34:ごめんちょっと寝てて!
「待って、ステラ」
プリムの声が私の歩みを止めさせた。
「いくら神力を使ったって無駄よ。あんたがどれほど強い神力を持っていようが関係ない。残酷なようだけど、事実だから言うわ。何をしたって無駄。これはもう人間の手には負えない」
「――え?」
呆けてプリムの顔を見る。
にわかに部屋が静まり返った。
ルカ様も、モニカさんたちも、この場にいる全員が小さな妖精に視線を注いでいる。
プリムは七色に輝く目を見開き、尖った耳をぴんと立てて、ノクス様を凝視しながら言った。
「ノクスにかかってるのは呪術よ。確実に人を呪い殺す類の――」
「待て、それ以上言うな! たとえそれが事実だとしてもルカの前で――」
「――《《呪術だと》》?」
滑り込むように発せられたルカ様のその声は、一人と一匹を黙らせるには十分すぎるほどの圧を放っていた。
部屋のほぼ中央に立つルカ様は口元に淡く微笑みすら浮かべている。
身体中に戦慄が走った。
背筋は冷たく痺れ、喉は干上がり、足が勝手に震え出す。
ルカ様は怒っている。
いいや、怒り狂っている。
――当たり前だ。
仮にノクス様がご病気で命を落とすならば、どんなに辛くても悲しくても、これも天命だと受け入れることもできただろう。
でも、呪術となると話は違う。
呪術ならば使い手がいる。
敬愛する兄を呪い殺すことを企み、実行した犯人が――憎悪すべき明確な敵がいるのだ。
殺意で飽和寸前のルカ様を見て、プリムはびくっと震えた。
本能的に恐怖したのだろう。
顔を引きつらせ、半透明の羽根をゆっくり上下に動かしながら、ルカ様からじりじりと距離を取ろうとする。
不意に、ルカ様の周りに黒い小さな球が出現した。
目の錯覚かと思えるほど小さな球は、ぷつぷつ、ぷつぷつと宙に浮かんでその数を増やしていく。
球は隣同士で結合し、さらにまた別の球と結合して徐々に大きくなっていく。
ぞくりと肌が粟立ち、全身から冷や汗が噴き出した。
まるで心臓を素手で鷲掴みにされたような気分だ。
あの球は駄目だ、危険だと、もう一人の自分が金切り声で叫んでいる。
早く止めないと大変なことになってしまう――
「……ルカ様。落ち着いてくださ」
からからに乾き切った喉に唾を送り込み、ルカ様に手を伸ばしたときだった。
「ごめんちょっと寝てて!!」
目にもとまらぬ速さでルカ様の背後に回ったラークが首筋を一撃した。
声も上げられずにルカ様が卒倒し、それに伴って宙に浮かんでいた謎の黒い球の大群も消失する。
「ふう。危ないところだった」
ぐったりしているルカ様を片腕で抱えながら、ラークは一仕事を終えたかのように額の汗を拭うポーズをした。
なんとも言えない沈黙が落ち、止まった時間が動き出す。
「…………。ぶはあ」
極度の緊張に息を止めていたらしい。
プリムは胸に手を当てて身体を折り曲げ、大きく息を吐き出した。
「あー……勘弁してよ。死ぬと思ったわよ。マジで」
「私も思いました」
同意したモニカさんの顔面は蒼白だ。
もっとも、それはこの部屋にいるほぼ全員に言えることだった。
騎士として荒事には慣れているはずのシエナはまだショックから抜けきれず、佇んだまま石像化している。
危うく暴走しかけたルカ様の魔法を見ても平然としているのはラークだけだ。
「モニカ、ルカを寝かせたいから部屋貸して。まさか死にかけてるノクスの隣に放り込めとは言わねーよな?」
てきぱきとした動きでルカ様を背負いながらラークが言う。
「そ、それは止めてください。ご案内します。こちらへどうぞ」
ショックよりも己の職務に対する責任感が勝ったらしく、モニカさんは表情を引き締めてお仕着せの裾を翻した。




