11話 脱出計画
「さて、そろそろ戻らないと」
まだ聞きたい話はたくさんあったが、あまり留守をしているわけにもいかない。
今はエアリスが身代わりをしてくれているが、気づかれる可能性もあるので、長く部屋から離れているのはリスクが高い。
今回は邪竜――デュークの存在を確認できただけで十分だ。
「もう行くの?」
まるで尻尾を垂れた大きな犬のように寂しげな目で訴えかけてくるデュークに、レティシアは最初のデュークの様子と比較して、そのあまりの変化に笑いそうになった。
これほど簡単に心を開いてくれているのは、やはり同じく神の加護を持った者同士だからだろうか。
それでも、レティシアの存在がデュークの糧となるならそれでもよかった。
彼の生きる力となれるなら安堵すら感じる。
死ぬ理由がないから生きているなどという言葉よりよっぽどいい。
しかし、じわじわと溢れてきている闇の力が問題だった。
レティシアは再度光の力で抑え込み、ついでにデュークの頭を優しくポンポンと叩く。
きょとんとするデュークは、撫でるのをやめて手を引くレティシアを追うように頭を擦りつけてきた。
まるでもっと撫でろと言っているかのようだ。
レティシアはその警戒心のまったくない無防備さにクスリと笑い、撫でながら力を流していく。
それに従い安定していくデュークの中にある力を感じて、レティシアはほっとする。
「レティといるとなんだか落ち着く。こんなの初めてだ。どうしてだろ?」
デューク自身も理解できない感情に不思議に思っているようだ。
「それはデュークの力と私の力が対なすものだからかな」
「どういう意味?」
疑問符を浮かべて首をかしげるデュークの様子から見ても、闇の女神からの加護を持っていることは知らないようだ。
「それはまた今度話してあげる。でも、今日はここまでね」
すっと手を離したレティシアの手を、デュークは名残惜しそうに見つめていた。
レティシアの存在に居心地のよさを感じている様子。
「今度……。絶対?」
「うん。一緒に出ていくんでしょ?」
レティシアの問いかけにぶんぶんと頷くデュークは、牙を失くした獣のように従順さを見せている。
「でも、今すぐにっていうわけにはいかないから、とりあえずはまた来るから大人しく待っててね」
「分かった。待ってる」
デュークは無表情ながらその声色は柔らかく、レティシアを受け入れてくれているのが伝わってくる。
「じゃあね」
小さく手を振ってから、魔法で姿を消す。
しかし、ちゃんとデュークの目はレティシアを捉えており、寂しそうな顔をしていた。
(そんな顔されると置いて行きづらいんだけど……。でもまだ準備はできていないから仕方ない)
後ろ髪を引かれる思いで地下牢を後にするレティシアは、今度は決して邪竜になど堕としたりしないと決意しながら部屋に戻った。
***
部屋に入るや、ダラダラとベッドの上でだらけているレティシアの姿をしたエアリスを見て、レティシアは呆れた顔をする。
「おっ、帰ってきたか」
さすがにエアリスはレティシアの魔力と魔導書から作られた聖獣だけあって、レティシアが姿を消していても意味がないほどしっかりとレティシアを見ていた。
聖獣としての威厳をどこかに落としてきたように見えるが、デュークよりも正確にはっきりと姿を認識している。
能力だけは有能だというのがせめてもの救いか。とはいえ、やはり世間一般の聖獣のイメージとはかけ離れている姿に、残念さを拭えない。
「これが聖獣とかいろいろ間違ってると思うんだけど……」
そう言いながらレティシアは魔法を解いた。
とても神の神具から生まれ出た崇高なる生き物とは思えない態度だ。
「別に誰も見てないんだからいいじゃねえか」
「他の誰かだったらどうするの? 態度で違和感持たれるかもしれないじゃない」
「俺様がそんなヘマするわけないだろ。気配で入ってくるのがお前か獣人か分かる」
確かにそうかと、レティシアは納得して別の話を変える。
「私がいない間誰か来た?」
「いや、まったく。驚くほど放置だ。すんげえ、舐められてんな」
「その方がこれから動きやすいから助かるでしょ」
「まあな」
レティシアが自ら檻の中に入ってベッドの上に登ると、不敵に笑っていたエアリスは入れ替わるようにしてもふっとし白い小鳥の姿に変わった。
レティシアも、嫌々ながら足かせをはめて元通りの状態にすると、ふうっと息を吐く。
「筋肉痛起こすかも」
長年の監禁による筋肉の衰えを、今回レティシアは魔法による強化で補っていた。
それがなければ、この屋敷の中を普通に歩き回ることはできなかった。
それほどに筋肉も体力も落ちていたのだから仕方がない。
だが、一時的に魔法で補って動いたとはいえ、体を動かした以上はその反動も起こるだろうと予想している。
魔法を使い続ければいいのではないかという話だが、魔法での強化はあまり長時間続けると肉体に悪影響を与える。
効能がいい薬も使いすぎれば毒となるように。
一番いいのは自身の力で動けるように筋力をつけることなのだ。
なので、筋肉痛は甘んじて受けるほかない。
「それより、邪竜の生まれ変わりは見つかったのか?」
「うん。予想通り地下牢に繋がれてた。誰かさんに頼んでいた幸せとはほど遠い環境でね」
最後嫌みったらしく言ったのは、最高神が聞いていることを願ってだ。
レティシアは宙を睨みつけた。
それぐらいで最高神はなんとも思わないと分かっているが、不満を訴えずにはいられなかった。
「闇の女神様がお仕置きしてくれないかな」
「今度頼んでみれば?」
「そうする。……ところで、エアリスにお願いがあるんだけど」
と、レティシアが切り出すと、途端に嫌そうな顔をする。
「えー、久しぶりに召喚したからって人使いが悪すぎねえか?」
「人じゃなくて鳥でしょ」
「細かいことはいいんだよ」
少し恥ずかしそうにしながら足で頭を掻くエアリスは、気を取り直してレティシアを見上げる。
「で、なにをしてほしいんだ?」
なんだかんだレティシアのお願いを断らないエアリスに、レティシアはクスリと小さく笑った後、真面目な表情へ変わる。
「この屋敷の情報が欲しいわ。今いるこの国の状況と、この屋敷のこと。デュークをどうするつもりなのかとか、他にも気になったことを調べてきて」
「デューク?」
エアリスが首をかしげる。
「邪竜の生まれ変わりの名前よ」
「へぇー」
聞いておきながら特に興味がなさそうだ。
「できる?」
「ふんっ、誰に言ってやがる」
エアリスは自信に満ちた目をして、ばさりと飛び立った。
魔法によって姿を消した上で扉をすり抜けていくのを、レティシアは見送った。
元は魔力によって作られたエアリスは肉体を持たない。
持っているように見えるし触れることもできるが、その本体は実体のない魔力。
それ故、無機物である扉をすり抜けるのは造作もないことだった。
魔法によって姿を消してしまえば、それこそ誰にも見つけることは不可能だろう。
そうしてエアリスを送り出したレティシアは、案の定翌日に筋肉痛を起こして悶え苦しんだ。
「うぅ~、今日は無理……。デュークには悪いけど行けそうにない……」
本当はデュークを一人にしたままで日を開けるのは不安があったが、とても地下牢まで行けそうにない。
数日は寝て過ごすしかないなと諦めた。
それから、二日ほどしてエアリスが帰ってきた。
「おかえり、エアリス」
「おう。ちゃんと屋敷をくまなく調べてきたぞ」
レティシアが差し出した人差し指に止まったエアリスは、やや疲れを見せる。
「もうほんと、獣人の奴ら滅ぼした方がよくね? 神々に内緒でやっちゃってもいいと思うぞ」
「なにかあったの?」
「ああ。屋敷内にいる獣人の会話を盗み聞きしてきたんだけど、やっぱりあいつら新たな邪竜を作ろうとしてるらしい」
「それはデュークを使って?」
自然とレティシアの眉間にしわが寄る。
「みたいだな。それで千年王国を侵略しようと考えているらしい」
「千年王国?」
聞き覚えのない国名に、レティシアは首をかしげる。
前世にはなかった国だ。いや、そもそも国なのかも不明である。
今世でも、外の情報が届かないような辺鄙な村で生まれ育っていたので、世界情勢を知る機会もなかった。
「なんかそんな名前の魔導師の国があるみたいだな。俺様も時間がなくてそれぐらいしか分からなかった」
「そうなの。でも魔導師の国なのね。あきらかに獣人が目の敵にしそう……」
「あいつらなんの恨みがあるのか、昔から魔導師への当たりが強いからな。獣人の中にも魔力を持っている奴もいるだろうにさ」
「まあ、獣人って昔から好戦的だったもんね。前世でも特にアカシトロビアは周辺の国に戦争をふっかけてたもの」
世界は最も優れた種族である獣人が管理すべきであるという、偏った思想を押しつけてくるので、必然と戦いになるのだ。
「まあ、レティシアと仲間達が片っ端から潰していってたけどなー。てか、そのせいでいまだに魔導師が恨まれてんじゃね?」
「うーん、否定できない……」
レティシアは前世を思い出してなんとも言えない顔を作る。
逆恨みしそうなのは実際に戦ったレティシアが誰よりよく知っていた。
まあ、そうでなくとも獣人は、自分達に従わない相手にところかまわず喧嘩を吹っかけるので、侵略しようと企んでいても不思議には思わない。
「その国は大丈夫なの? 千年王国だっけ?」
「邪竜を使おうとしてる時点で、現在の戦力じゃ侵略できないってことだろ?」
「それもそうね」
なんと理解が早い鳥なのか。
鳥頭なのに、レティシアよりもよく状況判断が早いとはこれいかに。
レティシアが物言いたげに見つめていると、エアリスがじとっとした目をする。
「おい、なんか失礼なこと考えてんだろ。俺様はそういうのに敏感だぞ」
「被害妄想甚だしいわよ」
咄嗟に返したものの、レティシアは図星を突かれて視線を彷徨わせる。
そして、話を戻すようにゴホンと一つ咳ばらいをした。
「それより、私を番いだって言って監禁してるあの男は邪竜のことを知ってるの?」
デュークはこの屋敷内で捕まっている。
レティシアの予想通りならば多少なりともかかわっているはずだ。しかし――。
「そもそも、邪竜を作ろうと主導しているのがそいつだ」
「ああん?」
思わず低い声で威圧感を発するレティシアを、エアリスも咎めなかった。
むしろ共感するように、うんうんと頷いている。
「そうなるよなー。だから滅ぼしちゃえって言ってんの」
「……そうね。やっちまうか」
思わず口調も荒くなり、目も据わるレティシア。
すると、どこからともなく声が聞こえてきた。
『駄目だからね! 獣神が泣いちゃうから、それだけはやめたげて!』
その慌てた声は間違いなく最高神のものだ。
レティシアとエアリスはそろって「ちっ」と舌打ちした。
さすがのレティシアも、最高神の言葉を無視はできない。
たとえ無視して実行しようとしても、簡単に止められてしまうだろう。
「仕方ない。それなら早々にこの国から脱出するのが先みたいね」
「だな」
レティシアとエアリスは互いの意見を一致させる。