EP 2
推しの貧乏アイドルと、怪しいおっさん
「ひぃ、ひぃ……し、死ぬかと思った……」
路地裏を抜けた大通り。
人混みに紛れながら、俺は心臓を押さえてうずくまっていた。
ヤンキーを撃退した時の「ゲーマー脳」はすでに霧散し、今はただの小心者(チー牛)に戻っている。
「なんであんなことしちゃったんだ……絶対あとで仲間連れてくるよ……『あのチェックシャツだ!』って指名手配されるんだ……もう一生、部屋から出られない……」
後悔の念が津波のように押し寄せる。
だが、俺の手には一枚の銅貨が握りしめられていた。
あのヤンキーが、逃げ去る際に落としていった(正確には俺が勝ったので賭け金として置いていった)ものだ。
汚れた金だ。でも、今の俺にとっては一食分の重みがある。
「……浄化しよう」
俺はこの金を、世界で一番尊いことに使うと決めた。
足を向けたのは、中央広場の片隅。
そこに、俺の唯一の『推し』がいるからだ。
◇
「♪ガンガンガン! アタマガガン! 視界が回るよ 39度!」
広場の隅っこ。
人通りもまばらな場所に、裏返したミカン箱をステージにして歌う少女がいた。
透き通るようなアクアブルーの髪。宝石のような瞳。
そして、なぜかタロウ国の100均で買ったフェルトで作ったと思われる、手作り感満載のフリフリ衣装。
彼女の名はリーザ。
自称『深海のリトル・マーメイド』。
その正体はシーラン国の王女らしいが、今はなぜか極貧の地下アイドルとして活動している。
「♪インフルエンザ大魔王 やっつけろ!」
「(尊い……)」
俺は電柱の陰から、こっそりとペンライト(これも100均の工事用誘導灯)を振った。
彼女の歌は、正直なところ歌詞が意味不明だ。
だが、その歌声には不思議な力がある。聴いているだけで、先ほどの恐怖で縮こまった胃袋がポカポカと温かくなってくるのだ。
「♪今だ! 必殺! タミフルパーンチ!」
「♪コウ・セイ・ザイ! ビーム!(キラッ☆)」
ビームのポーズでウインクが決まる。
俺のハートも撃ち抜かれた。
だが、観客は近所の子供と、疲れ切ったサラリーマンが数人だけ。
彼女の足元の空き缶には、銅貨が数枚しか入っていない。
昨日の夜、彼女がパンの耳をかじりながら「明日は卵が買えるといいな……」と呟いていたのを俺は知っている。
「……」
俺はフードを目深に被り直すと、早足でミカン箱の前へ歩み寄った。
そして、先ほど手に入れた銅貨一枚を、カランと空き缶に入れる。
「あっ……!」
リーザが目を見開く。
俺は何も言わず、すぐに立ち去ろうとした。
陰キャにとって、アイドルとの接触など致死量に等しい。あくまで『あしながおじさん』でいいのだ。
「ま、待ってください!」
しかし、彼女はステージ(ミカン箱)から飛び降りると、俺のシャツの袖を掴んだ。
近い。いい匂いがする。海の香りと、パン屋の香ばしい匂いが混ざったような。
「ありがとうございます! あの、いつも見てくれていますよね!?」
「ひぇっ……あ、いや、その……」
「私、覚えました! その素敵な三色チェックのシャツ! 貴方が私のファン第一号です!」
満面の笑みで、俺の手を両手で包み込むリーザ。
温かい。柔らかい。
脳内の処理能力が限界を超えた。FPSなら回線落ち(タイムアウト)しているレベルだ。
「あ、あう、あ……が、頑張って……くだ、さい……」
「はい! この銅貨で、今日はゆで卵を買います! 貴方のおかげです!」
俺は顔から火が出るのを感じながら、脱兎のごとく逃げ出した。
背中で「また来てくださいねー!」という天使の声を聞きながら。
◇
逃げ帰るようにして飛び込んだのは、心の故郷『牛丼太郎』だった。
時刻は夕方。店内は空いている。
いつもの席に座り、震える手で水を飲む。
「はぁ、はぁ……死ぬかと思った……今日だけで寿命が十年縮んだ……」
ヤンキーとの死闘。アイドルとの握手。
引きこもりの俺には刺激が強すぎる一日だった。
カロリーを消費した。補給しなければ。
「すいません、チーズ牛丼、並で」
「あいよ」
注文を済ませ、テーブルに突っ伏す。
と、その時だった。
「君、いい指してるねぇ」
不意に声をかけられた。
ビクッとして顔を上げると、隣の席にいつの間にかオッサンが座っていた。
ジャージ姿に、片手にはとろろ牛丼。
どこにでもいる昼下がりの怠惰なオッサンに見えるが、その目は笑っていなかった。
「……だ、誰ですか」
「ただの牛丼好きだよ。君と同じでね」
オッサンはズルズルと牛丼をすすりながら、ニヤリと笑う。
その視線は、俺の手元――理髪師特有の、マメができつつも手入れされた指先に注がれていた。
「さっきの路地裏での試合、見せてもらったよ。……『シャドウ・ウォーカー』だっけ? いいカスタムだ」
「ッ!? み、見てたんですか……!?」
「ああ。特にあのワイヤー捌き。0.5秒で三箇所同時結束。ドワーフの熟練工でもあんな芸当はできない」
俺は警戒心MAXで椅子を引く。
ヤンキーの仲間か? いや、雰囲気が違う。もっと底知れない何かだ。
「怖がらないでくれよ。俺はスカウトに来たんだ」
「ス、スカウト……?」
「そう。俺……いや、我が国が開発中の『新作VRゲーム』があってね。君みたいな凄腕ゲーマーに、ぜひテストプレイをお願いしたいんだ」
オッサンは懐から一枚のカードを取り出し、テーブルに滑らせた。
そこには『G・G社 開発部』と書かれている。
「新作……VR……?」
「ああ。超リアルだぞ? 振動も、G(重力)も、まるで現実みたいに感じる。もちろん、報酬は弾む。……そうだなぁ、君の好きなそのアイドルのライブ、最前列で見たくないか?」
悪魔の囁きだ。
金。そして推しのライブ。
今の俺は無職(に近いフリーター)。このままではリーザに銅貨一枚すら投げ続けられない。
「……本当に、ただのゲームなんですか?」
「ああ、ただのゲームさ。画面の向こうで敵を倒すだけの、簡単なお仕事だよ」
オッサン――この国の王、佐藤太郎は、嘘は言っていない。
彼にとっては戦争も『盤上のゲーム』であり、俺に求めているのは『プレイヤー』としての資質なのだから。
俺はゴクリと唾を飲み込む。
目の前に置かれたチーズ牛丼の湯気が、まるで運命の狼煙のように揺らめいていた。
「……やって、みます。テストプレイ」
その選択が、俺を世界大戦の最前線へ送り込むことになるとも知らずに。
俺はオッサンの手を取った。




