55:震える手をそっと
六日後の午前十時過ぎ。
王都の城前広場は人々で埋め尽くされていた。
今日はバーベイン様の即位二十七年を祝う記念式典が行われる日だ。
私はこの広場で女神クラウディアを讃え、永劫の平和を祈る古代語の歌を一曲歌うことになっている。
式典で歌うのは老若男女問わず、この国で最も強い神力を持つ者。そういうしきたりがある。
二つの村と北の街を浄化した私は国内で最も強い神力を持つ大聖女と認められ、名誉ある歌い手に抜擢された。
式典は順調に進み、いまはバーベイン様が『演説塔』に立ち、声を大きくする球形の魔導具――『拡声器』の前で国の発展と繁栄を願う言葉を口にしている。
『演説塔』は広場の端に建てられた塔。
円柱に階段をくっつけたような作りをした塔の上ではかつて初代国王が建国を宣言し、王と共に旅をした聖女エレンティーナが祝いの歌を歌ったという。
いつも通り授業を受けつつ、その陰で猛練習してきたけれど、果たしてうまく歌えるだろうか。
広場に押し寄せた人の数が、期待に輝く無数の目が、塔の階段の下で出番を待つ私に並々ならぬ重圧を与える。
「緊張してる?」
両手で杖を握り締め、黙りこくっている私にノクス様が話しかけてきた。
ノクス様は上等な青の上着に白の胴衣、首に金のクラヴァットを締めている。
金髪を軽く掻き上げた形で固め、いつも以上に美しく着飾ったノクス様の魅力ときたら尋常ではない。
楽器を手に持った宮廷楽団の女性は陶酔したような顔でノクス様を見ている。
彼女だけではなく、四方八方から熱い視線が注がれていた。
「……口から心臓が飛び出そうです」
私は蚊の鳴くような声で答えた。
風に吹かれて、宝石を散りばめた帽子から垂れ下がるいくつもの装飾がしゃらしゃらと音を立てて揺れる。
今日はおあつらえ向きの晴天だけれど風が強い。
「口から心臓。それは大事件だね」
想像したのか、ノクス様がふふっと笑う。
「笑い事ではありません……本当に倒れそうなのです……何故私が歌うことになってしまったのでしょう……王族の守護聖女が式典で歌うのは史上初なんですよね?」
「神殿に所属する聖女より強い神力を持つ守護聖女など初めてだからね。ルカ。こちらに来なさい。ステラが緊張で倒れてしまいそうだ」
ノクス様に呼ばれて、宰相の近くに立っていたルカ様が歩いてきた。
金の刺繍が入った黒の正装に身を包んだルカ様はこの世の誰よりも格好良かった。
降り注ぐ陽光を浴びて煌めく黒髪、稀有なルビーの瞳、すっと通った鼻梁、一見細身だけれど逞しい身体つき、凛とした雰囲気――全てが魅力的すぎてくらくらしてしまう。
「大丈夫か? 具合が悪いなら無理に歌わなくていい。王宮に戻って休め」
私が無言で頭を押さえた理由を勘違いしたらしく、ルカ様は心配そうな顔をしている。
「いえ、体調が悪いわけではありません。ルカ様が格好良すぎて眩暈がしました」
「……冗談を言う余裕はあるようだな。本当に緊張しているのか?」
真顔で言う私を見て、ルカ様は苦笑した。
「実は、この通りです」
震える手を見せると、ルカ様はその手を優しく包んでくれた。




