32話 簡単すぎる試験と盲点
「はじめ!」
先程の赤茶色の髪の教官の号令とともに、裏返された用紙をめくる。
ざっと目を通しただけでレティシアは不敵に笑った。
(んふふ~、楽勝楽勝~)
周囲からため息やうなり声が若干聞こえたが、無駄に威圧してくる赤茶色の髪の教官が咳払いしただけで、一気に静寂に包まれた。
ただ聞こえるのはペンの動く音と呼吸音だけ。
頭を抱え絶望している者が視界の端に写ったが、レティシアは少々どころでなく疑問符を浮かべる。
(さすがに簡単すぎない? ちょっとは間違えるべき?)
ためらいなくペンを走らせているのはほんの一握りの受験生だけだ。
その中でもレティシアは突出して早い。
ギルドで得た情報通り、難しいものはほとんどなく、『朝の挨拶は?』とか『この国の主食は?』などという、小さな子供でも答えられる質問だ。
それを神聖文字で書けるかが重要で、受験生達を悩ませているのだろう。
しかし、前世において日常言語だった神聖文字は、たとえレティシアが神の加護を持っておらずとも、考えるまでもなく自然と頭に浮かぶ。
書くこともしかり。
わざわざ頭の中で変換せずともスルスルと流れるように湧く文字を、つっかえるはずもない。
レティシアにしたら実に無意味な作業だ。
さすがに赤茶色の髪の教官が不審そうにレティシアの斜め後ろに立った。
まったく悪いことはしていないのだが、そんなにじっくり答案用紙を見られると、悪いことはしていないのにドキドキする。
うっかり間違えたらどうしてくれるのか。
いや、ちょっと間違えるぐらいがちょうどいいかもしれないが、前半と後半で正解数にあからさまな違いが出ると、不正を行ったと思われかねない。
それは困るなと、レティシアは後ろの存在を無視し、試験に集中した。
当然ながらあっという間に最後の回答まで書き切った。
ただこれまで学べなかった分野の問題となると、やはり一夜漬けで暗記しきるのは難しく、空欄の場所もいくつかある。
この学校の校長の名前は? などという問題もあるが、この国に来てまだ数日のレティシアが知るはずがない。
(書き終わったからやることなくなっちゃった……)
なにやら背後から無言の圧を感じつつ、残された時間をぼーっとするだけのレティシアを、教官は眉間にしわを寄せて見つめていた。
少しすると満足したのか、他の受験者の監視に戻る。
そして……。
「そこまでだ。ペンを置け」
教官の号令とともに、筆記試験が終わる。
「やっと終わった……」
問題が簡単すぎるゆえに時間が余りに余って退屈だったレティシアは、ほっとして机に突っ伏す。
答案用紙が回収されると、すぐさまエアリスが飛んできた。
教官の方へ目を向けても特になにも言われなかったので、もうそばに置いても問題ないようだ。
「次は実技試験だ。すぐに移動するように」
ぞろぞろ動き出す受験生の波に紛れるようにレティシアも立ち上がると、後ろからデュークが走ってくる。
「レティ!」
「デューク。試験はどうだった? 難しくなかった?」
「あれを難しいと思う人なんているの?」
愚問だったようだが、今の発言で幾人かを確実に敵に回した。
恨めしそうにデュークを睨む受験生がいたが、きっと苦労した人達なのだろう。
「デューク、無駄に敵を作らないようにね」
「……うん」
肯定はするものの、デュークにはいまいち理解していないようで、疑問符を浮かべている。
敵対するなら殺せばいいなどと物騒なことを言わないだけよしとする。
「じゃあ、実技試験の場所に行こう」
「うん」
普段は学生達の訓練場とされている広く開けた外にある場所では、幾人もの魔導師が結界を張って待機していた。
風や火や水といった、それぞれの属性の特徴を持った結界を張っている。
試験に関係しているのは理解できたが、どのようなものかが分からない。
筆記試験と違い、実技試験は毎年方法がことなるのであらかじめ備えるということができないという。
ちなみに去年は黎明の森での薬草採取だったようだ。
一見簡単に思えるが、黎明の森の魔獣は強く、一筋縄ではいかない。
下手をすると死人すら出かねない危険なものだが、そこは教官達が一定区間の強い魔獣を排除した後に行っていたとか。
レティシアからしたらなんてぬるいのかと驚愕する手厚さだ。
まあ、中には実力に見合わないのに受験してくる者が大勢いるので仕方ないのだろう。
他国の貴族の記念受験なんかもあるらしい。
それに、そもそも魔導師を育成するための学校なのだから、今はまだ魔獣を倒せなくて当然だ。
試験の意図としては、黎明の森で怖じけずくような者では、魔導師には不向きだということで落とされるのかもしれない。
今回の試験はこの訓練場で行われるらしく、ほっとしている者が周囲に幾人も見受けられた。
「今年は森じゃなかったか」
「よし! 森じゃないならどこでもいいよ」
「今年ならなんとか受かるかもしれない!」
「森はもう二度と嫌だ……」
よほどトラウマを抱えているらしい声が方々から聞こえてくる。
「なにがあったの……?」
レティシア達が千年王国にたどり着くために平然と通ってきた黎明の森は、魔導師を目指す受験生達ですら恐怖するかなり危険な場所だったと知ったのはこの国へ来てからだ。
魔獣も強く、それ故に素材は重宝され、高値で買い取りしてくれる。
予想外の売値に舞い上がっていたレティシアが、魔導師ギルドならばその倍の値段で買ってくれると宿の店主から聞いて驚愕したのがそもそもの受験理由である。
なんともお金に意地汚く感じる志望動機だが、お金がなくては生活できないのでレティシアとて必死である。
なんとしても試験に受からなければと気合いを入れるレティシアに、ひどく憎々しげない声が届いた。
「どうしてお前がいるんだ」
レティシアが振り返れば、そこにはロドニーが立っていた。
あの時は突然の再会に気が高ぶっただけで、次に会う時には昔のように接してくれるのではと淡い期待を抱いていたが、ロドニーがレティシアを見る目つきは変わらない。
むしろいっそう鋭くなっている気がする。
「おい、なんとか言えよ」
けっして声を荒らげているわけではないのに、棘のある声と眼差しがレティシアを射抜いてくる。
まさかロドニーが魔導師を育成するための学校にいるなんて予想外だった。
「どうしてロドニーが……」
なにせ、村でロドニーはレティシアの魔法をうらやましがることはあっても、使っていた記憶はないのだ。
何故という疑問を抱く中、ロドニーから向けられる眼差しは、素早く動いたデュークが目の前に立ったことで遮られた。
「俺のレティになんの用?」
ぶわりと指輪から力を抜かれ、レティシアは嫌でも我に返る。
闇の力が強まったためか、強制的にレティシアの力を吸ってデュークの闇の力を抑えている。
きちんと付与した魔法が機能しているようだ。
「おお、最高神様がちゃんと仕事してる」
若干失礼な感動を抱くレティシアにエアリスが囁いた。
「それより、レティを俺のって言うところにツッコむべきじゃね?」
「そこは別に気にしてないけど」
否定して闇堕ちするよりずっといいが、エアリスは不満のようだ。
「気にしろよ。小僧のくせにずうずうしい。両方まとめて潰していいか?」
「駄目に決まってるじゃない」
コソコソとレティシアとエアリスはそんな話をしていた。
レティシアは、次にロドニーと会った時にどんな顔をしたらいいのか恐怖心すら持っていたが、意外に落ち着いている自分に驚いた。
それは目の前で静かにブチ切れているデュークと、いつもと変わらぬ調子のエアリスがいるおかげに違いない。
デュークにいたっては、いつ武器を取り出さないか、そちらの方が気になってロドニーに心痛めている場合ではなかった。
ロドニーはレティシアに敵意むき出しであったが、それは殺気の籠もったデュークの眼差しの前に負ける。
「自分は男に守られていいご身分だな」
デュークに負ける悔しさもあるのか、吐き捨てるようにしていなくなった。
「レティ、やってもいい?」
「俺様に半分残しとけよ」
不穏な言葉を吐くデュークとエアリスに、レティシアは頭痛を覚える。
「駄目だってばっ!」
普段仲が悪いくせにこういう時だけは意見を一致させる。
不機嫌なオーラを発するデュークとエアリスをなだめていると、赤茶色の髪の教官が声を上げた。
「全員集まれ。これから実技試験の説明をする」
「ほらほら、試験が始まるよ」
これで話を逸らせると、レティシアは喜々として教官の近くへ向かう。
他の受験者も集まったのを確認し、教官が話し始める。
「今ここに防御魔法を張っている教官達がいる。受験生は好きな教官を選び攻撃しろ」
ただそれだけを告げる教官に、受験生達は困惑気味。
一人がたまらず手を挙げた。
「そこ。なんだ?」
「それだけですか?」
「そうだ」
「合格基準などは?」
「教えるわけがないだろう」
そりゃそうだと、レティシアは静かに頷く。
「以上だ。さあ、教官を選べ」
そう言われてすぐに動ける者は少なかった。
逆にすぐに動くのはまったくなにも考えていない者だろう。
言葉の通りただ攻撃して終わりなはずがない。
まず、各教官の張る防御魔法の属性が違う。
それを見極め、己の得意とする属性魔法がなにか、どの防御魔法に最適か考るべきだ。
けれど、その考えに至らない者は、お構いなしに我先にと突撃している。
「どけ、私が先だ」
そう言って他の受験生を押しやり、一番先に始めたのは、試験前に騒いでいた貴族の男性だった。
「庶民に私の力を見せてやろう」
まるで自分が手本だと言わんばかりに魔力を練り上げる貴族男性は、ためらいなく攻撃して、教官の防御魔法が燃え上がる。
どうだと言わんばかりの得意げな様子を見て、レティシアは重大な過ちに気がついた。
「あぁぁ、しまったぁ!」
「なんだ?」
「どうしたの、レティ?」
心配するエアリスとデュークに、レティシアは困ったように呟く。
「実技は余裕と思ってギルドから情報仕入れなかったけど、私が生まれたのは都市部から離れた村だったから、一般的な力の強さが分からないの」
「それが?」
エアリスはよく分かっていないようだ。
「やり過ぎたら目立っちゃうじゃないっ」
「おー、そりゃそうだ」
ようやくエアリスにも理解できた様子。
レティシアの目指す平凡な生活において、大魔導師のような強い力を披露する必要はないのだ。
むしろ邪魔でしかない。
「ヤバい……。目立たず平均値ぐらいで合格するにはどうしたらいい? そもそもどれぐらいが一般的な強さなの?」
黎明の森を怖がっている周囲の声を聞く限り、黎明の森の魔獣は強いと推察できる。
ギルドでも高値で売れたぐらいなのだから、討伐は難易度が高いのだろう。
「黎明の森の魔獣を簡単に倒せる力だと目立つかな? なら、苦労して倒せるぐらいの強さで攻撃したらいける?」
「まあ、それぐらいでやればいいんじゃね?」
「エアリス、もっと親身になってよ」
「俺様だってずっと魔導書の中で眠ってたんだぞ。今の一般的な魔導師の強さなんて知るわけないだろ」
「ごもっとも」
レティシアもエアリスも、基準となっている魔導師は、ともに邪竜を倒した昔の仲間達だ。
しかし、千年王国に入国してからというもの、死線をかいくぐってきた彼らが、今なお魔導師の頂点にいるのは噂でよく耳にしている。
下手に昔の魔導師を知っているからこそ、今の平均的な強さが分からない。
「どうしよう……」
やり過ぎるわけにはいかない。
「それなら他の受験者の様子見て、適当に合わせたらいいんじゃね?」
「……それしかない、か。でも、さっきから見てるんだけど弱すぎない?」
レティシアは次々に結界を張る教官に攻撃していく受験者達を見る。
先程からチラチラ見てはいたが、教官達の結界は揺らぎもしていない。
「人数が多いから、実技は他のところでもしてるらしいし、あれが正解なのか不正解なのか分からないんだけど! 弱すぎたら今度は落ちるし、結界を壊したらやり過ぎ? どっちが正解なの……?」
もっと情報収集しておけばよかったと、レティシアは頭を抱える。
すると、それまで静かだったデュークが動いた。
「じゃあ、俺が行ってくる」
「デューク?」
「俺が結界壊してくるから、それ見た周りの反応でだいたいの強さ分からない?」
デュークの言葉ではっとするレティシアに天啓が下りた。
「なるほど。それなら、壊せるのが普通なのかどうか分かるかも。でも、もし強い場合デュークが目立っちゃうでしょ」
「俺は気にしないからいい。レティの役に立つなら俺を好きに使ってよ」
「おう、いい心がけだ、小僧。さっさと行ってレティの糧となれ」
「黙れ、焼き鳥にするぞ。お前のためじゃない」
エアリスはデュークに睨まれながらも「けけけっ」と笑った。
そして、デュークが先に教官から離れた正面に立つと、手に力を込め始めた。
それはどこまでも深い深淵のような闇の力。
それが、レティシアが渡した指輪という媒体によって集まっていく。
「デュークの力との相性はよさそうね」
「そりゃ、あれだけレティが物騒なものから過保護すぎるものまでいろいろ付与したからな。逆にあれだけしてやつに合わなかったら、どの媒体も合わねえぞ。あんなんバレたらどうすんだよ」
「ちゃんとそうと分からないように撹乱の魔法も付けてるから大丈夫」
そう話している間に準備が整ったのか、デュークの手の中に集まった深い闇の力が一気に放出され、試験官でもある教官の結界にぶつかると、結界を呑み込むようにしてかき消し、そのまま教官を吹っ飛ばした。
「ぐあぁぁ!」
まさに人が宙を舞い、地面に叩きつけられた瞬間、辺りはしんと静まり返った。
レティシアにとってはさほど威力のあるものではなく、むしろよく制御されていてデューク偉い! と保護者のように感心していたのだが、周囲はそうではなかった。
我に返った人々が途端に騒ぎ始める。
「えっ、今のなに!?」
「闇属性?」
「闇属性ってあんなに威力あるものなの?」
「あれほど強力な結界をあんなあっさりと……」
受験生が自分達の試験を忘れるほどの衝撃を受ける中、赤茶色の髪の教官が一番に助けに走った。
「大丈夫か!? すぐに医務室へ!」
「は、はい!」
弾かれたように別の教官が走って行った。
それらをずっと見ていたエアリスが冷静に囁く。
「おい、レティ。あれだとやり過ぎみたいだぞー」
「先にデュークに行ってもらっててよかったかも……」
口元を引き攣らせるレティシア。
レティシアなら、間違いなくもう少し強い威力の魔法をお見舞いしていた。
「つまり、結界を壊すのは普通じゃないってことよね?」
「周囲の反応を見るとそうっぽいな」
エアリスと話しているとデュークが戻ってきた。
「レティ、俺役に立った?」
「うん、ありがとう。すっごく助かったよ」
褒めて褒めてと言わんばかりのデュークの頭を、必死っで背伸びし手を伸ばして撫でてやる。
身長差がなんとも憎らしい。
デュークがさりげなく撫でやすいように屈むが、その行動が地味にレティシアを傷つけていることには気づいていないようだ。
現在レティシアは十六歳、デュークはおおよそだが十八歳と聞く。
たったの二歳なのに、とてもそうは感じさせないほどの大きな差があった。
レティシアが小さすぎるだけなのだが、勝手に恨めしくデュークを見つめている。
「もっと身長が欲しい……」
「そんなの気にしてるに暇があるなら試験しに行ってきた方がよくないか? 周りが騒いで見てない間に終わらせちゃえよ」
「それもそうね」
エアリスに指摘されてはっとするレティシアは、急いで向かう。
「お願いします!」
「は、はい」
とっとと終わらせようとするレティシア、勢いよく受験札を渡す。
勢いに乗りすぎて若干引かれつつも、気にしている場合ではない。
「強すぎないように、弱く弱く……」
結界を張る教官と対峙したレティシアは己に言い聞かせるように何度も「弱く弱く」と呟いた。
まだ魔力が完全に体に馴染んでいるとは言い難い。
そればかりか、使っている媒体は数日前に買ったばかりの使い慣れないものだ。
慎重にせねば魔力の操作を誤り、デューク以上の力を出してしまう。
レティシアはできるだけ力を抑え水の玉を三つほど作ると……。
「わっ、すごい。あの子三つも同時に出してる」
「わー、ほんとだ」
賞賛する声が耳に入り、レティシアはびくりとする。
(えっ、これでも強すぎ!?)
こりゃいかんとさらに弱く弱く力を細めてから攻撃すると、水の玉は矢のように形を変え教官の結界に向かってった。
真っ直ぐに向かった攻撃は、結界にぶつかる前にジュッと音を立てて蒸発してしまった。
水魔法を使うなら火属性の結界を張っている者がいいだろうと選んだ結果だが、どうやら弱くしすぎたようだ。
誰からともなく小さく吹き出す笑い声が聞こえ、試験官でもある教官が手元にある書類になにやら書き込んでいく。
「うわっ、見かけ倒しかよ」
「子供が見栄張って受験なんかするからだよ」
「後五年経ってからし直した方がいいわよー、お嬢ちゃん」
揶揄する声にレティシアは怒りより焦りを覚える。
「やばっ、もしかして弱すぎた?」
そう察した時にはすでに遅し。
教官は次の受験者への対応に移っていた。もう一度やり直しをお願いできる状況でもない。
「やってしまった……」
これは絶望的かもしれないと、レティシアはがっくりと落ち込んだ。
その時、別の教官を相手に試験をしていたロドニーの姿を発見する。
ロドニーは火の魔法で攻撃をしており、周囲からすごいすごいと賞賛を浴びていてレティシアは目を丸くする。
「ロドニーが魔法使ってる……」
村では一度として使われることのなかった魔法を使えるということは、ロドニーにも魔力があるということだ。
村が襲われた後、ロドニーはどんな生き方をしてきたのだろうか。
やんちゃないたずらっ子だった親しみやすさはそこにはなく、あるのは研いだ刃のような危うい眼差しだけだった。




