03「この世界は物語だ」
【1923年 アメリカ】
カップの中で金色の紅茶がやさしく揺れる。
寝台列車の窓辺に差し込む朝の光が、白いテーブルクロスを照らす。
窓の外に見えていた草原の景色はいつのまにか工場の煙に変わり、サンフランシスコからニューヨークまでの長い列車旅の終わりが近づいていることを教えてくれる。
「おかわりの紅茶をお注ぎしてもよろしいでしょうか、ミス・ワダ……ワダツミ?」
「…………」
「ミス・ワダツミ?」
ウェイターの二度目の言葉でやっと覚醒する。
夢を見ていたのだろうか。頭の中であらゆる情報が錯綜していて上手く思考ができない。
銀のポットを掲げたウェイターが困ったように私の返事を待っている。
ここはシカゴ発ニューヨーク行きの特急列車の食堂車。そうだ、私は”これから”任務のためにニューヨークへ向かっているのだった。
(任務が終わった後の夢でも見ていたのだろうか……ばかばかしい)
それなのに頭に浮かぶのは任務失敗で愛する男たちに――男たち? 何を馬鹿なことを。私は今、”ひとり”で任務に向かっているのに。
「ご気分がすぐれないようですが……」
ぼんやりと考えていると、ウェイターがおろおろと話しかけてくる。
いけない、そろそろ何か言ってあげないと、彼が困り続けるだけだ。
「おかわりをお願いします。それと、呼び方は織歌でいいですよ」
「申し訳ございません。ミス・オルカ」
私からの返答があって、ウェイターは安心した様子だ。
そっと差し出したカップに、湯気を立てながら紅茶が注がれていく。
その様子を眺めつつ、手元の新聞に目を向ける。折りたたまれた角の隅に、小さく印字された1923年4月7日の文字。船も列車も遅れはない。予定通りにニューヨークに着くことができそうだ。
(4月7日……そうだ。まだ4月だったよな)
私は表情に出さないように気を付けつつも、心の中の混乱は収まらない。
深い海に囚われていた時は冬だった気がするが、時は春に戻っている。
【人生2周目】――海の底で出会った男の、馬鹿げた台詞が頭の中で反響する。
窓ガラスに映る私は、ニューヨークに来たばかりの姿と全く同じだった。
この格好には見覚えがある。
シニヨンにした黒い髪と、清純を絵にかいたような白いワンピース姿。軍人であることを隠して、日本人旅行者を装っていたのだ。
どうして私が正体を隠しているのか――それも覚えがある。
日本軍とアメリカ軍による重大な機密作戦、その隊長役として私が駆り出された。
誉あるお役目に心ときめかせ、母と涙の別れをしてきたことを、昨日のように覚えている。
ああ、そうだ。すべて不安による夢だったのかもしれない。
私の任務はこれからだ。
ばっどえんど? そんなものはあり得ない。この優秀な私の初任務が、絶望の結末など迎えるわけがない。ましてや二度目の人生? 人生は一度しかないから尊いというのに。
【この世界は物語だ】
どう見ても極道者の男が語る、シェイクスピアのような台詞を鼻で笑う。ありえない、ありえない。私の人生は失敗などしていない。
全部夢だと割りきって、私は新聞をぱたりととじた。
「ミス・オルカ。もうすぐ到着いたします。ご準備をお願いいたします」
「ええ。ありがとう」
静かにスピードを落としながら、列車は暗い構内に吸い込まれていく。
とうとうニューヨーク到着だ。
私は胸を高鳴らせながら、グランドセントラル駅に足を進めた。
(まずは、迎えからか……)
私の最初の任務は貴人のお迎えだった。
名前は姫宮 乙女、14歳のお嬢様で――あまり評判は良くない。
傲慢で冷徹で我儘。公爵家の政争で何人もの人間を蹴落としてきたとか、史上最高の霊力を持ちながらその力に溺れて人の心を失っているとか、言われ放題のお嬢様。
その態度の悪さから、日本を追い出されてアメリカに飛ばされた、などともいわれているほどだ。
(……何か、嫌な予感はするが)
上層部の決断に不満がないわけではないが、今さら何を言っても無駄だろう。
彼女のことに想いを馳せると頭が痛くなる。だが、初めてのニューヨークで、相手も不安なはず。どんな我儘娘だったとしても、年上のお姉さんとして優しくしてやろう。
穏やかな心でそう決断し、グランドセントラル駅の改札を出る。
人ごみに紛れて黒髪の存在を見つけ、きっとご令嬢だろうと思って浮足立ってその人の元へ駆け寄った。
――だが、この時の私はまだ知らなかった。
『久しぶりだな、織歌』
公爵家の我儘娘は逃亡し、見知らぬ軍人を代わりによこしていたことを。
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