23話 これからのこと
素材を換金して懐が温かくなると、とりあえず今日は休もうと宿に直行した。
邪竜の影響を知らないうちに受けていると怖いので、二人部屋を一室借りた。
他に部屋は空いていないらしく、最後の一室だったそうだ。
これは幸先がいいと喜んだのもつかの間、部屋の中を見て驚いた。
レティシアが生まれ育った村はもちろん、アカシトロビアと比べても、かなり発展している。
部屋には小さなキッチンと、お風呂がついている。
キッチンはかまどなどではなくコンロと呼ばれ、魔石がついており、そこに触れると火が出て調理ができるようになっている。
お風呂の方にも魔石があり、触れることで上から雨のようにお湯が流れてくる。
魔石をトントンと軽く叩くことで水量の調節までできる便利さ。
この部屋が特別というわけではなく、すべての部屋がそうらしい。
まあ、魔法が使えるレティシアはそのような魔法具を使えずとも火も水も出せるのだが、重要なのは魔法が使えない者にも使えるということ。
魔法に関する知識が二百年前で止まっているレティシアには衝撃を受ける出来事だった。
そんな広くもないのに驚きがいっぱい詰まった部屋で、身ぎれいにしたレティシアはベッドに飛び乗る。
「うーわー、ベッドもふかふかしてる~。もうここで一生暮らしたい」
「んなわけにいかねえだろ」
デュークはレティシアに代わってお風呂に入っているので、今いるのはレティシアの他にエアリスだけだ。
だからか、エアリスはいつになく真剣に話題を振ってきた。
「ところでよ、会いに行かねえのか?」
恐らくずっと聞きたかったのだろう。
しかし、デュークが常にそばにいたので気を利かせて黙っていたのか。
エアリスの問いかけに、わざわざ「誰に会いに行くの?」などと問い返す必要などない。
誰と言えわれずともエアリスが誰を思い浮かべているか分かっている。
「私はもう過去の人間よ。広場にあったあの像のように、今はもう存在しない過去の産物。そんな人間が今さらのこのこ出ていったって困らせるだけでしょう?」
「むしろ喜ぶんじゃね?」
「まあ、そりゃあ、たぶん喜んでくれるだろうけど、その後は? 大魔導師がこの国でどれだけの影響力を持っているかこの一日でよく分かったもの」
まるでその存在を忘れるなと世界に訴えるように、いたる所に大魔導師の存在を思わせる像や国旗が掲げられていた。
イリスフィアの国旗にレティシアの持つ魔導書が描かれていた時には、少々どころでなく複雑な感情を抱いぐらいだ。
強国であるこの国の象徴にすらなっている大魔導師という存在の持つ影響力は、きっとレティシアが思う以上に大きいと分かる。
「この国にとっての大魔導師は、ただの人ではなくなってる。そんな私が現れちゃったら、どうなると思う?」
「まあ、今の国王より上に置くべきだと言い出す奴が出るだろうな。それもたくさん。大魔導師がこんな安宿に泊まることすら許さないって騒ぐぐらいならまだマシで、国の象徴として担ぎ上げようとするだろうさ」
「それでもって、ラディオとフローレンスは迷わず私にその席を明け渡すと思う」
「間違いなく喜んでそうするだろうな」
レティシアの知るあの二人の性格からして即実行しそうなところが余計に怖い。
「私はそんなの嫌。二人には悪いけど、私の役目はもう終わったわ。千年守る結界を張った時点でね。後はもうゆっくり過ごしたい。最高神様に望んだように、平凡で普通の生活をしたい」
こんな自分勝手な考えの己を世界の人々は我儘だと責めるだろうか。
けれど、これがレティシアの素直な気持ちだ。
大魔導師なんて称号はいらない。
ただのレティシアとして生きてみたい。
「私は大魔導師じゃない。レティシアよ」
それはまるで自分に言い聞かせているようにも感じる言葉だった。
「いいんじゃね?」
エアリスは予想外にあっけらかんとしてレティシアの望みを受け入れる。
「どうするか決めるのは本人だ。それでもし正体に気づかれてたら……」
「どうするの?」
「千年王国の結界を破ってやるぞって脅してやれ」
極悪な顔をするエアリスに目を瞬かせるレティシアは、くすりと笑った。
「最強の脅し文句ね」
「だろ?」
レティシアはたまらず声をあげて笑った。
なにやら真剣に悩んでいるのがおかしくなるほど、エアリスの楽観的な考えに気が楽になる。
「なんか楽しそうにしてる……」
声のした方を見ると、いつの間にかお風呂から出てきていたデュークがじっとりと恨めしそうな眼差しを向けてくる。
「ちょっとね」
曖昧に笑って誤魔化す。
デュークに前世での話はまだ時期早々ではないかと思っていたからだ。
下手に話すことで心が不安定になると同時に魔力も不安定になる。
レティシアが記憶を取り戻す前の子供の頃から魔法を自在に扱っていたように、魂に刻まれた記憶をデュークが持っていないとも限らない。
今はなくても、レティシアの前世を話すことで流れで思い出し、嫌な記憶とともに魔力暴走が起きるのだけは阻止したかった。
けれど落ち着いたらきちんと話すつもりでいる。
「俺には話せないの?」
むっと不満そうな顔をすると同時に魔力の揺らぎを感じたレティシアは、デュークに手を差し出す。
「ほら、こっち」
レティシアの隣をトントンと叩くと、デュークは迷いもせずに素直に座る。
「デューク、魔力が不安定になってるのが分かる?」
「…………?」
どうやらまだ早かったのか、自覚はないようだ。
「もう少しデュークが魔力を制御できるようになったら教えてあげる。それまでは内緒、ね?」
「できるようになれば教えてくれるの?」
「うん。ちゃんと扱えたらね」
「じゃあ、頑張る」
とりあえずは納得してくれたようだ。
ただ、しぶしぶという様子ではある。
「ねえ、デューク」
「なに?」
「デュークはこれからなにがしたい?」
デュークはそのようなことまったく考えていなかったというように、首をかしげる。
そして、レティシアにだけ見せる無邪気な笑顔で答えた。
「レティと一緒にいる」
レティシアは途端に頭痛を覚えた。
エアリスもやれやれという様子。
「そうじゃなくてね、これからしたいこととかないの? 冒険者として名を馳せるとか、城で勤めたいとか、そういうやりたいこと」
「ない」
まさかの即答である。
もう少し悩む素振りぐらいしてくれてもいいだろうに。
いや、暗殺者として生きてきて、死ぬ理由がないから生きていると言ったデュークだ。
やりたいことがないか聞くこと自体無理な話だった。
「えっとね、私は学校とか行ってみたいなって思ってるんだけ――」
「じゃあ、俺も行く」
レティシアが言い終わる前に声を被せてきた。
もはやなにも言うまい。
デュークの世界はもうレティシアを中心に回っている。
それがいいか悪いかといえば、よくはないのだろう。
しかし、レティシアとともに世界に触れることで、デュークの世界もまた広がっていくのではないだろうか。
「分かった。じゃあ、一緒に学校に入れるか聞いてみよっか」
「うん」
村と違い、都市部ともなれば学校があるのが当たり前だ。
文字の読み書きという最低限の知識ではなく、より専門的なことが学べるはず。
しかもここは魔導師がたくさんいる国だ。
きっと、魔法を教える学校もあるに違いない。
いくつかの魔法具を見たレティシアは、どんの構造と魔法によって作られているか興味があった。
それに、デュークにとっても、魔法を学ぶのは今後のためになるはずだ。
カシュのせいで奪われてしまった普通の生活を、今度こそ取り戻したい。
「また友達とかできるかな……」
「それはいいけど、魔導書を見られないようにしろよ。絶対に面倒なことになるから」
「分かってる。でも、もし必要に迫られたら使わざるを得ないし、そうなった時はどうしようかな? 私は平凡に生きていきたいんだけどなぁ」
魔導書という誤魔化しようのない品を見られたら大事になるのは目に見えている。
悩むレティシアにデュークは……。
「レティの平穏は俺が守るよ」
そう言って浮かべた笑みはとても頼りになると同時に、目の奥に深い闇を感じてレティシアは頬を引きつらせた。
エアリスもそれは気づいているようで、忠告を一言発する。
「ちゃんと手綱握っとけよ~ 世界の平和のためにな」
「分かってるけど自信がなくなってきたかも……」
少なくともレティシアに害が及ばなければ大人しくしているはず。
そう思うことにした。