未練
明け方、夢を見ていた。どこか懐かしいような、哀しいような、でも嬉しいような、そんな余韻が残っていた。
目覚まし時計の鋭い音で目が覚めた。朝が来てしまった絶望と、結局あまり眠れなかった苛立ちを抑えてリビングへ向かう。冷蔵庫を開けると、中が空っぽだった。
「嘘でしょ」
寝起きのかすれた声でそう言った。ため息をつきながらも重い体を無理やり動かし、少しだけ身支度をして、近所のスーパーへ出かけた。といっても、まあまあな田舎だから一番近いスーパーでも徒歩で15分ほどかかる。こんな田舎、今すぐにでも引っ越したいと強く感じた。
田んぼのすぐ近くをゆっくりと歩いた。今日はいつもと違う道。たまには遠回りして行くのも悪くないなと思う。
隣を見ると、当たり前だがそこには誰もいない。少し前だったら、笑顔で話をしていたのだろうか。
「お母さん…」
思わず、弱音を口に出してしまった。お母さんは、一年前に亡くなった。
その時から私の心の中の何かがぷつんと切れた。
昔は、普段は明るく、いつも笑顔でいる子を「演じて」いた。演じていたと言っても、別にそこまで苦ではなかった。笑顔だって自然に作れていたし、なんなら心の中でも笑っていたことだって沢山あった。まるで本当の自分も、その明るい自分に飲み込まれてしまいそうだった。
でも、お母さんが亡くなってからは違う。
その引きつった笑顔に心配の声が多く届いたし、自分でもそう感じていた。心の底から笑えなくなった。最近笑ったことなんてあっただろうか。独りになってからは話す機会も減り、余計に悪化してしまったのではないかと思うが、そもそも人と話さないから、自分でもどうなってしまっているのか分からない。
それに、お母さんが居れば、毎日スーパーへ買い出しに行くことなんてなかっただろう。毎日家事に追われることなんてなかっただろう。勉強にもっと集中できただろう。ずっと憧れていた医者にだってなれただろう。お母さんさえ、居れば。
◇
ーおかあさん、みてみて!
ーなあに?どうしたの?
ーテストで、ひゃくてんとったの!すごいでしょ!
ーわあ、すごい!今日は心羽の好きなハンバーグにしちゃおうかな!
ーやったー!はんばーぐ!はんばーぐ!
◇
なんて、昔のことを思い出していた。
私は、お母さんの優しい笑顔が大好きだった。お母さんの穏やかな声が大好きだった。自分なりに、沢山沢山そのことを伝えた。でも、もっと伝えたいことだってあった。私は、お母さんと同じ医者になりたいこと。お母さんのような女性になりたいこと。それだけじゃない。もっと感謝を伝えたかった。
いつ居なくなってしまうのかが分かれば、こんなに辛い思いはしていないかもしれない。もう少し辛くなかったかもしれない。後悔をした今、お母さんはもういない。今更悔やんでも仕方ない。そんなこと分かってる。私が一番分かってるはずなのに。
目から涙が零れた。これから私はどうしよう。ずっと独りと生きていくの?こんな思いを抱えながらずっと生きていかなければならないの?もう、どうしたらいいの。
こんな自問自答を繰り返したのは久々だ。ようやく、辛い記憶に蓋をできると思ったのに。時間が解決してくれると思ったのに。そんな絶望感を包んでくれるように、人が滅多に通らない路地が見えた。あそこに行けば、誰も居ない。あそこなら思い切り泣ける。もう昔のような明るい自分はいない。やっと着く。やっと自分の思いを吐ける。そんな希望を抱えて路地に入った。