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【アップしました】男山教会4月17日礼拝説教/思記

初めまして、天川裕司です。

ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。

また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。

どうぞよろしくお願い致します。

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


【アメーバブログ】

https://blog.ameba.jp/ucs/top.do


【男山教会ホームページ】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【YouTube】(不思議のパルプンテ)

https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos


【ノート】

https://note.com/unique_panda3782



【YouTubeドラマにつきまして】

無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、

お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。

基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。

創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪

出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬

でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、

どうぞよろしくお願いします(^^♪


※過去にアップしたものを再アップしております^^



【本日のメッセージ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=aNBm5htMd8A&feature=youtu.be


【ブログ】

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12738550237.html

(ブログを見てくださると聖書を閲覧できます)


子ども説教 主題と暗唱聖句


イエスさまは、ほうむられた墓から三日目に復活された御使いは女たちに言った。「あなたがたは恐ることはありません。・・・[十字架につけられたイエスは]・・・前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。」

マタイによる福音書28章5節[新改訳2017]


前奏 

招詞 ローマの信徒への手紙6章8~11節

詩 編 歌 100番(3節)

開 会 祈祷

主 の 祈り

十   戒

子ども説教

マタイによる福音書28章5節

こどもさんびか

キリスト・イェスは[改89(1節)]

牧 会 祈祷

聖書 

ホセア書13章9~14節(旧P1419)

コリントの信徒への手紙一15章50~58節(新P322)

説教

「死よ、お前の呪いはどこにあるのか

~復活の主イエスの勝利を信じる者の幸い」

宮武輝彦

祈 祷讃

讃 美 歌 154番(1節)

みことばの交読文 

ローマ 8章35~39節

感謝のささげもの・祈祷

頌 栄  546番 

祝 祷  

執り成しの祈祷

報 告


讃美歌~♪


讃 美 歌 154番

https://www.youtube.com/watch?v=GpKoOiwD5rE


 1)地よ 声たかく 告げ知らせよ

   きょうイェス君は よみがえれり

   いのちの君は あまつ園に

   われらを召して 入れたまえり


 2)とこよのひかり てりかがやく

   みくらにいます 君を仰がん

   あめより漏るる かちうたにぞ

   地なるわれらも 声をあわせん


 3)あめよ よろこべ つちよ うたえ

   ものみなともに ほめたたえよ

   イエス君きょうぞ よみがえれる

   ああかぎりなき さかえの日よ


2022年4月17日 礼拝説教 中心聖句


陰府よみの支配からわたしは彼らを贖うだろうか。…死よ、お前の呪いはどこにあるのか。陰府よ、お前の滅びはどこにあるのか。…

ホセア書13章14節


この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、

次のように書かれている言葉が実現するのです。…  

コリントの信徒への手紙一15章54節


はじめに

主の受難と復活を覚える復活節礼拝を共にささげる今日、御言葉に聞く。

陰府よみの支配からわたしは彼らを贖うだろうか」とは、「わたしは、よみの力から彼らを贖い出し、死から彼らを贖う」(新改訳2017、カルヴァン)とも訳される、創造主なる神の支配とその約束を告げる預言。それは、使徒信条において、主イエス・キリストの十字架の死と葬りに続いて、「陰府にくだり」と告白するのは、「わたしが最も激しい試みの時にも」「わたしの主キリストは、十字架上とそこに至るまで、御自身もまたその魂において忍ばれてきた言い難い不安と苦痛と恐れとによって、地獄のような不安と痛みからわたしを解放してくださったのだ」と「確信するため」(ハイデルベルク信仰問答問44)。キリストが負われた「陰府よみ」に心を留めるとき、それは死後を案じるよりも、かえって、わたしたちは、現世において、わたしたちが負っている、時に「地獄のような不安と痛み」を、キリストがその魂において負ってくださったゆえに「解放された」と信じることに導かれる。聖霊降臨の日に、使徒ペトロによって、「神は(十字架につけて殺された)イエスを死の苦しみから解放して、復活させられ」たことを、「彼は陰府に捨てておかれず、その体は朽ち果てることがない」との御言葉(詩編16編)の実現が告げられた(使徒2章24,27節)ように、キリストの復活は、今や、わたしたちを死の苦しみから解放する。

「死よ、お前の呪いはどこにあるのか」とは、「死よ、私はおまえの死となろう」(ルター、カルヴァン)とも訳される、神自ら死を滅ぼすことの約束。使徒パウロは、「(ゆえに)わたしは(、)神に対して生きるために、律法に対しては(によって)律法によって(に対して)死んだ」と言う。それは、「わたしは、キリスト共に十字架につけられて」いるから(ガラテヤ2章19節)。ルターはこう講解する。「罪や死や悪魔やあらゆる悪と直面しても、顔面蒼白となることはない。悪魔がその全力をあげて彼(信仰者)を攻撃し、この世のすべての恐怖をもって彼を圧しようとすればするほど、彼はこの恐怖のただ中で希望を得、そして次のように言う。『悪魔よ、そんなに怒るな。落ちついているがよい。なぜなら、キリストと呼ばれる一人のかたがおられるからである。このかたは律法を廃し、罪を裁き、死を追放し、陰府を打ち壊された。悪魔よ。このかたはおまえの悪魔だ。なぜなら、このかたはおまえを捕らえ、おまえを征服なさったからだ。こうしておまえは、私や、キリストを信じるすべての者に、もはや害を加えることはできなくなるのだ』と。悪魔はこの信仰を征服することができない。むしろ信仰によって征服されてしまう(ヨハネ一5章4,5節)」。

「憐れみはわたしの目から消えさる」とは、「悔い改め(慰め)はわたしの目から隠されている」(カルヴァン)とも訳される。ホセア書の背景には、小国イスラエルが強国アッシリアとエジプトのはざまで翻弄された姿がある。国家的危機のみならず、宗教的堕落と腐敗が蔓延していた。ホセアの預言が使徒パウロにおいて、キリストの勝利を歌う声となるとき、ただ絶望が滅ばされたゆえであることが示される。

おわりに

「忍耐によって、命をかち取る」(ルカ21章19節)道は、ただ、キリストが死と滅びを征服された勝利の道。わたしたちの信仰はただこの道に立つ堅固なもの。


〈Mynote〉


(子供メッセージ)

「イエス様は、葬られた墓から三日目に甦られた」

御使いは女に言った。「あなたがたは恐れる事はありません。十字架につけられたイエス様は、前から言って居られた通り、甦られたのです。」

(公同礼拝)

『ホセア書』(第一三章九節から一四節)

『コリントの信徒への手紙』(第一五章五〇節から五八節)

キリストの復活。受難節。

「と言うのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者に甦らされ、私達は変えられるのである。なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着る時、聖書に書いてある言葉が成就するのである。」(『コリントの信徒への手紙』第一五章五二節から五四節)

聖書には死後の事が書かれてある箇所は殆ど無い。

死後の世界云々より大事な物事を聖書は教えて居る。

キリストが陰府に降り甦られたと言う事を信じる事は、私達人間も同じように陰府の内から甦った、という事を信じる事。

イエスを死の苦しみから解放されて復活させられた。

神は陰府をも司る。

聖書の復活はあいだを問う。この世で絶望的な苦しみを経験しても、不安にあっても、その中から神様はその経験を以て救われる。捨てて置かれない(朽ち果てる事が無い)。

この地上こそ、陰府とも捉えられないか?キリストの復活信仰こそがこの地上での「地獄のような不安や苦しみ」から救われる。朽ちないものに変えられる。

悪魔はこの信仰を征服する事が出来ない。寧ろ信仰に悪魔は征服されて居る。

「私はキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、私ではない。キリストが、私のうちに生きておられるのである。」(『ガラテヤ人への手紙』第二章一九節から二〇節)

私達は本当の自由を知って居るか?社会や政治が悪いから自由が得られないのか?

信仰の力というのは、この人の世でそれほど真剣に求められて居ないのか?

宗教的な堕落・腐敗も現在の人の世にはある。

人生の勝利宣言。キリストが死の内から復活された。→死を克服された。悪魔を征服した。私達全体の勝利。→これこそが、教会の勝利宣言。

忍耐を以て勝利を勝ち取れ。イエス様が(キリストが)私達に言われた言葉。

この世のあらゆるものは、私達を神の愛から引き離す事は出来ない。


思記〜「使徒の記」より〜


手塚治虫と宮崎駿を見比べて、宮崎駿の方をけちょんけちょんに貶して居るブログ記事を見た。筆者は女性。はっきり、どうでも良い。その内容では宮崎作品を「オリジナルの性質が殆ど無い、手塚氏の方は有る」から始まり、更には容姿の点に言及し「宮崎駿はダサい!手塚氏は品性豊穣且つ知的で形が良い…」等と続け、もう読んでて笑っちまう位の悪文が連々並ぶ。幾ら日記が主観文と言えどもそれを一室ではなく世間に公表した時点で読まれるのであり、俗悪な感情を以てこの様に暴評するのは甚だ宜しくない。拙筆・乱文と言った体に在る。全ては主観語りで、また作品云々より最終的には何の分析も無い感情論に終始して居り、迷文のていにも収まって居る。現代では公表メディアを通じ、この様な単純の乱筆が拡散される・本旨を貫く傾向が甚だ強く(非難された者にとって)まいったものだ。こう言うものが度を過ぎると惨慄を生み出す暴言(妄言)とも成り、偏見を定義に置き換える幼学とも成る。「人間・創作に競争は無い」この言葉を知らぬのか?まぁ確かにこの点を言えばこんなブログ(日記)も個人の手記に在るためはたから文句は言えないのだが、断定する内容が余り低俗に在ればそれなりに文句も付けたくなり、俺も自分のみの手記に収めて呟くのである。しかしオリジナリティの点では一理ある。俺も此処で昔に書いたが、宮崎作品の殆どは他人の原作をもとにした派生作に収まり、宮崎が一から創作した物は限られて来る。『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『もののけ姫』『毛虫のボロ』等は原作に数えられるが、他にこれと言う形で「一から原作を創作・構想した」と言える作品は他に知らない。探せば在るとは思うが、大体どれも「子供向け作品とし形に成れば何でも利用しそれを纏め上げ、とにかく子供が純粋に喜べる手助けとする上、その成長に貴重な一瞬を多作が添えれば良い」等とし、その姿勢でこれ迄やって来た…この経緯に明るい。詰り余り原作には拘らないのだ。「取り敢えず(宮崎が理想とする儘)子供の役に立てば良い…」この意気込み一つで演って居る、と言う情景が見て取れる。しかし作家と成れば又「自作を量産する事に意義が有る」等とされる場合、その様に在る他の作家と見比べられたら宮崎は劣等の内に仕舞われようか。こんな単純な見立てにより、このブログ筆者の女性はクソ味噌に宮崎一方を貶して居たのだ。先ず作家の本意を見るべきである。それから公評するが良い。作家の座右・意図・それによる行動は様々である。太宰治にしても原作の土台を別に求めた物は甚だ多く、後世に評され人気を博す。そもそも人の創作は経験を基にして居る。その時点で一から生み出された作品はそう多い物に無く、もし在ったにせよその創作は「人に読んで貰う作品(商品)」として成立しない場合が殆どである。日記の書き方一つにしても、それを記す文字は他人から借りたものに在ろう。それにより表現も同位に在る。その基準レベルの話に在り、その点からオリジナルを問えば「一体誰が無から生み出された生粋(初めから)のオリジナル作品を表現出来て居るのか?」と成る上、ピックアップ出来る者はそう居ない(皆無と言って良い)。そこ迄を果して考え、この女性は断定の形で評して居るのか?えらい延々(ながなが)と書いてある。それらしい文言・形容が転々並ぶ。加えて所々に「あれほど優れた…」「彼の方が更に素晴らしい…」「これは絶対違いない」など自活の言葉が這い渡り、最後は「あーやっとこれですっきりした」で締め括られる。この末尾の締めに感情論への評が集約される事になるが、同様の比較評価にしても、この様な姿勢では書かぬが良い。評が只の悪口に成るだけだ。


優劣を付けるのは競争に在る。それは詰り神様が創られたものに人間が優劣を付ける事に在り、同じ被造物に在り、神秘・自然・自身を全て知らぬ人間が、訳も解らぬまま定評して居る姿に過ぎない。徒労に在る。


★小学校の頃に歌った大好きな歌★


〜星の歌〜

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=7__juss2YhA


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/


Table Caffe〜


榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」

https://www.youtube.com/watch?v=MCyjy8BuIIw&t=2s


「SEIZE THE DAY / 今を生きる」

https://www.youtube.com/watch?v=A7Aobi9nmWM


イエス・キリストの生涯をたどる旅 II (1)

https://www.youtube.com/watch?v=vPB9SBXalPA


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@不思議のパルプンテ/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


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