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海神別奏:大正乙女緊急指令「九十九人ノ婚約者ヲ攻略セヨ」  作者: 百合川八千花


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30「無遠慮な救済」

 一瞬、空気が張り詰めた。

 馴染みのない日本語の響きに、数人が顔をしかめる。


「カイジンベッソウ?」

「どんな話だ、それは?」


「海底の別荘に住む、美しく孤独な“海の王”と、人間界から訪れる“娘”の物語です。死と生の境界で交わされる、魂の対話。この演目を通し、アメリカ国民に海の神秘を馴染みあるものにしていきましょう」


 熱のこもった私の説明に、演出家が興味深げに眉を上げる。


「へえ……“海の王”か。つまり、それが公子役ってわけだ」

「はい。そして……その役を、ダミアン・ヘイダルに務めて欲しい」


 静まりかえる室内。そりゃそうだ、ダミアンはこの劇場のオーナーでもある。役者をするわけがない。

 だが、どうしてもここは通したかった。


「オーナーが軍に入ったのは聞いてるけど、彼は演劇をするかな?」

「どうしても彼がいいんです!」

「どうして?」

「我々琅玕隊の公演は霊力を持った【歌】による儀式。彼の霊力がどうしても必要なんです」


 霊力、という馴染みのない単語に役者たちは戸惑う。彼らはこの公演が軍の極秘任務の元にあることは知っているが、それが日本独自の霊術によるもの、というところまでは飲み込めていないようだ。

 しかも、問題はそれだけじゃない。

 

「インディアンを出すのか? 冗談だろ」

「主演がインディアン、ヒロインは日本人。誰が見るんだ、こんな劇」

「客は白人なんだぞ」

 

 この国に根強く蔓延る差別が、この公演を許してはくれないようだった。

 誰かの不用意な言葉は私だけでなく黒人の演奏者もピリつかせ、あたりに嫌な空気が立ち込めた。


(やはり難しいか……)


 諦めようとした時、私の肩をそっと叩いてくれた存在がいた。


「あたし観た~い。ふたりともちょーかっけーし、絶対映えるってえ。ねえ? マサル」

「”ばえる”」


 C.A.D.が明るく振舞いながら、なんだかよくわかっていない父と共に味方に回ってくれる。

 そんな二人の想いにくじけそうだった心が前を向く。


「私は顔がいいので客を呼べます!! やらせてください!」

「すごいね、自分で言うんだ」

 

 私はごり押しで大声を出した。

 あまりの勢いに演出家は困ったように笑う。その笑顔が伝染して、皆に笑顔が戻って来た。

 

「……主役が日本人なのはもう確定なんだろ。なら、日本の曲でもいいんじゃねえか」

「他の劇場じゃ絶対できないしな。唯一の劇になる」

「ポセイドンシアターは全人種を歓迎している、いい宣伝にもなるはずだ」

 

 演者たちの言葉に、演出家はゆっくり頷いた。


「よし、じゃあ琅玕隊紐育支部初公演は『海神別荘』にしよう。主演は織歌、公子役はダミアン。ただし、まだ本人の了承は得ていない。これは、織歌ちゃんが口説いてくれるってことでいいのかな?」

「はい! 必ずやり遂げます!!!」


 演出家の言葉に現場の空気が引き締まる。ここでは彼が絶対だと、ダミアンが言っていた。

 演出家がすべてを彩り、形作り、私たち俳優を舞台で飾ってくれるのだと。


「ボクは演出家のヨルムンガンド・ハーヴ。ヨルって呼んでね」

 

 演出家は私を認めてくれたのか、おざなりだった挨拶をやり直してくれた。

 ヨルは美しい青年で、海のように青い長い髪をひとつにまとめている。にこやかな笑みは周囲を引きつける魅力があり、彼が演出家として人望を集めているのだろうということが、その堂々とした立ち振る舞いでもわかる。

 

「海神織歌です。よろしくお願いします」


 私も改めて自己紹介をする。固く握手を交わすと、ヨルの冷たい手に私の手が包まれる。

    

 ぢりん。


 どこか遠くで、鈴が鳴った。

 だけどその音はひどく濁っていて、不安をもたらす旋律。なにかぞくりとしたものを感じたが、ヨルは人懐っこい笑顔で笑っている。


(気のせいか……)


 私は遠くで聞こえた音を忘れようと、小さく頭を振った。


  ◇ ◇ ◇


「”ダミアン”」

 

 織歌達が公演の練習に向かった頃、勝は舞台裏にたたずんでいたダミアンに勝は声をかける。

 完全に気配を消していたのに、目ざとく自分を見つけた勝にダミアンは驚いた。

 他の誰にも気づかれていないのに、叢に潜む狼のように息を殺していたのに――勝はいともたやすくダミアンを見つけ、そして皆が離れたタイミングで話しかけてきたのだ。

 

「勝……だっけ?」

「”マサル”」

「スピークイージーに殴り込んだ来た奴をぶっ倒したのもアンタだよな」

「”すぴーく?”」

「ふざけるなよ」


 殺気を込めて脅しをかけてみたものの、勝はきょとんとしたままだ。

 

(ちょっとした雑魚なら腰を抜かすし、骨のある奴なら殺気で返してくるもんだが……) 


 勝はそのどちらとも違う。

 ダミアンの殺気など何事もなかったかのようにいなす姿に、毒気を抜かれるとともに、底知れない恐怖も感じさせる。

 

「”オルカ”」


 この男にどういう態度を取ればいいんだろう。そう考えていると、勝が舞台を指さす。

 遠くからピアノの旋律と歌が聞こえてくるので、歌の練習が始まったのだろう。


「見ろってことか?」

「”オルカ”」

  

 物をたずねても、勝は名前しか話せないようで会話にならない。脅す気持ちも、喧嘩を売る気持ちもなくなって、ダミアンは勝のいう通りにすることにした。


「こういうのは、見る、っていうんだ。言ってみろ。”見る”」

「”みる”」

 

 オウム返しをする素直な勝の姿に、ダミアンは穏やかな気持ちになる。こうやって少しずつ覚えていけばいい。まともに話せない勝の姿はまるで過去の自分のようで、救ってやりたくてたまらなくなる。


「Beneath the waves, where silence dwells――」


 勝が指さした先で、織歌は歌っていた。

 その光景に、ダミアンは息を呑む。

 

「なにっ……」


 彼女が歌うたび、あたりが眩く輝く。光の中にいる織歌の声に乗せて、海を漂う無数の海月の幻影が見える。

 旋律がもたらす幻影、それが【歌】の力だ――と、勝が説明してくれることはないので、ダミアンはそう思うことにした。

 登場人物である「娘」が歌う、すすり泣く声のように悲しい曲。なのに魂が震え、心の奥底にある、封じ込めていた闇に光が差し込もうとしている。


「ぐっ」


 美しい旋律の割に、無遠慮な救済をもたらす歌だった。ダミアンは心の闇を暴かれないよう必死に気持ちを納める。

 このまま歌を聴いていると、思い出したくない過去を思い出してしまいそうだったから。

 

「なんだ、これは……」


 こんな歌は聞いたことがない。こんなものは見たことがない。

 ダミアンは勝に問いかける。

 勝はたった一言、呟いた。

  

「”カイジンベッソウ”」

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