25話 狭間の世界
それはレティシアがまだ大魔導師と呼ばれる前の前世での話。
親に捨てられ、飢えと寒さに日々耐えながら、なんとか生き延びたレティシアに救いの手を差し伸べたのは、人々から忌み嫌われる魔導師だった。
人は異質なものを嫌う。
自分と違うもの、理解できないものを、まるで本能からくる仕方がないものであるように自然と恐れ、群れをなして排除しようとする。
魔力を持たない人にとって、簡単に自分達を傷つけられる魔力を持った者は同じ生き物ではないのだ。
レティシアもまた、彼女の力に恐れた者達に居場所を奪われた。
いや、追い出されたという言葉の方が正しいだろう。
唯一の味方であるはずの親兄弟ですら、レティシアを守ってはくれなかった。
それでも、レティシアは魔力で他者を傷つけたりはしなかったというのに。
皆と違うから仕方ない……。
そう諦めつつ、誰一人として傷つけたことがないのに、どうして自分がこんな目に遭わなければないけないのかという不満も持ち合わせていた。
自分の持つ力を何度恨んだだろうか。
しかし、魔導師達に拾われ、魔力の操作を教えてもらうと、レティシアはみるみるうちに魔導師の誰にも負けぬ力を身につけていった。
圧倒的な力に、魔導師達ですら畏怖する者もいたが、周囲からの差別をなにより知っている彼らがレティシアから距離を取るような真似はしなかった。
それが嬉しく、こここそが自分の居場所なのだと、自分を捨てた家族に感謝したぐらいだ。
魔導師はどこへ行っても厄介者扱いだが、仲間がいるならレティシアはどこまでも心強くあれた。
だが、転機は訪れる。
ある時、とある国が巨大な黒竜によって、一夜にして滅ぼされたという話を聞いた。
その後も、一国、二国……と、次々に竜によって
それはいつしか邪竜と呼ばれ恐れられ、邪竜討伐に国や冒険者ギルドも動いたようだが、すべてが返り討ちに遭ったという。
「魔力を持たない者では無理かもしれないな……」
レティシアの育ての親はそれらの話を聞いて、真剣な顔でそう呟いていたのが印象に残っている。
そんなある日のことだ、気がつくとレティシアは草原の中にいた。
「ここ、どこ……?」
さわさわと風になびいて草同士が擦れる音と、どこまでも続く平原。
感じるのは春のよう爽やかな風の息吹と、草の緑の匂いだけだ。
しかし、レティシアは先程まで馬小屋で寝ていた。
それというのも、宿が部屋を貸してくれなかったからだ。
忌み嫌われる魔導師では珍しいことではなく、またかと仲間内で笑い話にできるほどには慣れている。
むしろ馬と一緒とはいえ、屋根のある場所を貸してくれただけありがたい話だった。
なにせ野宿など当たり前の生活なのだから、部屋を貸してくれない宿主に対してもはや怒りも感じない。
怒るだけ無駄だと分かっていたし、そんな状況にあってもレティシアは仲間達と一緒なら幸せいっぱいに笑っていられた。
とはいえ、そこまで嫌われるからこそ、魔導師は定住せず、旅を続けている。
受け入れてくれるところがないからだが、魔導師達の最終目標は魔導師が気兼ねなく住める場所を見つけること。
そして、そこで同じように生きづらい魔導師達を受け入れられるようになれば、なんて素敵だろうか。
いつかそんな日を来ることを仲間の誰もが願いを胸に抱きつつ眠ったはずなのだが、これはどうしたことなのか。
レティシアが混乱の中、夢か現実かを確かめるように地面から生える草をおもむろに握ると、夢とは思えない感触がした。
「は? 意味分からないんだけど……?」
顔を俯かせてじっと草をいじり続けるレティシアに、突如その声は聞こえた。
「やあ、はじめまして、レティシア」
澄んだ男性のものとも女性のものとも聞こえる中性的な美しい声が耳に飛び込んできて、レティシアははっと顔を上げる。
すると、いつの間にそこにいたのだろうか。
レティシアを中心に円形に並んだ椅子に座った数名の人が、じっとこちらを見ており、レティシアは息を呑む。
レティシアの正面に位置する人は、レティシアの特徴的なピンク色をさらに濃くした瞳で見つめ、穏やかに笑っていた。
「あ、あなた誰? ここはどこ? それに他にも……」
ぐるりと周囲に目を向ければ、レティシアを囲む全員がこちらに注目していた。
その誰もが、正面に座るピンク色の男性と同じように浮世離れした容姿と雰囲気を持っている。
レティシアの一挙手一投足を見逃さないように、そして興味津々という様子で見てくるのでレティシアはたじろぐ。
「急に呼び出されて戸惑うのは仕方ないね。ここは狭間の世界。下界と神界のどちらでもなく、どちらである世界。とはいっても、ここに呼び出せるのは最高神である私の加護を与えられた君しか連れてくることは不可能だね」
「は?」
レティシアはまったく理解不能な話を続ける男性を見る。
今自分を最高神だと名乗ったのか、この男は。
「そ、そういう勧誘はお断りするように育ての親からきつく言われてますので失礼します!」
早口でまくし立てこの異様な場から逃げだそうとしたが、どうしたのか足がまったく動かないのだ。
「なんで? 足が動かないぃぃ~。くぅ~」
気合いを入れて力むが、それでも足は地面に縫い付けられたようにぴくりともしない。
「やっぱり逃げると思ったよう~。最初から動けないようにしていてよかったね」
あははっと軽快に笑う最高神なる男性の仕業と思われ、レティシアはぎっと睨みつけた。
「なんなのよ、あなた達! なんのつもり!? 意味分かんない!」
混乱のまっただ中にいるレティシアの声は自然と荒くなるが、周囲の誰も気にした様子はない。
最初からレティシアの反応は予想していたように見える。
魔法で攻撃するべきか。
いや、なにもしてこない相手に攻撃するのはレティシアの意に反する。
「まあまあ、落ち着いて、レティシア」
「落ち着いてられるか! 早く私を帰してよ!」
くわっと目を剥き吠える。
「レティシアが大人しく私の話を聞いてくれたならすぐに帰してあげるよ」
この意味の分からぬ状況から脱せるのならと、レティシアは深く深呼吸をして自分を落ち着かせる。
そして、強い眼差しで男性を見据えた。
「はい、よくできました」
静かにできて偉いねと褒めるようにパチパチと拍手する男性の言動は、いちいち気に障る。
まるでレティシアを小さな子供のように思っているのが口にせずとも伝わってきた。
「さて、レティシア。早速だけど君には邪竜を討伐してもらいたい」
「は?」
初っぱなから爆弾発言にレティシアは素っ頓狂な声を上げた。
「意味不明なんですけど!」
足は動かないが幸いにも手は動いたので、腕を振り上げて精一杯の反抗を見せる。
「はいはい、それを説明するからねー。まったくレティシアはせっかちさんだねぇ」
ヘラヘラと笑う目の前の男性に軽く殺意が湧くがここは我慢だと、レティシアは己を律した。
「まずは紹介から。私の隣にいる女性は私の妻であり闇の女神だ」
視線を滑らせて隣を見ると、漆黒の長い髪と瞳を持った無愛想な女性がいる。
表情はまったく動かないが、その容姿は光り輝かんばかりの男性の隣にいても遜色がない。
「闇の女神……」
レティシアはあまり神話に詳しくはない。
それを教えてもらうはずの学校へは行く前に捨てられたからだ。
そして、普通なら子守歌代わりに語られる神様のおとぎ話すら、親から聞かせてもらった記憶はない。
魔導師の仲間は皆似たような境遇なので特に悲しいとか気にしたりはしないが、そんな神々の知識に乏しいレティシアですら、闇の女神は知っている。
この世界を作った最高神の妻であると。
最高神はすべての神々の頂点にある存在。
光を司る最高神と、闇を司る女神は、夫婦神とも呼ばれ、結婚式の際にはこの二柱の神に夫婦になる誓いを立てるのだ。
魔導師は幾多の属性を操り魔法を行使する。
しかし、光と闇の魔法だけは、過去を遡っても使えた魔導師はいない。
さすがにこのおかしな状況に、レティシアは目の前の者達が人ならざる存在であると信じ始めていた。
落ち着いてしっかりと見てみれば、彼らから発せられる膨大な力を感じられる。
それは人間や他の種族が持つ魔力とはまた違った、もっと清廉としていて他を畏怖させる圧倒的な存在感だった。
「本当に、神様なの?」
恐る恐る問うレティシアに、最高神と名乗った男性はにっこりと笑う。
「ようやく信じたね、レティシア。私の加護を持つ唯一の愛し子」
「加護?」
「そうだよ。君には私の加護を与えている。感じたことはないかい? 自分の力の異様さに。周囲の魔導師達との力の違いに。それは君が唯一無二、最高神である私の光の力を持っているからだ」
「……光の力なんて使ったことないわ。使えるはずがない」
使えた者は誰一人いないのが、魔導師の常識なのだ。
「そうだね。使えるはずがない。けれど、君は使える。今はまだ使い方を知らないだけだ」
「そんなはず……」
果たしてないと言い切っていいのだろうか。
この状況がすでにあり得ないというのに。
「私が加護を与えたのはレティシアが初めてだからね、否定したくなるのは仕方がない。まあ、それはおいおい嫌でも知っていくことになるだろう。けれど、今は邪竜の話が先だ」
「邪竜っていくつもの国を滅ぼしてる黒龍よね?」
「その通り。だけど、彼は元々君と同じ人間だったんだよ」
レティシアは驚き目を丸くする。
「彼は闇の女神から加護を与えられた唯一の子。レティシアと同じ二人といない特別な子だった。けれど、君と違うのは悪人の手に墜ち、その力を悪用され、邪竜へと変貌させられてしまった。このままでは邪竜によって世界は滅ぼされてしまうだろうね」
「だったら闇の女神が助ければいいんじゃないの?」
「そうしたいところだけど、私達は神だからこその制約がある。下手に人間界のことに干渉できない」
「じゃあ、このまま邪竜が滅ぼしていくのを指くわえて見ていろって?」
「いいや、そうさせないために、君をこの狭間の世界に連れてきた。これを渡すためにね」
もはや疑うこともできない最高神が指を振ると、レティシアの前に一冊の本が光を放ち現れた。
「それは私の力を込めた魔導書だ。魔法を行使する際の世界最高の媒体となるだろう。そして、レティシアが光の力を使えるように導いてくれる指南書でもある。それを使って邪竜を倒してくれたまえ」
はっはっはっ! と、軽快に笑う最高神は、レティシアが彼の頼みを受ける前提で話を進めていく。
「いや、ちょっと待って。私まだやるって言ってな――」
「頼んだよー。私の愛し子。ずっと天界から見ているからねー」
間延びした緊張感のない言葉を上から被せ、必死でレティシアが待つよう訴える中、強制的に狭間の世界から追い出された。
目を覚ましたレティシアの手には最高神から与えられた魔導書があり、頬を引き攣らせる。
あれは夢ではなかったのだと確信した瞬間だった。
そして、神々の理不尽さと傲慢さを知った瞬間でもある。
まだ仕込みをする職人ぐらいしか起きていない早朝に、レティシアの叫び声が響いた。
「ふざけんなぁぁぁ!」