第10話『演出家はカーテンの向こうで微笑む』
明日更新予定だった第10話を今日あげておきます。
その為、明日は更新をお休みさせていただきます。
冷気と埃の匂いが混ざった部屋は、沈黙が濃かった。
ランタンの光がゆらゆら揺れて、壁に映る影まで落ち着きがない。
シャーロットは自分の手がわずかに震えていることを自覚していた。
恐怖じゃない。
警戒と、そして――奇妙な期待。
「やっと来てくれたんですね、シャーロット嬢」
その声は、背中のうしろから静かに降ってきた。
足音もなく近づいてくる気配に、心臓が一つ跳ねる。
振り返らなくても分かる。
あの男――“演出家”ことヴァレン・グレイ卿。
気配そのものが、まるで舞台袖の幕を揺らす風みたいだった。
「あなたの呼び出しに応じる理由なんて、本来どこにもないはずですが」
「でも来てくれた。それで十分です」
ヴァレンは一歩踏み出して、光の端に輪郭を落とした。
その笑みは、柔らかい。
けれど奥に“底の見えない何か”が沈んでいた。
シャーロットは眉を寄せる。
この男、表情を見せているようで見せていない。
光が頬を照らした瞬間だけ、彼の目の奥に一瞬だけ動く影――
それを読み取るには、普通の勘じゃ足りない。
「あなた、何が目的なんです?」
「目的?」
ヴァレンはゆっくりと首を傾げた。
「あなたがどれほど美しい推理をするのか、それを見たい――ただそれだけですよ」
「……美しい?」
「ええ。推理は舞台です。犯人も証拠も観客すらも、劇の一部。
その“舞台”をどう動かすか。
あなたは無意識に、それをやっている」
その表現に、シャーロットの皮膚がぴりりと反応した。
なぜそんなことを言えるのか。
なぜ“無意識”だと断定できるのか。
なぜ、この男の声はいつも“核心だけ”を刺してくるのか。
「――あなた、私の前世のことまで知ってるわけじゃないでしょうね」
「あいにく、そこまでは。
ですが、あなたの推理の“手つき”は前世を感じさせますよ」
ヴァレンは微笑んだ。
だが、その目は笑っていなかった。
(この男……本当に危険)
推理力が、恐ろしいほど“自然体”で働いている。
シャーロットは思わず、自分の足がわずかに後ずさるのを止めた。
ここで引いたら負けだ。
そういう直感だけは鋭く働く。
「さて。今日あなたを呼んだ理由ですが――」
ヴァレンが片手を上げると、奥の扉がトン、という音とともに開いた。
マーリエとライナーが姿を見せる。
二人とも、わずかに緊張している。
この男を前にして落ち着いていられる者のほうが少ない。
「三つほど、気になる“不自然な動き”があります」
ヴァレンの声はやけに静かだった。
静かだからこそ、逆に怖い。
「まずひとつ。例の密室事件――あなたは現場をほとんど見ずに“推測”を立てた。
ボクはそれを、あなたの天才性と解釈していましたが……
どうやら違うようだ」
「違う?」
「ええ。あなたは“犯人の心理”を読んでいる。
死角の動き、怯え、躊躇い、計画の穴。
まるで横で見ていたかのように」
シャーロットは息を止めた。
心がひりつく。
読まれている、と思った。
「次にふたつめ。
あなたは“介入しないように”動いている。
これは好奇心旺盛な名探偵にあるまじき姿勢だ。
ゆえに――あなたは本来、舞台に立つ気がない」
「……それの、どこが悪いの?」
「いや?むしろ興味深い。
逃げたい者ほど、舞台で輝くのです」
ヴァレンの笑みが一段深くなる。
「そして、みっつめ。
あなたは知らないはずなのに――“この物語に定められた死”を避けている」
部屋の空気が、刺すように冷えた。
マーリエが息を呑む音が聞こえる。
シャーロットの胸がぎゅっと縮んだ。
「……どういう意味?」
声が少し震えた。自覚したくなかった。
「決まっているでしょう。
あなたの動きには、まるで“脚本”を知る者のような迷いがある。
この国の運命を回避しようとしている。
ただの推理では説明がつかない」
ヴァレンの声は柔らかい。
しかし、その内容は鋭すぎる。
(まさか……ここまで近づいているなんて)
シャーロットは笑おうとしたが、喉が乾いて声が出づらい。
「あなた、まさか……この国の悲劇の“原因”がどこにあるのか、知ってるんじゃないよね?」
「もちろん知りません」
ヴァレンは肩をすくめた。
「ですが――“誰か”が、あなたを殺そうとしている。それだけは、確信しています」
シャーロットの背筋がぞわりと波打った。
「だからボクはあなたを守りたい。
そして――その美しい推理で、舞台を救ってほしい」
やわらかい声なのに、逃げ場を塞がれたような圧があった。
「さあ、シャーロット嬢。
あなたはどう動く?
舞台に立つのか、それとも――ボクの手のひらで踊るのか」
一歩踏み出すと、ヴァレンの影がシャーロットの足元に重なった。
その瞬間、胸の奥で何かが跳ねた。
恐怖。
そして――対等な知性に向けた、危険なほどの興奮。
「……あなたに、踊らされる気はないわ」
ようやく絞り出した声は、少しだけ震えていた。
ヴァレンはゆっくりと微笑んだ。
「それでこそ、舞台の“主役”です」
光が揺れ、影が伸びた。
舞台の幕は――もう開いているのだった。




