38「どうしたものか」
『お父さん、私はどうすればいいでしょうか……』
朝日が美しく煌めく爽やかな紐育。
だが、一睡もできなかった私はまだ狂騒の夜から抜け出せていなかった。
二日酔いで痛む頭を押さえながら、昨晩の狂乱を思い出す。
酔っぱらってダンスして、婚約者の前で別の男とキスをして……私は、なんという不埒な女なんだ。
『シュヴァリエーー、何故……っ!』
彼の名前を呼んでも当然返事はない。
彼も今頃家に帰っているのだろうが、何をして、何を考えて、どう過ごしているのか。彼のことは何もわからないのだった。
『お前に気があるからだろう』
事情を知っていそうな父は素知らぬ顔だ。
初めて会った時から思っていたが、こういう時の父は非常に意地が悪い。
答えを知っているのなら教えてくれればいいのに。私はどうすればいいのか、示してほしいのに。
『九十九人中の、二人目ということでしょうか』
『お前が思うならそうだろうし、思わないなら違うな』
『うっ……九十九人と恋愛しろといったのはお父さんなのに、なんでそんな突き放すんですか』
『しないと破滅するが、嫌いな奴と添い遂げるのも破滅と同じだろう』
『嫌いでは……』
私はシュヴァリエのことを考えた。彼のことはよく知らないが、嫌いではない。
美しい相貌に鍛え抜かれた大きな体は誰が見ても美しいと感じるだろう。エンゼル神父に襲われたときに彼を諭してくれた冷静さや、ダミアンの後ろに控えているときの慎ましい姿も好ましかった。
『好きなのか?』
『わかりません。ただ、興味がないと一蹴することもできない、と……思います』
何より、ダンスバトルの時に見たあの情熱的な目が忘れられない。
彼は何か重い過去を抱えている……海軍将校という立場を失ってまで、ダミアンの下につくと決意させるほどに。
その過去を、彼が抱えている想いを知りたい、分けてほしいと願ってしまった。
『いや、でも。これではダミアンとお父さんとシュヴァリエで三股だ……ハクレンにまたダンスバトルを申し込まれてしまう』
『俺は数に入れなくていいからな』
『エンゼル神父やベイブリッジ少将にもなんと説明すれば……』
『入れなくていいんだよ?』
ボン、ボン――
そんな話をしていると、時計のベルが鳴る。そろそろ出勤時間だ。
『どんな結果になっても、俺は側にいる。好きなようにやってみろ』
父はぽんぽんと頭を撫でてくれた。
男らしい手が私の頭を撫でてくれるたび、胸がどきどきと高鳴る。
『はい』
私はお父さんと手を繋いで、今日もポセイドンシアターに出勤したのだった。
◇ ◇ ◇
「――というわけで、今日はシュヴァリエに来てもらいました」
「よろしくお願いします」
うじうじと悩むのは得意ではない。
私はすぐにシュヴァリエと話をしようと思い、ダミアンに連れてきてもらった。
『展開が早い』
『答えを伸ばしても互いのためになりません』
お父さんの呆れたような声が聞こえる。シュヴァリエが何を求めているかわからない以上、私一人で悩んでも意味がない。
彼を知るためには、彼といなければ。
「公子役をゴネてるダミアンの代役だそうだよ。とりあえず今日は織歌ちゃんと練習しててね」
演出家のヨルが状況を説明している間も、演者たちは美形の登場に色めき立つ。
「やっぱり彼がいいよね」「身長も高いし、声も綺麗」などと勝手な声が上がるので、彼らをきっと睨みつけて「主役はダミアンだ」とくぎを刺すことも忘れない。
「やっぱ三股するのかい、婚約者さん」
ダミアンが軽口をたたきながら、私をそっと引き寄せる。暖かい体温が伝わって、まるで心まで温かくなるようだった。
彼はまだ公子役を承諾したわけではないが、こうして練習の日には顔を出してくれる。
ダミアンと婚約をしているのにシュヴァリエのアプローチに迷う私を責めることなく、彼は私の目を見て、私のやりたいことを穏やかな目で見てくれる。そんな彼を心から愛している。
「どんな結果になったとしても、絶対にあなたを傷つけないと誓う」
私はダミアンにそう告げると、彼とシュヴァリエに台本を手渡した。
今日は「海神別荘」の読み合わせの日だ。
舞台袖の長椅子に座り、脚本を手に取った。
読み合わせ用に製本された台本はまだ新しく、ページをめくるたびに紙の擦れる音が小さく響く。
私の隣にはダミアンが、その向かいにはシュヴァリエが静かに佇んでいる。
彼は相変わらず無表情だが、手にした台本を撫でる指先だけが妙に慎重だった。
「じゃあ、はじめよう」
開始の合図を口にしたとき、喉が少し震える。深呼吸して、脚本の最初の台詞を読み上げた。
「……「恐ろしいのでございます」」
海の底に輿入れした娘。道中賊に襲われ、恐ろしい思いをした末に出会ったのは海の王。未知の領域に恐れをなした彼女の台詞。
彼女の心を読み取って、弱弱しく、儚く、しかしはっきりと言葉が伝わるように読み上げる。
「……「若様。鎧をお脱ぎください。娘には恐ろしいでしょう」」
侍女役のC.A.D.が台詞を優しく読み上げる。
続く公子の台詞は、ダミアンの代わりにシュヴァリエが読み上げる。
「……「鎧を恐れてはいけない。これがある故に私は強い。現に女官を守ってやれた」」
低く、深く、鋼のように響く声。
シュヴァリエが読み始めたその瞬間、空気がピンと張り詰めた。
彼の声には不思議な力があった。
感情を抑え込んでいるはずなのに、そこに熱が宿っている。
「……「ああ。なんて恐ろしい所へ来てしまったのでしょう」」
「……「私の心は貴女を愛して、私の鎧は、敵から、仇から、世界から貴女を守護する。弱いもののために強いんです」」
「……「貴方様のお強さ、ご威光は父より説く聞いております」」
シュヴァリエの台詞によどみはない。本当に演技をするのは初めてなのかと思うほど、彼は器用に公子役を務めていた。
交互に台詞を読み合うたび、あたりに舞台の光景が広がるかのようだった。
次のページをめくるとき、シュヴァリエの目が、ほんの一瞬揺れる。
「……「|Je me perds《ジュ ム ペール》」」
そのセリフは、台本にはないものだった。
隣でページをめくるダミアンの手が止まった。
「……それは……?」
フランス語だ。意味は分からない。
ダミアンが私の肩をそっと抱き寄せた。
その仕草は穏やかだったが、彼の指先に少しだけ力がこもっていた。
「どういう……」
キィイイン!!
訳を効こうとした時、警報が鳴った。
それは、海魔の出現を知らせる特別警報だった。
★★★
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