EP 11
優しくされたから、結婚を意識した
タロウ国の朝は早い。
昨夜のテロ騒ぎが嘘のように、王都は日常を取り戻していた。
その大通りを、一人の男が歩いている。
ボサボサの黒髪に、瓶底のような丸メガネ。
三色チェックのネルシャツを、きっちり第一ボタンまで留めてジーンズにインした独特のファッション。
彼の名は、千津 牛太。
昨夜、神がかった操作技術で王都を救った英雄『銀色の巨人』のパイロットその人である。
だが、すれ違う人々は誰一人として、彼が英雄だとは気づかない。
むしろ「うわ、こっち見てるよ」「目合わせんとこ……」と、生理的な距離を置かれているのが現実である。
「(ふふふ……今日の牛丼も最高だったな。ブラックパスのおかげで、温玉を二個乗せるという『貴族の遊び』までやってしまった……)」
牛太は、口元にへばりついた卵の黄身を拭うことも忘れ、ニチャリと笑みを浮かべていた。
彼の足取りは軽い。
なぜなら、これから愛しの『推し』に会いに行くからだ。
◇
中央広場。
そこには、いつものようにミカン箱の上で健気に歌う、貧乏アイドル・リーザの姿があった。
昨夜の恐怖を感じさせない、透き通るような歌声。
「♪ガンガンガン! アタマガガン!」
牛太は電柱の陰から、その姿を熱っぽい視線で見つめていた。
手には100均のペンライト。口元は半開きだ。
「(ああ……リーザちゃん。今日も尊い。昨日はあんなに怖かっただろうに、ファンのために笑顔を絶やさないなんて……まさに天使。俺が守った甲斐があったというものだ)」
彼は独り言をブツブツと呟きながら、意を決してステージ(ミカン箱)へと近づいた。
手には、なけなしの銀貨が一枚。
昨夜の報酬は『牛丼パス』という現物支給だったため、彼の現金資産は相変わらずカツカツである。
カラン。
空き缶に銀貨が落ちる音がした。
歌い終わったリーザが、ハッと顔を上げる。
「ああっ! ファン第一号さん!」
リーザの顔がパァッと輝いた。
彼女にとって牛太は、自分を最初に見つけてくれた恩人であり、そして何より「毎回必ず金を落としてくれる貴重な太客(ATM)」である。
リーザはミカン箱から飛び降りると、牛太の元へ駆け寄った。
「来てくださいましたね! ご無事でしたか!?」
「あ、あぅ……は、はい……その……」
牛太は挙動不審に目を泳がせた。
コミュ障特有の「会話の出だしで吃る」スキルが発動している。
「よかったぁ……! 昨日、広場が大変なことになって……私、貴方が巻き込まれていないか心配で……!」
リーザは感極まり、牛太の両手をガシッと握りしめた。
――その瞬間である。
牛太の脳内で、ビッグバンが発生した。
「(ッ!? て、手ぇぇぇぇ!? 握っ……えっ!? 柔らかっ! 温かぁっ!)」
時が止まる。
牛太の思考回路が、FPSの演算速度を遥かに超えるスピードで暴走を開始した。
「(待て待て待て、落ち着け俺。アイドルがファンと接触? 握手会でもないのに? ありえない。これは『営業』の範疇を超えている。ということは……これは『私信』だ。彼女は俺に個人的な好意を抱いている!)」
論理の飛躍も甚だしいが、彼の脳内では確定事項となった。
「(心配してたって言ったよな? 俺の身を案じていた? つまり、俺がいなくなったら生きていけないってことか? ……そうか、そういうことか。彼女も待っていたんだ、俺という運命の相手を)」
牛太のメガネが白く曇る。
口元が、本人も無自覚なほどにだらしなく歪んでいく。
「(結婚……だな。うん。式場はタロウ国の大聖堂がいいか。いや、彼女は海の人だから、海中結婚式もアリだ。子供は二人……男の子ならFPSの英才教育を、女の子ならアイドルに……名前はどうしよう。キラキラネームは就職に響くからな……)」
彼はすでに、孫の代までの人生設計を完了していた。
その間、わずか0.5秒。
一方、リーザは純粋な瞳で牛太を見つめていた。
彼女の視線の先にあるのは、牛太ではなく、彼がこれから落としてくれるであろう「追加の投げ銭」への期待である。
「あの、ファン第一号さん?」
「は、ひゃいっ!」
名前を呼ばれ(ていないが)、牛太が裏返った声を出す。
「私、新曲を作ろうと思ってるんです! 昨日助けてくれた『銀色の騎士様』への感謝の歌を! ……でも、衣装を作るお金がなくて……」
リーザが上目遣いで訴える。
これは「グッズ買ってね」というアイドルとしての正当な営業トークだ。
だが、恋愛フィルター全開の牛太には、こう翻訳された。
『貴方のために綺麗な衣装を着たいから、生活を支えてください(=婚姻費用の請求)』
「(任せてくれ。君の人生、俺が背負うよ……!)」
牛太は、ニチャァ……という擬音がつきそうな粘着質な笑みを浮かべ、早口で捲し立てた。
「わ、わかりましたデュフッ! い、衣装代ですね、任せてくだひゃい。俺、騎士団の名誉団長(仮)のコネとかあるんで、布とか……その、安く仕入れられるルートがあるっていうか……あ、でもリボンは青がいいですよね、君の瞳の色とお揃いで……デュフフフ!」
「?」
リーザは首を傾げた。
何を言っているのか半分も聞き取れなかったが、「任せてください」という言葉だけは理解できた。
「本当ですか! 嬉しい! 大好きです!」
リーザの「大好き(な金蔓です)」という言葉が放たれた。
これはトドメだった。
牛太は昇天しかけた意識を必死に繋ぎ止め、メガネをクイッと押し上げた。
「ふっ……。僕のフィアンセ(と書いて『推し』と読む)のためなら、世界の一つや二つ、また救ってみせますよ……」
彼はキメ顔でそう言ったつもりだったが、傍から見れば「路地裏でニタニタ笑いながら独り言を言う不審者」でしかなかった。
通りがかった親子連れが、サッと道を避けていく。
「ママー、あのお兄ちゃん怖いー」
「シッ! 見ちゃいけません!」
だが、今の牛太にそんな雑音は届かない。
彼は勘違いという名の無敵の鎧を纏い、リーザの手のぬくもり(と誤解)を胸に、意気揚々とその場を後にした。
「(次は指輪だな……マグナギアのパーツ代を削ってでも買わなきゃ……ふふっ、待っててね、俺のリーザちゃん……)」
その背中は、実に楽しそうであり、そして絶望的に痛々しかった。
彼が次に直面するのが、愛の巣(勘違い)を粉砕する「損害賠償請求書」という名の現実だとは知らずに。




