19話 その頃イリスフィアでは
その頃、イリスフィア――通称千年王国では、王の謁見の広間が緊張に包まれていた。
長らく冷戦状態にあった獣人の国、アカシトロビアから使者がやってきたのが理由だ。
しかも、なんの訪れの便りなく突然に。
礼を欠いたその態度に、イリスフィア側が喜んで迎え入れるはずはなく、かと言ってアカシトロビアがなんの用事がありやって来たのか、その理由も気になるということで面会と相成った。
本当なら突然やって来た無作法者に会う必要などなく、追い返しても構わなかったのだ。
大臣や高官達は戦争も辞さない勢いで、追い返そうと意見が一致していたのだが、王と王妃の鶴の一声で場が整えられることとなった。
イリスフィアの王、ラディオ・ヘイヴンと王妃、フローレンス・ヘイヴンは、かつて邪竜討伐のおり、大魔導師とともに戦った英雄だった。
しかし、『英雄』と呼ばれるより『守護者』と呼ばれることの方が多い。
大魔導師の守護者。
世界の守護者。
千年王国の守護者。
魔導師達の守護者。
意味はいろいろと含まれているが、大魔導師の死後、多くのものを守ってきた人達である。
ラディオもフローレンスも見た目は二十代だが、千年王国ができる二百年より前から生き続けている。
特に長命な種族というわけではない。
ごくごく普通の人間だ。
魔力が多い者は常人より長生きではあるが、二人のように若さを保ったまま二百年も生きる者などいない。
それを可能にしているのは、二人が大魔導師とともに倒した邪竜討伐の功績を最高神に認められ、その褒美として時を止めてもらっていたからだ。
けれど、二人の時間はある時を境に動き始めていた。
それを知るのはまだ一部の者達だけである。
イリスフィアの国王ラディオは、邪竜との戦いで左目を失って隻眼となっている。
左目を覆う眼帯が、より彼の圧倒的なまでの存在感と威圧感を与えていた。
玉座に座るラディオは、無表情でアカシトロビアからの使者を見下ろしている。
ラディオは好戦的な性格もあってか、おつきの側近はいつアカシトロビアの使者に飛びかからないかとヒヤヒヤしつつも、周囲にいる大臣や高官の中には、むしろそうするのを待ち望んでいる者もいるほどで、それだけアカシトロビアとの関係が悪いことを表していた。
その昔、魔導師を迫害してきた獣人の筆頭がアカシトロビアという国であり、その価値観は今も変わっていないことを考えると、周囲の気持ちも分からないでもなかった。
魔導師によって作られたこの千年王国にとって、魔導師とは格別の意味を持つのだ。
そんな魔導師を下に見られて心穏やかでいられるはずがない。
そして、王妃の椅子に座るフローレンスは、威圧感をにじませるラディオとは違い、始終穏やかに微笑んでいる。
世界で五本の指に入る美女という呼び声高く、それに恥じない凜とした美しさを二百年も保っている。
国民、特に女性達からの支持は厚く、彼女が身にまとうものを女性達はこぞって真似したがり、流行を常に作り出している。
商人達はいかにフローレンスの目にとまる商品を作り出すかを日々競い合っていた。
絶えぬ微笑みは理性的であり、知性の高さを感じさせるもので、時には国王をいさめ、大臣や高官達をたしなめる。
この国において、フローレンスの重要性が分かる話だ。
そんな理知的なところも国民からの支持を受けている理由だろう。
ラディオとフローレンスは大魔導師とともに戦っただけあり、その実力は神が認めるもの。
時には戦場の最前線で戦うこともあるが、最近ではめっきりその機会も減った。
それはたびたび戦争を仕掛けるアカシトロビアが、ここ数年異様に静かなのも理由である。
だからこそ、向こうから接触したきたことを放置はできなかった。
「それで? 使者殿よ、今日いったいなんの用だ? 貴公らのせいで今日面会の予定をしていた者達のスケジュールをずらすこととなったのだ。それ相応の理由でなくば納得できないぞ」
尊大な態度で使者に問いかけるラディオに、アカシトロビアの使者は不満を隠そうともしない。
ここは敵地であり、相手は一国の王だというのに、敬意の欠片も待ち合わせてはいなかった。
アカシトロビアの獣人にとって魔導師は忌むべき存在。
ましてやラディオとフローレンスは人間であり、アカシトロビアの思想では、己達より下等な生き物なのだ。
そんな相手にへりくだるつもりはないと、使者達はラディオを前にしても一度として礼を取らなかった。
そんな態度の獣人に、今度はイリスフィアの大臣や高官達がギリギリと歯噛みする。
千年王国の者にも偏見や差別がないわけではないが、獣人の閉塞的な一面は度が過ぎている。
彼らの見下す目線に怒りを覚えないはずがない。
そんな両国の空気を感じ取るラディオは、威圧するように目を鋭くする。
「なんだ? なにか言いたげだな? 突然押しかけてきた礼儀知らずが」
そちらが見下すならこちらも見下してやろうと言わんばかりの眼差しを向けるラディオを、フローレンスは落ち着けとたしなめるように肘掛けに置かれたラディオの手に手を添えた。
たとえ言葉にせずとも、夫婦であり戦友でもあるフローレンスの意思は伝わっていると教えるように、添えられた手を空いた手でポンポンと優しく叩く。
「ふんっ。さっさと本題に入ってとっとと帰れ」
アカシトロビアの使者は睨みを利かせながら、ようやく口開いた。
「人を探しています。ピンク色の髪の少女。歳は十代半ば前後です」
仕方なくとばかりに敬語で話すが、そこに敬意は感じられない。
けれど、そんなことは気にならないほど反応を示したのは、ピンク色の髪の少女という言葉があったからだ。
「ピンク色の髪……」
小さく漏れ出た言葉。
ラディオとフローレンスの脳裏をよぎったのは、ピンク色の髪をなびかせて笑う大魔導師の姿だった。
「時間的に見てまだ来ていないでしょうが、発見次第こちらに報告し引き渡していただきましょう」
有無を言わさぬそれは、まるで命令同然だった。
さすがに態度が目に余ると、大臣の一人が怒りをあらわに一歩踏み出したが、別の大臣に手で制されている。
「まだ様子を見ろ」
そう、小さな声で助言され、しぶしぶ引き下がったが、武器に手をかけている者は一人二人ではない。
「それから、黒髪の少年も探しています。闇の力を持っており、こちらは我が国の罪人でもありますので、早急に引き渡すようにお願いしますよ」
周囲から冷ややかな視線を向けられながらも、自分達の言うことは絶対だと疑っていない使者は、それだけを言い捨てて広間から出て行った。
使者がなくなった後の広間は途端に騒がしくなった。
「あんの、忌々しいアカシトロビアの連中めがっ」
「どうするのですか!」
「まさか本当にあいつらの言うようにその、少女と少年を引き渡すのですか!?」
「少年の方は罪人と言っていたが、あのアカシトロビアですぞ」
「絶対裏になにかあるに違いありません!」
吹き出すのはアカシトロビアへの不満だ。
「陛下!」
居合わせた者達の視線がラディオに向けられる。
ラディオは何故か耳に指を突っ込んでほじっていた。
「あー、なんか言ったか? 最近耳が遠くなってな。やっぱり二百年も生きてると身体機能にガタがきやがる」
なに言ってんだ、こいつ? と、全員の心の声が一致した。
「フローレンス、お前はあの使者がなにを言ったか聞こえていたか?」
「ええ、それが……。どうやら私も耳が遠くなったようです。年をとるのは嫌ですね。最近は皺も気になってきて……」
そう言って頬に手を当てるフローレンスに周囲は、あんたこそなに言ってんだ? という無礼な目を向ける。
確かに二百年の時を生きてはいるが、二人とも老いとはまったく縁のないような容姿をしている。
ラディオなどは魔導師のくせに武官と剣で勝つほどの肉体派で知られ、フローレンスの肌はピンと張っており、老いなど感じさせない。
おずおずと一人の大臣が口を開く。
「両陛下にそんな風に言われては、私はじじいの分類に入ってしまうのですが……」
勇気ある一人の大臣の言葉に、隣の大臣も激しく首肯し、上下に動かし過ぎて首の筋を痛め、藻掻き苦しむ。
「ぐお、筋をやった……」
「こういうのを老いというのです」
などと、せっかく味方してくれた者の隣で冷静に解説した大臣に、周囲が同意するように頷く。
もちろん痛みに苦しむ大臣と同じ轍は踏まず、ゆっくりとだ。
「なにやってんだよ……」
ラディオは呆れた顔で肘掛けに肘を置く。
「それで、どうされるおつもりですか?」
代表して口を開いた者の質問に、やはりラディオの意見は変わらない。
「さっきも言っただろうが。俺は耳が遠くなったからなにも聞いてない。なあ、フローレンス?」
「ええ。二百歳を優に超えているんですから仕方ありませんね。他に、使者の言葉がしっかり聞き取れた者はいましたか?」
そこまできて、ラディオとフローレンスの言葉の意味を察せぬ無能はここにはいない。
「……実は私も最近耳が遠くて」
「おお、大臣もですか。私も最近怪しいのですよ」
「わたくしめも。歳には勝てませんね」
次々に耳が遠くなると発言する者達に、フローレンスはよくできましたと子供を褒めるような笑みで広間を見渡す。
「あらまあ、皆して困ったわね。でも、聞こえていないものは仕方ないもの。出て行った使者を呼び戻して最初から説明させるのも申し訳ないですから、様子を見ましょうか」
「それがよいと思います」
「あちらも嫌いな魔導師の多くいるこの場には二度と来たくはないはずですしな」
「気を遣える我々の配慮に、奴らは涙を流して感謝することでしょう」
全員でうんうんと頷く。
そんな流れで、使者の言葉は闇に葬られた。
「ところで、実際にその少女や少年がこの国に来た場合はどう対応いたしますか? そもそも二人は別ものの話なのかも言っていきやがりませんでしたな。アホなのか?」
「口調が乱れておるぞ。だが、確かにそれは疑問だ。少年は罪人と言っていたが、少女の方の情報はまるでなし。どうして探しているかも教えていかなかったとなるとわけありなのは確実か……」
あまりにも少なすぎる情報に、大臣達は腕を組んで悩む。
「だがまあ、わけもなくアカシトロビアが我が国に使者を送って寄こしはしませんから、かなり重要な人物なのでしょう」
「確かに」
「そもそも関係の悪いうちに頼ること自体愚かすぎるのが分からないとは」
「自分達は至上の存在と驕り高ぶっておりますからね。自分達の要求は通るものと疑っていないのでしょう。いつものことです」
大臣達のアカシトロビアへの印象は決してよくはない。
だからこそ、獣人がわざわざ使者を送ってきたことには驚きがあった。
なんの先触れもない訪問ではあったが……。
「もし我が国に来たら便宜を図ってやれ。奴らへの嫌がらせにもなる」
「御意」
国内の兵士を統括している大臣が、力いっぱい込めて返事をした。
その顔は喜色満面の笑みで、よほどアカシトロビアに嫌がらせができて嬉しいらしい。
嬉しさのあまり「ぐふっぐふっ」と、気持ち悪い笑い声をあげて、隣の女性から冷たい目を向けられていた。
「ちゃんと報告はしろよー」
「もちろんですとも!」
まだ来ると確実なわけではないが、その逃亡者がちゃんと知恵が回るなら、千年王国に庇護を求めてくるのは想像に容易い。
周辺国で、アカシトロビアと対等以上に渡り歩けるのはイリスフィアだ。
だからこそ、大臣も喜んでいる。なにかと周囲に戦争をふっかけるアカシトロビにうんざりしているのは大臣も同じなのだ。
そして、次の問題へ移る。
「……それと、万が一その子らの存在がアカシトロビアに知られた時の言い訳も考えていた方がよろしいのではないですか?」
ラディオは一瞬だけ考え込み、提案する。
「そうだな……。ならこれならどうだ? 人の間でピンク色の髪を持つ者は最高神に愛された者の証とされている。そんな証を持った者の意に添わぬことをしたら神の逆鱗に触れるかもしれない。そんな感じの建前で無理やり押し通せばなんとかなるだろ」
できなくてもやれ、という圧をラディオから感じる。
「いやはや、神の名を利用なさるなど陛下らしいとしか言えませんな。私には恐れ多くてできませぬ」
「同感です」
感心する高官の言葉に、ラディオはふんっと鼻で笑った。
「ピンク色の髪が特別とされているのは、大魔導師がそうだったからにすぎない。いつからかピンク色の髪は最高神の加護を与えられた証などと馬鹿な話が伝わっているが、最高神が加護を与えたのは大魔導師ただ一人だ」
この国にいる者で大魔導師の存在を知らない者などいない。
「ピンク色の髪をしているからといって最高神はなにも思わない。かの神にとって特別なのは、己の加護を与えた大魔導師だけなんだからな」
ラディオの言葉の中に含まれる苛立ちと嫌悪感は、決して大魔導師に対して抱いているものではない。
大魔導師に加護を与えた最高神に対してだ。
「そのくせ最後は守らなかった……。神の加護に意味なんかねえよっ」
吐き捨てるラディオの顔には嫌悪感が隠しきれていない。
「まったく、陛下に信仰心は無縁の言葉ですね」
やれやれと肩をすくめるのは、古参の大臣や高官だ。
ラディオの神嫌いは今に始まったことではない。
ことあるごとに、神への不満を口にしている。
いつか神罰がくだらないかだけが、上層部の者達の心配ごとであったが、ラディオは知っている。
そんなことで神はこの世界に手出しはしないと。
邪竜が世界を滅ぼしかけた時ですら神は見守るだけでなにもしなかった。
いや、唯一したことがあるとすれば、大魔導師にすべてを押しつけたことだ。
大魔導師は神の願い通り邪竜を討伐し、結果世界は守られた。
その後に、初めて最高神がラディオ達の前に姿を現したが、神はどこまでも傲慢で無慈悲だった。
ラディオ達は大魔導師とともに戦った褒美にと最高神に願いを聞かれ、大魔導師の復活を願ったが、それはあっさりと拒否された。
大魔導師の魂は疲弊しており、今はまだ人の世に返せる段階ではないのだと言って。
それならば、大魔導師が戻るまで自分の時を止めるように願った。
フローレンスや一部の魔導師はそれに追随する形で時を止め、人間ではありえない時間を当時とほぼ変わらぬ姿のまま生き続けている。
しかし、神々への感謝などまったくない。
あるのは怒りだけ。
大魔導師は当時まだ十六歳の少女だった。
邪竜と戦った魔導師の中で一番年下だったのだ。
そんな年下の少女に世界を背負わせた神々を、ラディオは憎んですらいる。
「あるわけねえだろそんなもん。もし次に俺の前に現れたらくびり殺してやる」
どうして信仰できようか。
敬愛する大魔導師が死んだそもそもの元凶とも言える神々を。
ラディオがそう悪態をついてからついっと隣に視線を向ければ、フローレンスもまた同意するように微笑む。
その目はまだ冷めぬ怒りの炎が見えた気がした。
フローレンスも怒っている。いや、憎んですらいる。
神々に、邪竜を生んだアカシトロビアに、そして自分達に。
年下の少女を守ることもできず、逆に守られてしまった。
自分より年下の少女に世界の命運を背負わせてしまったことを、そして守れなかったことを、ラディオもフローレンスも、当時ともに戦った魔導師達は皆、神々だけでなく己自身にも怒りを感じていたのだ
だからこそ、少女のおかげで世界はいまだ存在しているのだと後世に教えるため、このイリスフィアを建国した。
いつか彼女が帰ってきた時、昔のように魔導師が迫害されていたら、生まれ変わった彼女が酷い目に遭わないとも限らない。
けれど、魔導師の国があればきっとここは居場所になれる。
そう願って、一心不乱に戦い続けた。
時を止めることを望まなかった魔導師は一人また一人と数を減らしていき、今では数えるほどだが、それでも彼らの功績はいつか帰ってくる彼女の助けになるはずだと信じている。
「そんなに嫌っておいて都合がいい時は神の名を使われるのですから、こちらとしては冷や汗ものですよ」
「まったくもってその通り」
「俺達がどれだけ世界のために頑張ったと思ってやがんだ。名前ぐらいでグダグダ言わせるか」
そもそも最高神はラディオが人の世界でなにをし、なにを言っていようと興味はない。
彼らが案じるのは、自らが加護を与えた愛し子のみ。
なので周囲の心配は意味がないと、ラディオはよく分かっている。
「とりあえず、ピンク色の奴が来たらむしろ好待遇で迎えてやれ。十代半ば前後ってことは、まだ親の庇護が必要な年齢だろうに、あの使者は子供の話しかしなかった。なら大人は一緒じゃないと考えるべきだな。それならいろいろと困ることも多いだろ」
「承知いたしました」
他から反対意見もなく担当者は返事をしたが、どうして親がいないのか理由を考えると嫌な気分に陥るために、誰もが深く考えないようにした。




