14「役者がひとり」
「ぐっ……」
ちりん、と鳴る鈴の音に合わせて遠い記憶が呼び覚まされる。と、同時に激しい頭痛に襲われる。
思い出したいのに、過去が塗り替えられるような感覚。色鮮やかな記憶を無理矢理墨で黒く染められるような、悲しみ。
だが、それでもかすめた記憶の断片を掴んで思い出す。
亜麻色の髪に薄青の瞳の神父――私は彼を知っている。
(名前は確か……エンゼル)
信仰に厳格な神父。
この世界唯一の海魔と人間の混血で、その出自ゆえに海魔を憎んでいる――そんな話を、彼が寂しそうに教えてくれたことを思いだす。
(運命の婚約者、か――?)
だがこの状況、とてもかつて恋愛をしていた人を相手にしているとは思えないほど切迫している。
エンゼル神父は兵曹の喉元に刃を突きつけたまま一歩も動かず、冷たい視線を私に向けている。
下手に動けばお前も殺す、そんな言葉が言われずとも理解できたので、両手を上げて無抵抗の意思を示した。
『兵曹、下手に動くなよ。今誤解を解くからな』
『…………今、何が起きてるんだ?』
「勝手に喋らないでください」
兵曹に警告をしたが、彼には理解できない日本語で喋ったことがエンゼル神父を怒らせてしまったのだろう。
鋭利なナイフが兵曹の喉元に突き刺さるのを見て、慌てて私はエンゼル神父に話しかけた。
「彼は状況を理解していない! 説明する時間をください」
「海魔を殺す許可は持っています。なので、この場で殺します」
「彼は海魔ではありません!」
「いいえ、彼は海魔です」
どちらも一歩も譲らないせいで、だんだん英語の教科書みたいな単純な文章の応酬になっていく。
これではらちが明かない……私は別の角度から攻めることにした。
「じゃあ別れの言葉くらい交わさせてくれ! そんな慈悲もくれないのか。あなた神父でしょう?」
「ぐぬ……」
慈悲、という言葉を盾にするとエンゼル神父はあっけなく落ちた。
どうやら心根は優しい人のようで、一瞬ためらうも「わかりました」と喋る許可をくれる。
エンゼルの妙な冷静さと寛容さはありがたくもあり、この行為がただの海魔憎しの衝動的な行動でないことは恐ろしくもあった。
対応を間違えれば兵曹は殺されてしまう。緊張感が走る中、兵曹にゆっくりと声をかけた。
『この方はエンゼル神父。それで、貴様が海魔だと言っている』
『海魔……?』
『ありえないと言っているんだが話を聞いてくれない。何か心当たりは? 乙女嬢から何か託されたりしているか?』
『託されるも何も』
兵曹はあっけらかんとした顔で答えた。
『俺は海魔だ』
――と。
(に、日本語で話していてよかった)
衝撃の告白に、真っ先に思ったのはそんな馬鹿げた考えだった。
(どういうことだ? 海魔などと……ありえない。海魔は魂の穢れ。理性もなければまともな形も持っていない。こんな風に動けるはずがない)
だが兵曹の目はまっすぐに私を見ていて、冗談をほざいているのではないことが伝わってくる。
頭がくらくらする。つまらない冗談を言っていると言ってくれ、許すから。
「もういいでしょう」
呆然としていると、痺れを切らしたエンゼルが再び刃に力をこめる。
対海魔の対策は日本だけが持っているものだと思っていたが、海魔憎しで自分で戦闘力を身に着けたのだろうか。
喉元に迫られた時点で、兵曹の命は詰みの状態だ。
(くそっ、どうしようか……)
海魔は人と生きられない。
正直に伝えてエンゼル神父に兵曹を斬ってもらうか、嘘をついてその場をごまかすか。
どちらの選択も、私に利益など及ぼさないことは明白だった。
悩んでいる間にも兵曹の命の灯は消えかかっている。
兵曹は状況を理解しているのかいないのか、穏やかな笑顔を私に向けていた。
『貴様、今はそれどころじゃ――』
『いいんだ。お前に伝えることはもう全部伝えている』
何を呑気な…叱り飛ばしてやりたい気持ちを、穏やかな声がかき消した。
『俺を殺せ。気にするな、役者がひとり消えるだけだ』
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