定外。なによりこの町にすでに悪魔が住み着いているなんて、誰が想像する?』
頭に直接話しかけられるエルの声に、少しだけ疑問が解けた。
「篝は悪魔に操られているのか?」
『ええ。土地が不安定でどこで人間の争いが起きてもおかしくなかったけど、悪魔がすでにいるとも、契約もしないで悪魔に接触した人間がいるとは思わないもの、私が行かなかったのもしょうがないわよね』
「御託はいい。俺はどうすればいい?」
『あら珍しく素直。それに私に頼らないのね』
「頼ってくるくらいならすでに来ているはずだろ」
『良い子ね。じゃあ、説明は後にしてあげるからその化物をぶん殴りなさい』
それだけ、と思わなくもない。
『あんたがそこで気絶している人間に使った力は神の世界の物よ。あなたにはその力が目覚めかけている。だから雑魚相手ぐらいにならただ殴れば倒せるのよ』
だが、その回答で大半のことは省略する。
「相手は元に戻れるんだろうな」
『こんな時に他人の心配、あんたバカじゃないの? だいたい神様の言うことが信じられないわけ?』
こんな時に神頼みかよ、と宗司は鼻で笑った。
「神様ね」
『そうよ、神候補』
諦める必要が無いなら宗司は体がどれくらい回復したのかを確認する。肩を回し、背中の痛みを少し抱えながらも、喧嘩ができないと言うほどでもない体に鞭を打つ。
「二回戦だ」
『相手の動きを止めるから仕留めなさい』
二人目のサポートは初めての化物相手に心強い。
「ぶばがっばばばーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっ!」
囲っていた雑草の壁が食いちぎられ、出てきた顔目がけていきなり宗司の拳が先制を加える。
「いでぇなっ!」
だがそう簡単にはいかず大きく開けた口で拳を受け止められた。左手で返すのを離れたことで避けられ、絶好のチャンスを逃す。
『少しはこっちにも気を遣いなさいよっ! こっちはアンタの姿ぐらいしか透視できないんだからね!』
「十分すぎる能力だろっ、神様よ」
皮肉たっぷりの後、両手両足を使って化け物が飛んだ。
「今度は上だぞ」
『うっるさいわね、一撃で仕留めなさいよ』
跳んだ化物の足に雑草の蔓が絡み掴んだ。
動きの拘束を嫌がり暴れまわる化け物は体を曲げ、蔓をかみ切ろうとする。それを今度は両手を拘束することで阻止した。
そのまま大の字で真っ直ぐ落ちてくる敵に宗司は右肩を押さえながら拳を振りかぶる。
「手加減はしねえ。その代り貸し借りはナシだ」
落下と力いっぱい振り上げられる拳が合わさり、拳は篝の頬を全力で貫いた。
顔面が衝撃に形を変え骨格がズレテいく。そのまま人身事故が起きたように化物の体は一回転した。
それで殴られた拍子に篝の体表は人間の血管、体毛になっている。……同じく痛みも人間に戻るだろうが、言った通り貸し借りはナシ。宗司は一切の責任を放棄している。
『終わったわね。それじゃあ、説明の続きをしてあげるから神社に来なさい』
今度は頭に響く声を無視して放り投げた上着を手に取り着込んだ。
『ちょ、ちょっと』
何度も言うように宗司は一切の責任を放棄している。
「学園に行くに決まってるだろ。早く家を出た分まだぎりぎり間に合うんだよ」
それだけ言い残し、不良でも真面目でもない宗司は当たり前の行動に戻っていこうとする。
『ふ、ふざけんなぁああああああああああああああああああああっっっ!』
宗司の脳内でエル叫びが木霊していたが、逃げたもん勝ちだと元の生活に戻るため一切の反応をしないままだった。
ところが宗司の裏切りの行動に反して、まだ巻き込まれる要素が残っていた。
学園を一人駆け出し、竹刀を持った命が化け物と戦う宗司の姿を見てしまっていたのだ。
「なにが……」
その異常な光景は命に疑問だけを植え付けた。
目の前で起きた事はもちろん、そのきっかけを生み出した中等部時代の事件、崩れた先輩後輩関係、宗司の友好関係、そして兄妹の仲、全てが繋がっているのかもしれないと友人を思う気持ちが命に余計強く思わせた。
「神様…………?」
宗司が争いの中漏らした唯一のヒント。
家が神社ということもあって命に強く印象づける。
そこに、
「うぅ……」
宗司が見せた神の業によって気を失っていた粕田が目を覚ました。
学園の敵であり、自分の周りを危険にさらした人間の一部に本来なら近づくことすら遠ざけるべきだった。
だが、命は関わることを選んだ。
「あなたこの状況を説明して!」
粕田は突然向けられる少女の顔に戸惑いを見せた。しかし、目を覚まし徐々に思い出される出来事に命を無視して立ち上がると、近くで倒れている篝を見つけると歩み寄った。
「か、篝さん!」
声を掛けても反応はない。粕田は知らないが、空中で回転するほどの拳を受けてすぐには目を覚まさないだろう。頬に誰かの拳の痕がつけられているが、その犯人は予想が付いている。一緒にいたはずの宗司がいなければ自然なことだ。
粕田はとりあえず化物の姿をしていない篝に安心してその場で腰を落とした。
ようやく命の存在を思い出した粕田は一言だけ言う。
「俺にも分からねぇよ。聴きたいなら神木にでも訊けっての」
「そんなことっ……」
言われなくともわかっている。そうはできないから問題が起きる可能性を生み出してでも目の前の男に訊いているのだ。
それ以上の質問ができない命はただ俯くことしかできない。そんな姿に同情したわけでもなく、粕田自身まだ混乱しているからこそ紛らわそうと尋ねてきた。
「あんたあんときの中坊だよな?」
その言葉に命は怒りで歯をギシリと鳴らす。
「はっ、そんな顔されてもなぁ。最初に喧嘩を吹っかけてきたのはそっちだぜ。あの女風紀委員が俺たちの仲間に言いがかりをつけてくるからよぉ」
「ふざけるなっ! お前たちが何かしでかしたから学園外であってもその子は立ち向かったんだ!」
「はぁ?」
そこまで言われれば粕田も怒りを露わにする。
「何かってなんだぁ、ぁあっ? 俺たちは歩いていただけだっ、それなのにいきなり喧嘩ふっかけてきたのはそっちだろうがっ!」
元不良のごろつきの言葉なんて命は信用しない。同じく、自分たちが正義だと断言する粕田も引く気は無いようで平行線のまま、沈黙の場へと移る。
そんな年下の女一人に口喧嘩したところで得るものはないと、舌打ちをしたのち粕田は手で追い払う仕草をする。
「消えな、あんたなんかと喧嘩する気なんてねぇ」
それは命も同じだった。学園の規則を曲げ外に腕章を持ち出した挙句に予想された事件が起きなかったことに、自ら問題を作るわけにもいかない。
何一つ起きた事が分からない現場を立ち去ることに納得はできないとしても、命は帰るしかなかった。
命は背を向けて学園へと引き返そうとした時だった。
「ああ、そうだ。神木に伝えとけ」
伝える事はまずないと思いつつも足を止めた命は振り返る。
「今回の事に関しては礼を言う。俺は何もできなかった。ただ、篝さんを殴った分はきっちり礼をしに行くからな」
命は返事を返さず粕田の言葉にわだかまりを残して再び歩き出した。
何もできない。
その言葉に自分も当てはまる。
あの時もただ見ているだけ、そして今回も影に潜み見ている事しかできなかった。それが悪い事なのかも正しい事なのかも分からず、過去では宗司を責めた。
今回もあの時と変わらない。それなのに男が残した言葉にはお礼が含まれていた。何かを成し遂げていた。
「またなのか……」
あれから何も見つけ出すことのできない答えに少しでも助けが欲しいと思う。命と宗司は所詮ただの他人。だからせめて緒季と宗司の原因ぐらい取り除いてやれないものかと。
「はは、無理に決まっているか」
命は自嘲で自らを笑った。
緒季はその原因を教えてはくれなかったが、少なからず命が風紀委員にいることが原因している。例え命と宗司が元の先輩後輩に戻ったとしても、そっちの問題は解決の糸口には繋がらない。
「何もできないままだな、私は……」
それでも命は誰かの為になるため、考える事だけはやめなかった。
授業が始まるぎりぎりに学園へ帰ってきた命は雛乃と教師に迎えられた。
何事もないことを祈って校門で待っていたのだろう、命の姿を見つけた雛乃は走って近づいて来て、教師は力が抜けたように柱に寄しかかる。
「大丈夫っ、みこちゃんっ!」
事情は説明しないといけないと校門まで歩いた命は落ち込んだ表情では勘違いが生まれると思い、いつも通りの仕草で事の顛末を全て隠した。その代り雛乃の勘違いだったと伝えた。
「ええっ!? でも確かにいっぱいいたのに……」
それに納得がいかないようだった雛乃だったが、教師の方は安堵と共に命の方を聞き入れた。事実何も起きていないし、真面目な命を信じる方が何かと都合がよかったのだろう。
雛乃に悪いと思いもした命だったが、話した事情に後押しをする術もある。
「雛、そもそも通学路が逆だぞ。なんであっちから来てるんだ?」
「えっ!? あははは、朝は苦手で」
どうやったら寝ぼけて通学路を間違えて登校できるのか疑問ではあったが、強ちありえそうで、この場を切り上げる為にもいつもの風紀委員に戻る。
「なら朝普通に起きられるように私が指導してやる。教室に行くぞ」
「ええっ、みこちゃんそんな殺生なぁあっ」
「うるさいぞ」
「きゃぁああああ助けてせんせぇええええええええい!」
雛乃の悲鳴を聞きながら、命は日常を取り戻せると思っていた。