12話 奴らの望み
レティシアは筋肉痛が和らいだところで、数日ぶりにデュークのいる地下牢に赴く。
すると、あきらかに異常なほどの闇の力を感じて、慌ててデュークが入れられている最奥の牢へ走った。
そうすれば案の定、今にも闇に飲み込まれそうになっているデュークが膝を抱えて座っていた。
「デューク!」
前回はこっそりと近づいたにもかかわらずレティシアの気配に気がついたというのに、今回はレティシアが大きな声をかけてから初めてレティシアに気がついたというように、顔を上げたデュークは目を大きくして驚いている。
「レティ?」
「このちょっとの間でどうしてそうなるの⁉」
「どういうこと?」
意味が分かっていないデュークは、きっとまだ自分の中にある闇の力を完全に理解していないのだろう。
「どこか体調とか悪くない?」
「……悪くはないけど胸が苦しかった。でもレティを見たら治った」
「いやいや、そんなこと……」
あるわけないと言おうとしたが、目に見えてデュークの闇の力がおさまっていくのを目の当たりにし、レティシアはそれ以上否定の言葉を紡げなかった。
「よっぽど闇の力は精神的影響を受けるみたいね」
ここまであからさまとはレティシアも思わなかった。
「よくこれまで無事だったわね」
数日目を離した隙にとんでもない状況になっていたデュークを見ると、よく闇の力に呑まれなかったなと奇跡としか思えない。
「デューク、あなたの中の力が暴走しかけてたのが分かる?」
「なんとなく? でもこれまでこんなことなかった。これまでは感情を無にしていたらなんともなかったのに、レティに会ってから思うようにいかないんだ」
「そ、それはそれで大問題だわ」
これまでできていたことができなくなっているなら、レティシアはデュークと会うべきではなかったのかもしれない。
そう思ったが。
「レティが全然来ないから捨てられたのかと思ったけど、レティはちゃんと来てくれたね」
ふにゃりと笑うデュークを見ると、初めて気を許せる相手ができたのではないかと思わされる。
そんな無邪気な顔を見てしまったら、距離を取った方いいのではないかと一瞬考えたこともすぐにどこかへ行った。
「約束したでしょう?」
デュークを安心させるように柔らかく微笑むレティシアに、デュークは安堵した表情を浮かべた。
(とりあえず、負の感情を抱くと闇の力が濃くなるみたい。あんまり不安にさせないようにしないと)
そんなことを考えていたレティシアに、鉄柵の向こうからデュークが手を伸ばしてレティシの頬に触れる。
「俺を絶対に置いて行かないでね」
わずかながらその目にほの暗い執着を垣間見たレティシアは、じとりと冷や汗が浮かんだ。
(あ、やばい。ちょっと入り込みすぎたかな?)
自分の力が抑止力になると分かっていたからこそ、安心させるためにした行動や言葉が、よくない方向に向かってしまった気がしてならない。
とはいえ、放置するわけにもいかないので、自分に敵対心を持たれるよりましかと考え方を変える。
「デューク、ここから出る話なんだけど――」
これからのことを話そうとした時、地下牢に誰かが入ってくる音が聞こえてきた。
見張りはすでに傀儡にしてある。
傀儡といっても、レティシアを見てみぬふりをするようにしただけで、彼らの行動が変わるわけではない。
そう簡単に見破られる魔法ではないので心配はしていないが、いったい誰がやって来たのか。
レティシアは気づかれないように、急いで魔法で姿を隠す。
「私のことはいないふりをしてね」
こそっとデュークに告げれば、無言で頷いた。
そして、デュークは入っている牢の奥に移動する。
恐らくそこがデュークの定位置なのだろう。
冷たく、光も差さない湿気たこの牢に、いつからいるのか聞くのを忘れていることにレティシアは気づいた。
カツカツと足音が近づいてくる誰か。
見やすいように出していた光の玉も消したので真っ暗だ。
しかし、足音とともに蝋燭の小さな火が見えてくる。
「まったく、ここは相変わらず辛気臭い」
不遜な声色は、レティシアもよく知る声だった。
「ご辛抱ください、カシュ様。もう間もなくですから」
ちっと舌打ちするカシュと付き人は、デュークの牢の前で足を止めあ。
その後方に立つレティシアは、今ここで仕留めるかと悪魔が囁く。
今なら獣人は二人しかいないので、目撃者を最小限に食い止められる。
デュークはレティシアの味方をしてくれるだろうし、始末するなら今だろうと、憎き男の背を見ながらレティシアは葛藤していた。
そんなレティシアの存在を知る由もないカシュは、付き人となにやら話している。
「どうだ?」
「ふむ、おかしいですな。朝まではかなりいい状態だったのですが、力が抑えられているようです」
不思議そうな付き人の様子に、レティシアははっとする。
「このままでは古の生贄としては不十分でございます」
「どうにかならないのか。結婚式で披露するのに間に合わないではないか。楽しみにしている客人も多いのだぞ」
不機嫌そうなカシュだが、この付き人はそれなりの地位にある獣人なのか、人を怯えさせる覇気を発しているカシュを前にしても平然としていた。
「まあ、焦ることはありますまい。一時的に正常になっただけで、今朝まではいい状態だったのですから、カシュ様の結婚の日の前日までによい状態になるでしょう。この真っ暗闇の中、まともな精神状態を維持するのは難しいですからな」
くくくっとなんともあくどい笑い方をする付き人の男を、レティシアはひっそりと睨みつける。
(こいつらっ)
湧き上がってくる激しい怒り。
レティシアは、再び災厄を生み出そうとしている男達を目に焼き付けた。
それと同時に、デュークが付き人の言う『いい状態』となることはないだろうという確信。
レティシアがいる限り、デュークを闇の力に呑まれたりさせない。
邪竜を作るためには、デュークを闇の力に蝕ませる。ようは、暴走状態にする必要がある。
精神状態に左右される闇の力ゆえに、デュークをこんな人も来ず、環境の悪い状態においているのだろうが、闇の力を持ったデュークが闇の中を恐れるはずがない。
どうやら邪竜にする知識は持っているようだが、詳しいというわけではない印象を受けた。
さっさと去って行ったカシュと付き人を見えなくなるまで睨みつけてから、レティシアは考え込む。
どうやら獣人が動くのは結婚式の前日。
先程のカシュの会話を聞く限りでは、結婚式で邪竜を大々的に披露するようだ。
ならばその前に逃げ出せばいい。
カシュ達がいなくなったことで姿を消す魔法を解いたレティシアは、デュークに話しかける。
「デューク」
まるで飼い主に駆け寄る子犬のように尻尾を振る幻を感じながらレティシアに急いで寄ってくるデューク。
「なに?」
「ここを出ていく日を今決めたわ。決行は私の誕生日の前日よ」
「レティの誕生日?」
不思議そうに首をかしげるデュークを見て、レティシアはそもそも自分がどうしてここにいるのかは話していなかったと思いいたる。
デュークの話は聞いておきながら自分の話はしていなかったのだ。
「えっとね、簡単にだけど説明するね」
「うん」
素直なデュークは大人しくレティシアの話に耳を傾けていたが、カシュの非道な行いや、このままではカシュと結婚させられるという話が進むに従い、ゆらゆらと怒りが魔力となってデュークの周囲を漂う。
「デューク、落ち着いてっ。そうならないために逃げるんだから!」
「レティはそいつのこと好きじゃないの?」
「好きだったら逃げようなんて思わないわよ。あんな暴力男、金貨を積まれても嫌よ」
カシュと結婚するなど、考えるだけでも鳥肌が立つ。
レティシアは腕をさすった。
その嫌悪感が伝わったのか、デュークは怒りを収めてほっとした表情をする。
「ならよかった。殺す面倒がなくなった」
と、満面の笑みで恐ろしい内容を平然と口にするのだ。
顔と言葉が合っていない。
レティシアはデュークとのこれからを考えて少々不安を感じるのだった。