24話 宿での騒動
お風呂に入って汗をすっきりとしたレティシア達は、夕食を食べるために宿の一階にある食堂に降りた。
宿に泊まっている者達だけでなく、外からも人が来るようで、ずいぶんと賑わっている。
これが毎日なのだろうかと思うと、村との差を思い知らされる。
ずっと窓のない部屋で、話し相手もおらず孤独の中過ごしてきたレティシアにうるさかったが、その騒がしさが楽しく感じた。
やはり自由に歩き回れるのはとっても清々しい。
適当に空いている席に座り注文をすると、すぐに温かな食事が運ばれてきた。
野菜もお肉もたっぷりのシチューに、ずっと森で採れた食材で過ごしていたレティシアには涙が出るほどの感動を与える。
「美味しすぎる……」
頬を押さえて、じーんとしながら堪能していると、そこへ外から複数の客が入ってきた。
なんの気なしにそちらに視線を向けたレティシアの目に飛び込んできたのは、獣人の姿だ。
この国では人間だけでなく、他種族がいるのを確認していたので、獣人がいることになんとも思わなかった。
邪竜を作ったのはアカシトロビアであり、そこに住まう獣人は選民思想の塊だったが、あくまでアカシトロビアの話。
冒険者ギルドにも獣人の姿を確認していたので警戒したが、アカシトロビアの獣人ではないということだった。
どうやらこの二百年の間に、獣人の中にも他種族を受け入れる寛容さを見せるようになった国や種族もたくさんにるらしい。
闇属性だからといって偏見を持たないのと同時に、獣人だからと一括りにするわけにはいかないようだ。
獣人の意識が変わっていることは、レティシアにとっても嬉しい情報だった。
なので特に気にせず食事を再開したレティシアだったが、その獣人一行は真っ直ぐにレティシアに向かってやってきた。
なにやら怒りに震える先頭の男性獣人は、レティシアに人差し指を向けた。
「貴様! やはりここに来ていたのだな! カシュ様がどれだけ憂いておられるか分かっているのか! しかもなんだ、罪人と一緒にいるなど聞いていないぞ!」
そう怒鳴りながらレティシアからデュークに指差す方向を変える。
レティシアは『カシュ様』という名前を聞いて、一気に警戒を露わにする。
それをデュークは誰より敏感に感じ、テーブルに置いてある食事用のナイフを手に取って、獣人に向けた。
一気に緊張感が伝わる店内は、しんと静まり返った。
「誰?」
レティシアは声に警戒の色をにじませて問いかける。
しかし、もはや質問をする必要などないのは分かっている。
「私はカシュ様から命じられて来た使者だ。まったく、貴様のせいではるばるこんな下賤な国にやって来る羽目になって、いったいどうしてくれる!」
周囲にはその下賤な国の人々がいるというのに、よくもそんな大声で発せたものだ。
いっそあっぱれである。
「空気読めないって言われない?」
「なんだと?」
「周り見てみたら?」
レティシアが丁寧に教えてやれば、そこでようやく周囲の存在に気がついたとばかりに威嚇を始める。
「見世物ではないぞ! これだから田舎者は嫌なのだ。礼儀というものを知らない。お前達のような下等種は、我ら至高なる獣人にへりくだっていればいいものを。ここの国の愚かな王と王妃ときたら、無能にもほどがあるな」
「あ」
「こいつら馬鹿じゃね。どっちが無能なんだか」
思わず声をあげるレティシアとエアリス。
この獣人は今の自分の発言で、この場にいるすべての者を敵に回したと分かっていない。
この国の王と王妃は『守護者』と呼ばれる英雄だ。
大魔導師があれだけ崇められているのだから、ともに戦った王と王妃の人気がないわけがない。
活気のある町を見てもそれがよく分かる。
しかも、田舎呼ばわりするとは視力が悪いとしか思えない。
「どうこをどう見てもアカシトロビアの方が田舎でしょうに。医者に見てもらった方がいいわよ」
「なんだと、貴様!」
まあ、レティシアが生まれ育った村と比べたらアカシトロビアも都会になるだろうが、イリスフィアとは比べるまでもなく、生活水準も高いと宿の中を見れば嫌でも理解するはずだ。
それが分からないなら、エアリスの言う通り無能である。
「ちょっとばかり魔法が使えるらしいが、そんなもの獣人にとっては無駄な足掻きにすぎん。すぐにカシュ様のところへ戻るぞ。早く来い!」
そう言って怒りと興奮で顔を真っ赤にしながらレティシアの腕を掴もうとする。
しかし、その手がレティシアに触れる前に、レティシアの魔力が大きく膨らむ。
ぶわっと周囲を覆いつくすほどの強い魔力に、周囲の冒険者らしき者達が反射的にそれぞれの武器に手を置き、戦闘態勢に入った。
それは戦いを生業としている者が本能的に動いてしまっただけであったが、それを危険と判断したデュークが視線だけで威圧すると、屈強な大人の男性ですら怯えを見せる。
「武器を下ろせ。三秒以内に下ろさないなら敵とみなす」
静かな、けれど本能に恐怖を与える低い声に、冒険者達は慌てて手を下ろす。
「座っていろ」
デュークの命令に等しい言葉に反抗する者はなく、警戒しつつもそれぞれが自分の席に着いた。
レティシアはその様子を横目で見るだけで、椅子に座ったままだ。
使者の獣人はレティシアの魔力をもろに受け、まるでなにか大きなものに押し潰されているように、床にへばりついていた。
「ぐぐっ……この……」
獣人の強靭な肉体をもってしてもあらがえないレティシアの魔力。
負けを認めるのはプライドが許さないのか、必死になって足掻いているが、指一本動かせていない。
「ねえ、連れて行くんじゃないの? 早く起きたら?」
レティシアは椅子に座ったまま、使者の獣人をニヤニヤとした意地の悪い笑みで見下ろす。
同じアカシトロビアの者だろう仲間の獣人は、レティシアの魔力に怖気づいて一歩も踏み出せないでいた。
「偉そうにして、獣人はすべての種族の頂点にいる至高の存在じゃなかったっけ? なんで小娘ごときの魔力に勝てないの? ねえ、なんで?」
「さすがにドン引き~」
エアリスが横からちゃちゃを入れてくる。
「これまでの扱いを考えたら、私の優しさにむせび泣いて感謝されてもいいぐらいよ」
レティシアはにやけた笑みを消し、凍るように冷たい眼差しを獣人達に向けた。
命令したのはカシュだ。
それは分かっているが、もしかしたらこの中に、家族や村の人を手にかけた獣人が含まれているかもしれない。
そう思うと、簡単に許せそうにはなかった。
けれど、八年も前のこと。
誰が関わっていたかまで、覚えていない。
それよりも、耳に残る両親と村の人達の悲鳴が何度も何度も頭の中で繰り返される。
もう関係なく、いっそ全員……。
そんな誘惑がよぎったその時。
「なんの騒ぎだ!」
宿から入ってきた二人の人物に、全員の意識が向けられる。
一人は赤茶色の長い髪を結った緑色の目の男性。
年齢は二十代半ばぐらいだろうか。
動きやすい恰好をして、腰には剣の鞘が見えるので一見すると冒険者のようにも見えるが、彼から発せられる魔力量は魔導師と呼ばれるには十分すぎるものだ。
冒険者か魔導師か見ただけでは判断できない。
そしてもう一人は顏が確認できないほどローブを目深にかぶっているので、見た目だけでは性別すら分からない。
けれど、レティシアはその覚えのある魔力の質に、目を見張った。
「クロノ……」
レティシアの声は小さく、その主に聞こえることはなかった。
驚くレティシアが動けずにいる中、赤茶色の髪の男性が床に這いつくばっている獣人達に目を止める。
そして、そのままレティシアへ目を移動させた。
その眼光は鋭く、まるで威嚇しているかのようだ。
「これをやっているのはお前か?」
表情に反して生真面目そうな落ち着いた声に、レティシアはにっこりと微笑んだ。
「そうですけど、なにか?」
「これはアカシトロビアの使者だ」
「知ってますよ」
レティシアからしたらなにを今さらという話だ。
アカシトロビアの使者だから手を出しているのだから。
「アカシトロビアの使者を攻撃したとなれば国際問題に発展しかけない。すぐに魔法を解け」
「何故?」
「何故だと?」
まさかレティシアからそんな反応が返ってくると思っていなかったのか、男性の眉間にしわが寄る。
それがより一層男性の迫力を増しているのだが、レティシアはそれぐらいで怯えるほど柔ではない。
なにせ世界を恐怖に貶めた邪竜を相手に命のやり取りをした記憶を持っているのだから、今さら人相手に恐れるという感情があるはずがなかった。
「因縁をつけてきたのはそっちの方です。私は自分の身を守ったにすぎません。それはこの場にいる人達が証明してくれると思いますけど?」
赤茶色の髪の男性が店内にいる人々を見回すと、全員怯えながらレティシアの言葉が正しいというように頷く。
「なるほど、嘘ではないらしい。だが、このままというわけにはいかない。こちらで引き取るから解放しろ」
レティシアはすぐに了承はせず、男性を見る。
互いが腹のうちを探り合うようにじっと見つめ合っていると、横からローブの者が出てきて、レティシアの魔力をあっさりと打ち消した。
レティシアは特に驚いた様子もなく、ゆっくりと起き上がる使者の獣人を冷たく見つめた。
「貴様、人間の分際で」
地に伏せられたことがよほど屈辱だったのか、羞恥と怒りで震えている。
「ここまで実力の差を見せつけたのに悪態を吐けるなんて、ほんと笑える」
くすりと馬鹿にするようにレティシアが笑えば、さらに使者の獣人に怒りに火をつけた。
「この!」
武器代わりの鋭い爪を光らせ向かってくる獣人を、今度はどんな魔法で屈服させようかなどと考えていると、レティシアが動くより先に赤茶色の男性が動き、腰に差した鞘から剣を抜いて爪をはじき返した。
どうやら赤茶色の男性はレイピアを扱うらしい。
やはり冒険者だろうかとのんきに考え込んでいたレティシアに、デュークが近づく。
「レティ、大丈夫?」
その時、ローブの者がぴくりと反応してレティシアに目を向けたが、レティシアは気がつかないふりをした。
「大丈夫。心配してくれてありがとうね」
レティシアが微笑むと、デュークもほっとしたように穏やかな表情になった。
その一方で、いまだ使者の獣人と赤茶色の男性は相対している。
お互い一歩も引かずに膠着状態が続いていたが、使者側の獣人がひそひそと話しかける。
「ここはいったん引きましょう。カシュ様にご報告した方がいいかと」
悔しげな表情を浮かべると、使者の男性はすっと手の力を抜いた。
そのまま攻撃したら勝てたが、やはりアカシトロビアとの諍いを避けたいのだろう。
赤茶色の男性も、追撃することもなく剣を下ろした。
「覚えておれ。すぐにカシュ様に報告して身の程を分からせてやる」
「三下の捨て台詞なんてダサーい」
「逆に恥ずかしくならないのかねぇ」
レティシアとエアリスからそれぞれ馬鹿にされ、今にも襲いかかってきそうな顔をしつつも、報告する方を取り、店を後にした。
いなくなった店内はいっそう静かになった。
「店主さん、ごめんなさい。お騒がせしました~」
そう言って、レティシアは席を立って店主に握手すると同時に、ギルドで稼いだお金を少々多めに握らせた。
チャリっと硬貨の音と感触に気がついた店主は、戸惑っていた顔から一転してにこやかになる。
「いいってことよ。ここは粗野な冒険者もよく来るから、こんな騒ぎなんて日常茶飯事だしな」
そう言い残すと、ホクホク顔で店内の裏方へ下がっていった。
せっかく稼いだお金は惜しいが、騒ぎを起こすからと宿から追い出されるよりはいい。
店主とも話し合いが済んだし、これで終わりだと思っていたレティシアの前に、先程の赤茶色の男性が立つ。
デュークよりも身長が高いので、どうしても見上げる形となってしまう。
「なにか?」
「相手は獣人だ。それもアカシトロビアという国の使者とい立場の」
「だから?」
「なにかあってからでは遅い」
「それは絡んできたあっちの方に言ってくれますか? さっきも言いましたけど、私は寄ってきたゴミを払っただけなので」
「しかし、警備兵を呼ぶなりするべきだ。君の身の安全のためにも」
使者の獣人がそろいもそろってレティシアに制圧されていたのを目にしていただろうに、。
きっとイリスフィアとアカシトロビアの関係を考えると、余計な諍いは起こしてほしくないということなのだろう。
けれどあれぐらいは許してほしい。
だって、あの程度の仕返しでは足りないほどのものを奪われてしまったのだ。
もう戻らない、大切な人達と居場所を失くした。
しかし、それをこの人物に説明する義理もない。
「分かりました。今度から気をつけます」
まったく心にもない上辺だけの言葉だ。
それを相手も感じたのだろう、難しそうな顔で唇を引き結んだ。
「じゃあ、私はこれで」
もう用はないとばかりに席に戻ったレティシアは、二人の乱入者が静かに出ていくのを確認した後、デュークとエアリスがいないことに気がつく。
「あれ? どこ行ったんだろ?」
トイレかと思ったが、エアリスを連れて行くはずがない。なにせあの二人の仲は最悪なのだ。
大人しく待つことにしたレティシアは、先程のローブの人物のことを考えていた。
「まさかこんなところで会うなんてね……。まあ、あっちは気がつかないだろうけど」
ギルドで魔法具により個人を見分けたように、魔力には違いがある。
魔法具が十六歳と判断したように、今の魔力の質は、大魔導師の魔力の質とは別物なのだ
ただ、魔導書を使う時のレティシアの魔力は神の加護による力なので、大魔導師と気づかれる可能性がある。
「気をつけとかないとな……」
***
レティシアが一人宿で待っている頃、使者の獣人達は暗くなった町中を大急ぎ駆けていた。
身体能力の高い獣人ともなると、馬に乗っているより自分で走った方が断然早いのだ。
急げ急げと急かす中、門に向かって人通りが多くて走りづらい大通りではなく裏道を使っていた。
そんな時不意を突いてなにかが横をかすめた。
それは短剣で、月の光に照らされていきらりと輝いている。
「だ、誰だ!?」
ひたひたと近づく足音。
「ねえ、レティにあんなことをして、俺が許すと思ってるの?」
暗闇の中から現れた、漆黒より黒い髪と瞳を持ったデュークだった。
そのそばにはパタパタと飛ぶ小さな鳥がいる。
「レティに気づかれないようにしろよ」
「分かってる」
冷徹に黒く輝く瞳がひたりと獣人達を捉え、そして一瞬で距離を詰めた。
***
同じ頃、大通りでは、先程宿に仲裁に入った赤茶色の男性とローブの者が歩いていた。
「クロノ様、先程のピンク色の髪の少女は、陛下から通達のあった者ではありませんか? あのまま置いてきてよかったのでしょうか?」
「問題ない」
まるで繊細な楽器の音のように美しい響きの声は、静かに、けれど冷淡にも感じる。
先日、アカシトロビアからの使者が、ピンク色の髪の少女を捜索しているという話は二人とも国王から聞いていた。
国の上層部は、アカシトロビアへの嫌がらせも含めて黙認せよとの通達だったが、そんなことわざわざ言われずとも、ローブを着たクロノという男性は関わる気などない。
クロノがピンク色の髪と聞いて思い出すのは、自分を闇の淵から救ってくれた少女のこと。
クロノもまた、守護者の一人だった。
大魔導師を敬愛する者として、ピンク色の髪を持つ者への複雑な想いは苛立ちとなってくすぶる。
「しょせんはまがい物。そんな者を気にかけるとでも思っているのか」
忌まわし気に吐き捨てると、先程の少女のことを頭の隅に追いやった。
クロノが気にかけるのは大魔導師ただ一人なのだから。