調査依頼
すでに処置は終わっていたので、牀(寝台)の上に侍女を寝かせる。
「この侍女はもう大丈夫なのですかな?」
「えぇ。毒は全て取り除きましたので、命の危険はありません。念のため数日休息させた方がいいでしょう」
「……それは難しいかもしれませんな。この侍女は忠義に厚いことで有名でしたので。止めたところですぐ雪花様の元に戻ってしまうでしょう」
「ははぁ、そんなものですか」
張さんはもう引退しているし、引退前も宰相という偉い地位にいた人だ。一介の侍女について知る機会なんて普通はないはず。いや妃の侍女なんだから普通よりは目立つかもしれないけど……それにしたって限度はある。そんな張さんまで知っているって、この侍女、どれほど目立っていたのやら。
「……凜風様。少し真面目な話をしたいので、場所を移してもよろしいでしょうか?」
「ここでは盗み聞きをされると?」
「そこまでは言いませんが……医務室という場所柄、いつ誰がやって来るか分かりませんからな。もう少し人通りのない場所に移動できればと」
「まぁ、そういうことなら」
私も一応あの現場にいたのだし、取り調べも受けなきゃいけないか。そう判断した私は医官に侍女を任せて張さんに付いていったのだった。
◇
宰相が執務をするという部屋には梓宸の他、張さんの孫で現役宰相である維さんと、親衛隊長である孫武さんが待っていた。
「凜風。あの侍女の容態はどうだった?」
ちょっと不安そうに尋ねてくる梓宸。皇帝陛下が一介の侍女の心配をするとは器の大きいことで。
……いや、『一介の侍女』じゃない可能性もあったりして? なにせ彼女は妃である雪花様の侍女。お通りのときに梓宸の目にとまる可能性はあるし、この女好き変態幼なじみのことだから妃だけでは満足できず侍女に手を出していても不思議じゃないわね……。
「なんだか俺の名誉が著しく毀損されている気が?」
「気のせいね」
口約束浮気子作り野郎に毀損されるような名誉はないし。
「あの侍女さんだけど、毒物は除去できたので死ぬことはないわ。あとは念のため数日安静にしておけば……」
「あー、それは無理だろうな」
皇帝陛下にまでこんな反応をされるとは。どれだけ有名なのかしらねあの侍女は。もしかして雪花様の毒味役も自ら希望してやっているとか?
と、現役宰相である維さんが一歩前に出た。
「凜風様。まずはお礼を言わせていただきたい。陛下が自ら歓待する宴で毒殺騒ぎが起きようものなら、陛下の権威が失墜するところでした」
歓待相手が出自も怪しい神仙術士なんですから……という理屈じゃないんでしょうね。『賓客のいる宴で毒殺事件を防げなかった皇帝』として、反対貴族が利用するってところかしら?
「いえ、お気になさらず。あの状況で助けないという選択肢はありませんし」
というか初対面であんな敵意剥き出しだった維さんから感謝されるとムズかゆいというか。なんだか居心地が悪いのでそろそろ帰ってもいいですか?
そんな私のささやかな願いは叶わないようで。
「凜風様。これは妃暗殺未遂事件です。調査にご協力をお願いしたい」
「あー、はいはい。私のことをお疑いで?」
なにせ端から見たら私は『嫉妬に狂って妃を毒殺してもおかしくはない』立場だものね。いや実際は『なんで梓宸のために人殺しにならなきゃならんのか』って感じだけど。
私の率直な物言いに維さんがうろたえた。
「い、いえ、疑ってなどいません。貴女はずっとお爺さまと行動を共にしていましたし、毒を混ぜようにも厨房の場所を知らないでしょう。そもそも宴会の場に招待されることも想定外だったはずですし。そんな状況なら毒も携帯してなかったでしょう」
「あー」
そう言われてみれば。私は容疑者から外れるのか。いや神仙術を使えば張さんの目を誤魔化して移動することもできるし、厨房らしき場所を探知することもできる。さらに言えば欧羅魔術・空間収納を使えば気づかれずに毒の運搬をすることも可能なんだけどね。
……う~ん、こう考えると神仙術士ってなんとも暗殺者向きね。余計な疑いを掛けられたくないから黙っておくけれど。
さて。維さんによれば事件の調査に協力して欲しいとのこと。
「私が犯人と疑っているわけではないのなら……いったい何にご協力すればいいのですか?」
「毒の入手経路を調べれば、ある程度は容疑者を絞り込むことができます。貴女は毒を食べた侍女の治療を行っていました。毒の種類に心当たりはありませんか?」
「…………」
心当たりがあると言えば、ある。というか千里眼で視たので正解も知っている。
別に隠すことでもないので素直に答えてしまう。
「――水仙です」
「やはり水仙ですか……」
維さんが悩ましげに手を額へとやった。水仙は初代皇帝が愛した花であるおかげか国の施設では大抵水仙が植えられているし、たぶん王宮内の庭もそうであるはず。今日は縮地でやってきたからまだ庭は見てないけど。
しかし、水仙は毒草だ。
さらに厄介なことに、我が国では特別な扱いを受ける野蒜と見た目がそっくりなのだ。花が咲けばすぐに見分けが付くのだけど、葉っぱだけだとねぇ。
私も何度か野蒜だと思って水仙を食べてしまった人の治療をしたことがあるくらい、この国ではありふれた食中毒事故となる。
まぁ、幸いにして毒はそこまで強くないし、症状として嘔吐が含まれるのですぐに体外へと吐き出され、死亡事故なんて滅多に起きないのだけど。特に王宮では毒味役が必ず付くし。
毒草だから王宮内から排除したいのに、初代皇帝ゆかりの花だからそれもできない。もし強行すれば「初代皇帝を軽んじている!」と攻撃の対象になるだろうし……。宰相である維さんからしてみれば悩ましいでしょうね。
やれやれと維さんが首を横に振る。
「いくらなんでも王宮への納入業者が水仙と野蒜を間違えることはないでしょう。となると、誰かが故意に混入したことになります。入手自体はその辺の庭から簡単にできますし。しかし水仙が毒と知っているなら、毒性も低いことも知っているでしょう。それでもなお水仙を使ったとなりますと――」
そこまで語った維さんが憂鬱げなため息をつく。
「――赤子の堕胎を狙った犯行であると自分は考えます。凜風様はどうでしょう?」
「まぁ、可能性は高いですよね」
毒味をした侍女の主である雪花様はたしか子供を宿したばかりであるはず。そんなときに毒を食べさせられたらお腹の赤ん坊に悪い影響が出るかもしれないし、もし毒味でバレたとしても『毒殺されかけた』という精神的な負荷によって――というのはあり得る話だ。
次の皇帝に自分の子供を据えたい妃の犯行か。あるいは皇帝の寵愛を得たい内官(妃妾)がやったのか。もしかしたら妃の背後にいる貴族や派閥が絡んでいるかもしれない。と、維さんは考えているのでしょう。
あーこわいこわい。庶民の私には縁遠い世界だわ。こんな怖い世界からはさっさと逃げ帰って平々凡々とした神仙術士としての日常を取り戻したいものよね。
と、私は願っているというのに。
「――凜風」
梓宸が私を見る。あの頃と同じ目で。あの頃と同じく期待を込めて。私ならば断らないと確信しながら。
「凜風。侍女があんな目に遭って雪花も不安に思っているだろう。……しばらく雪花の側にいてやってくれないか?」
「え~?」
「凜風なら安心して任せられるんだ」
「ん~?」
「なぁ、凜風」
「そうねぇ……」
「凜風」
「……分かった。分かったわよ。だからそんな捨てられた子犬みたいな目を向けてくるのはやめなさい」
あまりにも皇帝らしくない姿に、ため息をつくしかない私だった。




