13「悪夢みたい」
「ご案内いたします、ミスター・ヘイダル――」
さっきまでの騒動が信じられないくらい、劇場はVIP待遇で迎えてくれる。
一般客が使用しない専用通路を進むと、ダミアンを待っていた専用のスタッフが重厚な観音開きの扉を開ける。
案内されたのは舞台の斜め横に突き出す形で設置されたボックス席だった。
「どうぞ、お姫様」
(ぐっ……なんてスマートなエスコートなんだ……!)
慣れているのか、ダミアンのエスコートによどみはない。むしろ、お姫様扱いされ慣れていない私の方がたどたどしい。
ダミアンに手を取られ椅子に誘導され、腰を掛けると同時に椅子を押し正しい位置に戻された。
ダミアンの香水の匂いが鼻をかすめて、数度密着したことを思い出す。
この大きな手が、厚い胸板が、長い髪が、さっきはあんなに近くにあったのか。
「劇場は初めて?」
「い、いや! 日本で何度か行ったことがある」
「日本の劇場か、俺もいつか見てみたい」
「ここまで大きな劇場はなかったよ」
カーテンや金の装飾で彩られた半個室の空間の下にはオーケストラピット、その向こうに一般席の観客が見える。
薄暗い照明でドレスやタキシードの光沢がきらきらと反射している様は、まるで星空のようだった。
劇が始まればこの仄かな光は消え、照明は舞台上へ集約されるのだろう。
まるで星の光の瞬く夜から、鮮烈な輝きの太陽と共に朝を迎えるように。
「夢みたいにきれいだ」
早く劇を見てみたい。
観客席の星のような淡い光を瞳に映しながら、私はうっとりとつぶやいた。
「ああ、悪夢だよ」
だが、ダミアンの声は低く沈んでいた。
思わず彼の顔を覗く。
ほんの一瞬、彼の瞳には怒りの炎が宿っているように見えたが、私と目が合うとすぐに穏やかな色に戻る。
「何か――」
何かあったのか、そう聞こうとして喉が詰まる。
私は彼に何があったのかを知っている気がする。そして、それに簡単に触れてはいけないことも。
「どんな夢でも見られる。それが劇場って奴だろう」
言葉に詰まった私を見て、ダミアンは静かに微笑んだ。
笑っているのに、私には泣いているように見える。そんな顔をしないで欲しい、心からの笑顔が見たいと遠い記憶の自分が叫んでいる。
【お前は前回の記憶をだんだんと忘れていく。何が起きたかも、誰と出会ったかも、俺のことも――】
私は彼との大切な思い出を忘れてしまったのだろう。
だから今の彼は、彼の過去にある傷を分け合うことはなく、悲しい微笑で隠してしまうんだ。
「ダミアン――」
「ここで何をしている」
ダミアンに何か言葉をかけようとしたとき、ぞっとするほど冷たい声が隣の席から響いてきた。
「神父……?」
それは異様な光景だった。
神父服姿の亜麻色の髪の男――そんな目立つ外見の男は音もなく背後から現れ、兵曹の喉元にナイフを突きつけている。
軍人が2人、ギャングとそのボディーガードまでいる中で、一切の気配を感じさせずこの男は現れ、そして兵曹の命を握っている。
「……相変わらずだな、エンゼル」
「お久しぶりですね」
シュヴァリエがつぶやいたのは神父の名前だろうか。
だがシュヴァリエとエンゼルの間に親交があるとは思えないほどエンゼルの瞳は冷え切っている。
アイスブルーの瞳は一瞬だけシュヴァリエに向くが、そのあとすぐに兵曹に視線が戻る。
「海魔がなぜここにいる」
「待て。兵曹が海魔だと言いたいのか? それはあり得ない。海魔は亡霊だ、人の形を保ち続けられないし、血を流すことも――」
「黙りなさい。あなたよりはよく知っている」
何か誤解をしていそうなエンゼルに声をかけるが、冷たく一蹴されてしまう。
「神父、何も劇場で殺生するこたないだろ。場所を変えようぜ」
「海魔とそれを庇うものを神は赦さない。ここであなたも殺していいんですよ、犯罪者め」
ダミアンが助け船を出してくれるが、取り付く島もない。
「あのな……」
「ボス、刺激しない方がいい。彼は狂人です」
エンゼルの殺意は固く、ダミアンのギャングの威厳をもってしてもぶれることはない。
それどころか顔見知りであろうシュヴァリエをもってして狂人とまで言わしめている。
なんて神父だ。何が彼をここまで突き動かすのだろうか。
ちりん。
緊迫した状況を揶揄うように、鈴の音は軽やかに鳴り響く。
「えっ……」
まさかこの狂人まで、運命の婚約者だというのか。
お読みいただきありがとうございます!
反応、コメント、ブクマ励みになります。




