15話 千年王国
レティシア達は急ぎ足で森の中を駆けていた。
なんとか最低限の食事を取っていたレティシアはまだいいが、劣悪な環境に置かれていたデュークが気になり視線を向ける。
「デューク、大丈夫? 無理そうならスピード落とすからね」
「ん、平気」
「本当に?」
胡乱げな目で見るレティシアだが、はた目には普通に見える。
とてもあのような環境下で囚われていたとは思えない健康そうな状態だ。
「それよりレティは大丈夫?」
無表情ながら心配そうな目を向けてくるデュークに、レティシアは安心させるように微笑んだ。
「私も大丈夫」
そうは言うものの、現在レティシアは身体強化で無理やり体を動かして走っている状態だ。
きっと後になって反動がくることを思うとげんなりする。
けれどデュークが文句も言わず走っているのに、レティシアが口にするわけにはいかない。
少しでも遠くへ、できるならば本日中にはこの国を脱出したかった。
ふと横を見ると、デュークは走りながらちゃっかり木の実など食べられそうなものを収穫しているのを見て苦虫をかみつぶしたような顔をする。
「思ったより余裕ありそう……。闇の女神の加護ののおかげかなぁ?」
神の加護を得ると身体的に丈夫になったりする。
とはいえ、それは神にもよる。
レティシアの場合、風邪など病気になりづらいが、肉体的には普通の人間だ。
その代わり強大な魔力を保有している。
国一つ軽く吹き飛ばせるほどの魔力を最高神から与えられた。
デュークも見たところ強い魔力を持っているようだが、どうも使いこなしてはいないように思う。
「魔力の制御の仕方を教えるのが先かなぁ」
レティシアが常にそばにいられるとは限らない。
離れる度に闇の魔力に呑まれかけていたら、体がいくつあっても足りない。
邪竜になるかヒヤヒヤしながら日々を送るのはレティシアの精神衛生上もよろしくないので、自由自在にとまではいかずとも、ある程度抑えられるようになってもらわなければ世界が危険だ。
レティシアとて、二度もデュークを手にかけたくはない。
そうして数時間ほど走ってから、限界を感じてきたレティシアはデュークに声をかける。
「デューク、この辺りで一度休憩にしよう?」
「うん」
平然としているデュークと違い、レティシアはヘロヘロだ。
「ヤバい……。魔力は余裕なのに体力が尽きそう……」
手頃な木を背もたれにしてぐったりするレティシアの前へ、デュークがせっせと貢ぎ物を献上してくる。
「レティ、これ甘いやつだよ。甘いの好き?」
レティシアに差し出されたのは、途中走りながら収穫した木の実や果実だ。
その中には、レティシアが前世で好きだった赤く丸い果物も入っていた。
「あ、これ好き」
迷わず手に取ってパクリと食べれば、ほどよい酸味と甘味が口内を満たしてくれる。
「うあ~、久しぶりの甘い物だ~」
うっとりと舌鼓を打つレティシアの様子に、デュークも嬉しそうにはにかんだ。
囚われていた間は甘味などといった贅沢はさせてもらえなかった。
村で質素に暮らしていた時ですら、果物や樹液を煮詰めてできるシロップで作ったお菓子などを食べていたというのに。
あんまりにもひどい待遇に今さらながら憤る。
「もう一発入れとけばよかったかも……」
あそこで最高神の邪魔さえなければと、後悔が募る。
チッと舌打ちしたくなるのを抑えて果物を一心不乱に食べているレティシアを、デュークが満足そうにしながらじっと見つめている。
そこへ、エアリスがレティシアの肩に止まった。
その瞬間、どこからともなく短剣がエアリスに飛んできたが、エアリスは結界を張って難なく弾き返す。
なにが起こったか理解できずぽかんとするレティシアをよそに、得意げに胸を張るエアリスに、デュークがまた短剣を飛ばした。
しかし、それもエアリスの力であらぬ方向へと飛ばされる。
「レティの肩から下りろ、焼き鳥」
「はんっ! レティと俺様は切っても切れない仲なんだよ。焼き鳥にしたらレティが一番悲しむだろうが、やれるもんならやってみやがれ」
そう言って、エアリスはデュークに見せつけるようにレティシアの頬にスリスリと頭を寄せた。
それを悔しそうに見つめるデュークを、エアリスは煽るように笑う。
「こいつ……いつか殺す……」
「ケケケケケ」
鳥頭のくせになんとも性格の悪いことだ。
きちんと相手の嫌がることを理解している。
「はいはい、喧嘩はそこまで」
仕方なくレティシアが仲介すると、デュークは不満そうにする。
「レティは俺の味方だよね?」
「えーと……」
「レティと一蓮托生の俺様の味方に決まってんだろ」
その瞬間小石がエアリスに飛んでくるが、エアリスは器用にもその小石をくちばしでつかみ取り、ぺっと地面に捨てた。
「その程度で俺様をどうこうしようなんて甘い甘い。ホットケーキにクリームとチョコソースにシロップをかけたぐらい甘い!」
「ホットケーキかぁ。全然食べてないなぁ」
思わず喧嘩を止めるのも忘れて脳内がホットケーキに支配されるレティシア。
「村を出るのはお母さんホットケーキ食べてからにしたいな……」
母親のホットケーキの味はもう思い出せないが、とても幸せな気持ちになったのだけは覚えている。
「ところで、レティさ。村に寄った後はどうすんだ?」
エアリスの質問にレティシアは「うーん」と悩む。
「そうだなぁ。できればアカシトロビアが下手に手を出せない国に行くのがいいかなって」
「確かにそうだな。弱小国だったら、言いなりになって、俺達を見つけたらすぐに捕まえようと動きそうだし。まあ、レティを捕まえるなんざ常人には無理な話だが」
「そうね。デュークならできるだろうけど……」
そうデュークを見れば、デュークは驚いたように目を丸くして、慌てて否定する。
「俺はレティをあんな奴らに引き渡したりしないよ」
信じていないのかと疑われたことがショックだと言わんばかりに、眉をひそめる。
「分かってる。デュークはそんなことしないもんね」
よしよしと頭を撫でてやれば、デュークは目を細めて、まるで猫のように機嫌をよくする。
「こいつまじ二面性ヤバくね? 俺様とレティの態度が違いすぎるんだけど」
「エアリスも大概でしょ」
どの口が言うのかと、レティシアはじとりと目を向けた。
けれど、すぐに脇にそれていた話を元に戻す。
「アカシトロビアより強力な国ねぇ……」
レティシアのこの世界の知識はほとんどないと言ってもいい。
エアリスを通して屋敷内を探し回ったが、知識を補う書物と言ったものが不足していた。
まったくないわけではないが、明らかにアカシトロビアに都合のいいように内容が改竄されているので役に立たないのだ。
実質、レティシアはこの世界のことに無知と言える。
数ヶ月に一度村に時折来ていた行商の話が唯一外の世界を知る機会だったが、八年も前の話だ。
世情も移り変わっている可能性がある。
となると、アカシトロビア以外の国のことを知っているのは外から来たデュークだけ。
「ねえ、デュークはどこがいいと思う?」
「行くなら千年王国がいいと思う」
ぽつりの呟かれたそれは、まったく知らない国の名前だ。
「千年王国?」
エアリスに目を向けるが、レティシアの死後、これまでずっと魔導書の中で眠っていたエアリスが知るはずはなかった。
首を横に振って知らないことを示す。
「アカシトロビアより強いの?」
レティシアの問いかけに、デュークは一瞬の迷いもなく頷いた。
「うん。アカシトロビアが唯一手を出すのをためらう国でもある」
「おー」
それは素晴らしいとパチパチと手を叩くレティシアだったが、デュークの暗い影に気がついた。
「デュークはその国が嫌いなの?」
「嫌い……なのかな? よく分からない」
「なにかやなことされた?」
「違う。けど、前に一度行った時、こう俺の中にあるなにかがザワザワして、俺が俺じゃなくなるような気がしたんだ」
「力に呑まれそうになったってこと?」
デューク自身も言葉にするのが難しいのか、曖昧な表現になっている。
それを力に呑まれる兆候ではないかと、レティシアは予想した。
「力に呑まれる……。そう言われるとそんな感じかも。だから、それ以後千年王国には行ってない」
はっきりとはしないようだ。
けれど、本能的に危険を感じているらしい。
そんな場所に果たしてデュークを連れて行っていいものか、迷いが生じる。
「千年王国ってどんな国なの?」
「かつて邪竜を滅ぼした大魔導師によって作られた国だよ」
「はっ!?」
まさかこんなところで『大魔導師』の名が出てくるとは思わず、レティシアは過剰に反応した。
そんなもの自分は作っていないぞという驚きも含まれている。
「正確には、守護者が作った国」
「守護者?」
これまたレティシアには分からない言葉だ。
「大魔導師とともに邪竜を討伐した主要人物がそう呼ばれてるんだ。彼らは邪竜と相打ちとなった大魔導師の死後、大魔導師が張った結界の土地に国を作った。それがイリスフィア。通称千年王国」
「そんなことに……。でもどうして千年王国?」
「邪竜が倒された後、死んでもなお消えない邪竜の力から世界を守るために大魔導師が結界を張ったんだ。その結界が千年は保つものだから、大魔導師への敬意を込めて今でもそう呼ばれているみたい。本当か知らないけど」
「なるほど」
まさか前世の戦友達が、ちゃんと後始末をしてくれていたとは思わなかった。
感謝の言葉を伝えたいが、あれから二百年。
長命種の仲間もいたが、他はもう誰も生き残っていないはずだ。
「守護者って人達に会ってみたかったな……」
そんなたいそうな呼び名で呼ばれるぐらいだ。
きっと相当な努力をして国を作り上げていったのだろう。
そんな感傷に浸るレティシアの耳に、信じがたい言葉が届く。
「なら会えばいいんじゃない? 本人達はまだ生きてるし」
「……ん? 生きてるの?」
「うん」
「でも、二百年経ってるでしょう?」
「これも伝え聞いたことだけど、当時邪竜討伐に大きく貢献した魔導師達は、世界を救った褒美として、神々から長命を与えられたらしいよ」
思わず言葉を失うレティシア。
神々は滅多なことでは人前に姿を現さないし、言葉も伝えない。
人の世界に深く干渉はしないのが鉄則だ。
基本的に見守るだけ。
しかし、だからこそ邪竜が世界を滅ぼしかけた時、邪竜を止める者が必要だった。
それができたのは、最高神の加護を持つレティシアだけだったのだが、他の者達にも褒美を与えたということは、邪竜から世界を救う。
いや、囚われた邪竜を解放した功績を神々が重く受け止めたということなのだろう。
「そっか、生きてるんだ……」
また会えるかもしれない。
そう思うと、レティシアはどこかほっとした気持ちになった。
ずっと心残りだったのだ。
自分が死んで、彼らは大丈夫だっただろうかと。
レティシアは世界のためというよりは、身近な彼らのために戦ったと言っても過言ではない。
もちろん利用された邪竜を放っておけなかったからというのもあるが。
「ちなみに誰が王様してんだ?」
「…………」
エアリスが質問したが、デュークは答えない。
なのでレティシアがもう一度問いかけてみる。
「誰が王様してるの?」
「王はラディオ・ヘイヴンで、王妃がフローレンス・ヘイヴンだよ」
即答するデュークに、エアリスの怒りが頂点に達する。
「喧嘩売ってるなら買ってやんぞ! こら!」
くわっとくちばしを開けて叫ぶが、これまたデュークは無視。
エアリスはフルフルと怒りに震えて、つり上げた目をレティシアに向ける。
「こいつやっちゃっていいよな?」
「駄目に決まってるでしょ」
「レティはどっちの味方なんだぁぁ!」
「どっちとかの問題じゃないじゃない」
エアリスの目は本気で、とても冗談で受け止めるわけにはいかない。
闇の女神の加護を持つデュークに手を出したら、闇の女神を怒らせかねないのだから、エアリスには自重してもらわねば。