17話 故郷へ向けて
「ここ、こんなことが……」
まだ麻痺を起こしているローブの獣人は、自分があっさりと負けたことを受け入れられていないようだ。
だが、そもそも当然の結果である。
恐らく邪竜に関わる魔導師のようだが、ただでさえ獣人の国で魔導師の地位は低い。
まあ、このローブの獣人が邪竜復活による知識を持っていて優遇されているかは別として、レティシアは最高神の加護を得ているたった一人の特別なのだ。
誰にも真似できない唯一の力を持つレティシアが負けるはずがない。
けれど、そんな内情など知らないローブの獣人は、レティシアに負けたことが受け入れられないようだ。
だが、レティシアを抜きにしても、この獣人の実力は、前世でともに戦った仲間達とは比べるまでもなく弱い。
正直、折れるほどの自信もプライドもないだろうにと思ってしまう。
しかし、魔導師の少ないアカシトロビアでは強い方なのだろうか。
レティシアは今世で目の前の獣人以外の魔導師に会っていないので判断ができない。
ただ言えるのは、レティシアの敵ではないということ。
なので、ショックを受けているローブの獣人がここで引くならレティシアも追い打ちをかけるつもりもなかった。
しかし、やはり今の世でも邪竜への執着は大きいようで、足を震わせながらも立ち上がり、レティシアに怒りを見せる。
「人間ごときが、ふざけるなよぉぉ!」
先程までの余裕さはどこかへ落としたのか、怒髪天をつく勢いで表情すら恐ろしい形相で叫ぶ。
「貴様を殺してから贄を連れていくとしよう。その方がいい状態になりそうだ」
ローブの獣人がちらりと向いた先にはデュークがいる。
今にも飛び出しそうなデュークを、エアリスが結界を張って出られないようにして止めていた。
相手がどのような手段でデュークを邪竜に変えるのか、レティシアは知らない。
その点について、最高神は最後まで教えてくれなかったからだ。
神々の総意だと言って。
何故だかは分からないが、レティシアにだろうと邪竜にする知識を与えたくなかったのかもしれない。
それはレティシアを信用していないとかではなく、どこから情報が漏れるか分からないから慎重になっていたのだろう。
けれど結局、アカシトロビアは再び邪竜を作ろうとしているのだから、知識は途絶えていなかったということを意味する。
そのため、彼らがデュークになにをするか分からない以上は、危なくて近づけさせられない。
それを分かっているのでエアリスもデュークを守らねばと結界を張っている。
けれど、近づけないことに動揺しているのか、闇の力が漏れ出ているのが問題だ。
それはデュークが激しく心を揺らしているのだと見て分かる。
だからこそ、レティシアは努めて穏やかに声をかけた。
「デューク、大人しくしてて」
「けど、レティ!」
「お願いだから、ね?」
優しく諭せば、とりあえずは引いた。
けれど、デュークのその顔には不満がこびりついている。
「私の最高の魔法で葬ってやる」
そう高らかに宣言したローブの獣人に強い魔力の流れを感じる。
さすが邪竜復活に関わっているだけあって、それなり魔法は使えるようだが、肩透かしを食らった気分だ。
「それで最高?」
そこには素朴な疑問だけが含まれていたが、ローブの獣人にとっては侮辱されたと思ったらしい。
「殺す殺す殺すぅぅ!」
「ちょっと感情のコントロールした方がいいよ。血管切れそうになってる……」
血管が浮き出るほど怒りをあらわにしているローブの獣人と、平然としているレティシアの温度差がとんでもなく大きい。
それが余計にローブの獣人の怒りに触れる。
「殺してやる!」
恐ろしい形相でレティシアな杖を向けるローブの獣人に、レティシアも対抗しようとした。
その時。
「待て! 俺の番になにをするつもりだ!?」
まるでレティシアを守るようにして間にカシュが入ってきたのだ。
これにはレティシアもひどく驚き大きく目を見開く。
まさかこの男に守られる日が来るとは思わなかったし、守ろうという意識を持つ相手とも思っていなかった。
ほんのわずかだが見直そうとしたレティシアだったが、やはりそう人のなりが変わるものではなく……。
「番をなくした獣人は、短命になりやすい。こんなゴミごときで俺の命を縮めるつもりか! 痛めつけるなら死なない程度にしろ!」
自分本位なその言い草に、レティシアはじとっとした目をカシュに向ける。
そこには呆れと同時になんだか安心感を抱いた。
安定のクズであった方が余計な慈悲をかける必要がなくなる。
躊躇いも後味の悪さも抱かずに済むのだから、クズにはクズであってくれて助かった。
そうとなれば遠慮はいらない。
「しばらく私の顔が見たくなくなるぐらい徹底的に制圧しておこう」
気持ちよく潰しにかかれると、レティシアが魔法を発動しようと魔力を練る最中、カシュとローブの獣人は言い合いをしている。
「では、カシュ様。痛めつけた後は私めにそいつをお渡しください。魔法の実験に使って一生苦痛の中で生かしてやります」
「馬鹿か。こいつは俺のものだ。こいつのすべては俺が握っていてこそ意味がある」
「意味なんてねえよ」
二人の獣人の言い合いにツッコミを入れたのはエアリスだ。
レティシアをまるで物のように話す二人に、エアリスは憤りからか声が低くなっている。
だが、それ以上に問題だったのが隣にいるデュークである。
いち早くデュークの異変に気がついたレティシアは、焦りの色を顔に浮かべた。
「エアリス! しっかり抑えて!」
「あん?」
気を逸らしていたエアリスはデュークの変化に気づくのが遅れ、その隙をつくようにして、エアリスの張った結界がデュークの魔力によって一瞬で壊された。
衝撃波が周囲の木々をなぎ倒し、二人の獣人も吹き飛ばした。
エアリスは間一髪空に逃げて難を逃れていた。
だが、不思議とレティシアはなんともない。
「うわ、こいつレティだけ綺麗に攻撃避けやがった」
などと、エアリスの不満いっぱいの声が響く。
あえてレティシアだけに被害が及ばないようにしていたのなら、力の制御はできているのではないと思えてしまうが、デュークの様子を見るかぎりではかなりの怒りを感じる。
漆黒の瞳をさらに色濃くして、カシュを睨みつけている。
「俺のものってなに? まさかレティのこと言ってるの?」
静かな、それでいて温度のない声が余計にデュークの怒りを知らしめているようで、空気がひやりとする。
「デューク!」
レティシアが声をかけるが、まるで聞こえていないように、カシュにのみその眼差しが向けられていた。
とうのカシュは、デュークの周囲を覆い尽くすような闇の魔力に気がついていないようで、平然としている。
ローブの獣人の方は魔力に当てられ尻餅をついて震えているというのに、なにを怖がっているのか理解できていないようだ。
そして、カシュはデュークの言葉に疑問符を浮かべる。
「レティ? ああ、こその無力な小娘のことか。そんな名前だったか? ……まあ、名前などどうでもいい。今後呼ぶことなどないのだからな」
「ねえ、聞いてるんだけど? 俺のものってレティのこと?」
「当然だ。そいつは幸運にも俺に選ばれた番なのだからな。正直高貴な俺の番が人間だなどと認めたくはないが、忌々しいことに変えようと思って変えられるものではない。こいつには今一度自分の立場を教えるために躾直して、これまでよりも頑丈な檻の中で死ぬまで飼ってやるさ」
くくくっと、傲慢さを含んだ笑いに、レティシアはかっと怒りを感じたが、それ以上にデュークの方が過敏に反応した。
より深く濃くなる闇の気配。
まだ昼間だというのに、闇夜の中にいるような気分にさせられる。
さすがに魔力に鈍い獣人であるカシュも、異常に気がつき始めた。
「なんだ……?」
周囲を見回すカシュ目がけて、デュークの魔力がカシュへと伸ばされ、まるで闇の中に引きずり込むようにカシュの体にまとわりついた。
「なんだ! なにが起こってる!」
まとわりつく感覚があるのか、必死に振り払おうとするカシュ。
けれど、闇の女神の加護を持つデュークの魔力が手を振るだけで離せるはずがない。
このままではカシュを殺しかねない状況だ。
レティシアとしてはカシュがどうなろうと問題はないが、闇の力を暴走させて誰かの命を奪うという行為が、今後のデュークにどんな影響を及ぼすか分からないので、ただ見ているわけにはいかなかった。
「デューク!!」
レティシアは勢いよくデュークに抱きついた。
そして、全力でデュークの闇の力を己の光の力で打ち消していく。
「……レティ?」
デュークは今やっとレティシアに気がついたという様子で、目を丸くする。
レティシアの存在に気がつくとともに冷静さを取り戻してきたのか、一気に闇の気配が落ち着いていく。
「デューク、落ち着いて。深呼吸してみて」
「でも、レティ。あいつ、レティのことを侮辱して……」
「いいから深呼吸!」
ぴしゃりと叱るように要求すると、不満をどこかへ投げ飛ばし慌てて深呼吸をし始めるする。
あまりに急ぐのでレティシアが「もっとゆっくり」と言うと、デュークは言われる通りにする。
そうしていれば、次第に冷静になってきたようだ。それを見てレティシアは優しく声をかける。
「落ち着いた?」
「うん……」
まだカシュへの敵意は変わりないが、少なくとも力は落ち着いてきたようでほっとし、深く息を吐いた。
「はあ、よかった……」
「まじでこいつ今までよく無事だったな。怒るたびにこんなんじゃ、何個か国を滅ぼしてても俺様は驚かねえぞ」
空に避難していたエアリスが下りてきてレティシアの肩に止まった。
「闇の女神様がなにかしら手助けしてたのかも」
「その可能性が高いだろうな」
「なんにせよ、先にこいつらをなんとかしないとね」
レティシアはすっと目を視線を滑らせてカシュへと向ける。
カシュは自分には見えないなにかに襲われたことで、怯えを感じているようだ。
いつもレティシアを怯えさせていた存在が、今は逆に恐怖に顔を強張らせている。
「デューク、よくやった」
レティシアは思わずぐっと親指を立ててねぎらったが、エアリスは半目になって注意する。
「なに褒めてやがんだ、駄目だろ。ちゃんと叱れ」
「いや、あの顔見られたらつい高揚感が抑えきれなくて」
あははっと、レティシアは笑う。
よく分かっていないようだが、デュークはレティシアが喜んでいるのを感じて小さく微笑んだ。
エアリスはそのわずかなその反応を見逃さなかった。
「ほれ見ろ、こいつレティが自分の行動で喜んだと思ってるぞ」
「だってさー」
デュークを止めておきながらなんだが、これまでは恐怖の象徴のようなカシュの弱った姿に、ざまあみろという気持ちが湧き起こってしまった。
「ちゃんと叱る時は叱っとかねえと、こいつレティのために本気で国ぶっ壊しかねねぇぞ。ちゃんと教育しろ」
「それは困る」
いかんいかんと己を律し、デュークが手を下す前に自分が動けば済む問題かと、レティシアはデュークの前に出る。
「なんなんだ、お前……!」
「あなたには関係ないから気にしなくていいわ。本当はこのままくたばってくれたら一番嬉しいけど、公爵であるあなたにこれ以上なにかすると、アカシトロビアに口実を与えちゃうからやめとく。だから、大人しく『眠れ』」
最後の言葉をきっかけに、まるで糸が切れたようにカシュとローブの獣人はばたらと倒れ眠りについた。
そんなカシュに近づき、レティシアは魔導書を取り出す。
「レティ、それ……」
デュークの困惑した様子を見て、レティシアは人差し指を口の前に持ってくる。
「このことは私達だけの秘密ね?」
「うん、分かった」
どうやら『私達だけの秘密』という言葉がデュークのお気に召したらしく、静かに喜びを浮かべている。
デュークはきっと秘密にしてくれるだろう。
そもそもこれまでのデュークを見てきて、口の軽い人間ではないと思っている。
ましてやレティシアの不利になるようなことはしないだろうなという、理由のない確信を持っていた。
今後も魔導書を使う機会があることを考えると、デュークの口の堅い性格はレティシアにとってもありがたい。
レティシアが倒れて眠るカシュの頭に手をかざすと、魔導書が光り、パラパラとページがめくれる。
魔導書の光がレティシアの手に宿り、さらにそれがカシュに移動していく。
「レティ、なにしてるの?」
こてんと首かしげるデュークは、興味津々に問いかける。
「こいつの記憶を改竄してるの。私達とここで会ったこととか、デュークが一緒にいることも。こいつはあくまでもパーティーに出席していて、私にボコられ、逃げ出した私を探している途中でなにかしらの事故に遭って気を失ってた。私達とは会ってない。そう記憶を変えるの」
「そんなことができるの?」
「まあねぇ。普通の魔導師はできないけど」
デュークはキラキラと尊敬の眼差しをレティシアに向けてくるが、残念ながらこれはレティシアの力ではなく最高神からもらった魔導書があってこそできる魔法だ。
魔導師もできるにはできるが、ここまで詳細な改竄は不可能である。
普通の魔導師もできるなど勘違いされては困る。
レティシアはカシュの記憶の改竄をした後は、ローブの獣人の方の記憶も同じように変える。
矛盾が生まれないように気をつけなければならない。
本当ならデュークの存在自体を忘れさせておきたかったが、デュークの存在を知るのは他にもたくさんいるだろう。
そこから記憶に違和感を持たれると改竄されたことに気づいたりと、後々ややこしいことになるので簡単な改竄しかできない。
それでも、レティシアとデュークがともにいるということを忘れてくれるだけで逃亡しやすくなる。
「よし、終わり! しばらく起きないと思うけど、すぐに出発しよう。もしかしたら他にも獣人が追ってきている可能性もあるし」
「うん」
レティシアの肩からエアリスが飛び立ったのをきっかけに、レティシアとデュークは走り出した。
そしてたどり着いた故郷の村の惨状に、レティシアは言葉を失った。