10「旅の目的」
暴行騒ぎと警官の視線をやり過ごすため、地下通路に逃げ込んでいたが――そろそろ地上も落ち着いたころだろうか。
地下通路を抜け、再び地上に戻る。
小一時間も潜っていなかったが、人々はすでに私たちへの興味など失っているようで、追いかけてくる者は誰もいなかった。
入り組んだ裏路地を抜けて大通りに戻る。目的地はすぐそこだった。
『着いたぞ。ここがブロードウェイ大劇場――ポセイドンシアターだ』
『なんで劇場に……』
しばらく歩くと、巨大な建物が目に入る。そもそもこの国の建物全部が巨大に見えるが、その中でも群を抜いて大きい建物。地面を突き刺すようにそびえ立つ石造りの建造物は、正面には柱がいくつも並び、屋根の上には彫刻まで乗っている。
東京にだってこんな豪華な建物はないだろう――この規模こそ世界最大級の大都市・ニューヨークというわけだ。
『貴様あ、少しくらい感動してみろ。ここでこの私が歌うんだぞ!』
『お前が? 歌うのか?』
『公爵令嬢から何も教わってないんだな。しかたない、ここでちょっと授業をしてやろう』
どうやら彼は何も知らないようだ。タクシーの件で世話にもなったし、ここは私がじっくりと教えてやることにしよう。
『まず、琅玕隊だ。海魔を倒すために編成された海軍の特殊部隊、というのはわかるな』
私の説明を兵曹は真面目に聞いているようだ。しっかりと目を見つめてくる姿に、少し居心地の悪さを感じる。
『海魔は人の穢れから生まれるものだというのはさすがに知っているな。霊力による【歌】と舞による神楽で海魔を祓う。日本の長い伝統が、海魔の出没地域が増加したことによりこのアメリカでも行われることになった』
『……』
な、なんでこいつはこんな真剣に私を見つめるんだ。思わず頬が赤くなる。いや、上官の話を真面目に聞くなど当然のことなのだから、緊張している私のほうがおかしいのか。
『そ、そこで選ばれたのがこの私だ!』
――くそ、この男の考えていることがわからん。なぜそんな熱を帯びた瞳で私を見つめてくるんだ。
『【歌】をひとに届けるための神楽、それをアメリカ式にするため劇場を使用してミュージカルにするんだ。歌で物語を届ける、それだけではあるが国によって仕様も変わる』
さっきもダミアンに対して緊張してしまったし、これでは私が男好きのあばずれのようではないか。
私はいたって真面目に、部下に状況を説明してやっているだけなのに。
『海魔と言うのは亡霊の類だ。神事によって穢れを祓ったり、存在を寄せ付けぬよう結界を張ることができる。古来より公家の一族「姫宮一族」は【破邪の歌】と呼ばれる特殊な歌でその任を全うしていた』
そうだ、ダミアン。そしてもう一人はシュヴァリエというんだったか?
そういえばなぜこの兵曹は彼らの名前を知っているのだろう。そのことも問いただしたいが、今はこの説明を終わらせなければ自然にその会話には移行できまい。
ああ、なんでこんな長い話を私は初めてしまったのだろうか。
『本来なら姫宮乙女が歌うところだが、姫宮乙女がいない以上、私が歌うのは当然といえるな。乙女嬢はアメリカでの栄光を自ら潰した己を恥じればいいのさ』
よし、ずっと見つめられて緊張したがとりあえず話は終わったぞ。
雑念の多い語り口ではあったが、話し終えた達成感がある。さあ、その熱っぽい瞳の理由と、ダミアン・シュヴァリエの情報を教えてもらおうか。
『ふむ』
だが、兵曹はそれまでの余裕しゃくしゃくの顔から一変して、キラキラした目でこちらを見ている。
「そうか」「とうとう」となにか感慨深げに呟いたのち、私の手を握って感激したような表情で「おめでとう」と伝えた。
『お転婆娘が女優様か……たいしたもんだ』
『へ、へへ……そうだろうそうだろう』
どんな話をされるのかと思ったら、思いのほか普通に話を聞いてもらえたことで私の疑念は吹き飛んだ。
こいつはいい奴だ。
直感でそう感じると、こいつに聞きたかった数多の言葉を飲み込む。まずは正体を暴くより、こいつ自身のありようを見てみてもいいのかもしれない。
『というわけで、これは劇場の下見だ。どんな場所か見てやろうじゃないか』
『派手だといいなあ。お前が歌うんだもんなあ』
私たちは浮かれ気分で劇場に足を運んだ。
まわりは高い服を着た白人ばかり。神父服の聖職者も交じっているのがアメリカらしさ、なのだろうか。
アジア人の客は珍しいのか、ひそひそとした声や目線が気になる。だが、敵意は感じない。言いたい奴には言わせておこう。私は周りの視線をすべて無視して、劇場に足を運んだ。
荷物持ちに荷物を持たせ、さあ劇場に入ろうとした時だった。
「さっきはありがとうな。嬢ちゃん」
聞きなじみのある声がする。下品で、人を見下すような不快な声。
こいつは、駅で私を襲った「人攫い」だった。
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