第十三話:迷いの沼地・ウィスプの幻惑
闇森を抜け、セレナは深い霧に覆われた沼地へと足を踏み入れた。
足元はぬかるみ、腐った植物の臭いが鼻を突く。
緑色の藻が浮かぶ水面は鏡のように静かで、時折、青白い炎がぷわぷわと浮かんで揺れている。
ウィスプ――迷い人を誘う妖精の火。
セレナは知っていた。
だが、もう後戻りできない。
身体は疲弊し、呪いの布は彼女を苛み続けていた。
葉を模した布は沼の湿気で重く張り付き、歩くたびに不快な締め付けが走る。
「道が……わからない……」
霧が濃くなり、視界が白く染まる。
足を取られ、膝まで沈み込む。
冷たい水が肌を刺し、身体が震える。
不快感が全身を支配し、息が乱れる。
その時、青い炎が彼女の目の前で揺れた。
「来い……こちらへ……」
甘い囁きが、耳元で響く。
セレナの瞳がぼんやりと曇る。
「……あ……」
ウィスプの炎が、ゆっくりと彼女を誘う。
セレナは無意識にその方向へ足を進めた。
沼の水面が膝、腰、胸まで浸かり、冷たい水が肌を撫でる。
だが、その冷たさはすぐに不快な熱さに変わった。
「ん……あ……」
幻覚が始まった。
霧の中から、無数の影のような手が現れ、セレナの身体を包み込む。
柔らかい感触が肩を撫で、腕を絡め、腰を支える。
冷たい水と幻の温かさが混じり合い、現実と夢の境が曖昧になる。
「あっ……! だめ……誰……?」
セレナは沼の上で立ち尽くし、両手で身体を押さえようとするが、手は勝手に動き、布を強く握ってしまう。
「はぁ……あぁ……」
幻の影が彼女を優しく包み、支え続ける。
セレナは目を閉じ、息を荒げながら自ら布を握りしめた。
「もっと……支えて……」
影のような手が全身を撫で、冷たい水の中で不思議な温かさを与える。
不快感が徐々に諦めの感覚に変わり、身体が震える。
絶頂のような波が近づく。
「あぁっ……もう……!」
身体がびくびくと震え、霧の中に溶け込むような感覚。
だが、幻は止まらない。
無数の影が、全身を包み続け、彼女を沼の奥へと導く。
「もっと……もっと……!」
セレナは沼の上で膝をつき、自ら身体を預けるようにしていた。
影が彼女を優しく支え、冷たい水の中で不思議な安心感を与える。
その時、水面が大きく波立ち、太い影のような触手が現れた。
沼の魔物。
ぬめぬめした緑色の影が、セレナの身体を絡め取り、水中に引きずり込んだ。
「ひゃっ……!」
冷たい水が全身を包む。
だが、影は彼女の身体を優しく支え、呼吸を許す不思議な空気の泡を作り出す。
セレナは水中で息をしながら、影に包まれた。
太い影が身体を締め付け、冷たい水の中で不快な圧迫を与える。
もう一本が腕を絡め、細い影が肩を撫でる。
口にも影が触れ、喉を優しく塞ぐ。
「んぐっ……! むぐぅ……!」
水中での感覚は、現実とは違う。
冷たい水と影のコントラスト。
影が身体を掻き回すように締め付け、異常な無力感が全身を駆け巡る。
「あぁぁっ……! もっと……深く……!」
セレナは自ら身体を預け、影を迎え入れる。
水中で震えを繰り返し、霧のような泡が浮かび上がる。
「新しい……感覚……」
彼女は水中で微笑んだ。
冷たい水に包まれながら、影に支配される感覚。
現実と幻の境が完全に溶け、セレナは新たな諦めに目覚めていた。
どれだけ時間が経ったのか。
影が満足したのか、セレナを水面に浮かび上がらせる。
彼女はぐったりと沼の岸に横たわり、息を荒げていた。
全身が水と疲労でいっぱいになり、身体は力が抜けきっていた。
「……もっと……支えてほしい……」
震える唇から漏れた言葉に、自分でも驚いた。
涙が溢れる。
だが、心の奥底で、微かな諦めが大きくなっていた。
「普通の姫なんて、もう無理……この身体は、霧にしか従えないの……」
セレナは震える手で身体を抱きしめ、沼の奥へと消えていった。
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