第22話 終わったはずの初恋
『Myosotis scorpiodes』
「......え?」
一瞬、その場の時間が止まったように感じた。
風が吹き込み、少しの間だけ静寂が訪れる。
「嘘......でしょ? 凪沙くんって......」
「うん、覚えてる? 俺のこと」
「......忘れたことなんかない。一回も」
「そっか」
「本当に、本当になーくんなの?」
「そうだよ。遊具のトンネルで泣いている有栖にハンカチ貸したでしょ?」
凪沙は髪を少しいじり、昔の髪の形に似せた。
それを見ると有栖は驚いたように目をパチパチとさせた。
「......なーくんだ。背は大きくなってるけど......なーくんだ」
「久しぶり、だね」
「まさかとは思ってたけど......凪沙くんが......」
有栖は言い終わる前に目を潤ませて、涙を流し始めた。
「あ、あれ? ご、ごめん......」
有栖は服の袖で涙を拭っているが、それでも溢れ出してきている。
凪沙は自然と心が痛くなっていた。
やっと言えたという達成感と早く言えばよかったという後悔。
二つの感情が凪沙を取り巻いていた。
しかし凪沙は深く考えるのを一度やめた。
(今はただ......有栖と『再会』できたことを喜んでおこう)
凪沙はバッグからハンカチを取り出して有栖に貸した。
「とりあえず公園かどこかのベンチ座る?」
「うぐっ......あり、がとう......うん」
***
「ハンカチありがと」
「落ち着いた?」
「うん、ごめん、取り乱しちゃった」
凪沙と有栖は近くにあった公園のベンチに座った。
道中、有栖とあの子の姿が完全に重なった。
(月日が経っているとは言え意識してしまう自分がいるんだよな)
それに有栖はかなりの美少女。凪沙もそんな少女の涙には弱い。
「......なーくんって呼んだ方がいい? 凪沙くんって呼んだ方がいい?」
「どっちでも違和感ないかな」
「じゃあまだちょっと実感ないし、凪沙くんって呼ぶね」
有栖は一息ついて話し出した。
「......凪沙くん、ちょっとなーくんと雰囲気似てたし、フィンランド語喋れるし......まさか、とは思ってたけど、凪沙くんがなーくんだったんだね......ずっとなーくん呼びしてたからなーくんの名前忘れてた。いつから気づいてたの?」
「ちょっと前から、かな。最初は俺も気づかなかった。......名前忘れてたし」
「そっか、気づいたら早く言ってくれたらよかったのに」
「あはは......なんかちょっと言い出せなくて」
「ま、何はともあれこうして再会できたよかった」
有栖はそう言って腕を伸ばした。
そして手のひらと夕日を重ねた。
「覚えてくれてたんだね。あの言葉」
「もちろん、俺だって有栖にずっと会いたかったから」
「そっか、お互い同じ気持ちだったんだ......ってなんか変な感じするね。お互い成長してるし」
有栖は笑った。美しさの裏に可愛らしさと無邪気さを残して。
有栖の言った通り、いざ再会したとなると変な感じがして少し気まずい。
有栖は今の友達だ。しかし昔の友達でもあった。
いつも通りに話すことができずに会話が行き詰まってしまう。
「正直、全く夢にも思ってなかった。凪沙くんとまた会えるなんて」
有栖は凪沙の肩に頭を預けた。
(......距離感相変わらず近い)
凪沙の鼓動は少し速くなっていたのだが、凪沙はそれに気づかなかった。
そして有栖は話を続けた。
「私さ、ずっと言いたいことあったんだ」
「言いたいこと?」
「うん、というより言い残したことかな。あの時どうしても言えなくて......私、昔なーくんのこと好きだったんだ。勇気なかったからさ、最後のあの時、言えなくてね。それでちょっと後悔してた......言っておけば良かったなって」
「俺も......俺も昔、有栖のことが好きだった。でも俺も言えなくて終わった初恋のはずなのにいつまでも拗らせてた」
紅く染まった空の下、二人は長年の後悔を晴らした。
そして二人は笑いあった。昔を懐かしむように。
二人の初恋は、とうの昔に途切れて終わっている。
だけれどもその途切れた線が繋がり、完結したのだ。
そこから二人は時間を忘れて昔のように話し合った。
そして笑い合った。
気がつけば辺りは薄暗くなっていた。
「有栖、じゃあそろそろ帰る?」
「うん、そうだね。もう日も暮れてるし。門限過ぎる前に帰らないとお母さんに怒られるんだよね~」
「家まで送って行こうか?」
「いや、いいよ。大丈夫。家近いし」
「そっか。じゃあ『またね』」
「うん、『また明日』」
そう言って凪沙と有栖はそれぞれの帰路についた。
凪沙は昔の有栖との思い出を振り返りながら家へと足を進めた。




