変態紳士の成り立ち
毎日暑いですよね。最高気温が毎日更新されてる感じです。
ですが、文明人として衣服は尊重せねばなりません。
私、屋村弘高48歳。文筆業を生業とする田舎紳士である。
そして、今、私はとある駅の執務室に留め置かれ、駅員および警吏の冷ややかな目線にさらされている。
原因は私の不徳と致すところなのだが。。。いたたまれぬ。。。。。。。
私は、もともと都会育ちではなく、郊外と名のつく利便性の良い田舎で育った。
そのせいか、どうしても雑踏や人ごみが苦手で、学業を終えるとともに文筆業を志し運良く生業と言えるようになった。そして、私の与り知らぬ方々の努力により日々テクノロジーが進歩をして、都会に身を置くことなく文筆業に専念できる世の中になっていった。
そのような状況に、これ幸いと便乗し生まれ育ったところよりも少々不便な田舎へと移り住んで現在に至る。少々不便といっても、1時間に2本のバスがあり、最寄り駅は無人だが電車はそこそこ頻度で運行している。独身を謳歌し静寂を愛する身としては、十分すぎる近代社会の恩恵だと思っている。
ただ、いくら文筆業で組織に属さないからといって、家から一歩も出なくていいということはない。
買い物、市役所、銀行などの日常の外出はもとより、年に数度とはいえ仕事で関係のある会社や事務所には足を運ぶことになる。
どうしても都心に行くことになるので気が向く向かないはともかく、仕事を承っている以上打ち合わせや相談に出向くのは社会人としての責務であると思っている。
日常の外出はともかく、仕事は着るものに困る。もともと、流行には無頓着な方なので着るものに幅がない。日常orビジネス(ON)のみである。
自分が偏屈なのは理解しているが、さすがに仕事の打ち合わせにTシャツ半パンサンダルでは、偏屈以前にただの社会認識の甘い馬鹿野郎である。
一般的な組織に属する経験を積まずに、専門職の茨の道を突き進むと決めた時、けして、社会人として逸脱していることを誇るような見識の狭い人間にだけはなるまいと誓った。
そして、それを貫くためにも仕事に赴く時はビジネスフォーマルを心がけている。しかしながら、ビジネスフォーマルは夏場が辛い。早いこと、Dr●カ●ツ氏が携帯式クーラーを開発してくれないものかと思っている。
つまらないことを考えている間にも、気温は上がり汗がにじみ出る。
時間は有限だ。
とりあえず、今日は、夕方から先方に会うので蝶ネクタイを選択しておこう。
タイを決めておけば、シャツもスーツも自然に決まるだろう。と言っても数はないが。。。
まぁよい、身に纏うものよりも、まず、信用の基礎である書類の忘れ物がないように準備をせねば。
私はモノをどこにでも置いて見失う悪癖があるので、タイを首にかけ出かける準備をはじめた。
「書類よし。と」
ふと、顎に手をやると下顎にうっすらとヒゲが生えている感覚があった。私は、髭やら髪を整えることにした。やはり、日常だけだとどうしても細部が手抜きになるなと思いつつ、シェービングクリームを持って鏡に向う。
ヒゲを丁寧に剃り落としている間に、思っていたよりも時間が過ぎていたらしく髭剃り道具の片付けをしている内に出発予定時刻を少し過ぎてしまっていた。
私は、あわててカバンを引っさげパナマハットを頭に乗せる。玄関い向かいながら、昨夜のうちに靴を磨いておいてよかった。と思いつつ靴を履いて小走りに家を出た。
そして、時すでに遅く。1時間に2本のバスは発車した後だった。仕方なく、私は徒歩30分を駅まで歩くことにする。次のバスを待つより1本早く電車に乗れるはずだ。約束をした相手が待っている以上、私に選択肢はなく、決意を込めて一歩を踏み出した。
田舎のせいもあるが、ちょうど暑くなる時間帯だったので、伸びゆく道にも広がる畑にも人影がなかった。そういえば、回覧板で熱中症を防ぐために農作業などの時間帯を変更するように警告されてたな。
たしか、隣町のご夫婦が倒れて大変だったらしい。
これだけ照りつける中での作業は大変を通り越して酷であるに違いない。
歩き始めてだいたい30分後に私は駅に着き、額から流れる汗をハンカチでふきふき、無人駅舎の木陰のベンチに座り込んだ。結局、道すがら出会ったのは近所の爺さん1人だけで、お互い暑い暑いで麦わらとパナマハットを掲げて挨拶しただけでロクに言葉も交わさなかった。
「ふ〜、きついなぁ。若いつもりだったんだが年齢相応になってるんだなぁ」
独り言ちしつつ、暑いは暑いがそよぐ熱風を心地よいと思っていた。そして、時間通りの電車に乗り込んだ。
この路線は、直接目的地へと直結していない。
ターミナル駅へのハブ駅で乗り換えをせねばならない。のだが、電車に乗ってものの数分で私は寝入ってしまった。汗が引いた後の疲労感は心地よく、電車のエアコンはとても快適だった。
『○〇〇〜。○〇〇〜。お乗り換えの方は〜』
私が寝ぼけながらも目覚めたのは、乗り換え駅に到着したアナウンスの声であった。
私は、慌てて転び出るようにホームへ飛び降りた。
ふ〜、バスに乗り遅れて電車を1本逃しているから、これ以上の遅れは許されないぞ。と思いつつ、まだ眠気でぼんやりとする頭をフリフリ乗り換えのホームへと向かった。
さすがに、田舎の無人駅とは違ってターミナル駅へ向かうハブ駅なので人が多い。
ちょうど学生たちの下校時間だろうか、制服の子供らが群れている。脳裏に浮かぶほどではないが、自らの学生時代を思い出し、彼らを横目に眺めながらホームで電車を待っていると、ふと、視線を感じる瞬間があった。
学生たちが私を見ている?学生の彼らが見かけるネクタイのほとんどは、レギュラータイだろうから蝶ネクタイは珍しいのだろう。自らが若者の注目を集めていることに少し浮かれながら、コレにしてよかったかな。と思った。
「あの〜、ちょっとよろしいですか〜?」
背後からの遠慮気味な掛け声に振り向くと、駅員となぜか警官が立っていた。突然のことに戸惑っていると、駅員が私の手を取り同行を促すと同時に警官が私の背後へと回った。
「え、何事ですか?私何もしていませんよ!電車を待っていただけで」
「そーですねー。ちょーっとお話をうかがいたいんデェー」
駅員も警官も物腰は丁寧ながら、有無を言わせぬ力強さで私を執務室へと連行した。
「どういうことですか!何か嫌疑があるなら嫌疑の内容を教えてください!ことと次第によってはあなた方を!。。。。。。。」
私はここまで言葉を放ち、駅員と警官の手を振りほどこうと身をひねった時、執務室のガラス扉に映る己が姿を目の当たりにした。。。。。
ヒゲを整え、パナマハットをかぶり、蝶ネクタイをして、靴下と磨き上げられた靴。と、男性用肌着。つまりパンツ。しか、着用していない半裸の中年下り坂のおっさんがくっきりと執務室のガラス扉に映っていた。
駅員と警官にしっかりと両脇を抱えられて。。。。事と次第によって訴えられるのは、私だ。。。。。
急に大人しくなった私に駅員はパイプ椅子を進めてきた。うなだれて座る以外、私にはなしようがなかった。
「今日、暑かったですよね」
黙って、うなづく私。
無線でどこかへ連絡する警官。
シャツとスラックスだけでも先に履いておけばよかったのか?
小物は見失うからと、タイと靴下を先に身につけたのがまずかったのか?
そもそも、独身で家族がいないから気づいてくれる人がいなかったからか?
バスに乗り遅れたからか?
最寄り駅まで人気がなく駅舎も無人だったからか?
暑かったからか。。。。。。。。?
様々な後悔が頭をよぎるが何を悔やんで、どこから言い訳を取り繕えばいいのか。私にはさっぱりわからなかった。でも、私は語らねばなるまい。私が、悪意なく意図せずいかにして変態紳士に成り立ったのかを!
どこの誰に理解をされなくても!語らねばなるまいよ!
私は決意をもって、まっすぐに前を向いた。
暑い!