第26話 『レドモンドの息づかいを追え』
舞台跡を離れて数分。
北端の空の色はすっかり夜へと傾き、王都の灯りが遠くで揺れていた。
アルフレッドが無言で先を歩く。
剣に触れる指先に、わずかな緊張が残っている。
マーリエはというと、時折こちらを見ては不安そうに微笑んでみせる。
“怖いけど大丈夫だよ”って伝えてくれているようで、シャーロットはその優しさに救われる。
けれど、胸の奥が落ち着かない。
──あの操り人形が動いた瞬間の“ぞわり”とした感覚。
人の形をしていながら、人ではない存在が落とした紙片。
そして、そこに刻まれた短い言葉。
(『影は人ではない。だが、人を映す。』)
どうしてヴァレンは“影”を見せたのか。
その意図がぐるぐる巡り、思考に薄い膜のように残っていた。
「シャーロット、考え込みすぎだ」
アルフレッドの声が、不意に背中をとんと押した。
「……バレてた?」
「顔に全部書いてある。ほら、眉間がまた寄ってる」
「寄ってても仕方ないでしょ……レドモンドが、まだ生きてる可能性が高いんだもの」
口に出した途端、胸の奥のざわつきが少し形を持った。
レドモンドは死んでいない。
いや、むしろ“生きていてもらわないと困る”。
彼は、シャーロットにとってただの行方不明者ではなかった。
かつて一度だけ、彼が舞台裏でくれた褒め言葉。
「君は真実の目を持っている」
その一言が、シャーロットの探求心を後押ししてくれた。
だからこそ──この事件が彼を巻き込んだものだとしたら、許せない。
マーリエが足を止めた。
「ねぇ、これ……見て」
そこは舞台跡から少し離れた、小さな水溜まり。
けれど、その濁り方が妙だった。
真ん中に“白い粉”が沈んでいる。
アルフレッドが跪いて水をすくう。
「灰……じゃないな。
細かすぎる。粉砕した石膏に近い」
「ヴァレンが操り人形に使っていた素材と似てるわ」
シャーロットはそっと粉を指先ですくった。
その感触に、ひどく胸がざわついた。
(なんで、水溜まりに……?)
マーリエは眉をひそめたまま、水面を覗き込む。
「ねぇ、これ。
乾いたら風で飛ぶよね。わざわざ“水場”に入れたってこと?」
「うん。
誰かが“消えないように溶かした”のよ」
シャーロットは背筋を正した。
「つまりここには、操り人形を抱えて移動した人間がいた。
そして、痕跡を消すように見せかけて……逆にわざと残した」
アルフレッドが立ち上がる。
「ヴァレンだな」
「ええ。“私に見せるため”ね。
影の写しを置いて、水に粉を溶かして、三方向の足跡を作って……全部、“意図的な演出”。」
マーリエが不安げに小さな声を漏らす。
「じゃあヴァレンは……ずっと私たちを見てるってこと?」
「うん。
でも同時に──“誘導してる”。」
シャーロットは夜空を見上げた。
星が、ところどころ雲に隠れ、薄く光っている。
誘導。
舞台監督が役者に動線を示すみたいに。
あの男は、私たちに“次の幕”を歩かせようとしている。
(なら、乗ってあげる。
その舞台、あなたが望む形では終わらせない)
「進むわよ。
次の場所は……王立劇場の北倉庫」
アルフレッドが目を細めた。
「なぜ分かった?」
「操り人形の素材。
粉砕石膏を大量に扱えるのは、王都だと劇場工房だけ。
そして北倉庫は“出入りが目立たず、物資を積み込める場所”。
ヴァレンがレドモンドを動かすなら、まずそこよ」
マーリエは息を呑む。
「じゃあ……そこでレドモンドの手がかりが?」
「ええ。
きっと、彼自身の“息づかい”が残っているはず」
三人は歩き出した。
北倉庫までは、夜道を抜けて十五分。
けれど、その距離がひどく長く感じられた。
シャーロットの胸の奥では、奇妙な予感がひどく鮮やかだった。
──きっと、この先。
“生きたレドモンド”に近づきすぎる。
その瞬間、背筋が泡立つような感覚に包まれた。
(ヴァレン……あなたは“次の幕”をもう用意してるんでしょう?
なら見せてもらうわ。その結末を)
そして三人は、夜の王都を北へ向かって駆け出した。
その足音は、静まり返った街の中で確かに響き、
まるで、舞台の幕がもう上がりかけていることを知らせる合図みたいに聞こえた。




