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『悪役令嬢(ただし、前世は推理小説家)は静かに断罪されたい~死亡フラグを回避したら、王宮の名探偵に祭り上げられてしまいました~』  作者: 和三盆


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第17話 『影の報酬と、硝煙より静かな罠』

朝は静かに、しかし確実に連続していた。前夜の騒ぎで城内は疲弊しているはずなのに、その静謐はどこかぎこちなかった。人々はいつもより慎重に声を下げ、目を泳がせた。噂はゆっくりと、だが確実に街へ溶けていく。シャーロットは窓辺に立ち、白く薄まる庭を見つめながら自分の心臓の鼓動を数えた。十、十一、十二。数えるたびに、夜の決断が確かに現実へ変わっていったことを思い知らされる。


昨夜、彼女は自らの名を晒し、命を賭けた。リースは取り戻された。だがそれは代償をともなう勝利であり、泥紛れのように後味は重かった。今朝、王府内の噂は「名探偵の正体」「前世の秘密」「王太子の判断」──そうした言葉がどの順に口を伝い、どれが歴史の一滴となるかだけの違いでしかなかった。


マーリエが静かに書斎に入ってきた。顔色は白くはない。手には小さな紙束を抱えている。ライナーは既に武具を整えていて、目つきがいつもより鋭い。三人の間に、余分な言葉はない。


「朝の急報よ」マーリエは短く言った。「王府の一部が、君の公表で動揺している。だがもっと厄介なのは……外の情報屋の網だ。ヴァレンの名を聞いた者が、報酬を提示して動き始めているって」


シャーロットの眉が静かに寄る。報酬。動機はいつでも金か恐怖か名声だ。今回、演出家は「名声と恐怖」を同時に散らしている。誰かが短絡的に金に飛びつけば、別の糸が引かれる。彼女は地図を取り、矢印を新たに引いていく。点が増え、線は濃くなるが、核心はまだ深い霧の中だ。


午前の執務は短く、ぎゅっと濃縮されたものだった。アルフレッドは公務の合間にシャーロットを呼び、扉を閉める。王太子の表情は硬い。疲労の下に隠れた決断の胎動がある。


「私は、君に対して感謝している。だが」彼はやや言葉を選び、「政治は血がつきものだ。だからこそ、我々はその血の流れを最小化しなくてはならない。君が晒されたことは、君の意思の強さを示す一方で、王府にとっての脆弱性でもある」


シャーロットは軽く笑った。笑みの端は、どこか冷えている。「王府が私を脆弱だと見るなら、それはそれで仕方ない。少なくともリースは生きている」


アルフレッドはしばし黙り、やがて舌先で言葉を紡いだ。「だが、君がここまで犠牲を払うなら、我々はもっと根を切らねばならない。ヴァレンが外に網を張る前に、こちらも網を構築する。そこで協力してほしい」


協力、という言葉は温度を帯びる。シャーロットはそれを受け取る。だが同時に、一つだけ条件を出す。彼女は公の場での戦を望まない。舞台裏の静かな導線を好む。だが今の状況は強制力を要求する。彼女は自らの“正体”という切り札を使ったのだから、王府も公的な責任を負うべきだと考えていた。


交渉は短時間で済んだ。アルフレッドは堂々とした顔で頷き、指示書を出す準備を整えた。シャーロットは部屋を出るとき、ふと手にした羊皮紙の端を擦った。その紙の端にまだ、昨夜の血の匂いが残るように感じられた。


午後、まずは細尾を締める動きから始めた。マーリエには外の筋を当たり、主に噂を流している連中の洗い出しを依頼する。ライナーは王府の護衛を使って、街の要所を押さえる。シャーロットは自ら情報の“流し手”へ変装して接触することにした。直接的に相手の懐へ入るのは、彼女にとって最も愉しいリスクでもある。


変装は簡単だ。少しだけ目元を隠し、髪を下ろし、庶民の衣を纏う。だが目は変わらない。推理者の目は、どんな装束をつけても真実を探る。それを悟った外道たちは、やがて反応を示す。


市場の一角、噂を売る連中が自然発生的に集まる場所がある。シャーロットはそこで、わざと小さな火種を撒くように振る舞った。ヴァレンの名を囁けば、耳は自然と尖る。だが噂の種はわざと古いものを混ぜ、真実の種と偽の種を織り交ぜる。相手がどの種を拾うかを観察するのだ。


しばらくすると、古顔の情報屋が近づいてきた。牙のように尖った笑顔をしている。彼はアルフレッドの配下が動いているとは知らない。いや、知っているかもしれない。だがそれでも、誰かの報酬には触手を伸ばす。


「お嬢さん、面白い噂だね。報酬は?」彼の声色は低く、貪欲さが滲む。


シャーロットは財布の紐を軽く緩める仕草をして、噂の詳細を少しだけ差し出した。情報の取引はいつも、小さな嘘で始まる。だが彼女はその嘘に細工を施していた。噂を拾った者の経路を逆引きする仕掛けが随所に織り込まれている。相手が自らの足で吐き出す証言こそが、最も生々しい証拠になる。


古顔は小さく笑って立ち去った。だがその背後で、小さな紙片が落ちる。マーリエの目がそれを見逃さなかった。紙には、彼が次に会う人物の時刻と場所が、薄い鉛筆で書かれている。行き先はある酒場だ。場所がわかった。網の目は少しずつ閉まる。


夜――酒場は人が集まる。暖かい灯り、木の板のきしみ、酒の匂い。ここは嘘も本音も混ざる場所だ。シャーロットは入口の影で息を潜める。ライナーは正面から静かに入っていき、マーリエは屋根伝いに抜け道へ回る。三人の心は一つに整っている。


酒場の奥で、古顔が再び誰かと会う。会話は低い。シャーロットは息を詰め、その言葉の断片を拾う。「……外の男は今日、王府に行った。報酬は倍だ。ヴァレンの名が出れば、もっと出す」


その瞬間、ライナーが動いた。静かに、しかし確実に相手の足を止める。古顔は驚き、だが腕力で抵抗するつもりだ。ライナーは短く制する。マーリエが屋根から飛び降り、即座に二人の背後を塞ぐ。シャーロットは奥の席に腰を下ろったまま、静かに立ち上がる。彼女の顔は普段より真剣だ。情報屋は拘束され、取引の現場が露見する。


取り押さえられた古顔は、最初は口を固く閉ざした。だがマーリエの冷たい手つきが一つ、二つと効き、やがて彼は小さな名を吐いた。「……オルベール。小さな商館の使い。王都の東側、倉庫区の甲号倉庫に居ると聞いた」


情報は断片だが濃い。オルベールは橋渡しの一端を担う人物だと判明した。シャーロットはその名前をノートに書き記す。盤は少し動いた。だが動きのたびに、演出家はそれを見て笑っているような気分がするのを彼女は振り払えなかった。


帰路、シャーロットはふと自分が晒したものの大きさを思う。名を晒すことは、人にとって一生を変える行為だ。アルフレッドはそれを政治的に利用しただろう。だが個人に戻れば、彼女は単なる女性であり、誰かに抱かれ、誰かの愛を求める存在でもある。演出家の仕掛けは、その最も人間らしい部分を狙っていたのだ。だからこそ、怒りは深かった。


夜半、王府の書斎に戻ると、羊皮紙がいつもの場所に静かに差し入れられていた。鉛筆で描かれた小さな楽譜の断片が角にあり、そこには短い一行。


「駒が動くのは愉快だ。だが、君が自ら舞台の中心になるとは興味深い。次はより重い賭けを差し上げよう」


サインは冷ややかだ。シャーロットは紙を破らずに折り、胸の内で燃えるものを少し抑えた。演出家の挑発はいつもそうだ。相手を動かし、その反応を楽しむ。だが今は楽しんでいる余裕はない。彼の楽しみを断つのは、彼が考えるほど容易ではない。


窓の外、遠くで一度だけ拍手が鳴った。音は冷たく、小さく響いた。誰かが舞台の幕の向こうで身を震わせているのを、シャーロットは確かに想像した。


彼女は立ち上がり、羊皮紙を机の引き出しへとしまった。明日の盤は、もっと重い。だが彼女は知っている。勝負は数でなく、読みと代償の取り方で決まる。ヴァレンの次の一手は何か。彼女はそれを読むべく、自分の感覚をさらに研ぎ澄ました。


そして、心の中でひとつ決めた。たとえ舞台の中心でずぶ濡れになって倒れることがあっても、誰かの命を天秤にかける選択は、もう二度と人任せにはしない──彼女の手で終わらせると。

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