第1話 『運命のプロローグは、あまりにも陳腐だった』
目を覚ますと、絹の天蓋が頭上にあった。柔らかな寝台、ふわりと香る花の匂い、そして――鏡の中に映る見知らぬ少女。
金糸のような髪、宝石めいた碧眼、透けるように白い肌。どう見ても「貴族令嬢」以外の何者でもない。
「……誰、これ」
寝起きの頭で呟き、もう一度目をこする。だが、鏡に映る顔は変わらない。完璧なまでに整った美貌が、困惑気味に眉を寄せている。
そして、その瞬間、脳裏に電撃のような記憶が走った。 ――これは、前世で最後に読んだ、あの三流恋愛小説の世界。
「……は?」
半ば呆然と呟いた。悪役令嬢が嫉妬でヒロインを陥れ、王太子に断罪される――テンプレ展開の安っぽい筋書き。 しかも、悪役令嬢の名前は――。
「シャーロット・フォン・ヴァインベルク。……私?」
そう、前世で彼女が「キャラ崩壊が酷い」と酷評した、あの悪役令嬢だ。
「嘘でしょ。よりによって、あの子に転生?」
自分の名を呟き、ベッドの上で頭を抱える。処刑エンド一直線。読者としては「ざまぁ展開」でスッキリするが、当事者としては冗談ではない。
「いやいや、死ぬとか無理。そもそも、あんな薄っぺらい動機で断罪されるなんて、納得できるわけないでしょ」
冷静になれ。推理作家としての癖が顔を出す。彼女は前世、数多の殺人事件を紙の上で解決してきた女。論理で構成された筋書きにしか納得しない性分だ。
「まず状況を整理しましょう。私は悪役令嬢ポジション。死亡フラグは“嫉妬”“陰謀”“断罪”。つまり、この三点を避ければ死なない」
深呼吸をひとつ。思考を巡らせながら、彼女は決意した。
「目立たない。関わらない。物語の主軸から静かにフェードアウト。これで完璧」
――そう思っていた。
だが、人間の“性”は、そう簡単に抑えられない。
数日後、王城で開かれた夜会。貴族たちが煌びやかな笑顔を貼り付け、社交辞令を飛ばし合う中、シャーロットは壁際で静かにシャンパンを傾けていた。
(話しかけられない。目立たない。完璧な傍観者……)
そう念じていた矢先――。
「王妃様の首飾りが、消えました!」
悲鳴とともに音楽が止まる。会場中がざわめき、視線が一斉に王妃へと注がれる。豪奢なダイヤのネックレスが、確かにない。
侍女たちは青ざめ、兵士が慌ただしく走る。疑心の空気が漂う中、シャーロットはふと、ある光景に目を留めた。
王妃付きの侍女のひとり。手にしている白い手袋。その片方だけ、うっすらと黒く汚れていた。
(……あの位置に飾られていた首飾りは、燭台のすぐ下。煤汚れ。つまり、彼女が……)
気づいた瞬間、反射的に口が動いた。
「――あの侍女の手袋、片方だけ汚れていますわね」
静寂が走る。誰も彼女の言葉を理解できずにいたが、王太子が侍女に視線を向けた途端、場の空気が変わった。
結果は単純だった。侍女が盗みを働き、宝石を隠そうとして失敗したのだ。
事件はすぐに解決。しかし、そこからが誤算だった。
「今の推理、見事でしたな、シャーロット嬢」 「まさか王妃の首飾り事件を瞬時に……!」
周囲の驚嘆の声が、静かに広がっていく。
「え、違います。ただ偶然、ちょっと目についただけで……」
弁解もむなしく、翌日には『顔を見せぬ名探偵』の噂が王都を駆け巡っていた。
そして一週間後。王太子からの正式な書状が届く。
『名探偵殿、ぜひ王宮の顧問としてお力をお貸しいただきたい。――アルフレッド王太子』
「……断罪を回避したかっただけなのに。なんで名探偵ルートに入ってるのよ!」
机に突っ伏しながら、シャーロットは心底泣きたくなった。
だが、この瞬間、彼女の“静かに生きたい”計画は、完全に崩壊したのだった――。




