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『悪役令嬢(ただし、前世は推理小説家)は静かに断罪されたい~死亡フラグを回避したら、王宮の名探偵に祭り上げられてしまいました~』  作者: 和三盆


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第18話 『檻の中の唄と、真実の匣』

朝の城は、まだ昨夜の騒ぎを消化しきれていない。人々の噂は細い糸となって街へ垂れ、朝露はその糸を淡く光らせる。シャーロットは窓辺で冷めた茶を口にしながら、その光の動きを眺めていた。胸の底には小さな石が据えられたように重く――だが同時に、研ぎ澄まされた感覚が働いている。次の一手が、いつもより鮮やかに見える日だ。


オルベールの名前は夜明け前に稟議となり、王府の取調室で小さく震えていた。ライナーの押さえた腕が固く、古顔は唾を飲むと視線を落とした。マーリエは先に問いただす鋭さを抑え、相手の喉元に優しく指を触れるように問いを紡ぐ。情報屋は脅されて吐く種と、自ら差し出す種を使い分ける。だがシャーロットは、彼の言葉の裏にある“誰かが見せた”流れを、もっと細く掬い取りたかった。


「オルベール、あなたは誰のために動いた」シャーロットの声は穏やかだが、岩をも砕く冷たさを含んでいる。


オルベールの指先が震える。彼は最初、目を逸らした。だが床の隅に転がる影を見てから、一気に言葉を放った。「衣装屋の主、マルコ。だが——ただの依頼じゃない。俺らは手伝いをするだけ、そう思っていた。だが急に“特別な取引”をお願いします、と。封蝋も、渡し方も、いつもと違った」


マーリエが紙を取り出し、帳簿の写しを叩く。細い文字、微かな印。シャーロットは指でその印を撫でる。偽造の痕跡は明らかだ。だがそれだけでは“誰の指令”かは出てこない。依頼の源は、いつだって“顔を隠した声”なのだ。


「マルコはどこだ」ライナーの声は短く、実務的だ。


「倉庫区の南側、楽団の倉庫の隣だ。だが彼は俺たちに騙された。言われた通りやったら、すぐに逃げた。『合図が鳴ったら渡せ』って言われたんだ」オルベールの言葉は熱を帯びる。恐れと怒りが混ざっている。


シャーロットは目を閉じる。演出家は直接命令を出すより、舞台の共演者たちを操るのが好きだ。そうすることで、罪の輪郭はいつも細く、人々は自分を道具だと納得してしまう。マルコの“逃げ”もその一手に過ぎない。だがたとえ彼が逃げても、残る匂いはある。匂いを辿れば、誰かが息をつく瞬間があるのだ。


午後、二手に分かれての捜索が始まった。王府は公的捜査を装いながらも、内側の目で静かに動いている。マーリエは民間の屋台筋を洗い、シャーロットは楽団の倉庫へ歩を進める。ライナーは抜け道を押さえ、捜索線を重ねる。街の石畳は足音を覚えていて、いつもより強く反応しているように思えた。


倉庫の扉は思ったより簡単に開いた。木の軋みが一瞬だけ緊張を引き締める。中には古い衣装や楽器、箱詰めされた小道具が無造作に積まれていた。匂いは埃とニス、そして遠い香水の残り香だ。だがその中に、目立つものが一つ――小さな金箔の布片、前夜に見つかった封蝋の断片と同じ色合いの赤。シャーロットは手袋の指先でそれを拾い上げ、光に翳す。


「ここで誰かが準備をしていた」彼女はライナーと合図を交わす。マーリエが奥から小さな引き出しを見つけ、鍵を回すと、中には細長い筒が一つ。筒の中には楽譜の小片が何枚も入っていて、その端には小さな符号が書かれている。ヴァレンの“署名”が散らばっていた。


シャーロットの胸の中に熱が上がる。彼はここに“自分の手の痕”を残している。だが残しているのは単純な自慢ではない。これは挑発だ。――「ここを見ろ」と誘うように。彼は自分の舞台のどこかに、あえて匂いを置く。誰かがその匂いを追えば、次の幕が開く。シャーロットはその誘いを飲み込むわけにはいかないが、匂いを利用して“真偽の網”を張ることはできる。


「ここにいた証拠は集める。マルコはどこへ行ったか」シャーロットが問うと、倉庫の隅で若い男が怯えた声で答えた。「昨夜、彼は荷を運んだ。東の橋下、旧倉庫の辺り――そこの地下室に行った」


旧倉庫の地下室。そこはかつて密談が行われ、忘れられたような場所だ。夜の湿り気が石の目に集まり、足音を飲み込む。シャーロットはそれを聞いて、心を決める。演出家の糸を引く根を掴むには、根に触れる必要がある。根は地下に潜ることが多い。


暗くなる前に、三人は旧倉庫へ向かった。月はまだ影を弄んでいて、古い扉は彼らの接近に対して何の抵抗も見せない。地下への階段は湿り、井戸のように深い。鎖の音、金具の擦れる音が響く。光を落とすと、そこには小さな祭壇のような台があり、周囲には幾つかの小箱が並んでいる。箱の蓋を開けると、中には封蝋の小さな円盤と、マルコが持っていたものと同じ赤い切れ端が詰まっていた。


だが決定的なのは、箱の底に忍ばせてあった一枚の手紙だ。手紙は小さく、走り書きで焦りのある筆致で綴られている。


『遅れた。次は五日後。楽曲の合図で渡せ。報酬は倍。逃げた者は処理しろ。——Vより』


署名はただ一文字、鉛筆で引かれていた。V。ヴァレンの頭文字か、それとも誰かの符号か。シャーロットの指が震えた。これで、誰が糸を引いていたかがほぼ確定する。――演出家の直接指令だ。


ライナーが顎を引き、短く呟く。「逃がした者が処理されたということか」


「それでも、彼はミスを犯した」マーリエの声に鋭さが戻る。「直接の指令をここに残すということは、彼は我々に挑発している。だが同時に、彼は誰かの信用を損ねた。私たちはそれを利用する」


シャーロットは手紙をそっと胸に押し当てた。紙の冷たさが、明瞭な計画を帯びさせる。いま彼女が必要なのは、証拠の重ねと、演出家の“次の動き”を視覚化することだ。Vの一文字は挑発と同時に心の隙だった。誰かがそれを手がかりに、演出家の本拠に踏み込めるはずだ。


だが侵入は常に危険を伴う。ヴァレンは“舞台”で罠を張る天才だ。直接踏み込めば、また新しい犠牲が出る。シャーロットは一瞬、リースの顔を思い出す。震える目、細い指。彼女を救えたとしても、他の“舞台の駒”はまだ散らばっている。


「先に公開の圧力をかける」シャーロットは低く言った。「我々が見つけた証拠を、匿名で散らす。ただし、広げ方を工夫する。演出家が期待する“劇的露出”ではなく、冷たい連結で示すの。論理が感情を冷やすように」


マーリエは小さく笑った。「あなたらしい。一つ一つ線を結ぶのね。感情の洪水を、理性の網で受ける」


ライナーは即座に動いた。捕縛計画はすぐに用意され、王府の少数精鋭を招集して夜の行動予定を固めた。シャーロットは心の中で盤を見渡し、次の手番を設計していく。彼女はヴァレンが“もっと面白い”と言った意味をだんだん肌で理解している。彼は単に混乱を好むのではない。彼は「人がどう選ぶか」を賭けている。ならば、選ぶ材料を与えるのは彼にほかならない。しかし、その材料をこちらの手で差し替えることもできる。


その夜、東風が街を撫でる。シャーロットは書斎で最後の準備をする。羊皮紙に写された手紙の写しを三つに分け、匿名の封筒に入れる。封をして、外へ出す。封筒は街の三か所に置かれる。新聞屋の屋台、教会の寄付箱、劇場の楽屋。どれも、人々の目に触れやすく、しかし舞台の演出を凌駕しない場所だ。理性の種を撒くには適している。


深夜、封筒はそれぞれの場所に行き渡った。翌朝、噂は冷たい断片として街に落ちるだろう。人々はまず読む。次に考える。ヴァレンの“楽曲の合図”は既に五日後にあると書かれていた。それは大きな舞台だ。時間を与えられたということは、こちらにも反撃の時間があるということだ。


シャーロットは窓の外で薄暗い星を眺め、唇を噛んだ。計画は一つの成功も失敗も呼び込む。だが今、確かなのは、彼女が待つのではなく仕掛ける者になったことだ。舞台の主導権は、少しずつ戻りつつある。


机の上に、いつもの小さな紙片が滑り込んだ。角にはあの楽譜の断片。だが今回の文面は短く、あまりにも冷たい。


「盤の色が変わってきた。面白い。五日の間に、君は何を失い、何を得る?」


ヴァレンの文は挑発だ。だが挑発は、彼にとっての愛撫であり、戦いの合図でもある。シャーロットは紙を握りしめ、息を吐いた。五日。長すぎず、短すぎない時間。舞台の幕が上がるまでに、彼女が為すべきことは多い。救うべき人、守るべき秩序、そして賭けに出た自分の名声。


夜の影は長い。だが朝の光は必ず来る。シャーロットは立ち上がり、仲間たちのもとへ向かった。五日後――演出家の“合図”が鳴るとき、王都はまた一度、選択を迫られる。


彼女は口元で小さく笑った。笑みには甘さも、苦さも混じる。選ぶのはいつも人だ。舞台がどう転んでも、最後に責を取るのは、人の選択なのだから。

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