18話 変わり果てた村
家の屋根も扉も崩れ落ち、人が住める状態ではない。
さらに木片がそこらに散らばっていたが、それらも雨風によってか朽ちかけ、そこら中に雑草が生い茂り、人気のない村。
焼けたと思われる建物もあった。
ただ無音の中にある風の音だけがむなしく響いている。
まるで災害でも起こった後のような荒れ果てた村の有様にレティシアは愕然とする。
「おい、レティ。ここがお前の村か? 場所を間違ったんじゃ……」
エアリスも困惑の色を隠せていない。
けれどそれ以上に動揺しているのが、当然ながらレティシアだ。
廃墟と化した家々を見ると、もう何年も人が住んでいないのが分かる。
それでもなにか――誰か、見つけることはできないかと、フラフラとした足取りで村の中を歩き出した。
(違う、私の村のはずがない……)
エアリスの言うように場所を間違ったのだと、レティシアは自分に言い聞かせるが、よく遊んだブランコが……、村の中心にある村一番の大きな木が……、村の人達で集まる見慣れた広場が……、すべてレティシアの記憶と一致していく。
「違う……違う……」
そんなはずがない。
そんなこと、あってはならない……。
否定しつつも、レティシアの足は自然と自分の家を目指した。
大好きな父親と母親のいる懐かしい我が家へ。
けれどそこは他の家と同じく、今にも屋根から崩れ落ちそうなほどボロボロの状態になっていた。
でも、まだ中は無事かもしれない……。
そんな起こりえない希望を抱いて、壊れて半分になった扉を開けて足を踏み入れる。
そこは当然ながら人の姿はなく、レティシアの記憶の中にある父親も母親の姿もない。
村人もいない。
隣に住むリブおばさんも、いつも畑を手伝っていたおじさんも、リリーも村長も、誰一人……。
「どうして……」
自分がいない間になにがあったのか。
よく回らない頭を押さえるレティシアの脳裏に浮かぶ映像。
「……ああ、そうだ……」
どうして忘れていたのだろうか。
「あいつだ……。あいつが村をこんな風にしたんだ……」
レティシアをこの村から連れ去った元凶であるカシュこそが村をこのような有様にした。
実は連れ去られた後、一度レティシアはこの村に帰ってきていた。
レティシアがカシュに慣れることなく、幾度も「帰りたい」と繰り返し泣き叫んだことが理由だった。
家に帰してやろうなどという優しさではない。
何度も脱走を試みるレティシアが面倒になり、それならば帰る家をなくせばいいという短絡的かつ残酷な考えに至ったのだ。
そしてカシュはレティシアの目の前で両親や村人を殺し、村を焼いた。
レティシアは目の前の現実が受け止められず、ショックのあまりその時の記憶を失っていた。
忘れていたはずの凄惨な光景がよぎり、レティシアの脳裏に両親や村の人達の叫び声が何度も何度もこだまする。
「やだっ、やだやだやだ……!」
取り乱すレティシアに、デュークとエアリスが慌てて寄ってくる。
「レティ!」
「おい、レティ!」
デュークとエアリスの声が遠くなり、レティシアの体は力をなくして床に倒れそうになる寸前でデュークが受け止めた。
***
ふっと目を開いたレティシアは、以前にも最高神と会話したあの草原にいた。
ゆっくりと身を起こしたレティシアはそのまま膝を抱えてうずくまる。
「なんて親不孝なの……っ」
すべて行ったのはカシュだ。
けれど、もし自分が番いではなかったら。
「私が普通なんて望んだから……。私が、私が皆をころ――」
「それは違う」
聞き慣れたその声とともに、そっとレティシアの頭に泣きたくなるほど優しい温もりが触れる。
「どこが違うっていうんですか……」
力ないその声を発しながら、ゆっくりと顔を上げるレティシアの目に涙は浮かんでいない。
泣く資格など自分にあるはずがないと自分を責めているからだ。
レティシアの視界に入ってきたのは、いつもはヘラヘラとしている最高神の悲しげな顔と、その後ろに立つ運命の女神の姿だ。
「神様は簡単に会えるものじゃないんじゃないの?」
くしゃりと顔を歪めるレティシアを、最高神は抱き寄せると、とんとんと赤子をあやすように背中を叩く。
その慰めるような優しい温もりにレティシアの鼻の奥がつんとした。
「私がいたから皆を巻き込んじゃった……」
「違うと言っただろう。君はなにも悪くない」
否定する最高神に同意するように静かで柔らかな声が響く。
「その通りです。あなたはなにも悪くありません」
「でもっ!」
受け入れられないレティシアが大きく声を上げるのを遮り、運命の女神の細く美しい人差し指がレティシアの口元に触れ、それ以上己を責めるなと言うように言葉を塞いだ。
「一つだけ言えるのは、もしあなたがいなければ、村の者達はもっと酷いことになっていたでしょう」
意味深なその言葉にレティシアは目を瞬かせる。
「それってどういう意味ですか?」
「今はなにも言えません。けれど、あの子が運命をいじったのもまた運命ということです」
「あの子……」
運命の女神は誰とは言わなかった。
けれど、レティシアの頭に浮かんだのはドジな女神のこと。
あれはいたずらではなかったのか?
レティシアの中に疑問が生まれた。
困惑するレティシアに、最高神は申し訳なさそうに眉尻を下げるが、決してそれ以上の子細を話しはしなかった。
その代わりになる話をレティシアに聞かせる。
まるでレティシアがこれ以上責めることがないようにと。
「安心しなさい。我々はよほどのことがないと人の世界に直接的に手は出せないけれど、肉体のない魂には干渉できる。レティシア、君を生まれ変わらせたようにね」
レティシアははっと息を呑んだ。
「死んでしまった村の者達は来世で幸せに生きられるように運命の女神が糸を紡いだ。今頃転生してそれぞれが幸せな家庭に生まれ変わっているだろう」
「お父さんやお母さんも……?」
「もちろん。……それに、全員が亡くなったわけじゃない。助かった者も何人かいる。だから、決してレティシアのせいじゃないんだ」
いつもの間延びした話し方ではない、真剣な声色が、最高神の配慮を感じさせる。
けれど、どうしてなのかという疑問は解消されてはいなかった。
「なんで? どうしてこんなことになったんですか?」
「それはまだ言えない」
「まだってことはいつかは教えてくれるんですか?」
「もしも運命がその方向を向くのであれば」
最高神ではなく運命の女神がそう答えた。
きっとこれ以上問いただしても二人は話しはしないだろう。
すっきりとはしない。
けれど、助かった者もいると知り、ほんのわずかに肩の力が抜けた。
そんなレティシアの心を区切りとしたように周囲が霞がかっていく。
「時間だね。いいかい、もう一度言うけど、決してレティシアのせいじゃないよ。むしろ君は彼らを救った。それを忘れないでくれ」
「幸せな一生を与えられなくてごめんなさい……」
最後に聞こえた最高神と運命の女神の言葉は、レティシアを気遣うものだけだった。
それだけを言い残し、消えていく。そしてレティシアの意識は遠くなった。
***
ゆっくり目を覚ますと、心配そうに覗き込むデュークの顔が近くにあって、レティシアはぎょっとする。
「デュ、デューク?」
「レティ!」
ぱっと表情を明るくするデュークは、眠るレティシアに覆い被さるようにして抱きしめた。
「ぐえっ」
あまりにも強く抱きしめるものだから、カエルが潰れたような声が漏れた。
「おい、レティが潰れてんだろ! 力加減を覚えろって!」
周囲をパタパタと飛びながらエアリスがデュークを叱る。
できれば叱るだけでなく引き剥がしてほしいが、がっちりとしがみつかれているのでエアリスでは難しいだろう。
よほど心配をさせてしまったらしい。
力が暴走していないか心配だったが、どうやらその様子はない。
何故だろうかと周囲を見回すと、レティシアを守るように結界が張られていた。
エアリスのものではないその魔力に、レティシアは驚く。
「この結界、デュークが張ったの?」
「……うん。この焼き鳥に教えてもらって」
その声からは不本意この上ないというのが伝わってくる。
そして、デュークの中でエアリスが『焼き鳥』というあだ名で定着しつつある。
これはいさめるべきだろうか。
だが、そちらよりもエアリスの方を注意しなくてはならないと思い至る。
「エアリス、もし暴走でもしたらどうするの?」
「俺様がそんなことに気を配れないとでも思ったのか? ちゃんと魔力の使い方を教えた上で、暴走しないように力加減を教えてやったよ。そしたらあっさりこんな結界を張っちまうんだからなぁ」
恐らく森から来る獣からレティシアを守るために張ったと思われる。
まるで眠る時のように包まれている安心感は、やはり闇の力がレティシアに影響しているからなのだろう。
デュークもレティシアといることで心が落ち着くと言っているので、やはり対となる最高神と闇の女神の加護をそれぞれ受けているからこそ、抱く感情なのかもしれない。
「ありがとう、デューク」
レティシアがにこりと微笑んでデュークの頭を撫でれば、照れたようにわずかに口元が緩んだ。
「よっこいせ」
「なんか年寄りみたいだぞ」
「仕方ないでしょうに。こっちはまだ体が万全じゃないんだから」
なにせ八年もの間監禁されていたのである。
身体強化にも限度があるというもの。
しかし、眠ったおかげか、多少回復はしている。
「どれぐらい寝てた?」
空にある太陽がまだ眩しいので、そう長い間ではないだろうと思っていたレティシアに、エアリスから衝撃の言葉が伝えられる。
「三日」
「は?」
「だから三日も寝てたんだよ、お前」
「もしかして話しすぎたかな?」
「話しすぎだって最高神とか?」
さすが聖獣だけあってエアリスは話が早い。
「あと、運命の女神様もね」
「闇の女神がいたらチクれたのに」
「それには同意するわ」
うんうんと深く頷くレティシアとエアリスだけが分かっていて、デュークだけは置いてけぼりになっている。
それが嫌だとばかりにレティシアの袖をツンツンと引っ張った。
「ん、なに?」
「誰のこと? もしかしてそいつらのせいでレティは起きられなかったの?」
ゆらっともあっと立ち上る闇の気配にレティシアは慌てて否定する。
「ううん、違うの。むしろ慰めてくれてただけだから大丈夫」
「そっか」
しゅるんと引っ込んだ力の気配に、レティシアとエアリスはほっとした。
「マジでこいつヤベーの。どこに地雷が埋まってるか分かんねえぞ。爆発しねえように見張っとかないと」
「う、うん、気をつけないとね……」
冷や汗を流しつつ、レティシアは立ち上がると、体をぐっと伸ばした。
「うあー、なんか体がバキバキする」
「そりゃあ、三日も寝てりゃあな」
ちょっぴり嫌みたらしいのは、三日も待たされたことへの無言の抗議だろうか。
しかし、それは最高神に言ってもらわなければ、レティシアにどうこうできるものではない。
「とりあえず、追っ手は来なかったみたいだし、このまま村を出よう」
「いいの?」
デュークのレティシアを気遣う優しい眼差しに、レティシアも笑顔で答えた。
「うん」
その返事をきっかけに、出発することにした。
けれど、村から出てすぐにレティシアはふと足を止めると、もうなくなってしまった村を振り返り目に焼きつける。
もう決して忘れないと、心にも刻むように。
そして、悔しさでいっぱいになり唇を噛みしめる。
「……っ! ごめんなさい、ごめんなさい……」
自分でもなにに謝っているのか分からなかったが、レティシアはただ謝罪の言葉を繰り返し一筋の涙を流す。
「レティ……」
心配そうなデュークの声小さく響き、我に返る。
駄目だ、しっかりしなければと己を奮い立たせ涙を拭った。
「大丈夫。行こう、千年王国へ」
無理やり笑みを浮かべたレティシアは、デュークの手を取って歩き出す。