05「人攫い」
【婚約者と会ったときには鈴の音が鳴る】
謎の兵曹はそう言った。
ちりん、ちりん。
グランドセントラル駅の喧騒の中、爽やかに2回鈴の音が鳴った。
そして――
「……迷子か? おチビちゃん」
特に何も起きなかった。
「迷子じゃありませんよ。目が悪いようですね」
褐色の男が嗤いながらたずねてくる。私を揶揄っていることはすぐにわかったので、皮肉交じりで答えながら道を譲った。
ぴりっと緊張が走るが、褐色の男は静かに笑うだけだった。
「失礼いたします」
白人の男は私に警戒しながら褐色の男に道を開ける。
まわりの人間の怯えようからして、マフィアのボスとボディーガードと言ったところか。
波のような人ごみも、彼らのためにみな道を開ける。
ほんの一瞬の邂逅だというのに、彼らが去った後には激しい緊張感にどっと疲れが押し寄せてきた。
『あの馬鹿……!』
そんなことよりも、今はあのあほ兵曹の捜索だ。
あの兵曹はずっと無口だったせいで、どのタイミングで離れてしまったのか見当もつかない。
人の波をかき分けるが、軍服姿の男は見当たらない。
目立つ男だ。誰か見ていないだろうか。きょろきょろとあたりを探り、人のよさそうな男に声をかけた。
「失礼。人を探しているのですが」
「ああ、お嬢さん。お困りで?」
30歳ほどの背の高いやせぎすの男だった。
中折れ帽を被り、ロングコートに身を包む姿は紳士的に見える。
さっきマフィアを見たせいか、人のよさそうな紳士にほっと胸を撫でおろしながら兵曹の行方を尋ねた。
「ひとりかな? 家族とはぐれてしまった?」
どうやら私を迷子の観光客と思っているらしい。
実際迷子なのは連れの方なのだが……
「ええ、まあ。日本人の男性を見ませんでしたか? 黒髪で、紺色の服を着ていて……」
「……ああ、日本人。さっき駅のはずれの方に歩いて行ったのを見たよ」
「なんでそんなところに……」
やっぱり迷子になっていた。
迷うにしたってもっとわかりやすいところに移動しろと言ってやりたいが、まずは迎えに行かなければならないだろう。
「案内するよ」
あきれていると、親切な男性が兵曹の元へと案内してくれると言う。
(……ついて行って、いいんだろうか)
ふと、嫌な予感がした。彼は親切な男性だし、身なりもいいから悪人ではないような気がする。
だけど、この手を取ったらよくないことが起こるんじゃないかと、予感めいたものが頭を離れない。
(いや、予感など、ばかばかしい)
私もこの駅に来たのは初めてだし、折角の親切は無下に出来ない。
私は考えを改めて、言われるがまま、男と共に駅の外れへと足を進めた。
◇ ◇ ◇
「日本人か、それなりの値で売れそうだ」
結果、彼は人攫いだった。
(……予感が当たってしまった)
駅裏に誘導されると、黒塗りの車が待機しているだけ。
車の中には運転手と、後部座席にひとりの男が待機していて何やら話している。
ということは、誘導役の後ろの男を含めて3人組か……という思考まで至った時に後ろから銃を突きつけられる。
「動かないで、お嬢さん。商品に傷をつけたくない」
こんな見え透いた手口にまんまと引っかかってしまった。
知らない人には付いていくなとさんざん言われていたのに。
自分の愚かさに頭を抱えている私を見て怯えていると判断したのか、背後の男はへらへらと笑っている。
「いい顔だ。そんなに震えてると、こっちまで楽しくなっちまうな」
弛緩した空気を感じる。動くなら今だろう。不思議と、彼が大した武器を持っていないことは直感で分かった。
「よく回る口だな」
「はぁ……うわっ!?」
肘を後ろにぶつけて銃をはじき、男の手首をつかんで捻る。
銃が落ちる前に拾い、振り向きざまに構えた。
「クソっ! あの馬鹿油断しやがって!」
車の男たちの判断は早かった。
奴らが恐れているのは失敗ではなく、騒ぎが露見することだ。獲物が牙をむいたとわかった瞬間、味方を見捨てて車を走らせ逃走した。
人気のない駅の裏で私と案内役の男一人だけが取り残される。
「手を後ろに組んで、頭を地面に付けろ」
「チッ! ジャップが!」
人攫いをしているだけあってこういう状況にも慣れているのか、男は悪態をつきながらも指示の通りに地面に伏せる。
拘束して警察に突き出すか。あまり目立ちたくはなかったが、仕方ない。
首元に付けていたスカーフを外して男の背に回る。
「これ、高いスカーフなのに、こんな馬鹿に使う羽目になるなんて……」
「そりゃ悪かったな、もっと優しく縛ってくれていいんだぜ……いてて!」
「黙ってろ」
待ち合わせ場所に令嬢は来ないし、代理の兵曹は迷子になるし、自分はこんな馬鹿に引っかかるし……今日は厄日だ。
イライラしながら男をきつめに拘束していると、警官の制服が二人現れた。
「よう、ビルじゃねぇか。何してんだ、こんなところで」
パトカーのライトを背に、警官はあきれたように笑いながら近づいてくる。
ああ、丁度良かった。この男を連れまわす手間が省ける。
(省ける、か……? なんかろくでもない予感しかしない)
またも嫌な予感がする。だが、警察は警察だ。私は両手を挙げて彼に向き直った。
「この男は人攫いで、私を拉致しようとしました。正当防衛で拘束しています。この銃は彼から取り上げたものです。今、地面に置きますね」
警察に誤解されないようにひとつひとつ丁寧に説明を行い、銃口を自分に向けて地面に置いて数歩離れる。
「あはは、いい子だね。お嬢ちゃん」
そつのない動きをしたはずだが、何が面白いのか警官たちは私の姿を見て笑う。
警官の緩み切った空気に、嫌な予感が的中したことがわかった。
「みっともねえな、ビル。このおチビちゃんにやられたのか?」
「ニンジャだったんだよ。なあ、このスカーフほどいてくれ。痛くてしょうがねえ」
「はいはい」
若い警官に銃を拾わせながら、中年の警官は地面に伏せさせた男に近寄り、言われるままに拘束を解く。
「ちょっと! そいつは犯罪者ですよ!」
「はいはい。警察ごっこはそこまでにしときなって、ミス・ニンジャ。あとは俺たちに任せておけばいいから」
「あんたらこいつと癒着してるだろう! 警察ごっこしてるのはどっちだ!?」
あ、言い過ぎた……と思った時にはもう警察の顔色は変わっていた。
中年の警官は大きく舌打ちをした後、いらだちをごまかす様に荒々しく頭を掻いた。
「ああ、ヒステリィか――危険かもしれない。拘束する」
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