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「駅前って苦手なんだよなぁ~」

 やっぱり暑い状況は変わらないまま、僕は諫早さんが街頭でもらったというウチワを握り締めながらぼんやりと駅前のちょっとした公園に並べられているベンチに座っていた。他にも同じように人を待っているのか待っていないのか分からないような若者たちや、行く場所がないような老人達がだらりとだれたまま夜を待っている。目の前はひっきりなしにたくさんの人が行き交っていて、それを見ただけでも人酔いしてしまいそうだった。おまけのように、こんな駅前でもあらん限りの生命をこめて夏をアピールするアブラゼミの声までする。


「……アキくん?」

 細かい花柄のふんわりとしたワンピースを纏った女の子が、ビックリとしたように俺の目の前で立ち止まった。それから僅かにこちらへと近づきながら、誰かの名前を呼んでおずおずと僕を見てくる。

「本当にアキくん……? 嘘……」

 ふらふら。酔っ払ってるわけでもなさそうなのに染めた栗色の髪にぱっちりとした二重の瞳の、可愛いと誰にも言われるだろう女の子が一歩、また一歩と僕に近づいてきた。

「えーっと、すみません。どちらサマでしょう?」

 驚きなことに、現在の僕の臨時雇用主となっている諫早サマは僕に相手の情報などなんら一つくれないまま僕を金融会社の広告がでかでかと載ったウチワと僅かなお金を持たせてここへと置き去りにしてくださったのだ。ここにいれば、絶対にお前を見つけ出す人間がいるからとか何とかってあのブラックスマイルでそう言い残して。

 ということは、彼女が諫早さんを困らせているお嬢さんなのだろうか。確かにこのふらふらとした危なっかしさはちょっと心配だけれど、だからといって諫早さんが用事あるようには到底見えない。ひとまず相手の出方を見つつ、ゆっくりと立ち上がると少女はひどく落ち込んだようにがっくりと頭を下げてしまってから、「ごめんなさい」と漏らした。


「人違いだと分かっていたのにごめんなさい。似ていたものだから……」

 そう言ってもう一度頭を下げると、もう僕の方は見ないで少女は足早に立ち去っていく。

 ……あれ。何か聞いていた話と展開が違う。それから、なんとなく彼女の話し方には覚えがある気がした。最近知り合った、三丁目の青木さんに似ているのだったか。 

「ま、待てって! だから、どちらサマと聞いているでしょう?!」

 このままでは何も変わらないで終わってしまうじゃないか。彼女は、僕を見つけてくれたのに。


「ま……待っ!」


 盛大に僕はスッ転んだ。顔も膝も手も。全部痛いけれど、ずるずると立ち上がろうともがいている僕に気づく人は誰もいない。たまに気づく人もいるけれど、遠巻きにじろじろと視線を投げては去っていく。

 声をかけようかどうか悩んでいる感じの年配のご婦人に愛想笑いをしてみるが、思ったより強く足を捻ってしまったようだった。もう無理かな。あんなに足早に立ち去ってしまったんだから。遠くから諫早さんの意地悪い笑い声が聞こえてきそうな気がする。


「……立てる?」

 コホン、と軽い咳払いをしてから差し伸ばされた手。まさかと思いながら恐る恐る視線を上げると、少し困ったようにさっきの少女が僕に向かって手を伸ばしていた。ちょうど綺麗に植えられた花壇の陰になって、僕たちの姿は周囲からは見えなくなったのかもしれない。

「ありがとう」

 つい嬉しくなって笑顔で言うと、手を掴んだ瞬間に彼女もほんの少しだけ笑ってくれたのだった。



□ □ □


「タニカワ君もミステリ小説好きなんだ?」

 夏に金もない未成年が行けるところなんてごく限られているわけで。

 今日こそ犯人の名前が分かると息巻いていたところで声をかけられ、僕はやはり肩が震えたまま振り返った。しかしその顔はここ最近会うようになったものだったので途端に安心する。こうやって僕に話しかけてくれる人はごく少数だけれど、たまにヤンキーみたいなのから声をかけられたりしてどんどんと警戒心が強くなっていっている気がする。

 どうやら、厚さだけでも腕力が鍛えられそうな話の犯人を知るのは今日も延期になりそうだ。僕はそっと本を書架に戻してしまうと、すぐ傍にあった別な文庫本へと手を伸ばす。彼女はそれを興味深げに見ていた。


「うん。すかっとどんでん返ししちゃったりするのが結構好きでさ。……深山さんも?」

 偶然とはいえ図書館で出会ったということは彼女も本を読むのだということは間違いなさそうだったが、会話を続けたくて僕は彼女の問いに疑問で返した。立ち話も静かな館内ではすぐに目立ってしまう。

 彼女も目的だったらしい一冊を手に取ると、こちらよりも幾分賑やかな児童書が揃うエリアへとどちらから言うでもなく向かった。途中で通った渡り廊下は屋外なせいか、図書館という緑も多い環境のせいかセミ達も大群でより一層元気に鳴き喚いている。

 うるさいね、と返すとそうだね、と彼女は頷いたりしながら僕たちは目的地に着いた。


「……そうそう、この話の結末わたしもビックリした! タニカワ君と好み似ているかも」

 隣に座り、お互いに読むはずだった本は長机の上に置いたまま。児童書が揃うコーナーは子ども達が半分遊び半分絵本と戯れている光景と、おしゃべりを楽しみたいお母さん達やマンガと冷涼目当てのサラリーマンがいたりしてほどほどに騒がしい。僕たちもお互いに好きな本の話をしていくうちにどんどんと会話が盛り上がっていった。


 あの日。

 初めて彼女と出会った日、見事にすっころんだ僕を見かねて手を差し伸べてくれた彼女――深山さんは「特別」と言って僕が滅多に近づけない喫茶店で冷たいカフェオレをごちそうしてくれた。さすがにそのままでは男としての面子に関わると思った僕はなけなしのお金で再び会えた彼女にクリームソーダを奢った。

 

 彼女は、雑踏の中でもふらふらとしている僕を見つけてくれる。

 誰も彼もが他者の存在なんか気にしていない場所でも。


「何の本だったか、描写がキレイだなって思った本があるんだ。真っ暗闇んところまで目隠しのまま女の子が連れて行かれて、最後にいいよって言われて目を開けたら――ホタル、とかね」

 ミステリ小説から、果てはこんなものまで読んだ、これが面白いという本全般の談義まで及んでくると僕は自分の脳裏にあった文字を思い出す。文字は、映像へと変わった。それくらいに情景が美しい小説だったのだ。


「ホタル! 見たことないけどやっぱりキレイなのかな?」

「キレイだと思うよ」

 彼女がいきいきとした様子で聞いてきたのを僕は頷き返しながら首を傾げた。そういえば、文字は映像に変わったけれどそれを実際に見たことなんてあっただろうか。小さい頃になら見たことあったかな――そもそも、そんなことあったか?


 どこに行けば見られるの? と彼女に聞かれて僕は悩んだ。

 確かにここは地方だから都会ほどチャンスがないわけじゃないだろうけれど、どこまでも舗装された道が続くところにはいるような気がしない。なんとなく、アスファルト舗装のされていないごろごろとした道が続く奥の奥――そんなところが相応しいような気がした。それを彼女に話してみると彼女は楽しそうに頷く。


「探しに行ってみない?」

「どうやって?」

 ここはまがりなりにも一都市なのだ。僕が思うような場所は、多分この街の近辺にはないような気がするのだけど――探しに行くにはどのくらい遠くまで行けばいいのか。尻ポケットに頼りなさげに鎮座している薄い財布の中身も気になるのが情けない。

「電車でね、行けるところまで。いつも学校に行く二つ隣の駅でしか降りないから、いつもとは逆の方向に行ってみたいなって思って。ビンボーだから最初に切符買っちゃって、その切符で行けるところまで行くの」

 あとは適当、と言って彼女は名案とばかりに笑った。その笑顔が本当に楽しそうで、僕もつい頷いてしまう。大丈夫、恥をかなぐり捨てて僕の行けるところまでをちゃんと話せばいい……できるのか不安だけれど。


 図書館から出ても夏の夕方は明るい。勢いよく華奢なサンダルで歩き出す彼女の隣を早足でついていきながら、僕はふと見上げた空に息を飲んだ。

 真っ白だったはずの雲が、その端っこが赤い。胸のずっと奥に、おぼろげに残っている記憶を揺さぶられるような、とても懐かしい赤だ。これからあの赤く滲む空の方へと向かうのだと思うと僕も嬉しくなって足に勢いづく。


「……おい」

 が。 

 神様というのは見ているもので、男くさい低音が後ろから追いかけてきた。そのまま彼女と共に歩き去りたい衝動に駆られながらも、僕はぎこぎこと飛び上がった心臓を守るように手をあてながら振り返る。突然、駅前で黒づくめの男に声をかけられた僕に彼女も怪訝そうな表情になった。当たり前だ。これではどう見たってヤクザにいちゃもんつけられそうになっている一般市民の図だ。

「バイトの給料、取り合えず前払いしておいてやる。彼女とデートなんだろ?」

 ニヤリと黒い笑い。きっと、彼――諫早さんはお腹の中まで真っ黒に違いない。これはもとはといえば彼が依頼してきた仕事とはいえ、僕はそういう気持ちではなくなりつつあった。差し出された複数の福沢さんに胸が高鳴るけれど、これを受け取ってしまったら僕は仕事として認めたということになるのではないか? 何故かそれに抵抗を覚えてしまう。しかし、僕の心情も読んだように愉快そうに諫早さんの口元がにんまりと笑いの形に歪んだ。


「安心しろ、そんなに警戒しなくてもただの小遣いだとでも思えばいい。あとでしっかりと働いて返してもらうが――」

 それからゆっくりと諫早さんの視線が彼女へと動く。

「ま、コンビニの早朝バイトは早寝が肝心だ。遅れないようにしろよ」

 ひら、と福沢さんが舞いかけたのを慌てて受け取ると、諫早さんは片手を挙げて雑踏の中へと足早に消えていった。コンビニ? まさかあの人、自分はコンビニの店長だとでも言いたいのか? あんな顔で?


「……タニカワ君のお店の店長さん、見かけは怖いけどなんだかいい人みたいだね。……あ、電車が来ちゃうよ!」

 いや、多分見かけどおりの人だと思うんだ。けれどここは素直に助かったと言うべきか。もし諫早さんが本当にコンビニで店長していたらどうしよう。あの人にも仮の職業みたいなのがあるのだろうか。そんな強引な商売をしていそうなコンビニ、あっという間に潰れちゃうんじゃないのか?


 彼女が汗をかくのも厭わずに走り出す。

 僕は黒い想像をかき消すように一度だけ首を左右に振ると、まずは切符を買うべく駅の中へと駆け込んだのだった。

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