24「過去」
『名前は……海神勝』
ああ、言ってしまった。
そんな顔をして、兵曹は顔をうつむかせた。
だが少しの逡巡の後に覚悟を決めたのか、再び私の目を見て言った。
『お前が忘れた俺のことを、聞いてくれないか――』
私の記憶の断片に彼はいない。
まったくもってまっさらな彼の情報。私はどこで忘れてしまったのだろう。
申し訳なさを感じながら、私は静かに頷いた。
『今からだと――もう48年も前になる』
兵曹は語る。
年齢と時代があっていないことも何もかも、気になることは沢山ある。
だが私は静かに、兵曹のどこか歪で壊れた過去に耳を傾けた。
彼は――熊本の士族の家に生まれたが、そのあとすぐに親父が西南戦争で敗北した。
家は賊軍になっておとり潰し。
姉は親戚の家に引き取られたが、まだ赤ん坊だった彼は燃やされた家の前に放置されていたらしい。
元士族の看板が使えそうだと、地元のヤクザに拾われた。
それなりに育ててもらい、若頭としての地位を確保した。
『だけど俺はろくな人間じゃなかった』
兵曹は自嘲するように語る。
殺せと言われて殺すだけ、組を守れと言われて守るだけ……感情も夢もない、つまらない存在だったと。
生き別れた姉がいるのは知っていたが、会いたいとも思わなかった。
誰のことにも興味がなくて、誰のことも愛していなかった。
『そんな生き方をしてた時、対馬付近で海魔が暴れだしたってんで、軍が霊力が高い奴を探して一斉に徴兵しだした』
その話は私も知っている。
20年前に発生した、海魔大戦と呼ばれる人と海魔の大きな戦いだ。
まだ20代に見えるこの男――海神勝――が出陣したということに違和感があるが、その時代背景の歪さが、彼を歪んだ存在にしているのだろう。
徴兵された奴は「琅玕隊」とかいう部隊に投げ込まれて化物と戦わされる。
霊力があればヤクザだろうが老人だろうが駆り出される――今の華やかな琅玕隊とは比べ物にならない最悪の部隊だった。
『で、まんまと徴兵された。逃げる奴はいっぱいいたが、俺は逃げたいとも思わなかった。もちろん国を守るなんて立派な意思はない。逃げたほうが面倒くさいことになると知ってたから、それだけ。』
『だけど戦場は――』
『ああ「地獄」だったよ』
鉄の匂い、潮の腐臭、いつもどこかで誰かが叫んでいる。
敵は人の形をしていない。奴らは何が狙いなのか、何体いるのか、いつ帰れるのか、何もかもがわからない。
死んだら故郷に帰れるが、生きてる限りは戦わないといけない。そんな環境に、感情の死んだ彼はよく馴染んでいたと、悲しそうに笑っていた。
そして彼はある日、戦場で赤子を拾った。
『俺が育てられるわけもなし、誰かに渡そう……そう思ったのに、なぜか赤ん坊を抱いている自分は今までと違う気がした』
この子と故郷に帰りたいと思った。そういって、彼は一筋の涙をこぼした。
『俺はこの子に人間にしてもらえた気がした』
それは私が見た中で、もっとも美しくて、悲しい涙だった。
『織歌と名付けた直後、海魔に殺された。それが20年前だ』
死んだ彼は海底で女に出会った。
その女はまるで神のような力を持ち、彼に私の姿を見せてくれたという。
1周目の私――誰も選べず、皆と闇に落ちた悲しい結末を。
『その女は言った。これは物語で、織歌にはやり直す機会があると。そして2度目の機会を導く役を、俺にくれた』
それで、彼はずっと私に付きまとい助言をしてくれていたのだろう。
私が間違えても、問題を起こしても、めげずに私の隣にいて。
『あなたは……』
まるで、父親のように――
『……お、とう……さん……?』
唇が震える。
喜びで、悲しみで、驚きで、様々な感情が脳をめぐって、思考がまとまらない。
それでも、私がやらなければならない事は決まっていた。
『も、もももももうしわけありませんでした……!!!!』
謝らないと……!
『命の恩人とはつゆ知らず! これまで大変無礼な態度をとっておりました!』
私の大声に生演奏のジャズも、周りの客の雑談も、ぴたりと止まる。
まるで時が止まったようだった。
『やめなさい。みんな見てるから……』
「なんだあいつら」「喧嘩か?」と周りの客が私たちを見てひそひそとささやいている。
だが、私はそれどころではなかった。
『今指を詰めます!』
『おい、やめろって!』
卓に備え付けられたぺらぺらのナイフで指を詰めようとする私を、優しい父は制止してくれている。
父は優しい。その優しさに私は甘えて……散々失礼なことを言ってきたのだ。
パンしか切れなさそうなナイフでも、今の私なら指くらい切り落とせる。
『やらせてください! そうでないと自分を許せない!』
『駄目に決まってんだろ!』
切る、ダメだ、そんなやり取りでわちゃわちゃともめていると、背後から冷たい声が響いてきた。
「……で、なにやってんだ”婚約者”さん?」
最悪のタイミングで、私の運命の婚約者――ダミアンがやってきてしまった。
ちりん、とこの場を揶揄うように軽やかな鈴の音が鳴った。
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