07「心配」
「ニューヨークへようこそ」
嫌味な台詞を残して、褐色の肌の男――ダミアンは去っていった。
憧れていたアメリカ生活に開始早々苦々しい記憶が刻まれて歯噛みする。
(私は海軍将校で、琅玕隊の一員だぞ……日本でこんな扱いを受けたことはなかったのに)
公爵令嬢に逃げられ、兵曹には生意気な口を利かれ、人攫いにも警官にもマフィアにも舐められる……
自分の築き上げてきたものが、この国では何も通用しない。
このままでは苛々した気持ちのまま周りに当たってしまいそうだ。
(兵曹を見つけるまでに気持ちを落ち着けておこう……)
『織歌』
『上官を呼び捨てにするな!』
深呼吸して息を整えようとした瞬間、生意気な兵曹の言葉に反射的に言い返してしまう。
兵曹は迷子になったというのに、穏やかな雰囲気のままゆっくりとこちらにやってくる。あまりの余裕っぷりに、怒鳴りつけてやりたい気持ちがすっと引いていく。
『攻略対象には会えたようだな』
『攻略……?』
『ダミアンとシュヴァリエだ』
『あ、ああ。ダミアンなら、さっき――人攫いともめて警官ともめたときに喧嘩した奴だな。もう一人はシュヴァリエと言うのか』
『この短時間でどれだけ揉めてんだ……』
兵曹はあきれながら、服の乱れをぽんぽんと直してくれる。
上官相手でも女性相手でもも無礼な態度だが、もう怒鳴りつけるのも面倒だ。こいつはこういう男なのだろう。
『私は軍人だ。いちいち心配するな』
じろじろと見つめてくる兵曹を虫のように手で追い払う。
『お前が大事なんだ、心配に決まってる』
だが兵曹は私の態度などお構いなしで両肩に手を添えて目線を合わせてくる。
傷だらけの武骨な手、熱のこもった金色の瞳、まっすぐ向けられた真摯な言葉――不覚にも、この男にときめいている自分がいた。
(いやいやいや! 部下相手に私はなんて破廉恥な……恥を知れ!)
バチィン! と音を立てて自分をひっぱたく。さすがの兵曹も予想外だったのか、おお、と声を出して驚いていた。この余裕しゃくしゃくな男の仮面をはがしてやった気分になって、少し元気が出た。
『心配してくれたことには礼を言う。だが、私も心配していたんだぞ』
『はいはい。悪かったな』
幸先の悪いアメリカ生活。
逃げた公爵令嬢に、名乗りもしない兵曹――しかも迷子になっても悪びれない――。
だがそれでも希望はある。
兵曹には少なくとも私の味方でいよう、そう見せようという気持ちはあるようだ。
『お前は迷子になった、私は騒ぎを起こした。これでおあいこだ』
ならば私も、この男に歩み寄るべきだろう。
『行くぞ。詳しい話はあとでゆっくり聞かせてもらう』
そう言って兵曹と並んで歩く。
歩み寄るべき――ダミアンにもそうすべきだったのかと、少しの胸の痛みを抱えながら。
◇ ◇ ◇
『さて、目的地はブロードウェイだ』
迷子やら人攫いやらの騒動で時間を取られたが、ようやく駅の出口にたどり着く。
駅の中もにぎやかだったが、建物の外はその比じゃない。
ホーンの音と、運転手の怒鳴り声、靴音……ありとあらゆる音が響き、まるで街そのものが吠えているようだった。
『荷物も多いしな…………使うか、タクシー』
タクシーを拾う、なんて都会的なんだ。
興奮して語尾が上ずってしまうが、部下の手前平静を装う。
誉ある海軍将校が田舎者丸出しで都会に浮かれているだなんて思われはいけない。
(大丈夫。日本でも1、2回乗ったことはあるし、乗り方も料金相場もチップの渡し方もちゃんと覚えてきている)
この父親気取りの兵曹に私の大都市での完璧な立ち振る舞いを見せてやる……こいつが大都市出身でなければ、できるはず。
『……兵曹、お前タクシーは乗ったことあるか?』
『たくしー? あの鉄の箱か?』
『ははは! 兵曹貴様ぁ、車も知らないのか!?』
よし、私と同じ地方出身なのは確定だ。
一気に親しみが沸いたので、兵曹の背中をバンバンと叩いて、そこで待っているよう指示する。
『安心しなさい。私が上官としてお前を導いてやろう』
『調子に乗ると足元掬われるぞ』
『いい加減口の利き方を改めろ!』
やっぱりこいつは私を舐めている。
人ごみをすり抜けて大きく手を振る、雑踏の騒音に負けないよう大きな声で「タクシー!」と叫ぶと、一台の車がすぐに止まった。
アジア人相手にはなかなか止まらないという情報を聞いていたので、一発で止められたことは意外だった。
「よお、お嬢ちゃん。一人かい?」
「いえ、連れがいます」
「ちゃんと見ていたか?」という意味を込めて後ろでぼんやりしている兵曹を目線で呼び出す。
運転手は私ひとりだと思っていたのか、後ろから付いてきた兵曹を見て舌打ちをした。
「ああ、ペットがいたのか。まるで女王様だな」
「失礼な、彼は友人ですよ」
文句を言いつつ、荷物を車外のラゲッジラックへ縛り付けるよう指示する。
運転手は私をからかっている様子で、適当なカーテシーの物まねをして荷物を受け取った。
「席へどうぞ、プリンセス」
「どうも」
そして、大げさなくらい恭しく扉を開けて私と兵曹をエスコートするふりをする。
厭味ったらしい態度、人を舐め腐ったようなにやついた笑顔――ああ、またひと悶着ありそうな気配だ。
【明日も明後日も――十年後もこんな毎日が続く。アンタそのたび喧嘩するのか?】
ダミアンの言葉が、呪いのように頭の中でよみがえった。
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