22話 光と闇の属性
「紙?」
これはなんだとレティシアは首をかしげていると、受付の女性が説明をしてくれる。
レティシアは成人しても村から出るつもりがなかったので、ギルドの登録の仕方までの知識は持っていなかった。
ましてやそこに魔導師の力が関わっているなどとは。
「ここの紙に手を置いてください。魔力を読み取って記録してくれます」
「へぇ~」
まじまじと紙を見るレティシアは、どういう構造だ? と、解析しようとしたが、それは受付の女性の言葉によって阻まれる。
「はいはい、さっさとしてくださいね。そっちの男の子も」
おざなりなその対応にレティシアはむっとする。
これは完全に嘘を吐いていると思われているらしい。
違うと口で言ったところで信じてもらえないなら、この魔法具が正確にレティシアの年齢を伝えてくれることを祈るしかないが、本当にちゃんと機能するのか少々疑っている。
そっと紙に手を置くと、微量の魔力の揺らぎが起きた。
普通なら気がつかないほど本当にわずかだ。
レティシアほど魔力操作に長けている者でなければ気がつかないだろう。
「なるほど……」
確かに魔力に反応を示しているというのを確認したレティシアは、興味津々に紙に視線を落とすと。
まるで炙り文字のように、すっと文字が浮かんできた。
それは、村でレティシアが学んでいた文字ではない。
前世でレティシアが普段使いしていた魔導師達が主に使っていた文字だ。
ここにたどり着くまで町中で見かけた文字は、レティシアが村で習っていた共通語というものだった。
多くの国で使われている言語である。
なので違和感を覚えはしなかったのだが、レティシアにとっては共通語より前世で使われていた文字の方が慣れ親しんでいる。
「お姉さん、その文字……」
「これ? これは魔導師の方が主に使う神聖文字よ」
「神聖文字……」
なんだそのご大層な名前はと、レティシアが驚くと同時に、受付の女性の大きな声が響いた。
「はぁ!? そんな……まさか……」
愕然とする女性を訝しげに見るレティシアは、女性の手にある紙を覗き込んだ。
そこには神聖語と呼ばれるようになった文字で、きちんと年齢は十六歳と書かれている。
それを確認した途端、レティシアに顔はにんまりとした。
「ふふん、どうだ! 言った通り十六歳だったでしょう?」
得意げな顔で胸を張るレティシアの向かいにいる女性は、まるで勝負に負けたかのようにがっくりと肩を落とし悔しがっている。
「なんてこと……。人を見る目は日々鍛えてるはずなのに……。というか、あなた神聖文字が読めるの!?」
今気がついたとばかりに、レティシアに驚いた目を向けてくる。
「それはこっちが聞きたいんだけど。お姉さんは普通に読めるの?」
「そりゃあ、この魔導師の多いイリスフィアで働いていたら神聖文字の習得は必須よ。そうじゃなかったら書類審査すら受けつけてくれないんだから」
「へぇ」
すごいでしょっと自慢するようなその表情に、神聖文字というのは習得が難しいのかもしれない。
ただ、レティシアにとっては共通語より親しみがあるので、いまいち難しさは理解できなかった。
そもそもレティシアの想像では、神聖文字を簡略化したのが、今の共通文字なのではないかと思っている。
たった二百年で文字すら変わるのかと衝撃ではあったが、邪竜により多くの国や種族が滅ぼされた中で、いくつもの文字や言語が失われていった。
そう考えると、意思疎通を図る意味でも、文字の統一は必要だったのではないだろうか。
「魔導師の使う文字は初見の人には難しいって言われるもんねぇ」
何故レティシアがそのように他人事のようにはなすのかは、ここにも神の加護を得た者の補正が加わっているからだ。
他の魔導師が習得に苦労する中で、神の言語すら理解するレティシアが苦労することはない。
神とはこの世界すべてを見守る神なのだから、神が理解できない言語など存在しないように、加護を与えられたレティシアにも影響を受けている。
なので恐らくデュークも――。
「デューク、読める?」
女性から紙を受け取りデュークに見せると、なんの問題もないとこくんと頷いた。
「特別属性に光って書いてる。俺のとこには闇だって」
「は!?」
「はあ!?」
デュークの言葉を聞いて同時に驚いたのは、レティシアと受付の女性だ。
受付の女性はデュークから紙をひったくってカウンターに置いて、穴が開かないかと心配になるほどかじりついて見ている。
「特別属性……光。それにそっちの子には闇。ほんとだわ……」
目をぎらぎらさせる受付の女性の反応を見て、レティシアは失敗を悟る。
この世界で光の力を使えるのは、最高神の加護を与えられた者だけだ。
これでは、レティシアが大魔導師、もしくは最高神の加護を持っていると言っているようなものである。
デュークもまたしかり。
闇の女神の加護があると教えたようなものだ。
もし邪竜を知られたらどんな騒ぎになるか、考えただけで恐ろしい。
まずいまずいと、心の中で何度も呟くレティシアは非情に焦った。
じっとりと嫌な汗が噴きだす。
ここでさっさと逃げるべきだろうか。
いや、そもそもここは戦友達が作った国で、今も王と王妃として君臨しているなら酷いことにはならないかもしれない。
きっとデュークのことも説明したら分かってくれるはず。
叱られるのは確実だろうが……。
しかし、できればひっそり目立ちたくない。
二百年経ったが、まだこの国や人が邪竜にどういう感情を抱いているのか分からないのだから。
どうすべきか。
悶々と悩むレティシアの焦りに反して、受付の女性の反応はレティシアの思っていたものよりあっさりしたものだった。
「うわぁ、光に闇なんて珍しい。羨ましい限りですね。私も光属性を持ってたら、こっちのギルドじゃなくてあっちに行ってたかもしれないのに」
おや? と、レティシアは受付の女性が驚きつつも慣れているようにも見え、首をかしげる。
「お、驚かないんですか?」
「驚いてますよ~。光や闇の魔力を持っている方なんて、冒険者ギルドの方にはめったに来ませんからね」
「え?」
なにやらいろいろ問いただしたいことが多すぎて、どこから手をつけたらいいか迷っているレティシアがどう見えたか知らないが、受付の女性が教えてくれる。
「あ、もしかして光や闇の力を持ってるって知りませんでした?」
「えーと……」
どう答えたものか戸惑うレティシアを、知らないと判断したようで、「でしたらお姉さんが教えてあげましょう。これも仕事のうちですから」と言って、それは丁寧に教え始めた。
「その昔、イリスフィアの国王と王妃に最高神から神託があったそうなんです。闇の力は決して邪悪なものではなく、本来は光と対なす闇の女神の神聖なる力だと。それを悪しき者達に利用されてしまっただけで、邪竜の意思ではない。いつかこの世界に戻って来る二人が、その力によって利用されたり迫害されたりしないよう、一部の者にも光と闇の力を与えよう。ゆめゆめ忘れるな。光と闇は常にともにある。そう言い伝わってます。まあ、どこまでが本当か分かりませんけどね。なんせ邪竜が存在したのは二百年前の話ですし」
受付の女性は、「うちの祖父母ですら生まれてない時代ですから、話半分に覚えてるぐらいでいいですよ」と、軽快に笑った。
しかし、女性の表情は一変して真剣なものになる。
「まあ、実際のところを言うと、闇の力を持った方への偏見はあります」
だろうな、というのがレティシアの率直な感想だ。
二百年程度なら、長命の種族なら当時を知る者が生きていてもおかしくない。
それに邪竜と戦った魔導師達も、いくら最高神から邪竜のせいではないと聞かされようと、邪竜が世界を壊していく様を見ていたのだから簡単に受け入れるのは難しいはずだ。
王と王妃以外にも、今やこの国を取りまとめる立場にいるであろう、戦友達に思いを馳せる。
「最高神様からそんな神託を受けてもぶち切れてる姿しか思い浮かばないんだけど……」
「同感。特にラディオな」
レティシアの小さな呟きはエアリスにのみ聞こえたようで、エアリスは大暴れしているラディオが浮かんだらしい。
しかし、レティシア的にはフローレンスも怒らせるとラディオ以上に沸点が低い時があるので要注意だった。
「うーん……」
あの二人はちゃんと王様業をできているのかと心配になってくる。
そんなレティシアの様子に、受付の女性はちょっとした勘違いをしたようである。
「大丈夫よ。ちょっと闇の力を持っているってだけで、別に邪竜になるわけじゃないんだから」
いや、それがなるんです。
そう言えたらどれだけ楽だろうか。
レティシアはデュークに顔を向けると、嬉しそうにほのかに笑った。
自分のことをレティシアが気にしていることが嬉しいと言っているかのようだ。
実際その通りなのだろう。
「考えても仕方ないか……」
レティシアがそばにいることで力が安定しているのだから、今はまだ深く考えずとも問題はないだろうと判断する。
闇属性への偏見はあるのだろうが、受付の女性からはまったく嫌悪感も忌避感も見られない。
珍しいと言っていたので、他にも闇属性の者がこの国にいることを示している。
ならばそこまで気にすることはないかと、話を終えようとしたレティシアに、受付の女性は憐みの眼差しを向けてきたかと思うと、レティシアの耳元に口を寄せた。
「あなたも大変ね」
「へ?」
どういう意味かと不思議がるレティシアに、女性は続ける。
「闇の力を持った子は、光の力を持った子に惹かれやすいの。まるで磁石のようにね。それに、闇の力を持った子は精神面でもろかったりして、不安定になりやすいの。そうすると精神的なものが魔力にも影響して暴走しやすいのよね」
「あー……」
覚えがありすぎる情報だ。
「さっきも言ったけど、この国にも偏見を持つ者はいるけど、比較的他国よりそういう視線は少ないの。だからこの国に集まってくるんだけど、どうしたことか、この国にいる方が不安定になるみたいで、あまり長くいないのよね」
それは間違いなく邪竜の骸の影響を受けているからなのだろう。
「ただ、光の力を持ったパートナーといると安定するみたいで、余計に光の子に執着しだすみたい」
「あはは……」
レティシアは、複雑そうな顔で乾いた笑いをする。
「それでちょくちょく問題が起こるから、あなたも気をつけておいた方がいいわよ。闇の子は病みまくってるから」
「そうします……」
否定できないのがなんとも残念だ。
「じゃあ、登録証作ってくるからちょっと待っててね」
そう言ってカウンターから離れていった女性の背を見送り、考え込むレティシア。
「うーむ、一応最高神様達がデュークのために対処してくれてたってことよね?」
「そうだな」
と、理解するエアリスと違い、デュークは話についていけないみたいで、こてんと首をかしげる。
見た目は普通の男性だ。
いや、お世辞でもなく容姿は整っている。
大人になる前の幼さも感じさせるが、それがまたかわいさとかっこよさを両立させ魅力を高めているように思う。
闇の女神を思い出させる、漆黒の髪と瞳は、きちんと身なりを整えたらきっと美しく変貌するはずだ。
そんな闇の女神のことを思い出して、レティシアは納得する。
「そう言えば、闇の女神様ってヤンデレだったわ」
闇の女神は最高神と夫婦神でもある。
そんな闇の女神は最高神に他の女神が親しくしようものなら、そこに恋愛感情がなくても牙を剥くのである。
ただし、例外はあり、真面目な運命の女神は信用されているのか、最高神と長々と話をしていようと闇の女神は怒らないらしいので、ちゃんと相手を選んでいるということだ。
しかし、基本的に、最高神に近づく女には厳しい。
そのことをエアリスも当然ながら知っている。
「闇の女神が病んでるのは今さらだろ」
「デュークのためにはありがたいけど、なにをヤンデレを大量生産してくれてるんだか。他が迷惑でしょうに」
「神が人の都合を考えると思ってんのか?」
エアリスの鋭い指摘に、レティシアは諦めのため息を吐いた。