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幼なじみ


 私を帝都に呼び出した『張さん』は隠居した元役人だ。

 本人が語らないのでどんな仕事をしていたのかは知らないということにしている(・・・・・・・・・・)けれど、隠居用にそこそこ大きな邸宅を購入できたのだから現役時代は稼いでいたのでしょう。


 若い頃から書類仕事をしすぎたせいか、時には歩けなくなるほどの重度の腰痛を抱えている。

 本人いわく「因果応報。今までの悪行が返ってきた」とのこと。自覚があるようで何より。


 慢性的な腰痛も西洋の回復魔法なら治せそうなものだけど、回復魔法は『患部の時間を巻き戻して治療する』時間操作系の魔法なので、あまりに長期間の病気、大昔の怪我だと治療の効果が薄くなってしまうのだ。


 なので私が張さんにできるのは鍼灸による痛みの緩和と按摩による体幹の歪み矯正くらいのものだ。あとは痛み止めの処方。


 それらはだいたい一時間ほどで終了する。毎月のことなので張さんも慣れたものだ。


「ふぅ、助かりましたぞ凜風様。おかげさまで痛みもずいぶん引きました」


 老人と言っても差し支えない張さんがゆっくりと頭を下げてきた。痛みが引いてもまだ普段通りには動かないみたい。


「毎度のことですが対症療法ですので。いずれまた痛みはぶり返すでしょう。痛いからと言って動かないでいると益々悪化しますから、適度な運動と健康的な食事を――」


「えぇ、もちろん気をつけますとも」


 返事は良いけど言うことを聞く気はなさそうだ。もう人生においてやるべきことをやったご隠居だし、これからは好き勝手に自堕落な生活をしたいのだろう。

 こちらとしても本人がいいというのなら強制するつもりはない。何不自由なく新鮮な肉を食べられる人間が、今さら野菜中心の食生活をできるはずがないもの。


 私と張さんが治療終わりの雑談をしていると……護衛と称して側に控えていた浄が割り込んできた。


『用事が終わったらさっさと帰るぞ』


「浄、そんなわけにはいかないわよ。さっきの頼まれごとの量を見たでしょう? どんなに早くても明日までかかるわよ」


 特に弓を教えるのなんて本来なら年単位でかかるところ。基本を教えるだけにしても一日は使わないと。


 それに、師匠の教えもある。


 ――この術は、人々を救うために。


 困っている人がいるなら、助けなければならないのだ。それが『力』を持つ者の責任なのだから。


「むっ」


 師匠の教えは浄もよく知っているので押し黙り。逆に、張さんはどこか愉快そうな声を上げた。


「ほほぅ、凜風様はまた厄介な仕事を押しつけられたようで。ならば今夜はうちに泊まっていかれるのはどうですかな?」


「え? でも、」


 張さんの家には何度か泊まらせてもらったことがある。けれど、親しき仲にも礼儀ありとも言うし、今日いきなりというのも……。


「お気になさらず。せめてもの罪滅ぼしですので」


「…………」


 張さんはよく『罪滅ぼし』という言葉を口にする。私としては一つ心当たりがあるけれど、その他にも色々とやっていたのかもしれない。


 千里眼(鑑定眼)で()れば張さんが今心の中で思い浮かべている罪業を知ることができる。

 けれど、いくら親しくてもそう簡単に心を読むわけにはいかないわよね。


 ……いくら反省しても罪は消えない。だからこそ、善行を重ねて死後の裁きを軽いものにしたいのかもしれない。


 いやさすがの私も本当に地獄とか死後の裁きがあるのかは知らないし、悪行を善行で帳消しにできるのかどうかも分からないけれどね。


 でも、張さんにも罪滅ぼしという理由があるのなら、あまり強く断るのも気が引ける。一日に何度も『縮地』をするのは疲れることだし、私は張さんのご厚意(?)に甘えて一泊させてもらうことにした。





 まだ日が高かったので一度下町に戻り、いくつかの依頼をこなした後。再び張さんの家を尋ねると少々の違和感があった。

 張さんが正装に身を包んでいたのだ。


 あれは、たしか宮廷の役人が着る衣装だったはず。本来なら冠や生地の色などで官職を読み取れるはずだけど、残念ながら私にそれをできるほどの知識はない。


「張さん、そんな改まった格好をして、どうしたのですか?」


 私が問いかけると張さんは困ったように白い顎髭を撫でた。なんだろう? どことなく胡散臭さを感じてしまう。


「いえ、大変申し訳ないのですが、凜風さんにお目にかかりたいという御方がいらっしゃいまして……」


「はぃ? 私に、会いたいと?」


「えぇ、こちらとしても中々に断りにくい御方でしてな」


「…………」


 宮廷で働いていた張さんが正装に身を包まなきゃいけなくて、願い事を断りにくい相手? それはもう貴族とか皇族とかじゃなかろうか?

 そして、そんな高貴なるお歴々の中で私に会いたがりそうな人物は……一人しか思いつかない。


 嫌な予感。

 正直言って踵を返して逃げ出したい。でもそうすると張さんの顔に泥を塗ることになりかねないし、逃走という選択肢は選べないわよね。


 しぶしぶ。渋々私は張さんの後についていく。こぢんまりとしながらも手入れが行き届いた庭の回廊を渡り、応接間へ。


 人払いをしているのか部屋の中には一人しかいなかった。立場を考えれば、たとえ幼なじみ(・・・・)に会うとしても護衛数人は侍らせていなきゃいけないのに。いやそもそも宮廷から気軽に出られる立場じゃないわよね?


「――久しぶりだな、凜風」


 部屋の中で待っていた人物は座っていた腰掛けから鷹揚に立ち上がり、ずいぶんと懐かしい声色をかけてきた。


 私がよく知る幼なじみ。

 でも、そんなのは遥か昔のこと。


 明かりのない部屋でもなお輝くような天子御礼服。

 機能性の欠片もない冠は、我が国ではよほど偉い人にしか許されない冕冠(べんかん)だ。

 燃えるような赤い瞳。夜の闇を切り取ったかのような黒き髪。荷運びで鍛え上げた隆々とした肉体。……あ、いや、今では『戦場で鍛え上げられた』という方が的確か。


 日中のほとんどを宮廷で過ごしているせいか、肌色はずいぶん白くなっていた。荷運びをしていた頃は日焼けで真っ黒だったのにね。


 いわゆる天子様。


 大華国九代皇帝・劉宸《リュウチェン》陛下。


 五年前、先帝陛下の御落胤という立場ながら権力闘争に打ち勝ち即位された――いや、なされた? おなりになった? ……最高敬語とか使う機会がないので何が正しい言葉遣いなのか分からない私であった。


 まぁ敬語はともかくとして。皇帝陛下がおわす部屋に庶民である私が入るわけにもいかないので廊下で跪き、額を床に『こつん』と叩きつけた。


 いわゆる叩頭の礼。

 欧羅の人間いわく、世界で最も屈辱的な礼。


 皇帝陛下が目の前にいるのだから、庶民としてはこのくらいしなきゃいけないでしょう。


 もちろん、『迎えに来なかった幼なじみ』に対する嫌味が溢れていることは疑いようもない。


「……凜風。そこまで畏まる必要はない。顔を上げてくれ。俺とお前の仲ではないか」


 私の叩頭の礼を受けて皇帝陛下は辛そうな声を絞り出した。ざまぁみろ。


「いえいえ偉大なる皇帝陛下を前にして、庶民である自分が畏まらないわけにはいきませんわ。顔を上げるなどもってのほか。陛下のご威光によって目が潰れてしまいますもの」


 今の私はきっと活き活きとした声を出しているのだろう。我ながら性格悪いわー。


「…………、……もう梓宸(ズーチェン)とは呼んでくれないのか?」


 梓宸とは皇帝陛下の昔の名前だ。先帝陛下の落胤を自称し始めた頃から皇族の名字である『劉』を使った名前、『劉宸』を名乗り始めたらしい。私も噂でしか知らないけれど。だってこいつ(ふみ)の一つも寄越さなかったし。近況報告くらいしろこの馬鹿。


 しかし、「呼んでくれないのか?」って、こやつ自分に酔いすぎじゃなかろうか?


 そもそも今さらなぜ私の前に姿を現したのだろう? もしかして、迎えに来たとか? 結婚の約束を守りに来たとか?


 ……いやいや、ないわ。


 もしもそうだったとして。皇帝になってから5年、結婚の約束から数えれば12年。その間ずっと放っておかれた女が、文の一つも寄越されなかった女が、「約束を守ってくれたのね! 好きよ梓宸! 結婚して!」となると本気で思っているのだろうか? だとしたら頭の中がお花畑すぎである。皇帝がそれでは我が大華国の未来は真っ暗だ。


 だというのに。


「約束通り迎えに来たよ、凜風」


「…………」


 私がゆっくりと頭を上げると、梓宸は優しく微笑みながら右手を差し出してきた。まるで欧羅の物語に出てくる騎士様のように。


 私は目を細めながらその手を取り、


 逃がさないためにきつく握りしめ、


 立ち上がりつつ、


 足を強く踏み込み、


 その勢いを腰に伝え、


 捻りを加えて、


 足から腰へと伝わった『力』を右腕と拳に乗せ――



 ――思い切り、ぶん殴った。



 皇帝陛下を。

 この国で一番偉い人間を。

 天子様と崇められ、人を超越した存在として扱われる御方を。


 力の限り。

 12年分の怒りを込めて。


 顔を狙っては跡(証拠)が残るので、腹部を。思い切り、打ち抜いた。


「ぅぐっ!?」


 小さくうめきながらその場に倒れ込む皇帝陛下。いやさ梓宸。ざまぁみろ。


 皇帝陛下を殴っちゃったけど、まぁ大丈夫でしょう。私が知っている梓宸はこの程度で怒りはしないし。……いざとなったら神仙術で記憶を消してしまえばいいのだ。腹を殴ったから物的証拠はないし。


 ちなみに。下半身の大事なところではなく腹部への一撃にしたのはせめてもの情けである。私にも愛国心があるのである。皇帝陛下の子供が三~四人しかいない状態で『宦官』になったら一大事なのである。なんてできた(・・・)女なのでしょう私。


 ……本音を言えば潰して(・・・)しまいたかったけどね?


 私の怨念を感じ取ったのか梓宸はビクリと身体を震わせて。そんな私たちの様子を見ていた浄は「よくやった!」と拳を握りしめ、張さんは「()もありなん」と髭を撫でていた。この空間、皇帝陛下に対する敬意が皆無である。




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